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第85話  ~ユースVSカイザー~



「おい、大丈夫か!?

 引っ張るぞ、我慢しろよ!」

「う、うぅ……」


「くふふ、逃がさぬ……!

 二人纏めて粉々にしてくれるわ……!」


 王都の中央広場は、あり得べからざる惨劇の渦中にあった。

 人をまるまる呑み込めるほどの細い竜巻が、足元の石畳を破壊しながら駆け抜け、砂塵を撒き上げ取り込みながら、まるで砂色の背高い魔物のように立ちそびえている。

 それが4つ。広場を駆け回るたび、砂と石畳の破片を撒き散らしながら激しい風音を立てる竜巻の一つが、負傷して立てないセプトリア兵と、それを担いでこの場を離れようとするもう一人のセプトリア兵に接近する。


「うーん、こう数が多いと面倒だな」


 同じ場所に居合わせる魔導士、チータはまた別の竜巻から逃げ回るように駆けつつ、セプトリア兵を襲わんとする竜巻に杖先を向けた。

 そうして彼が生じさせた魔法の風が、邪悪な竜巻の気流と相殺するように混ざり合い、悪しき魔法の竜巻を中和する。

 風を失い砂を撒き散らす竜巻は形を失い、それによって救われたセプトリア兵が、仲間を担いで広場から速やかに離れる時間を作ることが出来た。


「やれやれ、これで全部か。

 さて、ここからだ」

「チータ……!」

「お前は逃げないんだな」

「当たり前だっ……!」


「くふふ、活きのいい若者二人が残ったのう。

 尻尾を巻いて逃げだした方が、賢明であったのではないか?」


 ニトロの処刑を見届けようと集まっていた衆人も今や逃げ去り、それを促したセプトリア兵らも、既にこのフィールドからは離れきった。

 残されたのはナナリーと、自らここに残ることを選択したチータとニトロ。

 砂色の竜巻は地上を駆け、一度ナナリーの周囲を取り囲むように位置取ると、産みの親を守るかのようにナナリーの周囲をゆっくりと回り続ける。


 あの竜巻を生み出したのはナナリーだ。元より彼女は、風の属性の魔法を得意とする魔法使いである。

 チータとニトロを見据えたまま、口元を手の甲で隠してくすくす笑うナナリーは、触れれば大怪我間違いなしの竜巻をすぐそばに、衛兵に囲まれた女王らしき余裕の表情である。


「さぁて、チータどの。どうされますかのう?

 妾の魔法に抗うだけの力量はお持ちのようじゃが、術者の妾をさぁどうする?」

「そんなことあなたが心配する必要はありませんよ。

 あなたがそれを知る頃には、既にあなたが負けているでしょうから」

「かはは、減らず口は一丁前じゃ!

