第86話 ~ニトロVSナナリー~
「くふふふ、いい魔法を持っておるのう。便利そうじゃ」
「喋るな、この野郎……!」
「いーひひひ! い、や、じゃ♪」
縦横無尽に王都広場を駆け回る竜巻は、逃げ回るニトロをいたぶるかのように速度を急がない。
上手に見事な走法と足さばきで、ナナリーを視界の真ん中に捉えたまま中距離を取り続けるニトロに、術者ナナリーが直々に風の刃を投げつけて、その手で殺害することを目指して楽しんでいるせいだ。
飛んでくる風の刃をその剣で打ちはじくニトロは、その剣に魔力を纏わせており、王国に仇為すあらゆるものを斬り、退ける剣を生み出す魔法を、今や概ね自分のものにしていると言える。
「しかし、それもいつまでもつかのう!
力尽きた貴様の喉を切り裂くのが楽しみじゃ! くーふふふふふ!」
「く、ぅ……!」
「流石にまずいな。このままじゃ時間切れになる」
がりがりと地を削りながらニトロを追っていた竜巻が、突如介入してきた風の魔力を受け雲散霧消する。
やや近い位置を保っているチータが、そうした魔法を叩き込んでくれたおかげだ。
さらにはニトロへと投げつけられていた風の刃さえも、チータが空間座標上にぽっかり開いた窓のようなものに吸い込まれ、ニトロに届かぬままチータの魔力に揉み潰される。
「やはりエレムの魔導士様は一筋縄ではいかぬのう。
では、こちらも割り切って、と……」
「今さら、か。
あの傲慢っぷり、つけ入る隙はあるはずなんだがなぁ、うーむ」
相も変わらず無表情貫徹、要するに自分自身は余裕綽々のチータだが、ナナリーはチータにも竜巻や風の刃は差し向けている。相手が強いとわかっているから、ニトロに向けるよりもいっそう激しくだ。
だが、彼を狙うナナリーの攻撃は概ねあっさりと無力化されてい上、その合間にニトロを狙うナナリーの魔法までチータが妨害しているぐらいなのだから、実際余裕はあるのだろう。
そもそもナナリーの魔法は単身で敵に挑むに際して有用なものではなく、前衛数名を構えて後方支援に回れば有力なものである。
女王様が、戦争で前線に出るような役目を担うわけがないのだから、こういう魔法を主流に習得していて当然だ。単身での戦闘で有力な魔法など、至近距離戦での護身用で充分である。
「そうれ、今度は6つじゃ……!
どれ、今度はニトロを集中的に狙うとするかのう……!」
「これから打つ戦術を口にするバカがいますか」
「これは遊びじゃ、付き合ってもてなせぃ、エレムの魔導士様よ!」
数秒前からそのための魔力を練り上げていたナナリーが、自分の周囲に竜巻を6つ立ち上らせる。
チータを狙っても無駄だと割り切ったのだろう。ニトロを総叩きにするという宣言まで挟まった。
一生懸命ニトロを守ってみせろ、果たしてやれるかと挑戦的な目で笑うナナリーに、チータは差し向けられた熱視線をすかして溜め息ひとつ。
チータが感情的に熱くなる要素はこの場に無いが、ニトロが感情的になりつつあるため、チータは努めていっそう冷静であるよう意識づけている。
主君の顔と声を奪い、悪意に満ちた言葉と笑いを放つベリリアルの姿に、ニトロの胸が引き裂かれていることは想像に難くない。悔しそうな彼の顔を見なくてもわかること。
「舐めるなよ……!」
「おいこらニトロ! 先走った真似は……」
そんな矢先に、ちょっと恐れていたことが実際に起こってしまう。
竜巻6つを一度拡散させて陣形を作り、そのうち二つをニトロの正面から差し向けるナナリーに対して、ニトロが真正面から突っ込んでいったのだ。
何を考えているのかはチータにも想像がつくが、それはよほど運が良くないと妙手にはならないやつだ。
「ほう?」
「はあああああっ!」
前から襲いかかってくる竜巻二つに向け、ニトロは二つ纏めて根元から断ち切るかのように剣を振り抜いた。
王国に仇為すものを断ち切る魔力を纏った剣は、かつてガス状の魔物スモークレイスを切り裂いた時のように、確かに竜巻を根元から切り落とす。
さらにその魔力は、敵意ある魔力にまで干渉し、竜巻全体が発生の源泉となる魔力を傷つけられて失ったかのように、竜巻二つが形を崩して消えていく結果をも招いている。
ニトロの前に障害物は無かった。他の竜巻は別角度からニトロを襲うためにやや散っている。
止まらず駆け抜けたニトロはそのまま、竜巻を操る両手を広げていたナナリーに近付き、剣を持たない左手をナナリーの首元へと突き出す。
「うが……っ!」
この間にチータが他の竜巻を抹消する魔力を急いで放ち、残った四つの竜巻のうち二つを消し飛ばす中、ニトロは左手でナナリーの喉を捉えて地面に押し倒す。
主君の体を相手に、あるまじきほど乱暴だ。強く握ったその左手には、倒す中で少しの引きも加え、後頭部を地面に打たない配慮も加えられていたが、背中から地面に叩きつけられたナナリーの体には相当効く一撃のはず。
「ぬぐっ、が……げはっ……!」
咳き込み動けないナナリーの目の前、ニトロがその剣を振り上げた。
まるで、一秒後に頭を串刺しにすると言わんばかりにだ。
切っ先を眉間に向けられたナナリーの目には、ベリリアルへの殺意を強く目に宿したニトロの顔があり、単に脅すだけの目つきではないとも充分感じられる。
だが、それでも脅し止まりだ。
出来るはずがないのだと、ベリリアルにはわかっている。
「くひ、ひひ……!
