第62話 ~ユース&チータVS獣魔導士~
「くっ、ぐ……かあっ!!」
息苦しさを堪え、腹いっぱいの息を発しての気合とともに、背中を丸めたナナリーが両手を広げた。
その行動に伴って、ナナリーの周囲の大気が一気に渦巻いた。
彼女を中心に渦巻いた大気は、破裂するような勢いで発散し、ナナリーとニトロ近辺の空気を、一度二人のそばから一掃するような空気の流れである。
「ナナリー様、っ……」
「はっ、はあっ……!
脅威は既に、この部屋まで届いておったということか……!」
息切れしながら言うナナリーは、異変の正体に当たりをつけている。
呼吸不全に陥った自分達を鑑みて、取り巻く大気そのものに原因があると察したナナリーは、風の魔法を発動させて、自分達周囲の気体を吹き飛ばしたのだ。
一度その風の流れで部屋の端まで追いやられた気体が、ゆらめき一点へと集まっていく。
今度は見える、煙とも靄とも言える、うっすらと灰色を帯びたような気体が、この部屋の入り口のドアの前へと集まっていく。
まるで、逃げ道を塞ぐように。
ナナリーとニトロが見据える先、ドアの前には不審極まりない気体が一点に凝縮し、より濁りを帯びたような灰色の煙が渦巻いている。
「こ、これは……!?」
「ガスの類の……っ、げほっ、魔物じゃな……!
聞き及んだことはある、斯様な魔物がおるということも……!」
まだ詰まり気味の声を耐えながら問うたニトロの言葉に、より体の弱いナナリーは絞り出すような声で答える。
確かにこうした魔物は稀少ながらも存在する。スモークレイスと名付けられているこの魔物は、火災時に発生する煙の凝縮体のような存在であり、人や動物にまとわりつけば、呼吸を奪って肺を犯し、死に至らしめる恐るべき魔物だ。
火山の最奥地に生息するような魔物であり、空の見える外になど生息例など、世界規模で見てもそう多くない、そんな魔物である。
扉の隙間からでも侵入してきたのであろう、壁の通用しない貫通力は恐るべきものであろう一方、そもそも本来こんな人里に姿を現すはずがないものだ。
狭くない部屋であったのはまだ救いだが、密閉状態のこの部屋、ナナリーとニトロが室外の兵士達と隔離されたこの状況下、小人数でこれと対峙というのは、想定外にして嫌な展開である。
「く、増援を……」
「馬鹿者! この魔物を討つ方法がぬしに導き出せるのか!
討つ手段も持たぬ兵を抗戦に招き寄せたところで、犠牲が増えるだけであろうが!」
「し、しかし……!」
建物内にはセプトリア兵も多数いる。増援を呼ぶのはそう難しいことではない。
だが、剣を抜いて構えてはいるニトロも薄々わかっているとおり、気体の魔物であるスモークレイスには物理的な攻撃は一切通用しない。
目の前、灰色でもくもく凝縮したような姿のスモークレイスの姿は見えるが、これをたとえ剣で斬ったところで何の手応えも得られまい。
「……魔導士も、ハルマも屋外であったな」
「はい……講堂内に侵入してくる魔物を撃退するための、万全の布陣を敷くために……」
こうした核らしき本体を持たぬ魔物は、死霊の類の魔物と同じで霊魂を中心にその気状の体を操っており、その魂を浄化の魔法で昇天させることで討伐するものだと相場が決まっている。
そのためには非物理的な力、すなわち魔法などで凍らせるなり何なりして、活動不能状態に追い込んでからというのが鉄則だ。自由に動けるままのこいつに、浄化の魔法を適用するのは難しい。
そのための、魔法を使えるセプトリア兵というのが、この屋内に殆どいないのが現状だ。
ネズミ一匹この講堂内に入れぬという使命のもと、戦力の殆どは講堂外にて鉄壁の守りを敷いているからである。
確かに侵入者を一切許さなければ、ナナリーはおろか、舞踏会に参加していた人々も守り抜けるのだ。
ハルマが屋外の守りに総力を注ぐのは合理的な判断である。スモークレイスのような姿が見えづらく、どんな壁も隙間も抜けられる魔物が、こんな街中に存在すること自体が想定の外すぎるのだ。
「……妾が何とかするしかあるまい」
「ナナリー様!!」
「なぁに、ミサはよう練習してきたものじゃ。
妾もこの国を守る女王、これぐらいの脅威は自力で退けられねばのう……!」
ナナリーが前に出て、スモークレイスからニトロを守るような立ち位置に代わる。
衛兵のニトロからすれば言語道断の出来事だ。
しかし、スモークレイスに為すすべを閃けぬニトロには、ナナリーよりも前に立つ足が運べない。
気持ちだけは前に出かけているものの、背の低いナナリーの掌がニトロの腰に前から添えられており、それは引っ込んでいろの宣告に他ならない。
動きようのないニトロにしてみれば、主君を守るべき衛兵が主君に守られるという、耐え難いほどの状況だ。
「安心しておれ、ニトロ……!