 ならば、見せてみよ!」


 両手を頭上に掲げ、振り下ろすようにして前に突き出したナナリーの動きに合わせ、彼女の周りを回っていた竜巻が進撃し始めた。

 3つの竜巻は既に剥げた石畳の下、土を撒き上げては己に取り込み、散らばった瓦礫をも吸い上げて、凶器を孕んだ砂色の危険な風となる。

 少し前にこの竜巻に触れられたセプトリア兵が、取り込まれた挙句に瓦礫と砂に打ちのめされ、さらに吹き飛ばされて地面に叩きつけられるという惨状もあった。

 触れてはいけない危険な竜巻が、チータとニトロに勢いよく迫ってくる。


「チータっ……!」

「いやまあ、対処自体はそう難しくないんだが」


 二人並んでいたチータとニトロは割れるように散り、迫る竜巻から一度逃れる。

 術者ナナリーが竜巻に指示するように、開いた掌を一振りすれば、竜巻は逃げた敵二人を追うように走る軌道を変える。

 一方で、ニトロに迫る方へと進む竜巻に杖先を向けたチータが、集めた魔力をそちらに発すれば、竜巻は徐々に小さくなり、やがて砂や瓦礫を散らして緩やかに消えていく。


「くふふ、二つじゃ……! 捌けるか?」


 残った二つの竜巻は、駆けるチータに未だ迫り来る。

 走りながらも、ふーと息をついたチータが振り返った時、彼の正面と右方向から来る竜巻は、あと二秒でチータを取り込める場所にある。

 正面の竜巻は右巻き気流、別の竜巻は左巻き気流。面倒くさい。


「いい魔法の練習にはなるんだけどねぇ」


 杖の一振り、二つの竜巻に向けて魔力の放出。

 理屈は簡単、渦巻く風の逆回転の風を起こす魔法を発し、その風力を途絶えさせる。

 敵の魔法を打ち消す技術には特別秀でないチータだが、他者の魔法を無力化するのは理屈さえわかればそう難しくないのだ。

 水をかければ火は消える、強い風は逆風でゼロに出来る。過不足なく、ナナリーの竜巻を維持する魔力に対抗する風を作り出したチータは、難なくナナリーの竜巻を打ち消している。


 直後、チータに向けて放たれる魔力の塊、風の刃が二筋。

 三日月型の風の刃は、かがんで、さらに横っ跳びしたチータにかわされ、辿り着いた先で石造りの建物の壁にがきんと傷をつける。人体なら容易に切断できる、そんな切れ味が窺える。


「術者が姑息なんで、ちょっと集中力を欠きそうです」

「くふふ、この程度では落とせぬか……!

 肩書きは傭兵とはいえ、流石はエレムの魔導士じゃのう……!」


 そう言ってナナリーは、一度、二度掌を振るい、投げつけるようにしてチータへ風の刃を放ってくる。

 速く、銃弾のようなスピードだ。発射の狙いも気配も見えているチータがこれをかわすのは容易だが、右手で風の刃を放ちつつ、左手にまた別の魔力を集めるナナリーは、チータの動きを制しながら手を進めている。


「セプトリアのボンクラどもとは大違いじゃのう!」

「く……!」


 倒れた兵士が落としていた剣を拾い、駆けては構えて立ち回るニトロながら、攻める手段は見つけられない。

 相手はナナリーだ。肉体を乗っ取られたとはいえ、女王様なのだ。

 ナナリーに近付いて、その後はどうする? 斬る? 出来ようはずがない。


 前にも後ろにも進めない自分をあざ笑うナナリーに歯噛みするニトロの前方では、ナナリーが自分の周りに新たな竜巻を4つ生み出している。

 びゅおうと激しい音を立てて生じる竜巻、その4つぶんの発生音は凄まじく、舞い上がる砂がナナリーの姿をニトロやチータの目の前から霞ませる。

 砂煙の向こう側で、邪悪に笑う女王の顔だけははっきり見える、その事実がニトロの胸を締め付ける。


「ニトロ」

「ち、チータ……」


 何とかしたい、ナナリーを救いたい。だけど、どうすればいいのかわからない。

 駆け寄ってきたチータに振り向いたニトロは、これ以上ないほどにやりきれぬ顔だ。

 ナナリーを操るベリリアルに対する怒りが、ニトロの目に闘志をまだ残しているが、そうでなければ相当に弱気な顔になっているだろう。傷ついた心がよく見える。


「"ユースティーツ・シュヴェアート"だ。覚えられるか?」

「は……?」

「言ってみろ。一発で覚えろ」


 ナナリーは、生み出した竜巻をすぐに前進させてはこない。

 それなりに大魔法だ。きっちり作り上げて、それから武器として扱う。どう考えても単身で戦うにあたって便利な破壊魔法ではない。

 チータとニトロが自分に手出しできない現状だから、遊ぶようにして大味な魔法での攻めを楽しんでいる。


「いいから言え。覚えたか?」

「ゆ……ユースティーツ・シュヴェアート?」

「よし、それでいい。

 "名付けた"からな。大事にしろよ、お前の魔法だ」


「さあ、今度は4つじゃ……!