や゛っ、やれるものなら、やってみせい……!」
「ぐうぅ……!」
これしかニトロには思いつかなかったのだ。
ナナリーに憑依していると形容できるベリリアルを、まずは彼女の肉体から追い出さねばどうにもならない。
ナナリー様ごと殺すぞと、心からの殺意を味方に精一杯のはったりを利かせたニトロだが、それでもベリリアルはナナリーの体から出て行く気配がない。卑しく笑ってニトロを見上げるのがその証拠。
「まずい! ニトロ、離れろ!」
「っ……ちきしょうっ!」
首を押さえられたまま、悪しき魔力を纏ったナナリーの右手が光ったことに、残る二つの竜巻を消し飛ばしたチータが叫んでいた。
後ろに大跳びしたニトロの目の前を、その手に三日月形の風の刃を握り締めたナナリーによる、三日月刀の一振りのような一閃がかすめる。
逃げなければ、ニトロは胸から上下二つに両断されていただろう。
だが、彼を襲う災厄はここまでに留まらない。
「甘いわ、若造が……!」
「うぁ……!?」
上半身だけを起こしたナナリーが、さらに左手を振り抜いたことで、ニトロを真正面から押し飛ばす凄まじい突風が吹く。
台風のような風に、ニトロはそのまま吹き飛ばされ、地面に背中から叩きつけられる。
抜け目がないのはナナリーが、その所作の中でチータの方にも風の刃を飛ばしており、それに対処せざるを得ない彼の動きを一瞬縛っていること。
既にもう一発ぶんの魔力を集めていたナナリーは、地面に座ったままの姿勢で両手を振り上げ、背を下にして倒れているニトロの方へと魔力を発した。
痛烈なダメージに起き上がれなかった彼を中心に空気の渦が巻き、そのたった一点に大いなる魔力を一点集中で差し向けたナナリーにより、魔法の完成もまた早い。
あっという間に、発生した瞬間にはニトロを既に捕えている竜巻が完成し、それが僅かに位置をずらすと同時、ニトロの体が宙にふわりと浮かされる。
「まったく、いよいよまずい……!」
竜巻の真ん中で浮かされ、竜巻が吸い込んだ土と砂と石畳の破片に体を打ち据えられるニトロのうめき声は、激しい風音の中心で外には漏れない。
急いでチータがその竜巻を消し飛ばすための魔力を投げつけるが、嫌らしいのはナナリーが、竜巻の中で宙に捕えられたニトロに風の刃を投げつけており、それを防ぐ魔法もチータは両立しなくてはならない点。
竜巻の抹消に集中しきれないチータは、ニトロが捕えられた竜巻を完全に消すことに五秒かかり、その時間の中で何度も体を硬いものに叩かれたニトロは、傷だらけの体で開放されて地面に落ちてくる。
「がはうっ……!」
さんざん空中で体を振り回されながらも、ちゃんと足を下にして落ちてくる辺り、ニトロのコンディションは最悪ではないのだろう。
だが、それでも走れるかどうか怪しいレベルには落ち込んだ。着地に際して膝を崩して、肘で地面に這う形の四つん這いで、顔を上げない出来ない姿勢になっている。
「くふふふ、無様じゃのう……なあ、ヘンリーの子よ。
ナナリー様をお守りするんだって、夢見がちな子供のように何度も吹いとったなぁ。
どうじゃ、このざま。のう、のう?」
「うぐ、ぅ……!」
「ナナリーごと妾を斬り捨てたいなら好きにするとよいわ! どのみち妾は、この世界に未練などない!
一子相伝の王の血筋を失ったセプトリア王国が、その後どのように立ち直るのか、想像するだけで楽しめる!
それを手土産にこの世を去るのもまた一興じゃ! やれるものならのう! くははははは!」
やはりチータの見立てどおり、ベリリアルを、彼の意志でナナリーから出て行かせるのは不可能だ。
出て行く理由が無いのだから。ナナリーを道連れに死ねるなら、本望だとさえ思っているのだろう。
反語を用いてベリリアルも口にしているが、ナナリーのみが持つ王の血筋を失ってしまえば、セプトリア王国に大きな喪失感が与えられ、国そのものに癒せない傷が刻まれるのも事実である。
たかが血筋ではない。ただでさえ、二度と取り戻せないものを失った時の、人の心に刻まれる痛みは並々ならない。
それが連綿と受け継がれてきた、歴史的な遺産であれば尚更にだ。
かつて皇帝、すなわち皇族であったベリリアルこそがそれを一番理解しているのであり、そんな彼にナナリーごとお前を討つと脅したところで、通用するはずがないのである。
「無力を知れい、ヘンリーの忘れ形見!
