第61話 ~怨敵との邂逅~
「ぐが……!」
素早い動きでセプトリア兵の振るう剣をかわしながら、拳を振り抜いてくるワータイガーの動きは、人に例えるならまるで格闘家のよう。
自分よりもひと回り大きいワータイガーに、胸を殴られたセプトリア兵は、跳び退いて敵の攻撃を回避しようとしたのが間に合わぬ形で、大きく吹き飛ばされる形で地面に倒れた。
胸当てを装備した胸を殴られて、胸骨がひび入るほどの強烈な一撃だ。仰向けに倒れたその兵士はもう
立てない。
「ちくしょうめ……!」
「撃てえっ! あいつを殺らせるな!」
ワータイガーの厄介なところは利口さにあり、人間の飛び道具を理解しているところだ。
殴り飛ばして倒した人間に追撃しようとしたところ、飛来する矢や銃弾を後方に跳んで回避し、金属製の胸当てを殴った手を、手首から先だけ軽く振っている。金属を殴って痛かったらしいが、折れてもいないらしい。
敵の一兵を無力化できたことにひとまずの満足を覚え、深入りして命を奪われる展開を回避する、そんな慎重さを併せ持っているのだ。
あわや殺されるところだった仲間を一時守れた狙撃兵ではあるが、こちら一兵を削がれて向こうには手傷一つ負わせられていないというのは痛い。
こんな魔物、武装した人間とも渡り合える魔物のワータイガーが、今は山ほど王都内で暴れ回っているのだ。
強い方の兵ならまだしも、若い兵にとっては強敵すぎる。
経験と手腕でワータイガーを仕留められた隊も、王都全体で言えば少なくないが、兵質の層が薄い場所にて暴れるワータイガー数匹は、人類を押し切って勢いよく進撃するばかり。
一対一でワータイガーを凌げるだけの兵がいて、それを軸に団結することがこの苦境を打開する一番の近道。
セプトリア王都の南部の一角、とりわけ兵力に欠ける区画であり、よりにもよってやや多いワータイガーに迫られるこの場所は、勝因に欠く極めて危機的な状況に置かれていた。
「グ……!?」
そこに訪れた、激変の予兆を初めに感じ取ったのは人間側ではない。
それを正面に見据えるワータイガーの一体が、息を切らしたセプトリア兵らの向こうから、目立つほど果敢に駆け迫ってくる男の姿を目にしていた。
魔物達に押し込まれ、闘志を失うまいと努めていた兵士達と異なり、浮くほどの鋭気に満ちたその姿には、ワータイガー達も身構える。
「!? ユースど……」
自分達の背後から矢のような速度で駆け抜け、セプトリア兵の壁を抜き去っていったユースの後ろ姿を、兵の一人が遅れ気味に気付いて呼びかけていた。
その言葉が途切れたのは、最後まで言うより早くユースはワータイガーの眼前にまで迫り、殴り抜かれたワータイガーの拳をかがんでかわしていたからだ。
駆けつけてくれた騎士様が、目にしたその瞬間には死んだとさえ思える光景には、言葉にだって詰まろうもの。
尖った髪をかすめるほど、すれすれで横殴りの拳を回避したユースは、ワータイガーの拳が完全に振り抜かれるより先に腰を上げ、同時に剣を振り上げていた。
ワータイガーの射程範囲内まで一気に踏み込む、急停止してかがんで攻撃を回避、瞬時に後方へ跳び退がると同時に振り上げた剣で、ワータイガーの頭部を顎から二つ割りにする、この一連。
ばかんと頭を割られたワータイガーの顔面が血を噴くも、すでに大きく離れていたユースは返り血も浴びない。
顎を引いてユースを睨みつけたワータイガーだが、頭蓋骨の中身まで割られたワータイガーに生存力は無く、ユースへと一歩踏み出すも脚に力を入れられず、膝から崩れて前のめりに倒れてしまう。
「こいつら、セプトリア王国に生息する類の魔物なのか?」