 凌いでみせい!」

「さあ来た来た、頑張れよ、フォローはしてやるからな」

「く……っ!」


 ナナリーが胸の前で両手を交差させるように振り抜けば、荒れる竜巻は二人に向けて進軍する。

 二手に分かれたニトロとチータ。ニトロに向かう竜巻の一つを打ち消すチータ、自分に迫る竜巻からは逃げ回りながらだ。

 残った一つの竜巻から駆け逃げるニトロへ、ナナリーは風の刃を投げ放ってくる。

 加速して跳んでかわしたニトロだが、回り込むようにニトロの側面から迫る竜巻から、ニトロは素早いバックステップで逃れる。


 そこにも風の刃を飛ばされて、かがんでかわす時間を取られる。竜巻は目と鼻の先。

 離れた場所からチータがその竜巻を消し飛ばす魔力を発してくれたが、再び駆け出してそれから離れる脚を使ったニトロは、現時点でもかなり体力を使わされている。

 長い間、処刑台に拘束されっぱなしで体も硬いはずなのだ。砂塵も舞い散り空気のよくない中、本来の体力を発揮できないニトロの息は、早くも上がり始めている。


「あまり引っ張るとニトロが先に潰れるな……勝負を急いだ方がよさそうだ」

「はぁ……はぁっ……!」


「そぅら、次が待っておるぞ……!

 貴様ら、いつまで持ち堪えられるかのう!」


 挟み撃ちするように前後から自らに迫る竜巻に、両方へ掌と杖を向ける形から、振り上げ降ろす挙動と同時に魔力を発したチータは、自分に対して迫っていた脅威を消し飛ばす。

 だが、ナナリーは既に新しい竜巻を作り始めている。今度は5つだ。

 一度ごとに数を増やして遊ぶつもりなのだろうか。チータはともかく、ニトロにとっては苦しい展開になる。


「頑張れよ、ニトロ。この国を救えるのは、エレムの僕達じゃない」


 離れた位置のニトロには聞こえない小さな声。チータが小さく呟いたその一言がすべてだ。

 勝利の鍵はニトロにある。チータやユースがいかにセプトリア王国に思い入れを強めても、ニトロのそれを上回ることは絶対に無い。

 魔法とは精神力を具現化したものだ。かつてない窮地に陥れられたセプトリア王国を救う"魔法"がこの世界にあるのなら、誰よりもその国を愛した者の精神こそ、その魔法の礎に相応しいはず。

 チータの切り札はニトロだ。どんなに自信があったって、自分の魔法なんかじゃない。


「失せい、反逆者ども!」


 ナナリーが差し向ける竜巻から、チータとニトロが逃げ回る時間の再開だ。

 同じ事の繰り返し、敵の攻撃は苛烈になる一方、一見じり貧以外の何物でもない光景。

 そんな中で心身ともに苦しげなニトロに反し、チータははっきりと勝利への道筋を見据え始めていた。











 場所は同じくして中央広場、ただし大きな断頭台に隔てられ、チータ達とは別の一角。

 竜巻に荒らされた広場大半区画の弊害で、降りしきる砂で粉塵にまみれた戦場で、二人の強者は砂塵も意に介さぬ激戦を繰り広げていた。

 短刀ふたつを武器とするカイザーと、両手握りの騎士剣を相棒とするユースは、開戦から5分も経たぬうちに、既に百度の金属音を鳴らしたのではないかと思えるほど打ち合っている。


「くそ……! 入らない……!」

「…………」


 けさ斬り、突き、薙ぎ、振り上げ、どのユースの攻撃もカイザーには入らない。

 尺が短く小回りの利く短刀、それを両手に握るカイザーの守備力は実に安定している。

 上記の様々な斬撃や突きを連続に重ね、フェイントまで混ぜて三連撃を放ったユースの攻撃すら、がきがきと短刀で受けてははじき、ものによっては身をひねってかわす身の捌きをカイザーが見せてくる。


 攻めたユースと攻撃を回避したカイザーの間が合えば、今度はカイザーが回し蹴りでユースの顎を蹴飛ばす一撃を放ってくる。

 前のめりだったはずの体を、後方に引いてかわすユースも動きがいい。

 続けざまにカイザーが二本の短刀を振り抜いて、連続斬りを放ってくるが、それもユースは剣で受けはじきながら後方に逃れる。

 逃がすまいと前進してさらに攻め込んでくるカイザーの短刀は、ユースの喉を、腕を、胸を狙う、あらゆる角度から向かうが、多角度から迫る刃を剣ではじきつつ、体をねじってでもユースは凌いでいる。