妾とて、安い覚悟で女王になった身ではないぞ……!」
「ナナリー様、っ……!」
「さあ来い、魔物……! 相手をしてやるぞ!」
スモークレイスがナナリーの声に呼応するかのように、ぶわりと広がり部屋いっぱいを囲い始める。
見えれば明らか、薄まっても灰色の滲み出るスモークレイスの煙に包囲され、ナナリーは魔力を練り上げながら冷や汗を流している。
その後ろ、剣の柄を握り締めた拳を震わせるニトロもまた、広がる煙を目で追っている。
何か出来ることは無いのか、ナナリー様を、女王様を、許婚を守るために出来ることは。
強く答えを求めるニトロの精神に反し、その答えは彼の脳裏にはまだ現れる気配を見せなかった。
こいつらは強い、謙虚抜きにして本当に強い。
ワーフォックスを相手取るユースは、開戦からものの数秒で、敵の実力に対する危機感を高めている。
対するワーフォックスも同様で、ユースを睨みつける目は油断なく鋭く、遊び心の無いその顔が低まらない脅威度を表している。
太い枝のようなものを両手に持ち、その真ん中を持つワーフォックスは、器用にそれをくるくると回しながらステップを踏み続けている。
枝の両端には点火したような火の玉が常に灯っており、ワーフォックスがそれを回せば赤い炎も回転して、手元の周りを炎の環が描かれるかのよう。
そこからワーフォックスは、鬼火のような火の玉を、無尽蔵にユースへと放ってくるのだ。
軌道も様々、大きく弧を描くようにして迫るものもあれば、ほぼ直線軌道でユースへと向かうものもある。速度もそれなり。
前方、真正面から左右から上方から向かってくる鬼火の数々を、ユースは回避しながらワーフォックスへと駆け寄っていく。
細かいステップと姿勢の上下、耳や髪を鬼火がちりつかせる熱さを耐えながら接近するユースの姿にこそ、ワーフォックスも目を鋭くする。
たんたんと足踏みし、ユースから少しずつ距離を稼ぐ動きをしていたワーフォックスだが、それを射程圏内に捉えたユースが剣を薙ぎ払えば、ワーフォックスは大きく後方に跳んで逃げるしかない。
ユースが追撃の力を足に込めようとするが、力強い息吹の如く炎を吐き出したワーフォックスの行動により、ユースは急遽の横っ跳びを強いられる形になる。
ワーフォックスが放射した火炎は、ユースがさっきまでいた地面とさらにその後方までを、大きな扇状の火の海にしてしまう火力だ。
振り返らないユースはぞっとするより先に、遠回り気味にワーフォックスへと再接近。
下方から振り上げた剣は、ワーフォックスの腰から肩までを斬りつける軌道だったが、これもまたワーフォックスは大跳びに退がって逃れる。
回し続ける枝の先端から放つ鬼火も決して止めず、前から襲いかかってくる火の玉の群れに、ユースも身を逃す足取りを求められる。
「ユース!」
チータの呼ぶ声の意味するところはわかっている。
死角気味の斜め後方から、もの凄い音を立てながら巨大な岩石が転がってきているのだ。
自分の背丈と同じぐらいの直径、いびつな球体をした岩の塊が、自分を轢き殺すべくかのごとく迫る音に、ユースは大袈裟なほどの横跳びで逃れる。
ユースがいた場所をそれは轟音と共に転がっていき、ワーフォックスのすぐそばを通過して建物の壁に激突すると、ばかんと割れて中からその岩石を生み出した主が姿を見せる。
「開門、落雷魔法……!」
岩石球体の中から姿を見せたのは、卵の中から現れるかのように、膝を抱えて丸くなっていたウェアラクーン。
岩石片を散らしながら着地したウェアラクーンの斜め上方、チータが生み出した黄色の亀裂が空間に穴を開け、そこから高電圧の稲妻が発射される。
片膝立ち気味に着地したウェアラクーンは、どこから生み出したか一枚の木の葉を手にしており、それを振り抜くと同時に木の葉は唐突に巨大化。