ユースと同じような速度でここに駆けつけてきたもう一人は、そのくせ息一つ乱さずに淡々とした独り言を述べ、自分の周囲の空中三箇所に、ぴしりと空間にヒビが入るかのような現象を引き起こす。
それは空中がガラスのように割れる亀裂を宙に作り、三つのそれらから前方三体のワータイガーに向けて人頭ほどの火球を発射する。
基本的な攻撃魔法、火球魔法の発現に、チータほどの魔導士なら詠唱も必要としない。
自分達に向けて放たれた火球を、きっちり視認して跳びかわすワータイガーの反射神経は侮れない。
だが、そのうち一体は火球を回避して着地した瞬間に、目の前までユースが迫っていたことに戦慄する。
持ち前の反射神経に任せ、ユースの脳天を殴り砕く拳を振り下ろすワータイガーだが、敵の至近距離に至ってなお、更に加速したユースの動きはワータイガーの間合いを狂わせる。
敵の前進速度と合わせて、ユースの頭蓋を捉えるはずだったワータイガーの拳は当たらず、魔物のすぐ横を低姿勢で駆け抜けていくユースが、その剣を振り抜いていく。
誰もいない場所を殴り下ろした拳、それと同時に胴のほぼ半分をばっくりと切り裂かれていたワータイガーは、振り下ろした拳の動きに合わせるかのように上半身を前に崩し、顔面から地面へと倒れ込む形となった。
圧巻の瞬殺劇を見せたユースにセプトリア兵が言葉を失う中、むしろ最初に動いたのが別のワータイガーだ。
次の一体にユースが目を向けたその瞬間には、駆け迫ってくるワータイガーの姿がある。
射程内にユースを捉えた瞬間、拳を二度殴り抜いてきて、ユースを叩き潰そうとしてくる。
前進しながらの一撃一撃を、ユースは二度の後退ステップを大きく踏んで回避。
二度目の回避の際、反撃の剣を振り抜いたユースの攻撃は、危険を察したワータイガーが前進をやめ、一歩ぶん後ろに引き下がる行動を促す。
一度敵の攻勢が中断されたその瞬間に、前に踏み出したユースのけさ斬りは、さらにワータイガーに後ろ跳びを強いている。
敵の右肩から左腰までを切り伏せる剣の軌道を、下がったワータイガーは回避して、そのまま再び前に踏み出す脚の力を入れかけている。
だが、ワータイガーがユースにカウンターの接近攻撃を繰り出すより早く、けさ斬りに振り下ろされたはずのユースの剣が、尖った鋭角の軌道に折り返してきて横斬りの軌道を描く。
前に踏み出しかけていたワータイガーと、さらに一歩踏み込んでその斬撃を放っていたユースの行動ははっきりと噛み合った。ワータイガーの腹が、深々と左腰から右脇腹までにかけて切り裂かれる。
激痛に目を見開いていながら、ワータイガーは苦し紛れの拳を突き出してくるから恐ろしい。
致命傷を負ってなお反撃する魔物は脅威的だ。そんな魔物達と何度も戦ってきたユースだから、手応えありの直後でも、油断なきバックステップを一度挟んで回避行動を取れる。
拳を突き出し空振ったと同時、腹の深い傷の痛みに表情を歪めたワータイガーは次が続かない。
そんな魔物の首を、ユースが横薙ぎに振り抜いた剣が切断するのだ。これで完全にとどめである。
「グゥガ……!」
「やっぱり、僕の基礎雷撃では屈強な魔物への致命打にならないな」
チータは稲妻を召喚する魔法、落雷魔法で以って一体のワータイガーを狙撃していた。
溜めも無く速度重視で放った雷撃の威力は乏しく、人間相手ならまだしもワータイガー相手では、激しい痛みを与えるだけのものにしかならない。怒らせて、その睨む先を自分に差し向けるだけだ。
チータはそれを狙っている。セプトリア兵らの陣形より前に出て、魔法を放ったのは自分だと杖を構えて誇示している。
「開門、地点沈下」
怒気を目に孕んだワータイガーが自分に直進してくることはわかりきっている。