 カイザーの右手の短刀を上方に叩き上げ、左手の短刀をしゃがんで避けた直後、低姿勢から剣を振り上げたユースの一撃も、深追いを断じたカイザーは後方に跳んで回避だ。

 刃が互いの肌にすれすれで通過する瞬間が何度もあった。それでいて両者無傷である。

 距離を取り合った二人が、ふうっと息を一度吐く中、乱れぬ呼吸は体力に秀でた両者のフィジカルを象徴していると言えよう。


「……育ちがいいな」

「話しかけてくるな……!」

「嫌われたものだ」

「好かれてるとでも思ってんのか……!」


 構えて対峙する両者は、怒りに燃えるユースの眼と、冷徹に鋭いカイザーで対照的だ。

 ユースには焦りがある。断頭台に隔てられた向こう側では、ニトロ達がナナリーと戦っている。砂塵や竜巻の存在からもわかりきっている。

 一秒でも早くカイザーを仕留めて、そちらに駆けつけたい想いがあるはずだ。


 しかし、それは言い換えれば集中力を欠いた状態である。

 その上で、今のユースを仕留めきれていない現実がカイザーには重い。

 100%自分に意識が向いていない相手を仕留められないということは、100%意識がこちらに傾いた時、上積みによって押し切られる可能性というものをカイザーは意識せざるを得ない。


 だが、カイザーも熟練の戦闘傭兵だ。

 それを劣勢と捉え、しかし好機に変える手段も持ち合わせている。

 挑発的な静かな声は、若く鋭気に満ちたユースを揺さぶり、相手の精神状態を書き変えるために発せられたもの。

 ユースを仕留めることが最優先任務であるカイザーは、今の意識では自分を倒せないと改めたユースが、100%の本気で自分に迫ることを誘発させようとしているのだ。


「……底を見せてみろ、騎士。

 余所見をしたままで討ち取れるほど、俺の命は安いものではないぞ」

「…………」


 ユースの剣術は"正道"だ。

 基本に忠実で素直、純粋な手腕のみで勝利への道筋を辿るものであり、良くも悪くも戦いの勝敗が、己と敵の力量差に強く依存する。

 環境の変化、まぐれ当たりなどには滅法強く、勝てる相手には何度戦っても勝てる類の剣術だ。

 これをここまでのしばらくで討ち取れなかったカイザーには、純粋な力比べで立ち向かうのが厳しい相手だと判断が下しやすい。


 ならば邪道。切り札はある。

 ユースの意識がはっきりと己に向くなら、それでこそ突ける隙というものがある。

 短刀を握る手、その親指で柄を軽くこすっているカイザーは、ユースの眼差しを睨みつけて放さない。


「……………………はあっ」


 大きく息を吸ったユースが、大きく息を吐いた。

 気の持ちようを変えたのだろう。若過ぎて、素直すぎて、隠されていなくて、わかりやすい。

 チータやニトロのことを一度頭から締め出して、カイザーのみに集中しようと決めたユースの心模様が、いとも簡単にカイザーには読み取れた。


「かかって来い……!」


 とどめの一言だ。一騎打ちの空気を決定付ける発言。

 それに応じるかの如くユースが駆けだし、短刀を構えるカイザーは、素早く勝利への手筈を練り上げる。


 剣を振り上げたユースは、振り上げた時間が飛んだかと思うほど振り下ろしが速い。

 カイザーの体を真っ二つにする勢いの強撃振り下ろしを、カイザーは身をひねる形で回避する。

 振り下ろされたユースの剣は、地にまで落ちる勢いだったはずのところから、膝の高さからV字を描くようにしてカイザーを追ってくる。

 交差させた短刀で受けるカイザーは、重々しい金属音を鳴らして一度後退だ。


 地に足を着けた直後のカイザーに即時接近するユースだが、全身を回転させて回し蹴りを放つカイザーの一撃が、ユースの側頭部を狙っている。

 かがんでかわすユース、同時に振り抜く剣、狙いはカイザーの軸足。

 蹴りをはずすと同時に跳んでいたカイザーにそれはかわされるが、自分から放れた左方へと逃れたカイザーへと素早く地を蹴るユースは、着地前のカイザーに追いつくのではないかという勢いだ。