それを噛み締めながら、あの世の父の元へ行けぃ!」
「そうはさせ……おっと?」
ようやく顔を上げられたニトロへと、ナナリーが風の刃を投げつけていた。
それを防ぐための魔法を発現しようとしていたチータだが、中断である。必要ない。
視野を広く持てば、ニトロを守るために駆けつけたあいつの姿が見えたし、あいつの快足なら充分に間に合う。
ニトロの前に割り込んで、盾を振り抜いた彼の行動は、ニトロの体を切り刻むはずだったナナリーの風の刃をはじき飛ばした。
目を閉じそうになっていたニトロだが、前に割り込んだ誰かのおかげでそうはならず、今この国において最も頼もしい友人の姿を目に入れることが出来た。
「ニトロ!」
「う、ぅ……ユース……!」
「遅いよ、やっと来たか」
やや控えめな速度でユースに駆け寄ったチータの悪態に、今しがたカイザーを仕留めてきた直後、一戦後で気が立っているユースの目は鋭く返された。
別にチータに怒りを覚えたわけではないが、戦士としてのテンションが高いユースにこう睨まれると、あぁこいつがいれば百人力だなと、チータはかえって安心すらする。
「……チータ、どうなってる? 俺はどうしたらいい?」
「そうだな。ちょっとの間、ニトロを守っておいてくれないか。
策は出来た、意外なところからヒントも貰えたからな」
ほんの数秒前に、あのナナリーに、ベリリアルに勝利するための手法を閃いたチータだったが、人手不足でどうしようかと思っていたところだ。
ユースがいるなら何とかなるだろう。無しでもやらねばならなかった先程までと違い、保険がかかっているぶんやりやすさは増した。
「ちょっとこいつ、預かっておいてくれるか?」
「は!?」
「いいから。これ、先生からの貰い物で大事なものだからな。大事に扱えよ」
そしてチータは、愛用の杖をユースに押し付けた。
思わぬ行動に驚かされながら、無理矢理気味にそれを受け取らされたユースをよそに、チータは近場に落ちていたセプトリア兵の剣を拾い上げた。
少し前にナナリーが大暴れしてセプトリア兵の多くを痛めつけたため、広いこの広場全体で言えば、もう二、三本は剣が落ちている。近くにあったのは好都合だったが。
「さあて、ベリリアル様……あぁ、敬称はいらないか。クソ皇帝様だもんな」
「あぁ……?」
「ここから先は、僕が相手になりますよ。
どうやらニトロは、女王様ごとは悪魔を討てない、割り切り不足な衛兵様のようですしね」
「!?
チータ、お前っ……!」
今の姿勢からなんとか立ち上がろうとし、つんのめって倒れそうになりながら、ニトロは前かがみに立った姿勢を作り上げた。
ユースに支えられたが、前に乗り出そうとする彼の腕を持って制する役目もユースが担う形だ。
ユースにそんなつもりが無くたって、支えるためにぐっと腕を握って引くユースの力だけで、前に出られないほどニトロは満身創痍である。
「貴方を残しておくことの方がこの国にはダメージ大きいでしょ。
ここで討ち取らないとね。ナナリー女王様ごと」
「や、やめろチータっ……! それだけはっ……!」
「ニトロ!」
きっとこの国に来て以来、最も大きな声でチータが叫んだ。
傷ついているとはいえニトロが怯むほどの声で、きっと最もチータらしくないと思えるほどの叫び。
発して振り返るチータの冷たい無表情に、ニトロは言葉を失いつつも反感の目を向けている。
「見てろ。僕が、この国を救ってやる」
だが、振り返ったチータは、確かに優しく微笑んでいた。
えぇお前そんな顔も出来たのか、って、付き合いの長いユースの方が驚くほど、温かみのある笑顔だったのだ。
それは、ナナリーごとベリリアルを殺してやると宣告された前言とは、とてもかけ離れた表情だ。
思わずユースがニトロの腕を握る手に力が入ったのは、きっと今のチータは言葉どおりの残酷な結末を単に目指しているのではないと、無性に信じられた気がしたから。
先走って見損なわないで欲しいと、前に出ようとしていたニトロを意識的に制する力が、ユースの手からニトロの腕に伝えられている。
「というわけで、よろしくお願いします。
仮にも騎士団に属する身、やはり名目としては剣で以って、仕事を果たして見せたいので」
「ほぉ~……さまになっているとは言い難いが、何か企みでもあるのかのう?」
とりあえず、日頃山ほど見てきたユースの構えを模倣するチータだが、見るものが見れば決していいものではない。
参考とする型の主、ユースが恐ろしく基礎に忠実でよく出来た型ゆえ、真似したチータも格好はついているが、所詮は剣を武器にしたことがない魔導士の真似事だ。
開戦と同時に、慣れぬ剣の重さで型が崩れることは、ベリリアルの目にも明らかである。
要するに、明らかに力を落としたチータを相手取れるという意味で、うざったい邪魔者魔導士を先程より良い条件で仕留めにかかれる好機。
ナナリーは、ベリリアルは小さく嘲笑し、戦うための魔力を集め始める。
「まあ、よいじゃろう。
貴様を仕留めてから、後ろの二人も葬ってやるとしようかのう……!」
「あなたが口癖のように言っている言葉を借りるなら、そうですね。
"出来るものなら、どうぞ"」
「くふふ、威勢が良い……!