チータが次に発現させた魔法は、自分に向かって走り始めたワータイガーの六歩目の地点を、浅底の落とし穴のように窪ませる魔法だ。
猪突猛進の勢いで駆け、スピードの乗った走りの中でいきなり足を躓かされたワータイガーは、右足の沈みと同時にその膝をも地面に打ちつけて、庇い腕こそしつつも顔面を地面に打ちそうなほど激しく転ぶ。
何が起こったのかわからず、いきなり不自然なほどの躓かされ方。ワータイガーも戸惑う。
加えて躓いた右足は、ワータイガーの重い体重のせいもあり捻挫すら起こしかけている。
すぐに立てない、動けないワータイガー。チータがとどめの魔力を練り上げるには充分すぎる時間がある。
「開門、火柱魔法」
立ち上がろうとするワータイガーの触れている地面が、ぼうと真っ赤に染まった。
一秒の時を経て、そこからまるで間欠泉のように炎が噴き出し、それはワータイガーの全身を呑み込む火柱に。
丸焼きにされたワータイガーが、燃え盛る体で転がって吠えるが、もがいていられるのも今だけだ。やがて間もなく動かなくなる。
「チータ!」
「問題ない。お前が三匹も持っていくとは思わなかった」
ぱっと周りを見渡して、魔物の姿が見当たらなかったユースは、味方のチータに呼びかけ駆け寄ってくる。ひとまず一度、立ち位置を整える行動だ。
この場にいた四体のワータイガーのうち、多くを討ったのはユースだが、仮にユースがそこまでやらなくても自分がどうにかしていた、と言わんばかりのチータは、今の一戦など何の問題もなかったと示唆している。
たった四体でも、力及ばない兵士達にとっては追い詰められる相手だったのだ。
それはワータイガーという魔物が人類にとってどれほど脅威的な存在か、そしてそれを早々と複数始末したユースとチータが、セプトリア兵の想像を超えた実力者であることを表している。
「くくく、ようやく御出ましか」
「…………!」
その声を発した人物の声は、決してユースの耳に届いていたわけではない。小さな声だし、遠いからだ。
離れた場所からヘビーハウンドに跨り、不気味なほどの笑顔を浮かべる神父服の男は、不敵なつぶやきを相手の耳に届けずして、その存在感だけでユースの目を厳しくさせる。
「ふーん。あれがお前の言っていた、化け物トンボ乗りの親玉か」
「ああ……!」
淡々と問いかけるチータに簡潔な、しかし強い声での返しをしつつ、ユースは現れた敵将らしき人物へとにじり寄る。
ハフトの都でキラーリベルの背に乗って、エディと共にユースを苦しめた神父服の男だ。
この日は大きな犬の姿をした魔物、ヘビーハウンドに跨るリープは、距離を詰めてくるユースの視界内中心で、乗り物に咥えさせた手綱を握ってほくそ笑む。
「臭い魔力が滲んだ奴だな。魔物に指示を下す魔法でも得意としているんだろう」
「騎士団、二名か。ちょうどいいな」
まだユースとリープの間には十歩ぶんの倍ほど距離がある。
しかし、歩く速さで近付いていたユースが徐々に速度を上げ、向こうの出方を引き出すために急接近の足を駆けさせ始めた。
後ろにはチータもいる。結果的に不用意な突撃になったとしても、彼のフォローがあると信じての行動だ。
「ユース!」
「っく……!?」
だが、チータが発したのは魔法ではなく声のみ。それで充分だった。
リープに接近しようとしたユースの右の上方から、大きな火の玉が飛来してきたのだ。
速度の乗り始めた前進を急遽切り替え、後方跳びしたユースの目の前に、火球は着弾して爆発を起こす。
その爆発によって砕けた地面、石畳は破片を飛ばし、ユースは目を守るため左腕に装備した盾を構えた。
