第87話 ~女王の目覚め~
「ただいまー」
「すいません、お邪魔しますー」
「おかえり、ユース、カナリアちゃん。
カナリアちゃんも、お邪魔しますじゃなくて"ただいま"でいいんだゾ?」
「えへへ、そうっすか?
んじゃ、そのぉ……ただいま?」
「うん、おかえり♪」
ユースやチータやニトロがナナリーをベリリアルから開放し、シリカやアルミナやルザニアが王都を攻め込む侵攻軍を撃退してから、丸一日としばらくが過ぎた夕暮れ前。
帰宅したユースと、同行していたカナリアの来訪を、アルミナが気風のいい笑顔で迎えている。
昨夜からカナリアは、ユース達の家に泊まっているのだ。
「で、どうだった?」
「纏めて話すよ。
とりあえず悪い報告は何にもないから、その辺は安心しててくれていい」
「そっか、よかった」
ユースとカナリアはセプトリア城に向かい、事の顛末を色々と聞いてきたところである。
居間に立ち入ったユースとカナリアとアルミナ、そこにはシリカとチータとルザニアも待っており、ユースが聞き受けてきた現在の状況を聞く空気がすぐに作られる。
「顔を見ただけでいい報告の予感しかしないな。気が楽だよ」
「えーシリカさん、俺そんなにわかりやすいです?」
「あんたに限らずカナリアちゃんもそうだからね。
ほら見てユース、カナリアちゃんのご機嫌な顔」
「これでも結構心配してたっすからねぇ。
まあ、ハルマ様が殺しても死なないタイプなのはわかってるつもりなんすけど、やっぱね」
軽いやりとりを居間入りしてすぐ挟みつつ、席に着いたユースが一息つく。
形式上は、みんなを纏める隊長である。戦役後の状況報告は、一応"仕事"みたいなもの。
あらかじめ、よりスムーズに状況報告が済む話の筋立てを考えてあったユースは、短く頭の中で話の順番をシミュレートしてから口を開く。
「えーと、やっぱまずニトロだな。
今日の昼頃にやっと目を覚ましたらしくて、今は安静に休んでる。
肉体的にも精神的にも霊魂的にも、今後に支障はないそうだから、しばらく休めばもう大丈夫だって」
「へぇ、診断が早いな。
慣れない魔法での魔力の過剰浪費、もっと回復まで時間がかかると思ったが」
「医療所の魔法使い様いわく、ニトロの精神力は魔法を使ったりするのには元々向いてる方なんだってさ。
俺には魔法学のそういう細かいとこわかんないけど、要は大丈夫ってことでいいんだよな?」
「魔力の過剰行使によって、霊魂や精神に響いた傷の深みは慎重に診断されるから、問題なしっていう言質が出るまでには時間がかかりがちだ。
目覚めて即日、そういう診断が降りるんなら何も心配は要らないな」
この輪の中で、最も魔法学に詳しいチータが説明役を買って出て、ニトロの状況が良いものであると補足する。
戦いの中で負った怪我もあるし、もう元気ですよというほど快調ではあるまいが、安静にし続けているなら後遺症なく回復する、と診断を頂ければ、戦士の観点からすれば"問題なし"。
戦いで負傷すると、後の人生に響くぐらい、治らない傷が残ったりもするのだ。それを思えば全然よしである。
「で、ハルマ様はもっと元気。
後輩の兵士様と談笑してたよ。めちゃくちゃ元気だった」
「心配して損した、ってホントああいう時のことを言うんすよね。
初めて経験したっすよ」
「あははは、案外ないもんね。"心配して損した"のシチュ」
ならびに、ハルマも特に問題ないようだ。
彼は南の関所で、ベスタや魔物達との交戦においてかなりの負傷を負っており、カナリアも昨日、医療所で眠る彼の姿を見た時は、それなりに心配したものである。
昨日の段階で、命に別状はないとの診断は下されていたものの、あんなに傷だらけのハルマ様を見るのは初めてだったので、やはり心配になるのは当然のことだろう。
それが今日、改めて様子を見に行って見れば元気なもの元気なもの。
傷が完治していないゆえ安静を命じられており、医療所の外には出られない立場にある彼だが、普通に歩き、笑い、気楽に過ごして、会いに来てくれたカナリアに軽口も叩く余裕ぶり。
アルミナが言うとおり、"心配になるほどの有り様だった人が、心配したのは全くの杞憂だったと後から思えるほどあっけらかんとしている"、というシチュエーションって案外少ないのだが、ハルマはまさそれだった。
カナリアも、まったく心配して損した、なんて思う一方で、やっぱりあたしが思うよりもずっとずっと強くてたくましい人なんだなぁ、と尊敬を強められる姿であった。
「あと、ナナリー様がまだお目覚めになられてないみたいだけど、今後に別状はないんだってさ。
見立てでは、今晩ぐらいには回復して目を覚まされそうって印象らしいし、心配はしなくていいみたいだよ」
「一応確認するが、ナナリー様に取り憑いていた……とでも言えばいいのかな。
ベリリアルの魂に関して懸念はないと断定はされているか?」
「大丈夫みたいです。
ミサがどうとかこうとか俺にはよくわかりませんでしたけど、とにかく大丈夫だって」
「そうか。なら安心してよさそうだな」
「シリカさん、ミサって何ですか?」
「話すと長くなるから今はちょっとな。今度教えてあげるよ。
とにかく、問題が無いということは信頼できるから、そうとだけ捉えておけばいい」
昨日の流れや雰囲気を読む限り、ナナリーの内に巣食っていた悪しき魂は消滅したかのように思われたが、もしもそうでなかったらというのは、実体の認識しづらい魂の話なので懸念されるべきところ。
それに対して確認を入れたシリカだったが、ユースから重要なキーワードを聞き受けられたところで、問題ないことを確信し、アルミナらにも強調する。
"ミサ"については、後日も大掛かりに取り組まれるであろうし、その時にでも話せばよさそうだとシリカは判断した。
「あとは各関所や中央広場についてですけど――」
最も重要な報告であった、ナナリー、ニトロ、ハルマの容態の報告を済ませて、あとは王都各地のあれこれについてユースは報告だ。
みんな各地で実状を見てきたし、たいして問題が無いことは概ねわかっているので、一応の報告のようなものである。
淡々と、城で聞いてきたことを並べ立てて説明するユースだが、語りが軽いのは問題が無いことの裏返しで、ここは気楽に話してお仕事終了という流れのみ。
「――ってな感じです。
以上、報告は終わり」
「は~、よかったよかった。
色々あったけど、何事も無く終わってよかったね。ねぇ、ルザニアちゃん?」
「あ、あははは……まぁ……」
「な~にビビってんの。反省してるならいいんだゾ?」
一件落着、何よりである。
ハッピーエンドの空気の中、さっそくアルミナはにひひと笑いながらルザニアを振り向き、気さくな話題へと移行する。
ルザニアの笑顔が苦い。後ろめたい思い出があるようだ。
「そういえば昨日アルミナさん、ルザニアさんを部屋に連れ込んで何話してたんすか?
