第89話 ~幸せの魔法~
いよいよ独立記念日まであと二日。
年間最大の祭日、前々日ともなれば王都もどこかしこが大忙しだ。
店を出す者、催しに向けて下回りに駆け回る者、それに次いでは一般人までもが、明後日はどんなふうにこの広い王都を回ろうかと、下見に歩く光景が散見する。
王都の賑わいは、現時点でも最高潮を迎えていると言っても過言ではない。
一方で、二日後にはこれ以上の賑わいに満ちることが確約されている以上、現状"これでも"最高潮というのは過言とも形容できる。
「お、どうも親方、ご無沙汰しております」
「おぉ、ハルマ!
あるいは今は、ハルマ様とでもお呼びすべきですかい?」
「残念、今現在の私は無職です。
参謀職への復帰は独立記念日からとなっていますので」
「つーことは一般人だな。
ようハルマ! いつにも増してなよなよしいツラしてんなぁ!」
そんな折に、セプトリア王都の大手商会、シャプテ商会を訪れる要人二名。
一人はハルマ。彼を出迎えた商会の元締め、ザインに握手を求めて手を差し出す。
昔ながらの気さくな語り口と共にハルマを迎えたザインは、握手に求められた手を無視し、ハルマを抱きしめる対応だ。
まるで息子が帰ってきたかのような熱烈な歓迎に、思わずハルマも若返った笑みを浮かべてしまう。
「ああ、なるほど。
王国兵入りする前に、あなたが働いていた職場というのがここなのね」
「はい。
アルバー帝国からの流れ者であった私を、快く受け入れて下さった皆様ですよ」
「おお!?
これはこれは、もしや賢者エルアーティ様ですかい!?」
「あらあら、私ってば有名人?
私とあなたは初対面のはずよ、ザイン=ガラーシュ氏?」
抱擁を解いたザインの前方、ハルマの後方から、宙に浮く箒に座ったエルアーティが、遅れてふよふよと顔を出す。
ザインもびっくり、魔法都市の超お偉い様だ。顔を合わせるのは確かに初めてだが、世に知られる賢者様の特徴と、あまりにもぴったりなエルアーティの姿を見れば、それが誰かもすぐにわかる。
紫のローブに藍色のナイトキャップ、幼女の風貌で箒に乗るという特徴は、世界広しと言えどもそんなには多くあるまい。そこに、幼い風貌とは似つかわぬ、不思議な貫禄を併せればだいたい確定だ。
「光栄ですな、まさか賢者様にお名前を存じられているとは。
むしろ、何故とさえ思うのですが」
「シャプテ商会は独立記念日後、ダニームとの交易路拡大のために一役買ってくれるのでしょう?
元締めの名前ぐらいは流石に覚えてあげなきゃね」
「もうご存知でしたか。
ナナリー女王様直々の粋な計らいでしてね。有難いお話ですよ」
「ふふ、ナナ姫らしいわ。あの子のせいではないでしょうに、責任を取ろうとするんだから。
計らいの取り方も適切で、なかなかいい女王様やってるようじゃないの」
「形はどうあれ、無実のシャプテ商会単体を、王国が厳しく責め立てた形になりましたからね。
まあ、重ね重ね、ナナリー様のせいではないと強調はしたいところですが」
ベリリアルに操られていたナナリーは、ハルマが逃げる形で参謀職を退いたその後、彼と繋がりのあったシャプテ商会に、色々いちゃもんをつけて責め立てた。
おかげで短期間ながら、シャプテ商会は妙な意味で忙しくされ、商売上がったりの時期があったのだ。
ハルマが言うとおり、それは全くナナリーの意志による失態ではないのだが、表面上はやはり、王国そのものが罪無き商会をいじめた事実だけが残ってしまう。
そんなシャプテ商会に、詫びの形でナナリーが、国が懇意にしている魔法都市ダニームとの交易路の拡大をと、大きな仕事を授けたのだ。
塩梅が難しいもので、国が個人や法人に詫びる際、金銭を下して謝るというのも格好がつかなすぎる。
為政者には権威というものが必要だから、たとえ落ち度があろうとも、過剰に頭を下げすぎても良くない部分があったりもするのである。まして今回は、本当の意味では女王様の落ち度でないがゆえ、尚更に。
それらを総合して考えた末、ナナリーが具体的な形でシャプテ商会に向ける侘びは、大きな事業を委託するという形で執行されたのだ。
ある意味これは、単に大金を渡すよりも効率的だ。
甲斐性のある商売人なら、大きな仕事を授かった後の行動でも、その中で縁を広げ、さらなる仕事を掴み得る。
一括払いで慰謝料めいた金銭を受け取るよりも、腕次第ではさらに果てしない儲けも夢見られるわけだ。
ついでに言うと、これに対して国庫が資金を割く必要もなく、政治の上では王国側に損失なし。その上でシャプテ商会のはたらき次第では、懇意にしている魔法都市との繋がりもより強くなる。
要するに王国側とシャプテ商会側、どちらにとっても悪いことがなく、王国側の詫びも果たせるという形だ。
特にシャプテ商会にしてみれば、国そのものから信頼されて事業を任されたという、商売人としては稀に見るレベルの箔をも頂けた、実に嬉しい申し出である。
「ところで今回、賢者様はどのようなご用で?