出撃に際し、剣も盾もセプトリア兵に借りたもので、盾も普段より重いのが気がかりだったが、不自由なくユースはそれを扱えている。基礎筋力も決して低くは無い。
火球の出所をユースが目で追った時、それはすぐに見つかった。
魔物だ。細い脚と腕、すらりと伸びた四肢とややスリムな全身は、細身の人間の姿形を思わせる風貌だ。背丈はユースより高そうで、人間の基準で言えば背高めにあたる。
問題は、その全身が黄色い体毛に覆われており、人型でありながらその頭部は狐のものであるという点。
それが二階建ての建物の屋上から、ユースを見下ろし口の端を上げている。
両手に長く太い木の枝を握った、人型狐の魔物は屋上から飛び降りて、事も無げにすたりと着地した。
ユース達と同じ地上に降り立ったその魔物は、ユース達の祖国でもセプトリア王国でもあまり姿を見せない、物知りチータでも実物を見るのは初めての魔物である。
「ワーフォックス、か。
獣人型の魔物にしては珍しい、火術を得意とする魔導士系統の魔物だな」
「……それを、あいつが従えてるってことか」
「だろうな。どこで仕入れてきたんだか、一度お尋ねしてみたいところだよ」
冗談めいたことを言うチータだが、ある意味では本音でもある。
決して単なる好奇心ではない。ハルマからも名を聞いたあのリープという男は、到底この辺りではお目にかかれない魔物すら連れてきて使役する、相当に侮り難い魔物使いであると言っている。
「そしてどうやら、見世物は一体だけじゃない、と」
チータは無感情にそう言うが、その言葉の所以もわかっているユースは、緊張感を強めている。
自分達から見て右側にワーフォックスなら、左の町並みから姿を現したもう一体の魔物は何か。
こちらも人型、しかしワーフォックスとは逆の体型だ。手足は短く太く、背丈も小柄な人間のそれであり、スリムなワーフォックスとは異なり肥えた腹が膨らみ張っている。
明るい色の大きな腹とは逆、そこ以外は黒に近い茶の体毛に包まれたそいつもまた、獣人系統の魔物である。
そして頭部は、目をぎょろつかせた狸のそれ。頭に葉っぱを乗せている。
「……あれは?」
「ウェアラクーン、かな。
魔法を使える魔物の一体、ということぐらいしかわからない」
正面にリープ。
右方向に狐の獣人ワーフォックス。
左方向に狸の獣人ウェアラクーン。
そのうち一人、リープは手綱を引き、乗り物であるヘビーハウンドを後退させ始めている。
ワーフォックスとウェアラクーンをユース達にけしかけ、自分は参戦しないという態度が行動に表れている。
「騎士団様のために用意した大物だよ。
一戦、心行くまで楽しんでくれたまえ」
離れた距離にある相手に届ける意図の無い、静かな声でリープはそう口にした。
仕草も無く、配下に指示を下す魔力を操るだけで、ワーフォックスとウェアラクーンに命令を下したのか、リープの動きに伴って二匹の魔物はユース達に歩み寄り始める。
敵は二体、こちらも二人。
傷ついたセプトリア兵達を頼るべきでないこの状況、複数等数での真っ向勝負である。
「……チータ、全部任せるからな」
「命令し合う間柄でもない。お前の動きに僕が合わせるだけだ」
「頼りにしてる……!」
ユースのベストパートナーはアルミナであると、多くの者に認識されやすい。いつも一緒にいるからだ。
ユースとチータが互いを相棒とした時の相性とは、果たしてどうか。
少なくとも両者、表現の形は違えど、互いに判断を委ね合うことを始めから選べるほど、信頼し合っていることだけが今は表面化している。
初遭遇の魔物二体に、若き騎士と魔導士が挑むこの図式。
この戦いの目撃者となるセプトリア兵達は、今後そうは見れないユース達の底力を目にすることとなる。