「はあっ!」


 カイザーの体勢が整う前、一瞬でも早く刃を届かせんとしたユースの全力突きを、カイザーは全力で振り上げる両短刀にて叩き上げようとする。

 足の先がぎりぎり地に着いたとはいえ、踏ん張りの利いていない対応だ。

 ユースの剣を叩き上げるに際して両手を振り上げたカイザーのボディはがら空きで、剣を上方にはじかれたとは言え、ユースが次の斬撃を放つまでの方が速いはず。


「うが……!?」


 ここまで攻められ、ユースが勝利を確信し得る状況を立ててこそ、カイザーの"邪道"は最高の形で不意を突く。

 マフラーに覆われたままのカイザーの口、その口を隠したマフラーの部分から、まるで血を噴き出したように大量の毒々しい液体が発射されたのだ。

 赤い毒霧とでも言うべきそれを、真正面から顔いっぱいに受けたユースは、目潰しをくらう形で攻め手を中断させられる。


「貰った……!」

「くっ、ぐっ……!」


 咄嗟に両目を閉じていたユースだが、視界ゼロのユースへとカイザーが右の短刀を振り下ろす。

 それ自体は嫌な予感に大きく後方跳びしたユースによってかわされたが、すかさず前進するカイザーはここで決める勢いだ。

 苦し紛れに剣を振り抜いたユースの抵抗も難なくかわし、一気に敵との距離を詰めていく。

 顔や目の回りをを拭う暇もないユースに向け、左の短刀で喉を掻っ捌く一撃だ。


「ん゛ん、っ……!」

「ぬぐ……!?」


 ぎりぎりのところで薄く目を開けられたユースが、狭い視界の中からなんとかカイザーの短刀を目で追い、盾を装備した左腕を大振りにする形で短刀を殴り返した。

 さらにユースが続いて選んだのは前進だ。思いっきりカイザーの胴元に組み付くようにして、ぶつかって相手の息を詰まらせると同時、力強く二歩三歩押し込んでいく。

 それも短く、カイザーが体勢を整えるより早く、相手の胸を剣を持たない左手で強く突き放すと、さらには後方へと大きく跳んで逃げの一手。

 離れられる前にカイザーが急いで振り下ろした短刀もそれで回避して、ようやく一秒近くの猶予を得たユースが、左手で目の周りをぎゅうっと一度拭うことが出来た。


「効いたようだな……!」

「く、そ……!」


 もう不要になったマフラーを脱ぎ捨てたカイザーだが、地面に落ちたマフラーから乾いた音が小さく響いた。

 あのマフラーの中には、目潰しの霧を吹く小さな器具が隠されていたのだ。

 有事の際のみ、布の塊にしか見えぬマフラーの隙間から霧を吹く。その隠し玉装置によって、片目に赤い霧が入ったか、ユースの左目は開きが小さい。片目の視界が赤くぼやけている。


 好機と見たカイザーの急接近にも、片目が万全に機能しないユースは、距離感に自信を持てず構えが遅れる。

 二刀を操るカイザーが猛攻に移れば、手数も多く凄まじい。振り下ろしに突き、振り抜きにひねり上げ、あるいはそれらのうち二つを同時に放つ攻撃の数々を、ユースは受けに回るしかない。

 頭上から来た短刀を剣で止めつつ、続けざまに来た斬りつけを盾ではじき、さらには自分をXの形に切り分けるような短刀二本の交差斬りを、反撃できずに後退する積極的な動きしか出来ない。