すごい剣幕だったんで、あの時はあんまり詳しく聞けなかったんすけど」
「ああ、昨日ルザニアちゃんねぇ、だいぶ無謀な行動に出たからさ。
どれだけ心配したかわかってる? って、こんこんと説教させて頂きました」
「は、反省はしてますので、ね?」
「アルミナがビビられてる」
「これは相当叱ったな」
「めちゃくちゃ怒りました~」
西の関所でオークロードと対峙したルザニアは、何とか向こうとコミュニケーションを計ろうと、剣まで捨てての交渉に踏み込んでいた。
最終的に、いい結果に落ち着いたからいいものの、危ない場面はそれによって何度も生じたものだ。
オークロードが話のわかる奴だったからいいものの、それにしたって他のオークが丸腰のルザニアに襲い掛かったし、それを守るためにアルミナとカナリアがどれだけ肝を冷やしたか。
そもそもオークに話が通じるにしても、誰がどう見たって話の通じなさそうな、かつ狡猾なのが見え見えのエビルアープにまで隙を晒したのは、はっきり言って得策なはずがない。
本当、バカタレである。最良の結末に繋がったのは、ルザニアの行動あってのものとはいえ、それはやっぱり結果論で、粗の目立ちすぎるあの行動を手放しで褒められたものではない。
昨夜はアルミナが据わった目でルザニアの腕を握り、もの凄い剣幕でルザニアを部屋に連れ込んで、静かに、重々しく、長く長く説教したのであった。
普段の陽気な彼女からは想像できないぐらい怖いアルミナだったらしく、ユースもシリカも未だにアルミナに対してびくついているルザニアを見ると、気の毒にと思う一方で微笑ましい。
怖いぐらい叱ったということは、それだけアルミナもルザニアのことを心配したということだ。
ルザニアにもそれは伝わっているだろうし、なんだかんだで今まで以上に、アルミナとルザニアの絆が強くなっている予感しかしない。
「まあ、俺はアルミナに色々文句言いたいけどな。
忘れてねーよな」
「わかってるけどしょうがないじゃんか~、我慢できなかったんだもん」
「こいつはどうせ、ああいうことすると思ってたけどな」
「アルミナさんも、何かやらかしたんすか?」
「俺達がせっかく気を回したのに、全部台無しにしやがった。
まあ、ちょっと嬉しかった気もしたけどさぁ。何かなぁ」
「だったらもういいじゃん、許してちょ?」
「怒ってないよ、別に許さないとも言わないよ。
でも一応、こっちの考えも尊重しろよ」
「水臭いんだってば、あそこまで至って尚あんた達さ。
私をハミらせないで? 私の方こそ文句言い出してもいいのかもしれない」
「あーうるさい、もういい、終わらなくなる、やめやめ」
「んふふ~♪」
「はいはい、むふふ」
「あの~、シリカさん?」
「後で教えてあげるよ。長くなるからさ」
夕食後のことだが、約束どおりシリカがカナリアに教えてくれた。
ユース達は、ナナリーの内に悪しき魂が巣食っていると知る前に、ニトロを助ける決断をしたわけで、言わば今回の行動は、セプトリア王国女王に真っ向から逆らうというもの。
要は、しくじった時に取り返しがつかないということだ。国家反逆罪間違いなし。
公開処刑に正面きって立ち向かう役目を担ったのがユースで、チータもそれに順ずる立場であり、もしも流れが上手くいかなければ、二人揃って大罪人だったことは間違いない。
ユースはそういうリスクのある立場から、アルミナだけは逃がそうとしたかったのだ。
作戦上、処刑が執行されるタイミングで虚を突いて、広場の空気を止めて乱入する必要があったのだが、それに一役買ったアルミナを、同じく女王に逆らった立場とはしないよう、段取りを組んでいた。
ポジションを取っていたユースとチータは、セプトリア兵にもナナリーにも見える位置にいたから、民家の屋上を拝借して狙撃手を務めたアルミナのアシストが無いと、場の空気を止めるほどの奇襲が難しかったのである。
アルミナはナナリーの武器を撃ち抜いて落とさせたら、あとはもう西の関所まで見つからぬようにダッシュし、処刑を邪魔した実行犯とは無関係、という図式だったのだ。
ちゃんと迅速に最善の動きをしていれば、まぁそんなことの出来る銃士となれば選択肢は相当ないにせよ、証拠だけは無くす逃亡が出来るはずであった。
証拠が無いと、法の世界では裁けない、裁かれない。
なのにアルミナ、わざわざ大声あげて、自分の存在を見せびらかし、部外者じゃないと自ら主張する始末。
しょうがない、アルミナってそういう性格なのだから。苦楽を共にしてきたユースやチータとなら、どこまでだって一蓮托生したがる。
同じ場に居合わせて、同じ目的を目指して行動しておきながら、自分だけがユースやチータと違う、安全な立場なんて嫌なのである。
はっきり言って利口じゃない。厳しく言えば、ユースの配慮を蹴飛ばしてすらいる。
作戦決行時のユースは気が立っていたし、無いことも無いとは思っていたけど本当にやりやがったアイツ、俺はお前だけでも何とかしたかったのに、と、正直カチンときたものだ。
事前に、わかったわよってそういう段取りを承諾したアルミナがいただけに、余計にだろう。
とまあ、そんな裏切りがユースとアルミナの間にはあったりもしたのだが、終わった今となってはたいした話じゃない。