傘のように大きくなったその木の葉で、ばさりとチータの雷撃をはじき返してしまうのだ。
焦げた木の葉を投げ捨てるや否や、ウェアラクーンはまたも両手に木の葉を手にし、まるで手裏剣のようにそれらを投げつける。
岩石を回避して、距離を取るワーフォックスへと再び迫ろうとしていたユースだが、ウェアラクーンが投げた木の葉は空中でやや大きくなり、ユースとワーフォックスの間の地面へ突き刺さる。
それを見受けたワーフォックスが、二枚の木の葉に鬼火をぶつけた途端、それは勢いよく燃え上がってはじけ、路地いっぱいに炎を撒き散らすのだ。
「息の合った連中だ……!」
ワーフォックスが放つ鬼火は、やや距離をおいているチータにも向かっており、それらを回避しながら戦場を駆けるチータにも、好き放題にはさせまいとする。
動きの止まっているウェアラクーンとワーフォックス、それらの足元から突如岩石を隆起させ、顎を突き上げる魔法も発動させているが、術士だけあって魔法による狙撃には勘がいい連中だ。
発動寸前に地を蹴って回避する動きを、ワーフォックスもウェアラクーンも容易に叶えてしまう。
「悪いが邪魔はして欲しくないな……!」
「この……!」
熱気を帯びる戦場だが、残存しているワータイガーやジャッカルも、ユースとチータに襲いかかろうとする。
側面から急接近し、回し蹴り気味にユースの頭を蹴り潰そうとしてきたワータイガー、大口を開いてチータへと背後から飛びかかってきたジャッカル。
かがんでその蹴りをかわし、同時に振り抜く剣をワータイガーの足首に通過させるユースも、自分とジャッカルの間に岩石の壁を召喚するチータも、全く乱入者を問題にしていない。
ワータイガーに一瞬気を取られたユースの隙を逃すまいと、広範囲を焼き払う炎のブレスを発射してくるワーフォックスの方がよほど恐ろしく、高い跳躍と大きな移動で逃れたユースのいた場所が、炎の海と化す。
足を切られて逃げようの無かったワータイガーも一緒に焼かれてしまったが、ワーフォックスは一切顧みない。
支援射撃を持っているのは人間側もそう。
ワーフォックスとウェアラクーンを狙い撃つ、高所あるいは遠距離からの射手や銃士、その矢や銃弾は放たれている。
ユースに火を噴きながらも視野を失っていないワーフォックスは、持ち前の身軽さと反射神経で的確に回避、ウェアラクーンも傘のように大きくした木の葉をばさりと振るい、飛んできた銃弾をはじき飛ばす。
さらには両者とも、枝を持つ右手を振るって鬼火を投げつけ、あるいは手にした掌サイズの木の葉を手裏剣のように飛ばし、自分を狙撃した人間の方へと飛び道具として放ってくる。
これによる死者が発生しなかったのは不幸中の幸いだが、これらを差し向けられた射手も銃士も、火の玉を足に受けた爆撃によって動けなくなるか、弓を握る手を傷つけられて矢を放てなくなる。
ユースもチータも、ワーフォックスもウェアラクーンも、雑兵のささやかな支援など一切問題としない。
燃え盛る戦場の二人と二匹に、その事実が伝わって傍観者が真の傍観者となる中で、決闘者の一体であるウェアラクーンはぴょんと跳ぶ。
空中で膝を抱えて丸くなる、その周囲に突然、岩石のつぶてが多数生じ、あっという間にウェアラクーンへと集って大きな岩の塊となる。
「ユース、来るぞ!」
「わかってる……!」
径の大きないびつな岩石球体は、巨人に殴り飛ばされるかのような急加速を得て、ユースの方へと一直線。
轢き殺すための突撃に、ユースは大きく前に跳び、ワーフォックスへの接近と岩石回避を兼ねた動き。
危機感を覚えたワーフォックスも後ろ跳びして、ユースから距離を保とうとする。
「くが……っ!?」