 明らかに動きが落ちている。


「くが……っ!?」


 ユースの横っ腹を蹴り抜くミドルキックをカイザーが放った。

 かろうじて盾でそれを防いだユースだが、押し込まれた重みはユースの腕を胴まで押し込み、ボディを貫くダメージと共にユースを押し出す。

 硬い盾に脚をぶつけたカイザーも眉を動かすが、ズボンの下の装具で脚へのダメージが緩衝されているカイザーに大きなダメージはない。


「はぁはぁ……っ、がっ……!」

「ぬうぅ……!」


 息が詰まるようなダメージに表情を歪めつつ、ユースの反撃の刃が追撃に迫るカイザーへと差し向けられる。

 かがんでかわしたカイザーがユースの顔を斜めに切り裂く短刀を振り抜くが、盾でそれを打ち下ろすユースは、すぐにカイザーの頭を両断する剣を振り下ろしている。

 受けられない。身を横に逃してカイザーはかわすしかない。

 それに際して振り抜いた逆手の短刀も、油断のないユースは最低限の身の後方逃しで避けている。


 続くはユースの斜め斬り、カイザーは両の短刀で打ち返し。

 蹴りを放とうとした矢先、はじいたはずの剣が、全身回転させながらのユースの動きによりまた向かってくる。

 やむなく離れる方向へと跳んで逃げたカイザーだが、詰め寄ってくるユースの突きを、交差させた短刀のかち上げで凌ぐしかない。

 振り上げる形になった剣をユースが、両手持ちにして振り下ろしてくる一撃も速く、カイザーは身を横に逃してかわすのみ。

 返す刃の短刀はユースの後退によりかわされ、振り上げざまに逆けさ斬りの剣を放つユースの動きには、カイザーもまた距離を作って逃れるしかない。


 吐きそうな息を止めつつユースが攻め気を見せるのは、カイザーに攻めのリズムを作らせるとまずい、ここだけは攻めなきゃいけないと正しく判断しているからだ。

 ダメージの残る苦悶を踏み越えて、流れや勢いを譲るまいと的確な攻めを返してくるユースには、カイザーの冷徹な表情も熱を帯びてくる。

 優等生の剣筋にしてこの勝負強さ、長いカイザーの戦歴の中でも、ここまで"兼ね備えた"タイプは指の数にも満たない。


「……ハアッ!」


 豪快な回し蹴りを気合と共に放つカイザーの気迫は、身を逸らして顎の危機を逸したユースの肌を痺れさせる。

 怯まず剣を握る手に力を込め、振り抜くユースの一撃は、カイザーの軸足へと差し迫っている。

 その場で跳んで逃れたカイザーは、軌道を高くした放物線により、ユースからさほど離れぬ位置への着地の動き。

 ユースからすれば、その着地の瞬間を狙う絶好の機会である。


 接近して突きを放つユースの剣先は、はっきりと着地寸前のカイザーに届く速さだ。

 ここが勝負だ。カイザーの右手は剛腕すべての力を込め、勢いよく振り上げられた。

 着地寸前の浮いた体でユースの剣をたたき上げたカイザーは、肘で地面に落ちるのではないかというほどに大勢を崩し、一方ユースも剣を振り上げさせられて胴ががら空き。