何だかんだで、死なば諸共の覚悟でああいう行動に出てくれるアルミナの心意気は、思い返せばやっぱりユースには嬉しいことである。流石に、褒めたりはしたくないが。
文句を言うという名目で思い出話をするユースと、反省したふりして全く反省せず回想するアルミナの態度からも、あんなものはわだかまりにはなっていないのが明らかである。
「それにしても、チータにはびっくりしたよ。
とりあえず任せておけって言うから全部任せたけど、エルアーティ様からの書状を受け取ってたなんて」
「私も後から聞いてびっくり。
エルアーティ様、ホント先見の明ありすぎて人間やめてない?」
アルミナと適度にその辺りの話を切り上げると、ユースはチータがあの日取った行動についての話に移る。
いざニトロの処刑を妨害した後どうするか、要するにその行動の正当性をどうナナリーに説明するのかは、全て策士チータに任せられていたのだ。
最後まで状況を見て柔軟に対応する、としか、最後までユースに説明してくれなかったチータだったのだが、蓋を開けてみればあれだ。
まさか、ナナリーに対してしばらく前から疑念を感じていたエルアーティが、いよいよとなれば賢者の名を借りて行動を起こしていいという書状までチータに預けていたなんて、現地でユースも密かに驚かされていた。
「そんなわけないだろ、あの手紙は適当に文字列を並べただけの実質白紙だよ。
あそこで読み上げたのは全部僕の作り話だ」
「は?」
「は?」
「いくらエルアーティ様でもそこまで人間やめてないよ。
だいたいそんな手紙を預けるんだったら、隊長かつお気に入りのユースに預けるに決まってるだろ」
ユースもアルミナも急によくわからなくなった。
こいつが何を言ってるのかわからない。特に、現地でチータのあの流暢な、手紙の読み上げっぷりを目にしたユースをして、色々全部頭の中から吹っ飛ばされる。
「あれはな、ニトロに口を開かせた後、それを加味してエルアーティ様の書状と偽った偽装書を読み上げる段取りだったんだよ。
ニトロの口から出た内容があんまりにも予想外だったから、どんな風に盛って喋ってやろうか少し困ったけどな。
一番苦労したのは、ちゃんとエルアーティ様の口調や筆癖を、あの場でどこまで即興で作れるかだけど」
「あ、え、あの……何?」
「一瞬、エルアーティ様の手紙を読む中で"ナナリー女王"って言いそうになった時が一番危なかったな。
エルアーティ様はナナリー様のこと、ナナ姫って呼ぶそうだし」
要はチータ、別にエルアーティの手紙なんぞ受け取ってなどいなかったそうで。
あの場でそれっぽい手紙の文章を即興で読み上げて、ユースともどもナナリーを騙したのである。
一応あの手紙もどき、エルアーティの口調のメモというか、演技するにあたっての要点をいくつか書き並べてあって、それを見ながら口を動かしたチータに、未完成台本ぐらいの役目を果たしてはくれたようだが。
それにしたって、あの場であれだけそれっぽく演じられるチータというのは、今から思い返せば思い返すほど、ユースにとっては信じられない。
「えぇ、でもそれ、もしも手紙を見せろとか言われたらどうするつもりだったの?
その手紙って、中身スッカラカンなんでしょ?」
「意地でも渡さない理由の説明は用意してあったよ。
いちいち説明しないけどそれは簡単」
「じゃあ、もしも話がもつれて、エルアーティ様に真偽が確認されたら?」
「その方がむしろ勝ち。
というか、昨日の朝に実際エルアーティ様宛てに、こちらにお越し下さいの手紙は送ったんだよ。
僕はそういうふうに話をもつれさせて、エルアーティ様がこちらに来てからの流れに持っていくつもりだった。
あの場でベリリアルが暴走して正体を明かしたのはむしろ嬉しい誤算」
「お前の考えてること全然わかんねぇ……」
「どうせ詳しく説明してもわからないだろうから説明しないよ。
とりあえず僕は、勝算の無い戦いや交渉には臨まないよ」
大義なくして絶対に許されない行動を肯定するための文を、消される可能性がある中で渡すことは出来ないとか。
疑われるならエルアーティ様をお呼びして確かめましょうの流れとか。
来て話の詳細さえ聞いたなら、エルアーティが誰の肩を持つのかチータは確信していたとか。
あの治外法権なんでもありの賢者様が相手では、たとえナナリー"女王"でも本質的には優位ではないとか。
それでもナナリーがエルアーティに反発するなら、それはそれでナナリー本来の性格上おかしなことであるし、余計に妙な現状を強調できる要素が生まれるだけだとか。
色々前もって策を練っていたチータだが、想定以上にエルアーティの名に動揺したのか、ベリリアルが自分から真実を白状したので、その辺りの作戦はお蔵入りになってしまったようである。
今となっては、チータにとってはどうでもいいことだそうで。説明しないと言っているが、本当を言うと、もはやどうでもいいことだと断じてしまったことなので、今さら思い出せないのである。
思い出せないぐらい様々な展開を想定し、色々作戦を立てていた、とも言うが。上記のことなどほんの一部。
「まあ、もうそれぐらいでいいだろう。
それよりそろそろ、夕食の準備をしなきゃな。
ユース、アルミナ、手伝ってくれるか?」
「はーい!」
「わかりました」
「カナリア、今日は何が食べたい?