お買い物でしたら、即刻対応させて頂きますが」
「記念にちょっとぐらいお買い物してもいいけど、今日はあいにく仕事だからね。
ミサの話は聞いてる?」
「存じております。そろそろ時間ですね。
なんでも、この近辺にも大規模なミサを施されるとか」
「ここが最後なのよ。
この近辺のミサが終わるのを確認したら、私が最後の総仕上げをすることになってるの。
だから、様子見を兼ねてね」
「では、ここでお待ちに?
それとも、どこかご案内致しましょうか?」
「ここでいいわ。
あなたも祭日前で忙しいでしょ? 私のことなど気にせず、商事に従事していらっしゃいな」
「ははは、恐れ入ります。それでは、私はこの辺りで。
おいハルマ、賢者様に粗相のないようにな」
「私が粗相なんてするものですか、年上相手に」
「よく言うぜ、その口が」
ハルマと軽い口を叩き合い、ザインはその場を離れていった。
最後のやり取りは、年上相手に粗相なんかしないと白々しく言ったハルマの過去を、ザインはよく知っているがゆえに皮肉だろう。
「あなたこう見えて、若い頃は年上にもつっかかるやんちゃな頃があったの?」
「さあ、どうでしょうね。
未熟な頃の自分のことなんか、わざわざ語りたくもありませんし」
「聞かせて、って頼んでも駄目なのかしら?
私、けっこうお偉い様」
「酒の席では無礼講で山ほど色々やってきた、ってだけですよ。
あの親方もけっこういじって差し上げました。当時ぐらいからちょうど腹が出始めてましたしね」
「皮肉を垂れられるわけだわ」
相手を不快にさせない範疇で、年上相手にもけっこう失礼なことを言い、笑いを取ってきた実績がある、という程度の話なのだろう。
若い頃からそうやって、年上とも上手に付き合ってきたハルマの笑みを前に、エルアーティはくすくす笑う。
似た者同士だ。エルアーティもこんななりで、何度年上の学者の学説をこてんぱんにしてきたか。
ベクトルは全く違うが、この二人は基本的に怖いもの知らずである。
「さて、そろそろ来たようだし、ミサを見届けることにしましょうか。
数年前の魔王戦役で鍛えられたし、ダニームのミサは完成度が高い自信もあるわよ」
「拝見させて頂きますよ。
ならびに、ここまでのご協力、本当にありがとうございます」
シャプテ商会の周囲に、何人もの魔法使いが集まってきた。
そこからその一団のリーダーが指示を下し、魔法使い達は散開していく。
その一団に、こっそりチータが混ざっているのだが、彼もダニームの魔法使い達のミサを見たくて仕方がなかったらしい。
今日は執拗に、王都各地で行なわれているミサに付き纏い、感心し、学習し、魔導士としては存分に楽しんできたようだ。
ナナリー女王が悪しき魂に肉体を乗っ取られた事件が明け、さほど日も過ぎぬ今日この頃。
王都全体で大々的に行なわれる"ミサ"とは、大きな意味を持つ行いだ。
魔法学、霊魂学における"ミサ"と呼ばれるものは、宗教的な意味でのミサとは全く異なる。
正式には"霊魂昇葬の儀"という名で呼ばれるものなのだが、話し言葉にすると長かったり、"昇葬"だか"葬昇"だか紛らわしく覚える人が多かったりで、あまりその名が愛されていないのが実状である。
やがて"レイショー"なんて略された時期も経過し、仕舞いには近年、若者言葉で"ミサ"なんて連想単語をあてられた末、それが流行ってすっかり定着してしまっているそうだ。
最近なんて、"霊魂昇葬の儀を行なう"ことを"ミサる"と言って通じたりするぐらいで、ミサという言葉が非常に便利に使われている現状である。
例えばの話。
魔物達の襲撃を受けて滅びた村があったとする。
そこで殺された村人達は、無念のうちに息絶えた者がほぼ全てだろう。
そうして無念や未練を抱えた死者の魂は、本来あるべき昇天、あるいは成仏、そうした道筋を辿りきれず、嘆きを抱いたまま現世に留まってしまうことが多い。
魔法の源泉、魔力とは、霊魂と精神力のかけ合わせによって生じるもの。
言い換えれば、霊魂そのものが、魔法という従来の物理概念に反する力を生み出す触媒になっているとも表現できる。