吠え面かかせるには実に良い顔じゃ!」
ナナリーは自分の周囲に竜巻を三つ立ち昇らせ、自分を囲いながら周る形で守備陣系を作り上げた。
チータが本気で自分を殺しにかかってくる、そんな可能性も僅かに考慮したのだろう。
守りは万全。要塞を構えての飛び道具には、元々まったく事欠いていない。
「さあ、来るがよい!
泣きっ面を晒して妾をもてなして見せい!」
「ええ、参りましょう……!」
ナナリーが手を振るい、風の刃をチータに投げつける。
かわしたチータはナナリーに接近し、チータを捉えられなかった風の刃は後方のユース達へと向かう。
盾ではじき返すユースにより、それがニトロを傷つける展開は叶わない。
「まずは竜巻を……」
「おおっと! 速いのう!」
迷い無く突き進んできたチータからわずかに退きながら、ナナリーは竜巻の一つをチータへと差し向ける。
チータが振り抜く剣は竜巻の根元を通過し、形式上だが竜巻を切断する形に。
その実、剣の動きとは別個に竜巻を消すための風の魔力を発しており、擬似的に剣で斬った竜巻が消えたかのように、差し迫っていた竜巻を撃破する。
「まずは妾に近付けるかどうかじゃ! 貴様の思い通りになるかは知らぬがのう!」
「やってみせますよ」
竜巻を前に出して下がっていたナナリーの立ち回りは、竜巻を斬った時点でのチータの位置が、ナナリーとはまだ離れた位置である状況を作っている。だが距離は縮まっている。
ここに風の刃を放つナナリーの攻撃は、チータの身のこなしでも少々神経を遣う場面だ。
右に横っ跳びしてかわしたはいいが、逃げた先を読んだかのように、そこへも風の刃が飛んでくる。
かがんでかわす、その間に竜巻の一つが自分に接近している。
それを切り落として抹消して見せるチータだが、そうした動きの間にナナリーは後ろ歩きでさらに距離を稼ぎ、二つ差し向けた衛兵竜巻の代わりを二つ生産だ。
チータとの距離をしたたかに保ったまま、攻めつつ守りを崩さないナナリーの戦い方は安定しており、これを剣を使い慣れないチータが攻めきるのは厳しそうだ。
「チータ……!」
「……よく見てろ、ニトロ。
あいつのことだ、絶対に意味があるはずだから……!」
右半身でニトロを支えつつ、いつでも盾を装備した左手で彼を守れる体勢にあるユースは、漠然とした信頼をニトロに伝えようとしている。
チータが何を考えているのかはわからない。だが、チータははっきりと、見てろとニトロに言ったのだ。
あれを見続け、何かを感じ取ることが必要なんだと訴えるユースに、はやる気持ちを耐えるニトロが、チータの後ろ姿を克目する。
言ってくれるのが信頼できる友人のユースでなければ、意味がわからないと無視して前に出たい。そんな気持ちを抑えてニトロも踏ん張っている。
「くふふふふ! 動きが鈍くなってきたぞ!
やはり剣術には心得が無いようじゃな!」
「やはりも何も、見ればわかるでしょ」
剣は重い。それを武器に、竜巻や風の刃に立ち向かうチータの消耗は、普段以上に激しいはず。
加えて彼は、意図ありしとは言え、"剣でナナリーの魔法を断ち切る"さまを演じる魔法の使い方をしている。
普段と違う、複雑な魔法の使い方は、魔力の過剰な消耗にも繋がる。
魔力の過剰な消耗は精神力の過剰な消耗、それは精神と肉体を繋げる霊魂の過剰な疲弊にも繋がるため、魔力を過剰に消耗することは肉体的な激しい消耗にも繋がってしまう。
時が経つにつれナナリーは、チータに竜巻を二つ同時に仕向け、投げつける風の刃の数を増やし、それに対処するチータの体力を着々と奪っていく。
チータが息を切らす姿など、ユースだって数えるほどしか見たことがない。殺されかけるほどの窮地に追いやられても、彼は一番大事な体力を尽かすような立ち回りだけは最後までしないからだ。
彼らしくない、剣を握る手を重そうに垂れる姿を見届けるユースも、心の底では心配だ。剣と杖を纏めて握る大拳にも思わず力が入る。
「それ、仕舞いじゃ!」
「そうです、かっ……!」
渾身の力で竜巻を斜めに切り上げ、消したチータにナナリーが手を振るう。
生じた突風はチータを押し出し、広場の端の建物に彼の背中を叩きつける勢いで吹き飛ばす。
人間一人、かなりの距離を吹き飛ばす風に、チータはそのとおり、民家の壁に背中から叩きつけられる形に。
ただ、衝撃をやわらげる魔力は背中に纏い、見た目に反してそこまで激しいダメージは負っていない。
「ほれ、守ってみせい!」
「ニトロ、伏せてろ!」
チータが戦場の真ん中からはずれたことにほくそ笑んだナナリーは、ユースとニトロ目がけて両手を一度ずつ振り抜いた。
一振りにつき風の刃を三つ、散弾銃のように放つ攻撃は、盾一枚でそれを防ぐユースに捌けるものだろうか。
合計六発の弾丸、これを防ぐユースの手段は一つしかない。
「英雄の双腕!」
前に構えたユースの盾を頭にした、蒼い傘状の魔力がユースの前方に展開される。
元々ユースのこの魔法は、自分よりも、自分の後ろの誰かを守ることを目指して作られた魔法だ。
大きな魔力の壁を、盾を中心に作り上げたユースの力により、ナナリーによる風の刃の連続攻撃は、いずれもばちばちとはじかれる。