今日はけっこう食材を揃えてあるから、だいたいの希望には沿えるぞ」
「えぇそんな、流石に悪いっすよ。
昨日も今朝もご馳走になってるのに、希望までなんて」
「そんなこと言いつつカナリアちゃん、ワクワクした顔になってるんですが」
「だあってシリカさんの手料理、反則級に美味しかったんすもん。
今日も頂けるってだけでテンション上がりそうなとこ、けっこうガマンしてるんすよ?」
「遠慮なく、食べたいものを言っていいんだぞ。
ここしばらく、ずっと野営でいいものを食べることは出来なかったんだろ?」
ベスタやリープ達による王都襲撃に、見事なタイミングで参じたハルマとカナリアが、今回の撃退戦において果たした功績は非常に大きい。
西からのオーク達の襲撃を、カナリアは早期に関所へと知らせたため防衛陣の完成が早まったし、それは南のベスタ達の襲撃を、花火めいた魔法で関所に伝えたハルマにも言えること。
戦場でも獅子奮迅のはたらきを見せた二人だが、そこに居合わせセプトリア陣営に多大なる貢献をした時点で、二人は今やセプトリア城では軽く英雄扱いを受けている。
カナリアと共に王都を去ったハルマは、彼女を連れて流れ旅をしばらく続け、独立記念日二週間前にあたる8日前から、王都周辺を広く張り込んでいたそうだ。
カナリアは参謀頭脳満載のハルマに従っていただけなので、彼がどういう計算のもと、そう動いていたのかはよくわかっていない。
その辺りは、ハルマが元気になったら直接聞きに行けばいいのだろう。チータはその辺りに興味津々なので、後日話を伺いに行くはずだ。
とりあえず現時点でわかっているのは、カナリアはハルマと共に、8日間も野宿暮らしを貫いていたわけで、しばらくいいものを食べていないということ。
よく頑張って王都の守りに貢献したカナリアは、シリカ達に招かれて、昨日からこの家に泊まっているわけだ。宿代いらずである。
賞賛の意を以って城にも招かれたそうだが、カナリアが選んだのは、親しい人の多いこちらであった。
「さ、カナリア、何でもどうぞ。
むしろ私はまだ献立を考えてないし、むしろ何か発案してくれると楽ですらある」
「ん、むむ、そうですか……
じゃあその……昨晩と同じになりますけど、いいですか?」
カナリアが口にした希望は、シリカをくすりと笑わせた。
注文を承ったシリカは台所へ向かい、ユースとアルミナもついていく。
あとはその三人以外で居間でくつろぎつつ、完成を待ち、楽しい楽しい団欒の夕食場へと繋がっていく。
まさか昨晩作ったバターライスのオムレツを、今日も注文されたことはシリカも少し驚いたが、嬉しい。もう一度食べたいぐらい美味しかった、と言われているわけだから。
気合の入ったシリカの今夜のオムレツは、昨夜以上にとろみを増した卵に閉じられたバターライスが、過去にユース達も口にしたことのない風味と食感を表すに至る始末。
料理上手のシリカですら、毎度やるのは難しいレベルのクオリティがこの日降臨するのだから、調理者のテンションも料理の出来には無関係ではないということなのだろう。
何も懸念する必要の無くなった夜、おいしいご飯を親しき人と、一つの卓を囲んで食べることの何と幸せたるや。
こんな日々を守るために、戦う力を身につけてきた6人にとって、平穏なるこの時間こそ最も貴ばしい。
これで六日後の、独立記念日という年内最大の祭日を待つ身ですらあるというのだから、来国以来最も幸せな時間がまさに今である。
「………………ぅ……」
「!!」
自室のベッドで、治癒魔法の使い手に付き添われていたナナリーが、ついにまぶたを動かした。
口元から溢れた小さな声も合わせ、彼女の目覚めと帰還を待ち望んでいた忠臣も、歓声の声を抑えるのに意識が必要だったほど。
お目覚めの女王様の御前、騒ぐような不躾はあってはならない。
「ダウィラス様!」
「うむ……!」
目覚めぬナナリーには一時間ごとの交代で、王宮顧問魔法使いが治癒魔法を施していたところ。女王様の目覚めに立ち会えた、顧問魔法使いの彼女はかなりの幸運である。
代わる代わるの魔法使いらとは異なり、ずっとこの部屋でソファーに座し、じっと主君の目覚めを待っていたダウィラスに、ナナリーの目覚めを最速で知らせるのが彼女の役目である。
呼ばれたダウィラスが立ち上がり、ナナリーに歩み寄って顔を覗いたところで、顧問魔導士は一礼して速やかに部屋から退出する。
出て行く必要も義務もないのだが、まずは女王様と大臣様、お二人のみでお話を、と気を回した形のようだ。
「うぅ……ぅ……?」
「……ナナリー様、お目覚めになられたでしょうか」
ふるふる震えたまぶたをゆっくりと開き、ともにその口も小さく開いたナナリーは、ぼうっと自分の顔を覗き込むダウィラスと目を合わす。
視点は定まっておらず、意識ははっきりしていない様子。目覚めた直後なんてこんなもの。
なのだが。
「……………………っ!!!!!」
「ぐぶっ!?」
がづん。
突然ばちんと目を見開いたナナリーが、目の前に何があるのかもよくわかっていないまま、がばりとその上半身を起こした。
文字通り、目も覚めるような凄まじい速度でだ。そしてナナリーの眼前にあったのはダウィラスの顔。
超速で起き上がったナナリーの額がダウィラスの鼻っ柱に直撃し、ダウィラスは鼻を押さえて大きくのけ反った。
幼いナナリーの頭は軽くて小さいが、それでもめちゃくちゃ痛い。鼻血が出ているかもしれない。
「い、いっだ……! だ、だ、ダウィラ、ス……!?」
「むぐぐぐ……お、お元気なようで何よりです……」
額を押さえ、ばちばちばちとまばたきしながらダウィラスを凝視するナナリーの前、鼻を押さえつつもダウィラスは微笑んだ。
ナナリーにベリリアルが憑いていたことはユースらに昨日聞いたし、その後も色々あって問題は解決されたとダウィラスも知っている。
今目の前にいるのは、おかしくなっていたあの女王ではなく、皆が愛するナナリー様だと信じて向き合っている。
「っ……ダウィラス!
イリスを開放してやってくれぬか! 今すぐにじゃ!」
「おぉ、ナナリー様……!」
「えぇと、それと……! ニトロはどうしておる!? ハルマは!?