ばこん、と岩石の砕け散る音が背後から聞こえるや否や、岩石のつぶてがユースの背中にがすりとぶつかった。
そのまま通り過ぎず、ユースのいた位置で岩石の殻を砕いたウェアラクーンにより、破裂した球体岩石の破片がユースの位置まで飛んできたのだ。
骨が鳴るかと思えるような痛みにユースの体勢が崩れるが、前後からユースを挟む布陣となったワーフォックスとウェアラクーンは、既に両手から武器を放つ構えに入っている。
「開門、火柱魔法……!」
ウェアラクーンはユースの背後から、掌サイズの木の葉手裏剣を二枚投げ。
ワーフォックスは両先端が燃える両手の枝より、ユースの正面から無数に襲いかかる火球の一斉放射。
チータの詠唱と魔力が叶えたのは、ユースの前後に大きな火柱を生み出して、彼の背中か腕を斬りつけていたであろう木の葉を焼き尽くし、鬼火を飲む込む両構えのユースを守る魔法。
ユースも直感的な危機感によって右に跳んでいたが、チータのそれがなかったら無傷とはいかなかっただろう。
それをしながら既にチータは動いている。
目指すポジションへと駆けながら、彼の杖先には既にばちばちと火花を散らすほどの魔力が集められている。
「開門! 落雷魔法陣!」
ウェアラクーンとワーフォックスを一直線上に貫ける位置に到達した瞬間、詠唱を発したチータの突き出した杖先の前、宙にびしりと開いた大きな亀裂、空間上の裂け目。
そこから発せられる光り輝く極太の光線は、人なりの背丈と体格を持つワーフォックスやウェアラクーンを呑み込めるほどの直径だ。
本能的に命の危機を感じたのか、右に跳んだウェアラクーン、左に跳んだワーフォックスは回避してみせたが、二体を貫けずに建物の壁に激突したチータの雷撃光線は、着弾点にて大爆発を起こすほどの破壊力。
「背後は任せろ、お前は決めてこい!」
「っ、ぐ……!」
詠唱代わりに叫んだチータはウェアラクーンの斜め上方に空間の亀裂を生じさせ、頭を稲妻で撃ち抜く落雷魔法を発動させている。
大きな木の葉でそれを払い飛ばし、さらにはそれをチータに投げつけてくるウェアラクーン。
チータもそれの回避に地面を蹴らねばならないが、チータへの対応に手を割いたウェアラクーンは今、ユースに対して手を割けない短時間がある。
チータの生み出した火柱が消えた向こう側、ワーフォックスの姿を目にしたユースは、岩石を受けて痛む背中を無視して前進する。
ワーフォックスも絶え間なく放つ火の玉でユースを迎え撃つ。ステップを踏んでユースから距離を稼ぎつつ、前方あらゆる角度からユースに鬼火を迫らせる。
かがんでくぐり、ジグザグに走り、脚元狙いの火の玉を低い跳躍でかわし、傷ついた体に響く痛みを閉じかけた片目に表しながらも、ここが勝負と決めたユースの前進速度は衰えない。
ワーフォックスに届く距離まで近付いた瞬間、ユースの薙ぎ払う剣は振り抜かれている。
大きく後方へと跳んだワーフォックスは、既に口に魔力を集めている。火炎放射によりユースに回避を取らせ、その隙にまた距離を稼ぐ手筈だろう。
そう、ここが勝負所。
「英雄の双腕!!」
ワーフォックスが凄まじい勢いの炎を放射したのと、ユースが叫んだのがほぼ同時だった。
セプトリア兵から借りてきた鋼の小盾を前に構え、最大の相棒とも呼べる魔法の名を口にしたユースの魔力は、盾を起点に大きな傘状の防御の魔力を纏っている。
それを自分の目の前に構え、ワーフォックスの吐く炎を防ぐ形にしたユースは前へと突き進む。
盾が纏った傘状の魔力は、ユースや彼の後方までをも焼き払おうとする炎を退け、突撃するユースの左右が燃え広がる炎に呑み込まれていく結果を導いた。
吐いた炎で目の前がいっぱいになっているワーフォックスが、まさかその炎を突っ切ってくる人間が、真正面から襲いかかってくるとは思うまい。