 それでも大勢の差が大き過ぎる。隙だらけのカイザーを切り伏せるのは容易なはず。


「死ね……!」

「!?」


 超低姿勢のまま、左手の短刀の先をユースの胸元に向けたカイザーが、柄を握る指先をこすり合わせた。

 隠されたスイッチがそれによって起動した短刀は、刃の部分だけをユースの胸元へ、矢のような勢いで発射する。

 直後、胸元に激突したそれに吹き飛ばされるように、上体を逸らせて後退するユースの姿は、暗器短刀の刃で胸を貫かれて倒れるユースを想像するには充分だ。


「ならぬか……!」

「あ……っ、ぶねえ……!」


 いや、金属音が鳴っていた。引き上げた盾が間に合っていたのだ。

 大勢を整えて立ち上がり、刃を失った短刀の柄のみを投げ捨てるとともに、カイザーは腰の鞘に収めていたもう一本の短刀を抜く。

 既に二本も短刀を手にして戦っていたカイザーが、腰に短刀を提げている必要は無かったはず。

 それを見逃していなかったユース、その心の隅に引っ掛かっていた違和感が、カイザーの短刀に仕込まれた仕掛けに一瞬早く気付けたきっかけになったのだろうか。


「騎士めが……!」

「来いよ、この野郎……っ!」


 小細工はここまでか、急接近するカイザーの連続斬りを、ユースは剣で打ちはじく。

 先程までとはさらに勢いを増す、一秒間に二度三度の斬りつけだ。突きを無くした斬撃の偏重。

 手数を増やしたカイザーの攻めは、ユースに反撃の機会を与えず、がきがきと打ち鳴らされる刃の重ね音だけを何度も響かせる。

 離れた場所で戦っているナナリーの魔法の激しい音も、今ここの二人の耳には入らない。


「ここだ……!」


 ユースがようやく反撃の剣を振り下ろしたその時、その声を発したのはカイザーの方。

 力強いユースの両手持ちの剣、それを真っ向から受け止めることをここまで嫌ってきたカイザーが、交差させた短刀の交点でがっちりと受け止めた。

 互いの手が痺れる、手元が厳しいのはカイザーの方、だからここまでは避けてきた受け方。

 それでもここが最後の好機。ここが勝負所だ。


「くぁ……!?」

「かあっ!」


 渾身の力でユースの剣を上方に押し返したカイザーは、よろめくユースの首を打ち抜く回し蹴りを放った。

 踵で首を横殴りにする決定打の一撃へ。

 当たれば勝利、しかしユースにとっては上体をさらに逸らしてかわすのも容易な一撃のはず。


「っ……!?」


 振り抜かれる中、カイザーの靴底に仕込まれた小さな刃が飛び出して、踵の先から飛び出している。

 回し蹴りが描く弧、その径を延長する、短くも大きな稼ぎを生み出す刃の発生は、身を逸らしてかわす最低限の動きが身に沁み付いているユースには戦慄もの。

 かろうじてそれをちらりと目に入れられたから、そしてすぐさま逃げの動きを大きく出来るユースだったから最悪を避けられたが、目と鼻の先を白刃が通過する中、過剰に上体を逸らしたユースは後方によろめいてしまう。