ああぁぁ、えぇと……何から、ううぅ……」
「落ち着いて下さい、ナナリー様。既に悪夢は覚めております。
一つ一つ、解決していきましょう」
「うう……だ、ダウィラスぅ……
すま、ぬ……すまな、かったあっ……」
泣きだした。ああ、本来のナナリー様だ。心が弱った時は子供の顔になる。
色々あった、あり過ぎた。自分の体を乗っ取られ、その口でどんなに人を罵ってきたか、ナナリーはすべて内面から外界を見続けてきたのだ。
謝るべき相手が多すぎて、頭の纏まりようがないのだろう。ニトロに至っては、首を断つ寸前にまで至った。
どれも何一つ、ナナリーが自分の意思でやったことでも無いというのに、ぼろぼろ涙を流すこの主君の姿は、ダウィラスをしておいたわしいの一言に尽きる。
「ニトロにっ……ニトロに、会わせてくれえっ……
わらわ……妾、あ奴に……あ奴にぃ……」
「はい、ご案内致します。
歩けそうですか?」
べそべそ泣きながらお寝巻きも正さず、ベッドから降りてダウィラスにすがりつくナナリーを、優しくダウィラスが頭を撫でたのち、手を引いてニトロの所へ案内する。
ニトロは城内の医療所だ。彼が自分で歩けない身、ナナリーが会いに行くしか巡り会う手段が無い。
彼こそ動けたら、ダウィラスと一緒にナナリーの部屋で、主君の目覚めを待っていたような人物であって。
医療所にて、生きたニトロの姿を目の前にしたナナリーは止まりようがなかった。
怪我をして傷だらけ、抱きつかれたら痛いニトロを前にして、それでも飛びついて抱きつくことを耐えられなかったようだ。
何度も何度も、すまぬと、申し訳なかったと、ごめんと、あらゆる謝罪の言葉を尽くして泣きじゃくるナナリーが、胸の下からニトロを見上ていた。
泣きそうなのはニトロだってそうだ。救えた実感があったのだから。
主君であり婚約者、世界一愛する女性をベリリアルに奪われた悔しさを乗り越え、最愛の人を取り戻したニトロは、ナナリーの言葉の数々に何も言葉を返せず、涙を堪えて鼻をすすり続けていた。
自分の体の痛みも忘れ、ぎゅうと大好きなこの人を抱きしめ返すニトロの行動が、とうとう言葉を吐き尽くしたナナリーを、わんわん泣く女の子に変えてしまう。
本当に長い間、医療所に響き渡った女王様の泣き声を、部屋の入り口で聞き届けたダウィラスは、お疲れ様でしたと部下に労われる中、強面の彼にしてはなかなか見られぬほど、柔和な笑顔を返していた。
悪夢は終わった。
何気なく発したダウィラスのあの言葉は、無意識であったであろうが実に的を射たものだ。
悲劇を招く災厄は晴れ、元よりあったはずの平穏なる日々の再来。
共に生き、再会を果たせたニトロとナナリーを、居合わせた臣下一同、みな満面の笑顔で見守っていた。
「はぁ……これで本当に終わり、かな」
夜、自室の机で何やら手紙を書き終えたシリカは、ひと仕事完遂した顔でうーんと背伸びし、かっくんと全身の力を抜いてリラックスだ。
セプトリア王国の問題は解決したが、ちょっと自分周りに大事な用件が残っている。
今しがた書き終えた手紙を、祖国エレム王国に、エレム王国騎士団に送れば、それで本当に全てが片付く。
内容が内容なので、もしかしたら思い通りにいかない可能性もあるが、騎士団の上司の皆様は話がわかる人達ばかりなので、ちょっと楽観的に希望を託している。
厳しい返答が返ってきて思い通りにならなかったら、その時はその時である。もう、やるだけのことはやった。あとは天命を待つのみだ。
「――シリカさん、起きてますか?」
「ん、ユースか? いいよ、入っておいで」
さて、そろそろ寝ようかな、というところのシリカだったが、ここでドアをノックする音。
時間帯から察するに、報告書を書き上げた直後のユースが、寝る前に何か話したいことでもあるのかな、という推察を立て、シリカは入室を許可して席を立つ。
扉を開いてユースが部屋に立ち入る中、シリカは部屋の隅に置いてあった椅子を、ユースが座れるように部屋の中心に持って来てくれた。
「わ、シリカさんすみません、そんなことまで」
「気にするな、何か話したいことでもあるんだろ。
ゆっくり座って、聞かせてくれていい」
シリカが椅子を置いたのは、机に向かい合わせていた自分の椅子の、ちょっと後ろの位置。
シリカがその椅子を逆向けに回して座れば、ユースが座る椅子と向き合う形になる。
先輩に用意してもらえた椅子に、失礼しますとおずおず気味に座ったユースが、これでシリカと対面して座り合う形になった。
「……えーっと」
「何だその顔。黙ってた隠し事でも白状するつもりか?」
「いやぁ、そうじゃないんですけど……
な、何だろうな~、なんでか緊張します」
「なぜ」
「いや、よくわかりませんけど~……」
開いた股の間、椅子の上に片手をついて背を丸め、赤らめた頬をかりかりかいて、ユースは目線を横に流しつつ気まずげに笑う。
ちょっと言いにくいことでもあるのかな、なんて想像したシリカは、隠し事の出来ない子供のような姿を可笑しく感じてしまい、くすくす笑うのを抑えられない。
細い脚をすらりと纏め、上品に姿勢正しく座るシリカの姿は、改めて正面向き合って見るとユースには美しすぎるのだ。ただでさえ、綺麗な人なんだから。
武装して戦場で肩を並べたりたり、みんなと一緒にいる時などは、ユースもいちいちシリカを異性として意識したりはしないが、静かな所で一対一、まして座り合って向き合うような空気となればちょっと別。
色事に免疫のないユースが、こんな夜長に落ち着いて二人きりで向き合ってしまうと、たとえさんざん見慣れて親しんだ人とはいえ、調子を崩して直視しづらくなってしまう。
それぐらいには、やはりシリカはユースから見ても特別綺麗なのである。
「……えぇと、ありがとうございました。
今回、いっぱいフォローしてもらえて」
「そんなことか。
別にいいんだぞ、全部お前一人でまかなえるような問題じゃなかったんだから」
「チータやアルミナ、ルザニアにも言えることですけどね。
でも、シリカさんには特に助けられたなあって」
「気にしなくていいよ。
私がお前の立場でも、一人で全部は出来なかった状況だ。
みんなで助け合うのはいつものことだし、普通のことだよ」
ニトロの処刑を阻み、カイザーを撃破し、ニトロがナナリーを救う手助けをしたユース。
ユースと同じく処刑を阻み、ナナリーとの舌戦から状況を良化し、ベリリアルを断ち切るニトロの手助けを最も果たしたチータ。
銃弾で以って処刑妨害の第一手を打ち、さらには西の関所の防衛にまで回ってくれたアルミナ。