盾を構えたまま突進したユースは、構えたままの盾がワーフォックスの顔面にぶち当たるまで止まらなかった。
鋼の盾に、鼻先をぶん殴られる形になったワーフォックスは、目の前に星が飛ぶ中で上を向き、上半身をのけ反らせる。
吐き出す炎が突然途絶えた今、ワーフォックスのすぐ前には、盾を腕に装備した左手も含め、両手で剣の柄を握るユースがいる。
「ユースっ!」
隙だらけのワーフォックスの、左腰から右肩までを斜めにばっさり両断する剣を振り上げるだけでよかったユースだが、まさに決着のこの場面において、なお油断しなかったのは成長の賜物か。
チータが大きく叫ぶ前から気付いていたのか、ユースはその剣を素早く振り上げて、ワーフォックスの左肩から右の腰までを大きく切り落とす剣の軌道を描いていた。
低姿勢で自分の右側に剣を持つ体勢からでは、即座に振り上げるよりも無駄がある動きである。
剣を振り下ろすまま、一気に膝を曲げて頭を下げ、跪くほどの低姿勢となったユースの頭上を、大きな木の葉が風切り音と共に通過していったのだ。
ワーフォックスの危機を見受け、ユースを背後から仕留めようと、木の葉の手裏剣を投げつけたウェアラクーンの攻撃は、ワーフォックスを斬りつけると共に頭を下げたユースにより回避されたのである。
深い傷、それにそって体が上下二つに分かれそうなほどのワーフォックス、返り血も凄まじくユースも目に入らないよう片目を閉じて首を引いている。
これでもすぐには死なない可能性があるのが魔物というやつだ。ぐらりと後方に傾くワーフォックスだが、ユースはさらに前へと一歩踏み出して、振り下ろしたばかりの剣を勢いよく振り上げた。
ワーフォックスの股下から胸部までを切り開く強烈な斬撃は、後ろに傾いていたワーフォックスにさらなる押し出し、その背が地面に着くより早く、枝を手にしていたワーフォックスの手から力が失われる。
どさりと重い音と共に倒れたワーフォックスの傍ら、火を失った枝もまた、からんからんと石畳の上に転がった。
ぴくりとも動かなくなったワーフォックスが、命を失ったことは明白である。
「っ、ぐうっ……!」
今度はチータもユースの名を呼ばなかった。
再び岩石を纏い、転がり突撃していくウェアラクーンの行動を、ユースが既に振り返って見ていたから。
自分を轢き殺さんと突撃するウェアラクーン包みの岩石球体を、なんとかユースは後方大跳び気味に回避して、ユースを仕留められなかったウェアラクーンが通り過ぎてすぐの地点で岩石を砕く。
飛散する岩石がユースに降りかかるが、見えている範囲だからユースもまだかわしが利く。離れる方向に跳びつつ、自分に向かってくるものだけを英雄の双腕の魔力を纏った盾で殴り飛ばす。
「開門、落雷魔法陣!」
ウェアラクーンの、岩石を纏って突撃するあの攻撃だが、何気に攻防一体で隙の無い魔法である。
突撃中の岩石に身を包んでいる間は言わずもがなだし、だったらあれを砕いた直後、術者にも周りの状況を把握するまでほんの少し時間がかかる中、その瞬間を狙い撃つのが常套手段。
しかしその瞬間も、岩石を飛び散らせるその都合上、矢や銃弾、魔法で狙い撃とうにも障害物が多い。
結果的にあの魔法は、岩石を砕いて外気に触れる瞬間に生じる最大の隙も、飛散岩石によってカバーしているという出来なのである。
そんな攻防一体の技持ちであるウェアラクーンを、きっちり仕留めるにはどうすればいいか。
話は簡単、飛散岩石をものともしないような、威力重視の大味砲撃で、岩石の殻を破った直後で動きの止まった瞬間を狙えばいい。
そのためにチータが選んだのが、ウェアラクーンをまるまる呑み込むほどの径を持つ、稲妻砲撃の魔法である。