肉体は死したのに現世に残った霊魂は、僅かに生前の精神や記憶を残しているケースが多い。嘆く魂、という表現がされるのは、霊魂には精神が、意志が宿っていることの示唆である。
死者の魂に如何ほどの記憶や意志力が残るかは千差万別だが、ともかく精神を宿したまま霊魂のみの存在になって世に留まったそれらは、人の目には映らぬ存在ながら、しばしば"魔法"を発現してしまう。
何もない所から発火現象を起こしたり、あるいは地学とは無関係な理屈で地を揺らしたり、雲もないのに雨を降らせたり、乾いた秋風に混ざって真空波を起こしたり。
そういった現象が"心霊現象"なんて呼ばれるもので、実際こうした出来事は、過去に無念の死を迎えた者がいた場所でよく起こる。無念の魂がそこに留まっているせいだ。
もういい年こいて、お化けが怖いとのたまうアルミナという子もいるが、心霊現象というのは本当に実在し、時には怪我や災害を招くこともあるため、あんまり馬鹿に出来ない話である。
それを未然に防ぐのが霊魂昇葬の儀、いわばミサという単語で浸透している、魔法的な儀式である。
現世に残った魂を、特別な魔法で以って探索し、さらには天に解き放ち、現世から開放する。
悪影響をまき散らす霊魂に対しては、現世から開放すると言うよりも、追放すると表現してもいいかもしれない。
霊魂のみの存在となったそれは、しがみつく肉体というものが存在しないため、ミサを以ってすれば抵抗力も小さく、さほど難しくなく現世から解き放つことが出来る。
開放する霊魂が哀れなものであると推察される場合は、同時に葬儀も行なうことで、死者への弔いを兼ねることも多い。
本質的には葬儀的な、宗教的な儀式とは一線を画し、現世に留まる霊魂を、現世でない場所へと送り出す、あるいは追い出すのが、魔法学の上で言われる"ミサ"である。
最近はすっかりこの言葉の使い方が定着したが、数十年前には元来の意味でのミサを行なう宗教家から、混同するのはやめて欲しいと揉めた時代もあったそうだ。
本来この"ミサ"は、死者が出た環境にて間もなく行なわれるべきことだが、この日のセプトリア王国でミサが行なわれるのは、普段と違う動機である。
ナナリー女王に悪しき魂が憑依し、悪意のままに操っていたという一件から、一度王都全体すべてから現世に留まっている霊魂を一掃しようという取り組みである。
消滅したかに見えたベリリアルの魂だが、あれが見せかけで実は消滅しておらず、どこぞに潜伏していて復活の機会をうかがっている――だったりしたら困るのだ。
王国陣営をはっきりと攻撃した、ベスタやカイザーの魂が新たに残っていたりしても困る。目に見えない霊魂は、いつどこで心霊現象を起こすことか、わからない。
今回はエルアーティの指示により、魔法都市ダニームの魔法使いらも参じて、王都全土の現世霊魂を一掃する大規模ミサが行なわれた形である。
これが完遂される頃には、王都に残る残存霊魂は、一つ残らず世を去っているだろう。
元より霊魂とは、どれほど生前の持ち主の精神力が残っていても、自由に世界を飛び回れるものではない。
そこまで出来るならもはや魔物と呼ばれる存在で、ちょっと霊魂学をかじった魔法使いになら、魔力で以って認識できるレベルまで育っているから、認識し難いかすかな霊魂まで一掃するミサとは別に、対処法が発生する。
此度の王都いっぱいのミサにより、ナナリーあるいはセプトリア王国に害意を持つ霊魂が王都内にあっても、少なくともこの王都からは逃がさず、すべて吹っ飛ばすことが可能なはずである。
ミサの完遂は、女王様や王都が、悪しき魂に荒らされかけた、痛ましい事件の再発を防ぐ最有力手段だ。
この世界は、現世はやはり、生者のものでこそあるべき。
死したはずの皇帝の魂が、今を生きる国や女王の幸せを犯すようなことは、二度と起こってはならないのである。
「複雑な術式を、いとも簡単に繋ぎ合わせるんですね。
相変わらず、ダニームの方々の連携力には脱帽ですよ」