そして当の西の関所にて、王国側に死傷者なしの結果の、最たる立役者になってくれたルザニア。
いずれもの尽力の果てに、女王とニトロと王都の救済を叶えることが出来た。一丸になって得た結末だ。
しかしそれらと比較しても、シリカが果たしたことというのは更に大きい。
流石は年長者とでも言うべきか、有事の際においての活躍ぶりは、まだまだユース達年下には負けないものがあると言ったところである。
まず作戦決行前夜。
ニトロ救出の作戦を練り上げたのはチータとシリカである。
処刑妨害の流れを組み立てたのは主にチータだが、シリカが主に意識したのは、こんな日に限って悪しき連中が動きを見せてきた傾向だ。
雪山での魔物による女王襲撃やら、通過点に過ぎぬはずだったハフトの都の焼き討ちやら、舞踏会の日に限って王都襲撃やら、大事な日に限って何かしら起こってきたのである。
それを偶然とは見過ごさなかったシリカは、翌日のリープ達による王都襲撃を読みきって、そのための作戦を主に立てたのだ。
要はシリカとアルミナとルザニアが王都防衛戦線に回ったのは、シリカの発案した作戦がそもそもあってのことだと言える。
こちらはたったの五人しかいない中、すべてが上手くいく作戦と采配を決め打つのは大変である。
ユースとチータ、この二人でニトロの救出を果たすというのが、きっと目的を叶えるにあたっての最低限の人数だ。これ以上、ここに人員を割くと、言わずもがな他に頭数を使えない。
かと言って、残ったのは女性陣三名のみ。守るべき関所の数は、最低三つは意識しなければならないところ。
シリカが東と南の関所を、たった一人で二つ回れる人材でなかったら、今回の作戦は成立しなかっただろう。
タイムラグも計算し、西の関所をルザニアが守り、そこにアルミナが加わるという形で厚く守る。こうした作戦が完遂させられたのは、発案し、その一番肝心の部分を一人で埋めたシリカがいてこそだ。
細かい話をし始めると、もっともっときりが無くなる。
縁あったシャプテ商会の方々に、作戦決行の朝一番に協力を要請し、東の関所の戦いが終わればすぐに南の関所に回れるよう馬を手配していたシリカだとか、作戦成功のために水面下で行なわれていた根回しも多いのだ。
そういった、短時間の中でも周到に立ち回っていたシリカだからこそ、ハルマの救出に間に合ったというのも間違いない話だろう。
さらに戦後、セプトリア兵の方々に事情を説明する役目にも一役買い、あらかじめ口を利いていた大工達に、関所の修繕にすぐ取り掛かれるよう声をかけておいたりだとか。
戦前の準備からアフターケアまで、ぴんからきりまで多くの仕事を果たしたのがシリカだったわけだ。
やれと言われればユースにも出来ることかもしれないが、すべて自分で考えてさっさと動いて、と出来るのが、やはりユースとシリカの経験の差なのだろう。
四歳しか違わないシリカとユース、剣の腕も随分とシリカに迫ってきているユースではあるものの、変わらずシリカはユースにとって、憧れで目標の騎士様である。
「話したいことっていうのは、もしかしたらそれだけだったりする?」
「それ"だけ"っていうか、それが一番大事なことなんですけど」
「ふふ、そうか。
ほんと、別にいいのに」
そういうのをよく重んじるユースだし、こうした大きな感謝の意は、かしこまって伝えたがる性分なのは、シリカもよく知っているのである。
言うにせよ、世間話の流れで軽く言う程度でも結構であろうに、この生真面目に礼を述べに来る姿は、よく知る可愛い後輩の姿として本当変わらない。微笑ましくってシリカも笑みが消せない。
礼を言うにあたって、まだまだ貴女には敵いませんとでも思うかのように、笑みを含みつつも恭しい目で見つめてくるユースとは、むしろシリカの方が照れて目を背けたくなる。
「改めて、お疲れ様。
作戦は綿密に立てたとは言ったって、思い通りに成功を得られないことはある。
だけど今回は、ちゃんと理想的な結果を得られた。本当によかったよ」
「そうですね。
俺、絶対に失敗しちゃダメだって思えば思うほど、脚が震えそうでしたもん」
「脚は震えなかったけど私も緊張したぞ。
どこかで不測の事態が挟まって、根本から作戦が崩されたりでもしたらどうしよう、ってさ」
「シリカさんもそういうことあるんですね。
いつも冷静な顔で戦場に臨まれるから、あんまり目ではそういうの見れないですし」
「表に出さないようにしてるだけだよ。
私は自分が臆病なのも知ってるからな。その辺りは、年上だし、ちょっとぐらいは格好つけたいじゃないか」
「臆病……?」
「なんだその顔は。うん?」
「いたたた」
お前は私のことを怖いもの知らずの鉄人女だとでも思ってるのか、と、シリカはユースの前髪をつまんでちくちく引っ張る。痛くない程度に痛い突っ込みには、ユースも笑って応じられる。
ユースはシリカが臆病と自称する姿を、あぁ先輩による謙虚含みの小粋なジョークなんだなぁとしか感じないが、それはユースがシリカの内面をまだ知らないだけの話。
確かに戦場では恐れ知らずで勇敢な彼女の姿しか見られないが、恋心を自覚した後のシリカのユースに対する、女性としての臆病さをユースは全く知らない。
「自分の力量に不安が残るなら、また前のようにきつーく稽古つけてあげようか?」
「あ、遠慮しておきます。
お手合わせは是非なんですけど、なんかそれは過剰に攻撃的な匂いしかしない」
「いい加減、そんなに弱気にならないで、もっと自分に自信を持っていい頃だぞ。
セプトリア王国の女王様とその忠臣を救った、騎士ユーステット=クロニクス様?」
「あーやめて。
先輩シリカさんにそんな呼ばれ方するの、すんごいむず痒くておかしい」
おかしなこと言うから笑っちゃうじゃないですか、と言い訳するユース、確かに顔はふにゃけた笑顔。
シリカに褒められたらこういう顔になってしまうのだ。こんな顔になっちゃうのはあなたに褒められたから、なんて恥ずかしいし、ここは上手にごまかしているユースである。
万事上手くいった後の、反省不要な思い出話は実に甘美である。
夕食時にも、カナリアも交えた六人で、さんざんやったなよかったねの話をしたばかりだというのに、今ここでまたやってしまうぐらいには気持ちがいい。
昨日の成功を今夜になってもまだ嬉しく話せるぐらいには、ユースにとってもシリカにとっても、ニトロやナナリーが大切な人であったという表れでもあるが。
「それよりシリカさん、あれって何書いてたんですか?