 体勢を乱したユースの姿を、絶対にカイザーは見逃すまいと誓っていた。

 回し蹴りを放つ中で回転させていた体を止めず、振り抜いた直後の足を一気に地面へ引き寄せると、それを軸足に変えると同時に逆の足を振り上げる。

 それによって、距離が離れてしまったユースにも届く、逆の足による突き蹴りを放つ形へ移行する。


「はがう゛……っ!?」


 盾は構えた、だがユースの腕力よりもカイザーの脚力の方が強い。

 ユースの腕を腹にまで押し込むカイザーの一撃は、重みを貫通させてユースのあばらをへし折りにかかる。

 凄まじい威力の蹴りはユースを吹き飛ばし、背中から地面へと落ちる彼の姿を作り上げる。


 ここしかあるまい。一気にカイザーは倒れたユースに駆け迫った。

 起き上がろうとするユース、そうだあいつはどんなに苦しくとも立つはず。

 その動きまで全て織り込み済み。すべてに対応する攻め方をカイザーは組み立てきっている。


「っ、らあっ!」

「な……!?」


 カイザーに接近される寸前までに、素早くも中腰にまで至れていたユースの取った行動は、なんとその剣をカイザーに投げつけるというものだった。

 どの想定にも無かった行動に虚を突かれたカイザーは、飛んでくる剣と正面衝突する形にされてしまう。

 それ自体はかろうじて振り上げた両短刀で、はじき上げて逃れたが、前進する足は止められる形になる。


「う゛ああああああっ!!」

「な、に……!?」


 投げつけられた剣に気を取られていたカイザーに、武器を失ったはずのユースが猪突猛進に駆け出した。

 絶叫とともに迫る彼の気迫に押されて身構えるカイザーは、反撃の刃でユースの喉を立つ一撃を放ったが、それはユースの盾によってはじき上げられる。

 この突然のユースの行動に驚かされていたカイザーは、ユースが倒れたあの場所ではなく、少しずれた位置から駆けだしていたことに気付いていただろうか。


 カイザーの刃を退けたユースは、全身全霊の勢いでカイザーに組み付いた。

 抱きつくのとぶつかるのを合わせたような勢い、自分の胸とカイザーの胸をぶつけ合わせる体当たりだ。

 屈強なカイザーの体がそれで倒れることはないが、倒れないがゆえ壁にぶつかるような反動にユースが詰まり声を漏らす中、衝撃を受けたのはカイザーとて同じこと。


「グガ……!?」


 直後、致命的な痛みがカイザーの首の後ろに走った。

 まるでナイフをそこに突き立てられたような、痛みと熱さと、さらには一瞬で気分が悪くなるような、脊髄を傷つけられた体内信号。

 さらには次の瞬間、歯を食いしばって身をよじるユースの手が、ばしゅんとカイザーの首の後ろに決定的な傷を残した。


 何が起こったのかわからず目を白黒させるカイザーだが、胸を離したユースがすぐさまカイザーの顔を左手で押し飛ばし、ふらつかせる。

 その時、カイザーの首の後ろから首の横まで、ばっさりと切り開かれた傷口から、ぶしゃあと真っ赤な血が噴き出した。

 何があったのかをその時ようやく悟ったカイザーは、あっという間に意識を朦朧とさせつつも、傷口を手で覆って体を傾ける。


「み、見誤った、か……

 正当な剣筋のみが強みの、若き才子だと思ったら……」

「はぁ……はぁ……」


 ユースの右手には、柄を失った短刀が握られていた。

 カイザーが、ユースを狙って発射したのち、盾にはじかれて地面に落ちていたものだ。

 カイザーに蹴り飛ばされて倒れたあの瞬間、近くの地面で小さく光っていたそれを見逃さなかったユースは、その時もう素早く決断していたのだろう。

 剣を投げつけカイザーを動揺させ、その間に拾った短刀の刃のみを武器に飛びかかり、それでカイザーの首を傷つけたユースの行動は、確かにカイザーが思っていたユースの騎士像とは違う。


 正道には邪道を。

 移り変わるあらゆる戦況、状況の中、己の培ってきた剣と盾の腕のみで切り抜ける、そんな正道的なユースの剣を打ち破るには、卑怯とでも呼ばれそうなほどの細工で虚を突くのが最善手と見たカイザーだった。

 きっとその認識の誤りが、この勝敗に繋がったのだろう。

 戦場に唐突に転がったはずの武器、カイザーのものであったはずの短刀の欠片さえも糧に変え、何が何でもの勝利を掴みに来たユースの姿は、頭が堅そうな剣筋とも顔とも全く似通わない。

 それを象徴するかのように、柄の無い短刀を握り締めたユースの手、騎士の誇りである騎士剣を握るための大事な手からは、ぽたりぽたりと血が滴っている。


「……見事だ」


 最後の言葉を残したカイザーは、目を剥いて後方へと倒れ、上天を仰いで動かなくなった。

 カイザーの短刀を投げ捨てたユースは、手の痛みを耐えて騎士剣を拾いに行くと、もう一度だけ倒れたカイザーを一瞥する。

 糞野郎め、と侮蔑する目だ。敬意めいた言葉を向けられた程度で、こいつに対する印象が変わるものか。

 ナナリーの肉体を乗っ取ったとされるベリリアルに従い、殺人的な刃を振るう大人なんか、いくら本来ならば敬意を払えるほどの強さがあったとしても、悼む目を最後に向けられようはずもない。


 鮮血を砂にまみれた地面に染み入らせるカイザーを尻目に、ユースは断頭台の向こうへと駆けていく。

 戦いが激化している音ばかりが聞こえるのだ。

 セプトリア王国を陥れんとする邪悪、それに立ち向かわんとするユースに、足を止めるという選択肢はそもそも発想からして無かった。

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