しかしウェアラクーンも、そう来られた時が最大の危機だと知っているのだろう。
わかっていたかのように、既に木の葉を手にしていたウェアラクーンは、それを瞬時に巨大化させ、大きな盾か壁のようにしてチータの稲妻砲撃を阻んだ。
ウェアラクーンが自分の目の前、チータとの間に放った木の葉の盾は、雷撃の直撃を受けた瞬間に凄まじい光を放つ。
激突点からチータの魔力が火花を散らし、落雷が啼くような轟音がその場に鳴き続け、チータの魔法の威力を物語る。それを食い止める、ウェアラクーンの木の葉に込められた魔力の強さもだ。
「お疲れだ。相手が悪かったな」
それに完全に意識を割いたウェアラクーンだが、どう足掻いても行動の速かったユースに対応する暇を得られなかった。
振り向き、ユースの位置を確かめたその瞬間には、もう逃れようのない距離までユースが近付いている。
地を蹴ろうとした動きも間に合わず、ユースが振り上げた剣がウェアラクーンの腹を縦にかっさばき、逃げる方向に移動しかけていたウェアラクーンは、致命傷を受けながらその方向へとふらつくような足取りだ。
チータの発した雷撃が消え、戦場を輝かせていた光が途絶えた時、手傷を負ったウェアラクーンにユースが一歩踏み出している。
そんな中でも歯を食いしばり、人の骨肉を割く木の葉を手にしていたウェアラクーンだが間に合わない。
ユースの振り下ろした剣はウェアラクーンの頭を割り、それに呻き声をあげたウェアラクーンは、全身から力を失って、後方に跳んだユースの目の前で、膝から崩れ落ちて前のめりに倒れた。
「ふうっ、何とかなったな」
ハフトの都で戦った魔導士、デイビスよりもよほど手応えのある魔導士と言えて、しかも魔物ゆえ身体能力もデイビス以上。ワーフォックスもウェアラクーンもそうだった。
流石のチータも撃破したことに多少の達成感を覚えながら、ユースの方へと素早く駆け寄っていく。
魔物二体はもう完全に、二度と動かない状態になっているが、それでも油断せずに距離を取って息を整えるユースのそばにつき、体勢をきっちりと整える構えである。
「はあ、っ……! チータ、助かった……!」
「お前の方がクレバーな戦い方が出来ていて癪に障った。
お前を守るためにスマートさを犠牲にしたんだぞ、感謝しろ」
「何言ってるか全然わかんねぇ」
チータの偏屈なこだわりはユースにはよくわからない。
その辺りは、生きて帰れたらまた後で聞けばいい話なので、やや無視気味にユースは視線を敵の方へと向ける。
火の手の上がっている周囲に寄り付く魔物は見当たらず、ユースが睨み付ける対象は、クリアな視界前方にはっきりと見据えられる状態にある。
「お見事、お見事。
この日のために用意したとっておきが、こうもあっさり討ち取られるとは感服だ」
ヘビーハウンドの上に座る笑顔の神父服、リープは相も変わらずの笑顔で手を鳴らしていた。
とっておきがやられたと口にしながらあの余裕、そろそろ温厚なユースも機嫌よく見ていられない。
挑発の得意なタイプだ。人を小馬鹿にしたようなあの笑顔と声、意図せねば出せないのではないだろうか。
だが、今そんなリープの揺さぶりに集中力を奪われていい状況ではない。今は尚更だ。
ユース達が、ワーフォックスらと戦っている間にであろうが、敵の数が増えている。
獣に跨るリープの隣に、実に体格のいい男が一人立っているのだ。
「あれがエレムの騎士様、だそうだ。
若いが、お前もそう侮ってかかれる相手ではないのではないかな」
「…………」
それは魔物を使役し、自分の力では戦う姿を見せないリープと比べれば対極的で、見るからに接近戦に秀でた実力の持ち主だとわかる。