「やるのう、これならどうじゃ!」
両手を振り上げたナナリーが、胸の前で交差するように、その両手を大振りに振り下ろした。
それは三日月型の風の刃を二枚重ね合わせたような、前から見ればクロスした風の刃を生まれさせ、そのサイズはここまでと比較にならない。
切れ味さえ通用するならば、巨竜をも一刃にて四つ刻みにしてしまいそうな風の刃が迫る光景に、盾を構えるユースの拳にも力が入る。食い止める。
「見よう見真似だが……!」
だが、それを自力で対処しようとしたユースに反し、離れた位置から駆けつける誰かがいる。
チータが剣を振り上げかけている。振り降ろす直前の構えだ。それはどことなく、シリカにも似て。
「勇断の太刀!」
口にした魔法の名もそのとおり。
チータが剣を振り下ろすとともに、その剣の尺の延長上に伸びた魔力のほとばしりは、大きな弧を描く。
長い残影を描くそれは、離れた位置のナナリーからも壮大な見栄で、輝く残影がナナリーの巨大なる風の刃を切り伏せると同時、それを消し飛ばしてしまうのだ。
「あ……!」
チータがシリカの魔法の名を、と驚いていたユースの後ろ、ニトロの目が見開かれた。
ユースとニトロを風の刃から守る姿を見せつけつつ、ニトロに何かが伝わればと、彼の顔から目を離さなかったチータにとって、このリアクションは上々だ。
きっと通じた、ベリリアルには悟られぬまま。
自分がやらなくてもユースがニトロを守っていたはずの場面、敢えて横から手を入れた行動には意図があり、そこからニトロが解答を導き出したなら甲斐もある。
「くはははは! 折れたのう!
さあどうする魔導士様よ! その折れた剣でまだ妾に立ち向かうか!?」
「ユース、杖を返せ……やっぱり無理ありましたとさ」
「無茶すんなよ、あんまりさ……」
使い慣れない剣を全力で振り下ろしたチータは、その剣を地面に叩きつける結果になってしまい、名も知らぬセプトリア兵から勝手に借りた剣を折ってしまった。
剣身の殆どを失った、折れた剣を握ったままユースに駆け寄ったチータは、息を切らしてユースから杖を受け取る。
「大口を叩いた割には無様なものじゃのう!
さあ、今度は三人がかりで来るか!? 妾はそれでも構わぬぞ!」
「……やれるな、ニトロ。わかっただろ」
「あぁ……! やってみる……!」
「違う、そうじゃない」
はぁはぁと息を切らすチータは、嘲笑するナナリーをよそに、ニトロに小声で話しかける。
二人の間でどんな真意がかわされているのかわからなくても、二人の前に自ずと踏み出し、壁を作って二人の密談を少しでも隠そうとするユースが、密かに大きな意味を持っている。
「……やってみせる! 絶対に!」
「そうだ、それでこそ忠臣だ……!」
チータはニトロにそう言って、ぽんとユースの背を叩いた。行け、とも、行ってくれ、とも取れる弱い押し。
疲れているのだろう。あるいは他に意図があるのか。この賢い友人に何かを任されるなら、同い年の傭兵による騎士様への命令でだろうが、ユースは力強く従える。
隊長職のことなんか忘れているのだろう。やはりユースは人にあれこれ命令するより、誰かを信じて一緒に戦う時の方が、よっぽど強く戦える性格をしているらしい。
「行ってくる……!」
「ああ、勝つぞ……!」
「ふん、今度は多少骨がありそうじゃな!」
まずは単身突き進んできたユースに、挨拶代わりとばかりにナナリーが竜巻と風の刃を差し向ける。
一つの竜巻を差し向けて、自分の周りに四つ残す辺り、警戒心も強くなっているのだろう。
より攻め落とし難くなったナナリーに立ち向かうユースは、竜巻の進軍をかわし、風の刃を盾で打ちはじいて前進する。
ならば二つ、とユースの進行ルートを広く遮るように、ナナリーが竜巻二つを差し向けてくる。自分の周りを回る竜巻を、二つ追加でしっかり生み出しながらだ。
前に進む足を止められたユースの快進撃は止まるが、それによって開いた道筋はある。
先程ユースに向かった竜巻は、杖を握ったチータに消し飛ばされ、遅れてナナリーに突き進んでいたニトロの障害物とならない。
「ふん、小賢しい……!」
ユースで意識を引き付けて、本当の矢はニトロかと思わせる立ち回りに、極めて冷静にナナリーが風の刃を投げつける。
魔力を纏い、光り輝く剣を振り抜くニトロがそれを切り払い、一気にナナリーへの距離を詰めていく。
ナナリーの周囲に竜巻が残っていようとも、今のニトロは立ち止まらない。迷わない前進だ。
「……ん!?」
嫌な予感がしたナナリーは、勘に従い両手を大きく振り抜いた。
ニトロの剣に強烈な違和感を感じたのだ。
速い流れでそれが何かは一瞬わからなかったが、わからないままでもナナリーが突風を起こし、ニトロを吹き飛ばそうとしたのは正しい判断である。
「進め、ニトロ! 止まるな!」
アシストするのはニトロの背後から駆けていたチータである。
チータが自分の後方に開いた大きな空間上の風穴。そこから凄まじい勢いで発生する強風は、ニトロを吹き飛ばそうとする風を打ち消すはおろか、ニトロを後押しする力強い追い風にさえなる。