「弾あります!? どんどん持って来て!」
「お、おぉ……」
東の関所で不動の大暴れを為しているスナイパーがいる。
要求されたセプトリア兵は、銃弾が詰まったボックスを運んでくるが、どうもと礼を述べながら銃弾をわしづかみにしたアルミナは、目にも止まらぬ速度で自身の銃に弾を込めていく。
自分の愛用の銃でもない借り物のに、とうに手馴れて年上顔負けのリロード速度である。
六発の銃弾を素早く装填したアルミナは、すぐに目線と銃口を下方の戦場に向け、敵の密集地へと発砲だ。
撃つ、魔物に銃弾が直撃する、反動で跳ね上がった銃をすぐに下ろし、迷い無くもう一発発砲。
撃って撃って撃って撃って、弾切れ起こしてまたすぐ銃弾を補充。
銃弾六発を使いきるまでの連射速度が速すぎる、十秒かかっているかどうかのレベルだ。
本当に一発一発、ちゃんと狙いを澄まして発砲しているのかと友軍は疑いそうだが、実際アルミナの放った銃弾は、すべて魔物に直撃している。
カートリッジ式で一度に多弾丸を装填できる、アルミナ愛用の銃と比べると、六弾リボルバー充填形式のこの銃は、普段の彼女よりも弾丸の補給に時間がかかってしまう。
その遅れを取り返そうと、銃弾装填も手早く進めるアルミナは、補充が済んだらまた連射。
敵の密集地にばかり撃ち込むのではなく、人と魔物が近しく固まる地点にも恐れなく発砲し、友軍の兵に飛びかかる寸前だったジャッカルを仕留めることすら果たしている始末。
駆けて跳んで転がってしながらでも、好きな所に銃弾を当てられる腕前のアルミナは、動かず見晴らしのいい場所からの狙撃なんて朝飯前だ。
砦構えの防衛戦におけるアルミナの、乱発放射の正確さと速度は凄まじい勢いで負傷した魔物、仕留められる魔物を急増させ、たった一人で目に見えて地上の戦いを、人類優勢の流れへ引っ張っているとさえ言えよう。
彼女のそばで銃や弓を構えている狙撃兵も、アルミナが連発する銃声連呼速度に絶句させられる想いであり、それに集中力を奪われないようにする手間がかかるほどである。
「ルザニアちゃん強いなぁ……!
サポートいらない、心強いっ……!」
「はあっ!」
混戦模様の地上を視野広く把握するアルミナは、魔物に一撃くらわされそうな状況にある兵士の救済を目的に発砲することを最優先しているが、身内のルザニアのことも常に気にかけている。
しばしば様子を窺うが、まるで魔物達を問題にしていない後輩の姿がある。
ルザニアを最も守りたい本音があるアルミナをして、その対象が危なげなく魔物達を斬り伏せている姿を目にすれば、他のセプトリア兵を守るための銃弾にいっそう注力できる。
飛びかかってくるジャッカルを、体を傾けかわすと同時に振り抜く剣で、胴断ちにして返り討ちとするのは初手動作。
ほぼ同時、地表を張って横から急接近していた、ヴァイパーが足に噛み付いてきた動きにも、それから離れる方向に跳んで距離稼ぎ。その中で振るう剣にて、低い位置の蛇の頭も切り落とす。
さらにはワータイガーの連続攻撃から、退きっぱなしで追い詰められかけている兵士の方へと駆けだし、自発的に横からワータイガーを討ち取る動きに移る。
側面方向から接近してきたルザニアに、ワータイガーも体をひねりながら腕を振り抜いてくるが、ルザニアの胸を殴り飛ばす高さで振り抜かれたそれを、彼女はくぐるように身を沈めてかわす。
ワータイガーの左脇近くに潜り込んだ体勢で、敵から離れる方向にひと蹴りで動き、生じた距離を活かして振るった剣は、ワータイガーの首を横から半分切り抜いた。
痛みと致命傷に目を白黒させたワータイガーからルザニアは離れ、迫るジャッカルを返り討ちにする剣を放ち、先のワータイガーはセプトリア兵が二人がかりで斬りつけにいく行動に任せる。