「ルオスの魔導士様に評価して頂けるのは嬉しいな。
やはり武力では一日の長があるルオスの方々には、我々も叶わぬと思わされる部分が非常に多い。
私達はそれとは違う形で、負けない魔法を行使していければと常々思っているからね」
「文化的な魔法をはじめ、こうした暮らしに浸透した魔法を扱う腕にかけては、ルオスの方こそダニームの方々を敬ってやみませんよ。
魔法とは精神力を具現化したもの、言い換えれば個々の価値観や思想に左右されやすく、個性の発生が避けられないのが魔法だと言うのに、生き方も価値観も違う者同士でここまで魔力を繋ぎ合わせられること自体、ダニームの方々の繋がりの強さの象徴だ」
「光栄だ。同時に、誇らしい。
私達が目指してきた魔法の形を、こうも理解し、言葉に表してくれる人がいるとね。
励みになるよ、本当に」
シャプテ商会を中心に散開したダニームの魔法使い達に混ざっているチータは、魔法都市の優秀な魔法使い様が行使するミサの魔力そのものや、その連携力に感心するばかり。
チータは魔導帝国ルオスという、これまた魔法においては高名なる国の生まれで、ダニームの方々とは別のベクトルで優秀な魔導士だ。
ミサを手伝うチータの魔力を感じ、若くとも素晴らしい逸材だと敬意を払う魔法使いらも、チータと敬意を交換する会話が楽しい。
やっぱり今日も無表情のチータだが、やたらと饒舌にダニームの魔法使い様を賞賛せずにいられなかったりと、やはり本職の魔法に触れている時は、冷静な顔の裏側でテンションも上がっているようだ。
すれた時代もあったチータであり、昔の彼ならこうして優秀な魔法使いに触れても、こんなに惜しみなく賛辞の言葉を向けることはなかっただろう。
かつて性根が少し曲がっていた頃のチータを知っているエルアーティは、ユース達に触れて随分と変わったチータの姿を見て、面白いものだと笑えてくる。
意地悪な意味ではない。やはり若者が良い方向に成長した姿を見るのは、年長者として楽しいのだ。見た目が年長者と真逆の賢者様とは言ってはいけない。
「これでようやく、旧アルバー帝国とは完全に縁切り完了なんですねぇ。
ベスタもリープも、しぶとく現世にしがみついていたベリリアルともさよならですから」
「元アルバー帝国民として、望郷の念は?」
「無いですね。旧帝都そのものには愛着もありますが、腐り果てた帝室とその負の
遺産など、同じ世界に居合わせるのも寒々しい」
「ふふ、ひどい言いようだこと」
アルバー帝国の悪しき風潮、悪政を促していた多くはすべて片付いた。
聖職者に扮し、魔物使いである本性を通じて、皇帝とは裏で繋がって利潤を横流ししていた汚職者リープ。
同じく皇帝ともかすかな繋がりを持ち、下町の文民に肩身の狭い想いをさせていた、フラックオース組を一例とする悪質集団。
武力的な存在感を以って、悪政に嘆く民の反抗を封じていたベスタのような武人。
あるいは帝国にとって不都合な者を暗殺するためだけに凶刃を振るう、暗黒時代の象徴とも呼べよう暗殺者カイザーのような男。
そして何より、死してなお現世に留まって、セプトリア王国とナナリーを破滅に導こうとしたベリリアル皇帝。
すべて、撲滅されたのだ。
ハルマとエルアーティが見守るミサは進行中で、これが終われば古き帝国から来る懸念が、ついにすべて解決する。
旧アルバー帝国の生まれであるハルマが、己の祖国がセプトリア王国を長らく苦しめていた現実も、ようやく終わるのだと実感している顔は、まさしく肩の重荷が降りたかのような安息に満ちていた。
「あとは明日の私の講演を以って、すべての後始末は完遂ね。
今夜はまあまあ、どう語るのかをよく考えておくことにするわ。
可愛いナナ姫のためでもあるし、ちゃんと正しい意味で張り切れそうだからね」
「本当に恐れ入ります。
実の所エルアーティ様は、件の講演についてはあまり良い顔をされないかもしれぬ、とも
想定していましたから」
「あら、せっかく明日はあなた達に好都合な流れになろうとしているのに、そんな蒸し返し方をするの?