剣の柄を握り締めて突き進むニトロは、既にそれを振り抜かんとする構えを取っている。
折れた剣だ。チータが杖を受け取っても捨てず、ユースの体の陰でニトロに渡していたもの。
折れた剣から魔力のみ伸び、剣身そのものが輝く魔力の塊で構成されたその正体を、ニトロが近付いてくる中でナナリーにも、はっきりと視認することが出来た。
「させぬわ……!」
「ニトロ、跳べえっ!」
両手を振り上げて胸の前で交差させる形の振り下ろし、それは三日月刃を合わせた交差型の大型風刃を生み出す、ナナリーの大技だ。
既に近くなったニトロを正面から斬り捨てるその風の刃は、もうニトロが逃げられる大きさと速さではない。
魔力の塊である魔法の剣、それで以ってこの大魔法を切り裂かねばならない立場にあったニトロが、それに余力を使わずに済んだのは、横から心強い声を発してくれた彼のおかげ。
ニトロとナナリーの間に横から割り込んだユースが、英雄の双腕の魔力を纏った盾で、ナナリーの巨大風刃を殴り上げた。
あらぬ方向に軌道を曲げさせられたナナリーの魔法は上空へ飛び、さらにそれを殴り飛ばした直後のユースは、ものを上へと殴り上げた反動に従うかのように一気に低姿勢。
ニトロの前で障害物になる。だから跳べと言ったのだ。
ひとっ跳びでナナリーまで届く位置まで前進していたニトロは迷わず地を蹴って、己をナナリーへと向かう放物線へと乗せていく。
「ベリリアル……っ!」
「く……失せいっ!!」
自分の前に竜巻を一気に寄せたナナリーが、それを最後の壁とする。
魔力の剣身がナナリーに届く距離に到達する前に、ニトロが竜巻に呑まれて舞い上げられてしまう構え。
だが、ほんの少し前に体を打ちのめした竜巻に、自ら飛び込んでいく形になって尚、ニトロの目に宿った炎は決して絶えない。
セプトリア王国に悪意を向ける、あらゆるものを断つ魔法。
彼が信じたその大いなる力、精神力は、折れた剣の柄を握り締める力に応じ、後方から見届けるチータも驚くほど、一気にその尺を何倍にも伸ばした。
「正義を司る双手!!」
「な……!?」
ニトロの体は確かに竜巻の中に突っ込んでいた。
だが、その間際に振り抜いた彼の剣は、柄の動きに合わせ、遥かに伸びた魔力の剣身を大きく振り薙いだ。
それは決して剣や槍では届かない距離にあったはずの、ナナリーの肉体にまではっきりと届き、実体を持たない魔力の塊が、ナナリーの肉体を両断するかのように通過する結果を招く。
「げふぁ……っ!?」
「ニトロ……!」
吹き上げられたニトロの体を救うため、すぐさまその竜巻を消す魔力を発していたチータだが、消える竜巻の最後の抵抗が投げ出すかのように、ニトロの体はナナリーから離れた場所へと落ちた。
そんな中で、ニトロの剣に斬られた形のナナリーが、体に傷ひとつつけぬままにして後方へとよろめく。
片膝をついて、肩から腰までを斜めに斬られた傷を押さえるように、胸を握り締めて下を向くほど、今の一撃ははっきりと通用している。
「お……おの、れ……!」
「く……っ!?」
状況の悪化を確信したナナリーが、悪あがきのように両手を振り抜いた。
生じた突風は彼女を中心に放射状に広がり、ユースとチータを耐えさせ、地面に倒れたニトロが地面に指を突き立てて踏ん張る姿を誘発する。
ほんの短時間、三人の敵が動けない状況を作り出す。ベリリアルに必要な時間は短いものでいい。
「こ……こうなれば、っ……!」
「まずい……!」
絶えず吹く強い風に三人が動けず、チータがその沈静に魔力を発するが、疲弊が重いのかすぐには風を消せない。
ナナリーがよろよろと近付くのは、地面に落ちたままのセプトリア兵の剣だ。決して遠くない。
その足取りから、ナナリー道連れの自害を予感した、チータの焦燥はかなり凄まじい。
「――ナナリー王女! 聞こえるか!
悪しき皇帝に、最後の最後まで傀儡とされて果てることを潔しとされるか!」
これは賭けだ。持ち得る魔法学、霊魂学の理屈を最後の頼りに、チータは全力の声で叫んでいた。
ぜぇぜぇと剣に歩み寄り、それを拾わんとするベリリアルが鼻で笑う中、チータ達を足止めする風はようやく収まり始めている。
「ニトロ、呼びかけろ! 何でもいい、声を絞り出せ!」
「っ……ナナリー、様あっ!!」
「……う゛あ!?」
殆ど、泣くような必死な叫びをニトロが発した瞬間、生じた異変は決定的なものだった。
落ちた剣にもう少しで届きそうだったナナリーの足がもつれ、前のめりの上半身だけが進んだ結果、ナナリーの体が豪快にすっ転んだのだ。
全身を強く打ちつける衝撃にナナリーが――ベリリアルが目を白黒させる中、風はようやく収まって三人が動ける環境になる。
行動の速い奴がいるもので、風がやみかけた中でもやや強引に前に出始めていたユースが、ベリリアルが手を伸ばそうとしていた剣に接近する。
思いっきりそれを蹴飛ばしたユースにより、倒れたナナリーがそれに手を伸ばせない状況が完成した。
倒れたまま憎々しげにそれを見上げるベリリアルだが、そこから続くはずの立ち上がる動きが無い。
「な、なぜ動かぬ……!?