素早い上に判断能力に秀で、次々に敵を仕留めつつその功績を自分だけのものとしない、味方の力をしっかり頼った効率的な戦い方だ。
これを、初めて共闘するセプトリア兵様といきなりやってのける、そんな動きを自然と叶えられるのがルザニアの真骨頂だろう。
多くを自分で背負い込もうとするユースとは違う戦い方だが、これも多人数戦における賢い立ち回り方である。
「ルザニアちゃん、そろそろ来るよ!! 親玉あっ!!」
「はいっ……!」
兵の気合やかけ声が飛び交う地上は狂騒の渦にあるが、それでも胸壁上から大声で叫ぶアルミナの声は、騒がしい地上でルザニアに届くほど大きい。
襲いかかってきたオーガの棍棒をかわしながら、後退し、背後から忍び寄って飛びついてきたヴァイパーを振り向きざまに切り落とし、オーガの棍棒追撃を回避するルザニアは、そんな中でもアルミナに返事している。
ルザニアの声はアルミナに届いていないが、この騒然とした戦場で離れた味方まで届く声を放つアルミナは、声が高くて目立つ女性とはいえ声量が凄い。
そんなアルミナが発した言葉の意味は、ルザニアだって気付いている。
あまりに敵の数が多いため、参戦してすぐの時には目に入らなかったが、魔物達の群れの中に、明らかに一枚勝る類の魔物が潜んでいたのだ。
魔物達にとっての味方の数が多いうちは前に出てこなかったが、アルミナとルザニアの参戦で魔物達の数が減ってきた今、そいつは大きな体を人類に近い場所まで進め始めている。
「っぐ……!」
ジャッカルを切り伏せたその瞬間に、凄まじい速度で接近してきたその魔物から、ルザニアは大きく跳び退くサイドステップを踏んだ。
それでもぎりぎりだ。鎧を装備した人間の上半身、四本脚で駆ける馬の下半身、そんな姿をした魔物ケンタウルスは、逃れたルザニアを薙ぎ払うランスをフルスイングしていた。
大袈裟なほど距離を作ったルザニアをして、鼻先をランスの先端がかすめていくような風切り音には、ここまで抱いていたものを上回る緊張感を得る。
「ルザニアちゃん!!」
声を発しながら引き金を引いたアルミナは、ルザニアの背後から駆け迫っていたケンタウルスへと発砲だ。
ルザニアも蹄音で気付いている、またも大きな横っ跳び。
着地と同時に顎が地面に着きそうなほど姿勢を下げるが、それでようやく自分めがけてランスを振り抜かれた一撃が、たなびいたルザニアの緋色髪をかすめていくような危うさだった。
そのケンタウルスはアルミナの銃弾を足に受けまいと、走る軌道を少しだけ折ってルザニアに迫ったが、それがなかったらルザニアは生きていたかどうかわからない。
「ぐわあっ!?」
「がグ……っ!」
ケンタウルスは二体いる。
馬の下半身で他の魔物よりもずっと速く駆け、敵味方の数が減って空いてきた戦場は、今やさぞかし動きやすいことだろう。
ジャッカルの死体を踏み潰し、セプトリア兵へと急接近し、振り抜くランスで殴り飛ばす攻撃を放つ二体のケンタウルスの参戦。
アルミナとルザニアの参戦によって勢いづいた人類側と同じく、強兵の投入で流れを魔物側に引き寄せ始めているのが明らかなほど、ケンタウルスという魔物はセプトリア兵にとって荷が重い。
「好き勝手にさせるもんですか……!」
胸壁上から銃弾を撃つアルミナは、自前の銃でないにも関わらず、とうにその弾道をものにしている。
他の射手や銃士が、ケンタウルスを狙おうにもその速度と照準を定められない中、アルミナの銃弾だけが遠距離から、ケンタウルスへと正確に差し向けられている。