高い背丈に、筋肉の詰まった太い四肢。魔物たるワータイガーと比較しても、遜色あるまい体格だ。
苔むして薄汚れた黒の鎧を身に纏い、腕を組んでこちらを眺めている目は、決して当人は特別な目を作っているわけではないのに、武人の風格を以ってユースの肌をぴりぴりさせる。
腰の下げた鞘収めの剣も、鞘のサイズを見ただけで、ユースやシリカが扱う騎士剣より太く、重いものであるのが見て取れる。それを扱える腕とわかる時点で、武器から筋力が読み取れるというものだ。
ぼさぼさ頭で無精髭、先述のとおり鎧も汚らしく、身なりがいいとはお世辞にも言い難い。その人物が左腕に装備する青銅の盾も、色を失いすっかり黒ずんでいる。
装備は傭兵、身だしなみは山賊とさえ言えよう風体だ。
だが、その眼光と佇まいが放つ風格は、ユースにいずれとも異なる称号を想起させ、離れた位置にいながら既に剣を構えずにいられない心境にさせている。
あんな風貌で、歴戦の騎士を思わせるような気質を纏う人間を、ユースは殆ど見たことがない。
単に強いだけでなく、僅かなれど気高さを感じるのだ。祖国の、先輩騎士にも少し通じるような。僅かだが。
「……あれは、この場で討ち取ってもいい相手なのか?」
「ん、構わんぞ?
見世物としては百点だが、邪魔者としても百点の連中だからな」
「ひとつ、手合わせして行っても構わんか」
「ほう、興味が沸いたか?
別に構わんが、返り討ちだけは勘弁してくれよ」
「……善処する」
リープといくつかの確認事項を交わしたその男は、一歩、ユース達の方へと歩を進めた。
嫌な展開だ、とチータは思った。戦いたくない相手だと思ったからだ。
ユースが察しているのと同様に、チータもあのみすぼらしい風体の男が、身なりとは不釣合いなほどの実力者であると、戦いに慣れた勘から察している。
「ユース、万全で戦える体か?」
「大丈夫……影響が出るぐらいのダメージじゃなかったと思う」
「そうか」
チータがユースのことを心配する発言をするのはかなり珍しいことだ。
案外この友人を気にかけているチータだが、それを口にすることは稀である。そういう関係というだけだが。
そんなチータが、この期に及んで珍しい問いかけをしたのは何故か。
ユースのコンディションが万全でなければ、あれを真っ向から迎え撃つのは得策ではないと、そう判断できるだけの実力を敵から感じるからだ。
「――アルバー帝国皇帝近衛兵、ベスタ=オリンピス」
その名を口にしたのは他ならぬ当人だ。
ユース達に数歩近付き、鞘から剣を抜いたその男は、かつての肩書きを口にして、剣の切っ先をユース達に向ける。
「貴様らの名は」
「……エレム王国騎士団、騎士ユーステット=クロニクス!」
「魔導士、チータ=マイン=サルファード」
ユースは誇り高き騎士団の名を掲げ、肩書きの多いチータは魔導士の称号のみを名乗る。
二人とも、敬う相手にも充分に名乗れるレベルの名乗り方を選んでいる。
ベスタと名乗ったその男は、若くとも実力者達の世界に名を連ねる二人が、張った声で我が名を唱えられるほど重鎮たるオーラを発している。
「騎士と、魔導士か。不足なし……!」
重い鎧の関節部分をがこんと鳴らし、ベスタは剣を重々しく構えた。
音も重いが構えも重い。武人の魂を目に宿したベスタの正面姿は、先程までの静かなる獅子の風格とはうって変わり、触れれば必殺の刃を持つ、肉食獣のような殺気を纏う。
ユースとチータの全身が粟立ち、痺れるような感覚に肌を震わせるほど、ベスタの闘気は凄まじい。
「行くぞ……!」
大柄な剣士が突き進んでくる光景はそれだけで迫力がある。
地を蹴り迫ってくるベスタを前にしたユースは、まずそれに呑まれて体を縛られぬよう、息を止めて己に奮起を促すことで戦いの幕開けを迎えていた。