か、体が……体が、っ……!?」
「はぁ~……ニトロ、決めてこい……とどめ刺せ」
ああ、ようやく詰んだ。かなり厳しい状況から巻き返し、ようやく勝利確定のところまで到達したチータが、深い息を挟んでニトロに呼びかけた。
もう立ち上がることすらつらいであろうに、全身に力を込めて立ち上がったニトロは、輝きを失った折れた剣を両手で握り締め、片足を引きずって倒れたままのナナリーに近付いていく。
「もう、あなたにナナリー王女を操る力は残っていませんよ。
ニトロに魂ごと傷つけられたベリリアル、あなたにはね」
「な、ナナリいぃぃ……!
い、忌まわしい……操られておっただけの、傀儡の分際でえっ……!」
ベリリアルの魂はナナリーの霊魂に絡みつき、彼女が彼女の体を動かす精神を、その肉体に連動させないよう束縛し続けていた。
そんなベリリアルの魂が傷つけられ、力を失えば、その末に起こる事象は明白だ。
ベリリアルの魂に拘束されていた魂から、幾許か開放されたナナリーの魂は、この肉体をベリリアルの意のままになどさせぬという精神を肉体に届け、悪辣な王が己の肉体を操作しようとすることを阻む。
今のナナリーの肉体は、それを自害させてセプトリア王国に絶望をもたらそうとするベリリアルの精神と、その拘束から僅か逃れたナナリーの抵抗が拮抗し、全く動かない状態になっている。
セプトリア王国を悪意を以って陥れんとする、あらゆるものを断ち切る剣。
チータによって、正義を司る双手と名付けられた、ニトロだけの誇り高き魔法は、ナナリーの魂や肉体を傷つけず、見事ベリリアルの魂のみを斬りつけたのだ。
魔力を纏った剣で斬れば、きっとナナリーの体を生きられぬ形にしてしまっていただろう。
だが、物理的な実体を持たぬ、魔力の塊で構成された剣ならば話は別。
それは物理的にナナリーの肉体を傷つけず、定められた魔法の使命によりナナリーの魂をも傷つけず、そしてベリリアルの魂のみを断つ。
「さあ、ニトロ。お前の剣で、ベリリアルを断罪してみせろ。
ナナリー様を守り抜き、悪を討ち果たす、お前だけの誇り高き剣だ」
ナナリーという最大の人質の中に立て篭もっていたベリリアルを、殻を傷つけずに打ち破るにはこれしか方法が無かった。
決してこの手法を最初から閃いていたチータではなく、ベリリアルの魂を打ち破る手段として、ニトロの魔法を手段として考えていたのみだった。
ナナリーが至近距離のニトロを切り裂くため、三日月刀状の風の刃を振り抜いたことでヒントを得て、ようやくこの解答をチータも導くことが出来たのだ。
それを思えば、浅はかな策でナナリーを押し倒し、脅してその肉体から追い出せればと踏み込んだニトロの行動にも、大きな意味があったようにチータには思えてくる。
決して賢明ではなかったし、浅慮とさえも言えよう行動とて、そのがむしゃらさが閃きの着床となり、今の結果に落ち着いた前提になったというのだから、世の中何が良い方向に転ぶものだかわからない。
「こ、この……あり得ぬ、あり得てならぬ……!