惜しむらくは、鉄仮面と鎧を纏うケンタウルス、肌の露出した馬の下半身しか狙える場所が無く、しかも視野の広いケンタウルスはその銃弾を回避してしまうことだ。
曲がって、跳んで、減速して、アルミナの銃弾の刺さり場所を地面へと変えてしまう。小回りの利く走りだ。
回避に努めたケンタウルスが、その間セプトリア兵への攻撃を中断せざるを得ないのは好材料だが、それでもそうしてアルミナが動きを縛れるのは一体だけだ。
アルミナの銃弾を回避しつつ、近付いてくるセプトリア兵にランスの攻撃を返し、殴り返して撃退するケンタウルスは、積極的に攻撃できないというだけで戦力として充分に残存する。
「げは、っ……!」
そしてもう一体は、自由に戦場を駆け回るのだ。
その強さは、速く駆けるその魔物を人が追うことすら満足に出来ず、ジャッカルやヴァイパー、ワータイガーやオークと交戦するセプトリア兵を、横から串刺しにする遊撃手として機能するほど。
ランスで串刺しにした兵を振り上げ、近場の人間に投げつけて武器にするほど、そのランスを握る腕力も凄まじい。
これに敢然と立ち向かうのがルザニアだ。
死体同然の串刺し兵を投げ飛ばした直後のケンタウルスに、横からルザニアが斬りかかる。
気付いていたケンタウルスは地を蹴り逃れるが、ケンタウルスが去った空中を斬る剣を振り抜いたルザニアが、そのままケンタウルスを追う動きは速かった。
走行軌道を鋭く折って迫るルザニアを見受けたケンタウルスが、馬の下半身で後ろ蹴りを放つも、それを身を沈めるとともに走行軌道を曲げたルザニアが、ケンタウルスの真横を駆け抜ける中で剣を振り上げている。
ランスを構えたケンタウルスがそれを食い止め、はじき返していなかったら、ルザニアの剣がケンタウルスの腹をばっさりと斬っていたはずだ。
力負けしたルザニアははじき返され、背中から地面へと吸い込まれるような倒れ方になる。
倒れるに際して両肘と二の腕後方で地面を叩くようにし、受け身を取りながら衝撃を後方に逃がし、ぐるんと後転する形ですぐ膝立ちになったルザニアから、ケンタウルスは目を離していない。
そんなルザニアに横からオーガが棍棒を振り上げて襲い掛かるが、既に地を蹴れる体勢であったルザニアは瞬発力を利かせ、自らオーガの方へと我が身を発射する。
ルザニアを殴り潰すために振り下ろされた棍棒は、誰もいない地面を殴る結果になり、その時オーガの脇を凄まじい速度ですり抜けていったルザニアは、オーガの喉元を一振りの剣にて裂いている。
地面を殴った勢いでそのまま膝から崩れ落ちたオーガは、喉を押さえて立ち上がってルザニアを振り返るが、じきに深すぎる傷で頭がぐらつき、そのまま自分の重さを支えきれずに倒れてしまった。
「参ります……!」
たとえ魔物でも、格上と思しき相手を前にすれば、思わずこの言葉を発するのがルザニアだ。
それはあるいは、自分を気持ちで負けさせないようにするための、奮起のきっかけとしているのかもしれない。
剣を構え、自分の方を向き直るルザニアに、ケンタウルスも声を発された側として前面を向ける。
ケンタウルスは知能の高い魔物の一種。特に、戦闘勘に関しては特筆すべきほどだ。
そのケンタウルスの頭脳、あるいは本能をして、目の前にいる人間の女騎士は、討ち取ることが出来れば一気に戦場を制圧できる大駒として認識されている。
いかに混戦模様の戦場とて、最も有力な敵の駒を落とすことさえ出来るなら、それは勝利に直結するほど大きな前進だ。語るべきまでもないことである。
走り出したケンタウルスの目指す先はルザニアだ。
ルザニアもまた、馬の体躯と人の肉体、見上げるほど大きなケンタウルスを恐れず前進する。