それで私が、やっぱり嫌だって心変わりしたら、あなた結構な政治的戦犯になるのに。ふふふ」
「意地悪は勘弁して下さいよ」
独立記念日前日の明日、王都の中央公会堂にて、エルアーティが霊魂学の特別講演を行なう手筈になっている。
元より世界的にも高名な、魔法学者の賢者様だ。集客力は凄まじい。
魔法学に普段興味が薄い人でも、せっかく地元にそんな偉人が来て講演を開いてくれるならと、興味だけで寄ってくる見込みのあるイベントである。
しかもこれは、出来る限りの人に聞いて欲しい講演という国の意向から、入場料すら取らない講演なので尚更だ。
「確かに私は、確信していない事実を学説として発表することは断固拒絶する性分よ。
虚偽を学問として世に知らしめることは、事故と過ちを誘発し、世を混乱に導く最たる標に他ならないわ。
いかにそれらしい情報が揃っていたとはいえ、ベリリアルの霊魂がナナ姫に憑依していたことを、私はこの目と魔力で以って確かめていないからねぇ。
実際明日は、それを確定事項として語るつもりは無くってよ。そういう妥協の仕方はしてる」
「エルアーティ様が自ら折衷して下さるなら、我々としても申し上げることはありませんが……」
ベリリアルの魂がナナリーに憑依していたことは、間違いなく真実である。エルアーティだって、それ自体は信じているし、集めた情報からもそうだろうとは思っている。
しかし、自分の目と耳と魔力ではっきりと"真実である"と確かめたわけではないその一事を、"学説"として世に発信するかどうかは別だ。
自分の発言が魔法学に大きな影響を及ぼす自覚は、流石に賢者の自覚として持っているし、絶対にそうだと信じられることしか、エルアーティは公式な学説として語らない。
100パーセントと99パーセントの間には、1の数字では語りきれないほどの差がある。
「流石に私にだって、気の毒な立場にある者を哀れに思う、普通の情ぐらいは持ち合わせてるわよ。
ナナ姫がベリリアルに憑依されて行ってきたような愚政や愚行、健全な精神であるあの子なら絶対にやるわけがないことばかりじゃない。
それが自分の意志も発せぬ中、体と言葉だけ奪われて、望みもしないことを王権の名のもと強いられる。
ただでさえ、愛する者を我が身と口で苦しめた自責で苦しい立場でしょうに、民からの信頼すら傷つけられて今後に懸念を残すのでは、あんまりとしか言いようがないでしょう」
ナナリー女王は悪しき魂に憑依され、操られていた。
税を増したり、罪無き身内を独房に入れ、忠臣の鑑たる婚約者を斬首しようとした。
それらもすべて、女王様の意志ではない。操られていただけなんです。
悪しき魂も去った今、もう今までのようなことは起こりません。民の皆様安心して下さい。
これが、どこまで通じるか。
失策を講じた政治家が、記憶にございませんと言い訳するのと、はっきり言ってそう変わるまい。
ナナリー女王の愚政を目の当たりにした国民が、上記のような説明を聞いたとして、すんなりそれを受け入れてくれるかは疑問が残ってしまう。
その理屈が何の苦もなく通るのなら、何かあったらとりあえずそう言って逃げればいい、ということになってしまうではないか。
責任者、特に王族などの為政者を一例に、数多くの者の命運を握る立場である者であればあるほどに、そこに寄せられる信頼とは極めて繊細なものである。
何かひとつ間違いが起こっただけで、当人に全く非が無くとも批難を浴び得る程度には。
だから明日は、異国の偉大なる賢者様が、ナナリー女王が操られていたことを事実だと推す講演を開くのだ。
王室関係者が女王を弁護するよりも、関係者以外で発言力と権威のある者が、同じことを語った方がまだ信憑性がある。
もっともエルアーティは、確定していない事実を学説として話さない信念を持っているから、ナナリー女王をベリリアルの魂が操っていた、と断言する講演を目指しているわけではない。
しかし、世界的な歴史を紐解き、そうした事例が過去に存在したことを語ることで、今回のナナリーの身に起こったとされることが、机上の空論ではないと証明することは出来る。
死者の魂が生者を操るなんてそんなこと本当にあるのかよ、という根本的な疑念を持つ者だっているわけだし、それを世界的に有名な学者様が語るだけでも大きな意味がある。
加えて様々な情報、特にあの日、中央広場で正体を表したベリリアルが、ナナリーの口で言い放ったことなど、ナナリーの身に起こったことを"仮説"として、しかし信憑性があるよう語るのがエルアーティの仕事だ。
幸い、公開処刑時と、それを妨げられてからのナナリーのおかしな言動は、居合わせた衆目も目にしているので虚構とも思われまい。
講演慣れして口の達者なエルアーティなら、ナナリーがベリリアルに憑依されていたことを"仮説"とした上で、それを真実であるかのように民に信じさせることは可能だろう。
「果たして想像に至れる者なら、憑依しその者の肉体を操るという所業が、如何に悪質で卑劣な行為であるのかを思うべき。
女王に限らずあらゆる人々は、日々の己の所業を以って信頼を勝ち取り、自分の居場所を作っていく。
それが全く自らの意志とは関与しない範疇で、己の行動を書き換えられ、積み上げてきた信頼を失うこととは、どれほど哀れなことかしら?