報告書とはまた違うような気がするんですけど」
「ん? あぁ、あれは……
まあ、報告書ではないけれど、宛ては騎士団のちょっとした私信だよ。たいした内容じゃない」
今の話の流れが続くと恥ずかしいので、ユースはシリカの後方の机を、彼女の肩越しに覗き込むようにしながら話の舵を切る。
対するシリカは、ほんの僅かな歯切れの悪さを挟みつつ、書いていた手紙の内容を隠す言葉をつらつらと述べ返した。
「どんな内容なんです? 聞いていいのかわかんないですけど」
「いや~、内緒にしておくよ。
たいした内容じゃないけど、人に見られるとちょっと恥ずかしいし」
「そうなんだ。じゃ、いいや」
はぐらかして、中身は教えてくれない。
詮索しないユースだが、ちょっとは気になる。普通に好奇心。
「それはともかく、お前もきっと帰国したら昇格だな。
今回の件も合わせて、セプトリア王国ではけっこう結果を出してきたじゃないか」
「あー、そんな話ありましたっけ。
指揮能力うんぬん、あの辺って俺、あんまりたいしたことしてないと思うんですけど。
昨日の件だって、本質的にはシリカさんが指揮してくれたようなものだし」
「さあ、どう評価されるんだろうな。
でも、私の見立てでは昇格ありだと思ってる。けっこうあるぞ」
「あるんだ……そっか」
エレム王国騎士団から此度、セプトリア王国に仲間達と共に派遣されたユースだが、実はこれ、ひらの騎士である彼の能力を査定するという名目も含まれた遠征だ。
しばらくセプトリア王国に滞在したユースが、騎士としてどれだけの力量を示せるか、それはお目付け役のシリカにより騎士団に報告されており、ユースはテストされている。
査定基準は諸々あるが、来国以来のユースの功績の数々を思い返せば、まず昇格は間違いあるまい。シリカはけっこうあり得る話、と言っているが、絶対発言をしないだけで、彼女の中では絶対に昇格すると思っている。
「……昇格したら、そろそろお前も別の部隊を指揮する立場になるかな?
多分、アルミナやチータはついてきてくれるだろうけど……」
「え?」
「え、じゃなくて……いや、どうなるかは知らないぞ?
でも、騎士団がどう采配するかはわからないし」
ふと、シリカが自然な流れで言ったことに、ユースは嬉しそうに下向けていた顔を持ち上げた。
目を合わせるシリカは、思わぬ反応に、次の言葉の選び方が慎重になる。
「え、ちょっと待って下さい。
俺とシリカさん、別々の部隊になることもあり得るってことですか?」
「そりゃあ……お前も小隊を指揮する権限と資格を得るわけだし、私もそうだから、指揮権を持てる騎士を
分散して、稼動できる部隊の数を増やすことはあるんじゃないかっていう……
いや、知らないけどな? そうなる可能性もあるっていうだけで……」
「え~……」
「……普通に想定できることじゃないのか」
普通に想定できることだ。
シリカは大規模な連隊を指揮し、ユースは小規模ながら小隊を指揮する。
そういう図式になれば、別働できる部隊が二つになるわけで、騎士団の仕事効率も上昇する。
平の騎士であるユースが昇格すれば、そういう人事の動かし方だってあり得ることだ。
具体的に言えばそれは、ユースとシリカは別々の部隊で動くことになるという意味だが。
「いや、う~ん……
ほんとはこう、いつまでもこんなこと言ってちゃいけないのはわかってますけど」
「…………」
この後に、ユースの口から何が出るのかは、文脈からしてもたいへん明らか。
シリカは何も言えなくなってしまった。聞きたくなってしまった。
後輩の独り立ちを望むべき先輩としては許容してはいけないはずだが、個人的な感情が勝ってしまう。
「俺まだシリカさんと同じ部隊にいたいですよ。
自信持っていい、って言ってくれるの、ほんとに嬉しいんですけど、その……
やっぱ、そばにシリカさんがいてくれたら、俺はほっとしちゃうのも否定できないし……」
「あ、えー、あー……
昔はさ、別の部隊に所属しながら、お互い顔を合わせなくてもやっていけたじゃないか。
あの時の感じに戻るだけなんじゃないのか?」
「そうは言いますけど、うーん」
シリカと離れ離れになることを想像しただけで、ユースが相当面白くなさそうな顔をする。
シリカにしてみれば、顔に出さないように必死で耐えるレベルでたまらない。想い人に、一緒にいたいと言われるこの幸せ、表情が崩れそうになる。
先輩として相談に乗る顔を作って切り抜けているが、胸がじりじり幸せに締め付けられるこの心地には、溢れそうな甘い息を封じることにさえ労力を使う。
「お前もその、さ。いつかは独り立ちしなきゃ、いけな……」
「…………」
「……騎士団には、同じ部隊にい続けられるよう、申請書文を書いてみようか?
通るかどうかはわからないけど、希望としてさ」
駄目、もう無理。先輩として、己を封じて独り立ちを推奨しようと思ったが、それを聞くことも拒むかのように、つまらなそうな目で部屋の隅のあらぬ所を見つめるユースを見ると、もう。
シリカさんと離れ離れなんて絶対にイヤです、と駄々をこねるようなこの態度、シリカも苦笑いに隠すふりして、溢れる想いを封じられなくなった。
わかった、わかったよ、と、あやすような笑顔の底、大好きな人に求められる嬉しさをシリカが秘めていることは、今は自分の今後で頭がいっぱいのユースに悟りきれない。
「俺も、ちょっと畏れ多いけど申請してみようかなぁ……」
「っ……それは、まあ、好きにすればいいと思うけど……」
もうやめて。言われれば言われるほど、嬉しくって嬉しくってシリカの心臓は高鳴っていく。
自覚もあるほど顔も少し紅くなっていくのだが、この変化までは自分でコントロール出来ないからピンチ。
シリカは椅子ごとぐるんと回転し、ユースに背を向ける形で机に向き合った。
「え、シリカさん?」
「いやなに、寝る前にその文章も作ってしまおうかな~、なんて……
こういうのは、明日の朝になったら忘れちゃうかもしれないし、先に作った方がいいかなぁと……」
「うわ、何かすいません、寝る前にそんな仕事増やしちゃうようなこと……」
「いや、いい、別に、うん……
わ、私も、その、な? そういうのもアリかな、とは……」
ユースはシリカの背中だけ見る形だが、今彼女がどんな顔をしているのかはわからない。隠されている。
見られてもいないのに左手で口元を覆い、真っ赤な顔で誰にも今の顔を見られたくない程度には、今のシリカの表情は崩れ落ちている。
「わ、私もまだ……お前とは、離れ離れになりたくない、し?」
「え……」
「ま、まだまだ頼りないからなっ。
独り立ちもしたくないなんて言う後輩、勝手に巣立たせて他の隊長様に預けるとか、指揮官職に勧めるだとか?