このわしが、二度も……死してなお、セプトリア王国に屈するというの、かあっ……!」
「喋れる割には舌も噛めないんですね。
ナナリー様、頑張って下さい。今にニトロが助けてくれますよ」
煽るふりをしてナナリーの魂と精神に、舌を噛んでの自害は封じて下さいとチータは発言する。
舌を噛むなんてのはよっぽど腹が据わっていないと出来ないことだし、いかにも自尊心が強そうなこいつに出来るはずはないとチータも予想しているのだが、念のため。
ここまできてひっくり返されてはたまらない。詰ませる側は周到である。
「ベリリアル……!」
「ひ……!?」
か弱い、少女の裏返った声が溢れた。
ナナリーの体を介し、敗北を悟ったベリリアルの精神が、近付いたニトロの声に明確な恐怖を感じて発した声である。
まさしくこの時、精神的にも戦況的にも、完全に大勢は決したと言っていい。
「正義を司る……!」
「ま、待……待……」
その言葉と共に折れた剣を振り上げたニトロが、魔力で構成した剣先を発現する。
先程のような豪快な尺は必要ない。倒れたナナリーを切り伏せるだけの今、並の剣ほどの尺さえあれば充分だ。
しかしスケールは小さくとも、セプトリア王国を守らんとする精神力と魔力が凝縮されたその剣が放つ光は強く、振り返れずしてその凄みをびしばし感じるベリリアルが、恐怖のあまりに懇願の言葉を発しかけるほど。
舌を噛ませないナナリーの精神が、その言葉を最後まで吐かせることはなかった。
救いようのない悪意を胸に、一国や、か弱く幼き女王のすべてを奪い取らんとした悪帝はこの最期、抵抗はおろか、言葉を発する権利さえ奪われて世を去るのだ。
「双手!!」
ニトロがその剣でナナリーの体を斬り伏せる。
一度ではない、二度、三度、四度。
限界に近い体、一振りでもつらい体に鞭を打ち、腕を振るうたびに荒い息を吐いて。
合わせて七度、その剣でナナリーの体を切り伏せた後、ニトロは改めて両手で強く握った柄を振り上げる。
ざしゅり、という音さえ連想するほど力強く、ニトロは輝く剣でナナリーの背中から胸を刺し貫いた。
この力強さ、残酷ささえも思うほどの剣に、ユースとチータも目を見張る。
ナナリーの肉体を好き放題に動かし、汚い言葉を吐かせ、誇り高き女王の生涯に汚点を残した憎きベリリアルに、どれほど彼が底知れぬ怒りを感じていたかがわかるというものだ。
「ぎ、ガ……ぐあアっ……!?」
例えるなら、ナナリーの肉体の中にあったベリリアルの魂が、ニトロの剣によって細切れにされ。
さらにニトロの魔力はベリリアルに絡みつき、一粒たりともナナリーの内側に残してなるかと苛み。
握り潰し、すり潰し、ナナリーの肉体から追い出そうと乱暴に引きずり出すニトロの魔力は、ベリリアルの魂に鞭百連発にも勝る苛烈さで襲いかかる。
「ぎぃやああああああああああっ!?!?」
ナナリーの声で発せられたその断末魔が、ベリリアルがこの世界で発した最後の言葉になった。
もう二度と、本当に金輪際、ベリリアルはこの世に姿を現すことは出来ないだろう。
叫ぶナナリーの肉体から、黒い靄が少しずつ溢れ始め、それはまさしく悪しき亡霊の如く人の顔の形のようにも見え、苦痛に喘ぐ叫び顔を模しつつ雲散霧消していくのだ。
その叫びが絶えた下には、死んだように気を失ったナナリーの姿を、ベリリアルの魂が消え去って棲んだ風が撫でていた。
うつ伏せに倒れた主君を見下ろすニトロは、これできっと救えたのだろうかと、無表情のまま動かない。
「わわわ……! だ、大丈夫か……!?」
顔を動かす余力も無いのである。
ぐらりと傾いたニトロの体を支えたユースの腕の中、ひゅうひゅうと渇いた呼吸音を発するニトロは、まさしく性も根も尽き果てている。
竜巻に打ちのめされ、肉体はぼろぼろにして、殆ど使い慣れてもいないであろうあの魔法を、この大一番で明らかに限界以上までのスケールで発現していたのだ。
魔力の過剰消耗が、肉体にどのような悪影響をもたらすのかは先述のとおり。
文字通り、肉体的にも精神的にも、すべてを吐き出したのである。きっと今日はもう一日中、自分の力では全く歩けない。
「ゆ……ユース……チー、タ……」
「こらこら、喋るな。きついだろ、その体じゃ」
歩み寄ってきたチータは、ニトロの容態を見受けて、当然の言葉を向けていた。
魔導士なので、魔力の過剰消耗がどれほどきついのか、彼はよくわかっている。無理するなと。
「あり、がと……」
こんな近い距離で、聞こえるかどうかもわからない声で、ちゃんと礼を言ってくる律儀な奴である。
耐えていた色んなものが切れたのか、涙すら一筋流して微笑んだニトロが、完全に力を失って気を失う姿には、彼を腕に抱くユースも焦り気味にチータの顔を見る。
まさか死んでないよなと。気の失い方が完全にそれだったんだもの。
「はいはい、さっさと医療所に運んでやれ。力仕事はお前の仕事な」
「大丈夫そう?」
「目を覚ますのは明日ってとこじゃないかな。
ま、起きてからお前めちゃくちゃ礼を言われるだろうから、格好悪い照れ顔見せない心配だけしておけ」
ほっとしたユースは、ひょいっとニトロをおんぶする形にして、チータと並んで医療所の方へと歩いていく。細身に見えたって力強い。基礎能力なくして、あんなに自在に剣は振れないのである。
普段はそこまで意識しないが、そんなユースの姿を見て、こいつやっぱりこんな優男の顔してる割には
戦士なんだなぁと、チータもちょっと思ったりする。
「剣術って難しいな。
お前もシリカさんもルザニアもそうだけど、よくまあ毎日あんなもの振り回してるもんだよ」
「流石にあれ、一日そこらでものに出来るものだと思われたら俺だってヤだよ」
セプトリア王国に来て以来、最大の試練を切り抜けた二人は、安らいだ表情で言葉を交わし合う。
ユースはほのかに微笑んで、チータは無表情で。チータの場合はこれが平常時の顔。
同じ頃には、シリカやアルミナやルザニアが立ち回った各所の戦いも集束しつつあり、此度の王都を襲う悪意はすべて退けられたと言っていい。
晴れの独立記念日、7日前。
エレム王国騎士団と、セプトリア王国が手を結んだ連合軍は、アルバー帝国の悪しき遺産を打ち破った。
この日のことはきっと、この後も永く続いていくセプトリア王国の歴史にも、深く刻まれていくことだろう。