幼くして女王の座に就き、分不相応なのではと嘆きながらも、愛する家族のため、隣人のため、民のために、毎日毎日誠実に働きづめてきた四年余りの価値って、誰もそう簡単には模倣できないはずよ。
それが悪辣な意志の玩具にされ、築き上げてきた四年間を数日余りで傷をつけられ、無に大きく近付けられる。
そんな友人の姿を見過ごせるほど、私だって魔女魔女してないんだからね?」
誰だって、奔放にしたい、好き勝手にしたい自分を抑えながら、社会の一員であるための努力をしているはず。
わがままを耐えたり、したくもない仕事をしたり、謝らなくてもいい場面で謝ったり、好きでもない上司を立てたり。
ナナリーを例に取ったって、遊びたい年頃の十代を、ずっと国政のトップとして、寝る間も惜しんで自分以外の誰かの幸せのために尽くしてきたのである。
女王様なら裕福な生活をしているだろう、それぐらいの苦労はあっていいだろうと、軽んじて指摘する貧民は、ナナリーのことを一人の人間として扱う能力に欠けていると言っていい。
それが、自分の決断や失策によって信頼を失うならまだしも、自分とは無関係の意志に操られて、責任だけを背負わされる形になろうとしているのが現状だ。
庶民のレベルで言ったって、馬鹿な弟子や部下、あるいは家族が仕出かした悪行の責任を取れと、自分のせいでもないのに謝罪や償いを強いられる、そんな理不尽な話は想像できるはず。
その者が半生の中で積み上げてきた信頼や地位が、他者の意志によって不当に貶められることとは、尊厳に対する冒涜とさえ言える。実に憎むべき事象だ。
こうした状況に追い込まれたナナリーを、おいたわしやと表現するのが身内だが、そんな短い単語でこの現象の理不尽さを語り尽くすのは不可能である。
「そりゃあ私だってね? 世の中に今のところたった二人だけだけど、その体の自由も完全に掌握して、私の思うがままに弄んであげたい相手がいたりもするのよ。
触って、撫でて、吐息を吹きかけ、鳴かせ、喘がせ、私が与える刺激のすべての虜にし、自ら跪いて私の足を舐めるようになるまで躾けてあげたい相手がね。
さらけ出したすべての肌が、私の指先と唇が触れるだけで震えるまで教え込んだら、二十四時間、何年も、何十年も、永遠に続くかのような快楽の沼で包み込み、だらしなく蕩けた顔を眺めつつ、舌を出したその口に私の指をしゃぶらせてあげたいなー、なんて。
ま、そう思える子が二人だけいるの」
「わかります」
「わかるんだ?」
「想像するだけならロマンですね。たっはっは」
妄想の範疇に留めておくべき話題ということだ。
真顔でこんなことを言う人の言葉は、全部冗談だと思うことにすべき。でなきゃ付き合えない。
「でもやっぱり、そういうのって、実現させてはいけないものじゃない。
魔法の可能性は無限大、そういう魔法を本当に叶えようと本気で追究すれば、いつかは実現できるものかもしれないけどね。
だけど、幻想のままにしておくからこそ存在していい、そんな幻想だってある。
他者の人生や尊厳を丸ごと踏みにじってまで欲を満たすなんて、人道に反すると言っても過言じゃない。
あいにく私は、人であることまではまだやめるつもりはないから」
「まだ、って」
「そもそも私は、人外認定されかねない年齢と風貌の差が既にあるからねぇ。
あら、こんなこと言ったらおたくの女王様に対しても辛辣かしら?」
「結構気にしていらっしゃるので、ご本人の前ではご遠慮下さいね」
「はぁい」
口意地の悪いエルアーティだが、そんな彼女を以ってして尚やはり、他者の人生は犯すべきものではないと結論付けられているのだ。
憑依でも催眠でも、弱みを握っての強要でも手段は何でもいいとして、好きな人やら嫌いな奴に、したくないことを強制的にやらせて、自分の欲求のみを満たすこと。
それを現実化しようとしたその時が、人道はずれの第一歩である。ただそれだけの話だ。
妄想の範疇でならいくらでも良し良し。想像するだけでむふふと笑うのは、正味に何ら悪いことではない。人に見られると気持ち悪がられるので人目にはお気をつけて。