私もお前を育ててきた先輩として、まだ出来ないからなっ」
まだ一緒にいたい。そこだけが本音。
でも、そんな告白めいた言葉を一途に伝える勇気は、まだシリカには備わっていなかったようだ。
背中の後ろから、何かを感じ取りかけたユースの声を聞くや否や、先輩としての責任から来る発言なんだぞと逃げに走ってしまう。
このへたれっぷりを、恐らく明日の朝、シリカはちょっと後悔するのである。
「お、お前がそう言うんだったら、そうしてやるっ。
お前が自信をつけるまで、ずっと一緒にいてやるし、逃げさせたりなんかしないぞっ」
「あ……えっと、あの、シリカさん……?」
「な、何っ。
私、何かおかしなこと言ってるかっ?」
口元に浮かんでしょうがなかった笑みをどうにか封じられたところで、シリカは口隠しの手をはずし、改めてユースの方を向き直る。
極力、普通の表情になっているつもりだ。耳まで真っ赤なのはさておいて。
「い、いや……別に、何も、はい……」
「そ、そうだろ?
お前が言い出したことだぞ、まだその……い、い、一緒に、いたい……って……」
一緒にいたい。自分で口にした瞬間、自分の表情がとてもやばい。
昂ぶる感情のせいなのか、さっきよりもユースの顔が近くすら感じる。実際の距離は何も変わっていないのに。
しかも、なんでユースまでもがシリカの顔を直視できず、目線を横に逃して顔を真っ赤にしているんだと。
シリカからすれば、紅潮した自分の顔を鏡に映されたようで、恥ずかしさのあまり立ち上がりたくすらなる。
「だ、だからその、な?
えーっと……ご希望に添えるかは知らないけど……」
「…………」
「わ、私はまだまだ、お前を手放すつもりはないからなっ!
立派な騎士様になるまで、私のそばでちゃんと戦い続けること! 以上っ!」
無理矢理締め括った。この話、長く続ければ続けるほど、何かを隠しきれなくなる。
ちょっと叱るような顔をして精一杯本心を隠しているが、この凄みの無さったらたいしたものだ。
表面上は怒られる形のようなユースも、流石にここまでの顔でこう言われて、さっぱり何にも読み取れないほどシリカを軽く見ていない。特別な女である。
「返事はっ!」
「は、はい……精進します……」
「よろしい、解散っ!
今日はもう寝ろっ! 明日も多分忙しいっ!」
最後のこの言葉ぐらいは、厳しい言葉遣いを冗談だとわかるように笑って言い放ったシリカだが、笑みのやまぬその顔の本質は果たしてどの程度隠せたか、あるいは察せられてしまったか。
おずおずと頭を下げ、席を立って退室の方向へと進んでいくユースを見送ることもせず、シリカはまた椅子をぐるんと回して、机に向き合ってしまう。
やっぱり今のこの顔では、ユースを見送ることも難しい。
「……あの、シリカさん」
「……なに」
机に突っ伏してぐったりしたいところを耐えながら、シリカは丸め気味の背のまま、ドアを開いたユースの方を振り返った。
無表情同士の二人だが、無感情と呼ぶには程遠い顔の赤さである。
「あ、あのぅ……なんかこう、上手く言えないんですけど……」
「なになに、早く言って。寝るのが遅くなる」
からかうように言うシリカだが、本音は"早く去って、あんまり見ないで、私を解放してくれ"。
見られていなければ左手で胸を掴んででも、この心地よい胸の息苦しさに抗いたいぐらいなのだ。早く早く。
「これからも、その……よかったら、お世話になりまので……
よ、よろしく、お願いしま、す?」
「あ、うん、わかった。任せなさい」
にへら、と変な笑顔を交わし合った二人は、退出するユースを最後に今夜の顔合わせを終えた。
ユースの奴、ドアを閉めるのも忘れていきやがった。そんなにも、何を動揺したのやら。
ああもう仕方のない奴、とシリカが足早に立ち上がり、ドアを静かに閉める遠くの廊下では、妙なほど足早に自室へと向かっているユースがいる。
「はふ……」
自室の鍵をしっかり閉めて、掛け布団の上からベッドの上にばふりと寝転がるシリカ。
全身の力がそれで抜けた。もう起きたくないぐらいに。
天井を見上げ、両手で口元を押さえたシリカは、溢れる想いを絞り出すかのように両目を強く閉じる。
「……ふふっ♪」
ころりと体を寝返して、枕に顔の下半分をうずめたシリカは、ぎゅーっと枕を抱きしめていた。
ああ、こんなに幸せなのはいつ以来だろう。好きな人に、貴女と一緒にいたいと明言されるなんて。
誰にも見られない、部屋に誰かが入ってくることもない、この状況。ばふばふと両脚で交互にベッドを叩いてしまうぐらい、今のシリカは幼子のように嬉しさを抑えられない。
いっぱい、いっぱい、幸せを噛み締めた後、枕を握ったまま安らかな寝息を立てていったシリカ。
一方、自室に戻ってすぐにベッドに潜り込んだはいいが、どきどきする心臓に息苦しくて、目が冴える一方で眠れないユースの姿もあった。
完全に、女の顔になっていたシリカと、あんなふうに真正面きって向き合ったのは久しぶりだ。あれは何度直面しても免疫がつきそうにない。
思い出しただけで、像を頭の中にはっきり思い浮かべただけで、ユースは心臓がばくんと跳ね上がる苦しさと戦わねばいけなくなる。
「……………………」
「すぅ……すぅ……♪」
別室二名、寝心地の良さが真逆である。
今宵は実に良い夢を見て、明日の朝をとても幸せな心地で迎えたシリカ。
まったく寝付けず、殆ど徹夜明けのような目で明日の朝を迎えたユース。
平穏なる世界でのみもたらされる、ほんの小さな一般的な幸せである。
剣の道に生きる武人までもが、こんな平凡な日々を歩めてこそ"日常"だ。