「さて、そろそろミサも終わりそうね。
思ったより早い進行で、あなたとお喋りする時間が短くなっちゃった」
「ご協力、本当にありがとうございました。
賢者エルアーティ様、ならびに魔法都市ダニームの方々にも、深く御礼申し上げる所存です」
「私は結構よ。友人であるナナ姫のためになら尽力も厭わないから。
うちの魔法使い達も、明後日のお祭りを楽しんで帰れる遠征にもなってわけだから、みんな乗り気で
来てるでしょうからね。互いに利害が一致してる以上、礼を言われるほどでもないんじゃないかしら」
魔法の練達者であるダニームの魔法使い達は、難しい大規模ミサも迅速に仕上げ、仕事を終えようとする優秀な人材らだ。
セプトリア王国の魔法使いらも、見ているだけで相当な参考になっただろう。勿論彼らとて、地に明るく先んじた知識を活かし、異国の魔法使い様らを良く導き、同時にサポートも果たしている。
平穏なる日々に向け、こうして物事がスムーズに運んでいく様は、目で追うだけでも気が明るくなる。
「ナナ姫も、背負いすぎるあの性分は良くないわ。
誰かを頼ることだってしなきゃあね。真の独立してまだ年も短いセプトリア王国、エレムやダニームといった友好国に依存しない独り立ちを目指すのはわかるけど、それで勿体ない足踏みがあっては損失でしかないもの」
「お説教されたんですか?」
「したわよ、当たり前じゃない。
もっと私達を頼りなさいとは言わなかったわよ? あなた一人で全部できるとでも思ってるの? とは言ったけど」
「余計に辛辣ですね」
「セプトリア王国はまだ幼いのよ。僅か数年で大人びた国になどなれないわ。
可愛く、甘えて、後から親孝行するんだーっていう気持ちでいてくれるぐらいが、私としては嬉しいわね」
何かを撫で撫でするような手つきを添え、エルアーティは母のような微笑みでそう言った。
比喩そのものなら、国の頭を撫でたような手つきで豪胆なものだが、それは同時にその女王、ナナリーの頭を撫でる手つきとも例えられよう。
苦難に苛まれたセプトリア王国が、今や泰平なる時を迎えている晴天の下、幼びたエルアーティの笑顔は実に無垢なるものだった。
ユースがこれを見たら、俺の前でもずっとそういう顔でいて下さいとでも思うかもしれない。
「あぁ、それとカナリアだっけ? あの子だけど……」
「あ、ちょっと待って。その話はまた今度でいいですか」
「ん?」
「いや何も。すいません、私はここでお暇させて頂きます」
最後にちょっとした確認をしようとしたエルアーティだが、そのタイミングで突然ハルマが話を打ち切った。
何かを目撃したらしい。すごい苦笑いだ。
挨拶も程々に、逃げるようにカニ歩きでエルアーティのそばを、この場を離れようとする動きも見せる。
しかしもう遅かった。逃げられない。
「こらぁ!! どこへ行くんですの!?」
とっくの前にハルマを見つけていた、ダニームの魔法使いに混ざっていた一人の女性が、逃げる素振りを見せたハルマへと突然のダッシュである。
ミサも途中だというのに、仕事を放り出してだ。周りは笑いながらフォローしている。
ダニームの身内らは、彼女とハルマの事情を知っているので邪魔しない。
「待て待て待て蹴るなよ蹴るなよ!?
私は怪我上がり……」
「制裁っ!!」
ハルマに駆け寄った女性は跳躍し、フリに応えるかの如く鋭いソバットを放ってきた。
単調ゆえハルマならかわせる程度の蹴り、しかし速い、やっべぇと思いながらかがんだハルマの頭の上を、女性の踵が風切って通過していく。
足首まで隠す丈の長い法衣に身に包みながら、この鋭いソバットはなかなかのクオリティだ。
「な~にを逃げてるんですの? あなた、私に後ろめたいことでもあって?
幾年ぶりの再会だかわからない機会だというのに、その態度はあまりにもレディーに対して失礼ではなくって?」
「互いの結婚式まで顔は合わせんという約束だったろうが……!
お前こそ何をノコノコ来てるんだ、だいたいあの約束はお前が言い出したことだぞ……!」
「仕事で来てるんですのよ! 何か問題があるのかしら!?
エルアーティ様に指名を受けての来国に、あなたがどのような異を唱えるか聞かせて頂きたいですわね!」
顔を上げたハルマにずいずい詰め寄って、胸を指先でづんづん押してくる女性には、ハルマもたじたじと後ろに退がる一方だ。
その際、ハルマが恨めしそうにエルアーティを見る目が、賢者にとっては可笑しくてたまらない。ぷくくと笑わずにはいられない。
もういいでしょ、いつまで下らない意地で距離を取り合ってるの、機会を作ってあげたんだから心行くまで思い出話に洒落込みなさいよと、エルアーティはお節介な笑みを浮かべ続けるだけだ。
ハルマと、アルバー帝国生まれで今はダニームに身を置くこの女性が、特別な関係にあることはエルアーティも知っているのである。
荒っぽい声をぶつけ合う二人だが、何だかんだで仲の良いはずの二人であることも。
「だいたい貴方は昔から……」
「あー聞こえない! 全っ然聞こえない! お前の声だけ聞こえない!」
「なぁんですのその態度はあっ!!
こらあ逃げるなっ! もう一回入院させてあげましょうかあっ!」
その場から走ってでも逃げようとするハルマを、女性も凄まじい速度で追いかけていく。
戦場にも対応できる健脚のハルマだ。足は速い。
これについていく女性の足もかなり速い。走力だけでも戦い慣れていそうな貫禄を見せ付けている。
「キエーッ! 負けんぞー!」
「逃がしませんことよーっ!」
王都全土を利用した二人が、混雑しがちな大通りをするする通り抜け、裏道を駆け、終いには屋根まで飛び乗って、跳んで走っての追いかけっこが始まってしまった。
風のように走り抜けていく二人の姿は、祭を目前に活気付いている人々にとっては、一瞬見送るだけでも面白い見世物になり、人々をくすくす笑わせる。
「エルアーティ様、完了いたしました!
仕上げはよろしくお願いします!」
「はい、ご苦労。
それじゃあみんな、あとは解散ね。好きに独立記念日前の王都を楽しんでいらっしゃい」
ダニームの魔法使いらに活動報告を受けたエルアーティは、ねぎらいに自由を許可する嬉しい言葉を差し向け、座る箒を上空へと浮き上がらせていく。
高い空からセプトリアの王都を見下ろす。あ、もうあんな遠くで豆粒のように小さなハルマと、それを追いかける女豹の姿が。
それを可笑しがる笑みを浮かべながら、王都を空から一望するエルアーティは、全土ミサが完了した様相を魔力で感じ取り、それによって別の意味での微笑みを浮かべる。
セプトリア王国は、ナナリー女王は救われたのだ。
ユース達と、彼女を愛する愛国者の手によって。
セプトリアを穢さんとした悪しき意志を祓うミサの完遂とは、まさしくそうした救世主らが掴んだ泰平を、さらに磐石にするものだ。
この総仕上げに携われることを、ナナリーを愛するエルアーティは、この上なく嬉しく感じるばかりである。
「ふふふ、戦場以外でこの魔法を使うのは久しぶりね。
やはり魔法は、こうでなくちゃ」
幼い頃、誰もが一度は魔法に、あるいは超状的な力に憧れたことがあるのではないだろうか。
その初めての憧れの日、それによって叶えたかったこととは、戦いに勝利することだっただろうか。
今や戦いの手段にも使われることも多くなった魔法だが、魔法学という学問として認められ、洗練されて今や文化としても根付いた魔法の初心とは、決して何かを傷つけるだけのためのものではなかったはず。
今でもエルアーティはその幼い風貌が物語るとおり、魔法の根底理念というものをしばしば振り返る。
何かを、誰かを、幸せにする魔法。なんとも心地よい響きではないか。
「聖泉域」
エルアーティの発した魔力が、広大なセプトリア王都いっぱいに広がっていく。
糸のように伸びた、数千数万のそれらは王都全域を駆け回り、それそのものが目であるかのように、その全身で魔力や霊魂の存在を探知し、王都の空から地上、地中までをもくまなく見極める。
それによって確かめられるのは、明確に王都全土のミサが完遂されたという事実。
そして、漏れがあるならエルアーティが手ほどきをする後の行程は、よく果たされた魔法使い達の仕事により、不要なものとなった。
悪しき魂も、未練に嘆く魂も、今ここセプトリアの王都にはもう存在しない。
清廉なる王都を見下ろすエルアーティは、改めて確かめられる平穏を眺め、微笑まずにはいられなかった。
たとえば世界一の画家が描いた最高傑作を見れば、その美しさに感動することは出来るだろう。
しかしそんな感動もきっと、この目で直接今の王都を眺められる感慨に比べれば劣るのだ。
「……ふふ、絶景」
見る者を感動させる絵画を描いたのがその画家なら、この美しき王都を地上へと描いたのは、ナナリーやセプトリア王国を守るために戦い抜いた、ユース達やニトロ達。
空に佇み、最高の景色を見下ろすエルアーティは、この絶景をこの世界に描き表してくれた若者達に、胸の内で密かなる感謝を唱えていた。