両軍の雑兵をものともしない大駒同士の戦いは、これだけ人と魔物が集う合戦場の中にあって、誰も割って入ることのできない一騎打ちのような開幕を迎えていた。
「ナナリー様、ここにて……!」
「う、うむ……」
舞踏会会場であった大講堂の奥の一室、会議室のような大きな部屋にてナナリーは、ようやく椅子に腰かけることが出来た。
ここはあらゆる侵入経路から遠く、この建物の中では最も安全であると言えそうな部屋だ。
屋外は現在、ハルマを指揮官とした数多くのセプトリア兵が構えており、王都を襲う脅威を完全に撃退するまでの間は、言わばここを城と見立てて女王を守り抜く布陣である。
他の来賓者も大講堂各所、あらゆる部屋に散る形で保護される形であり、決して敵を建物内と侵入させない兵のはたらきが為され続ける以上、ここは安全なはずである。
「ナナリー様、喉は渇いておりますか」
「……すまぬ、貰おう」
そしてこの部屋は、広さに対してナナリーとニトロの二人だけがいる。
部屋の入り口も含め、屋内には兵士達も配置されており、衛兵たるニトロがナナリーのそばにいれば充分だ。
そもそも魔物をここまで侵入させないことが前提の構えであるし、今のニトロは武器こそ預かっているものの、婚約者あるいは従者として、ナナリーのそばにいること自体が務めのようなものである。
んく、んく、とニトロに受け取った水を口にして、ナナリーははぁ~っと深い息をつく。
緊張感の中にあった状況が少し続き、そばにニトロがいてくれる安心感と、喉を潤された実感が彼女にそうさせたのだろう。
そんな溜め息ひとつとっても、ニトロの目には、急速に疲れたナナリーの様が見てとれる。
「大丈夫ですか? ナナリー様……」
「大丈夫、大丈夫ではあるが……」
走ったわけでもないし、疲労するほど舞踏したわけではない。精神的なものだろう。
大丈夫だとは口にしつつ、顔を上げずに憂いた目を浮かべるナナリーの表情は暗く、話しかけたニトロの方にもなかなか振り向かない。
「……ニトロ、本当にここは、安全か?」
「はい。兵が万全の構えを為し、万一のことがあろうとも俺が……」
「ここは、ハルマがあらかじめ用意してくれていた逃げ場であろう?」
「…………? はい、そうですが……」
セプトリア王国軍部の頭脳を務めるハルマは、どんな時でも万一の状況を想定している。
とりわけ、ナナリー女王が居合わせている時などはそうだ。
突然思わぬ方向から脅威が迫ったとしても、ナナリー女王を最優先に守れる段取りは必ず用意しているし、魔物の王都襲撃報告を受けてすぐ、こうした一番の安全地帯へナナリーが来られたのもそのおかげ。
用意が良すぎるぐらいに感じられるかもしれないが、女王仕えの参謀が、これぐらいの逃げ場をあらかじめ想定していているのは、むしろ当然なほどの話である。
「ハルマ様がここが最善の逃げ場だと判断されている以上、ここが最も安全な……」
「ハルマは信用できるのか?」
「……急に、どうされたのですか。
ハルマ様は、セプトリア王国の誇るべき参ぼ……」
「それが疑わしいと思っておるから妾は安心できずにいる」
ニトロを見上げて鋭い眼をしたナナリーは、幼顔が年下のそれと軽んじられないほど、王としての威厳を纏った表情に変わっている。
普段はだらしない姿も見せるナナリーに、お説教をすることも多いぐらいのニトロが、この顔を前にすると完全に従者となるほど、女王としてのナナリーには重い気迫がある。
「ご不安であるのはわかりますが、滅多なことは……」
「根拠はある……!
フーリオ山地の件、ハフトの都の件、そして今。ぬしにも話したであろう……!」
ニトロも確かに、ナナリーから聞いたことがある。
ハルマに手配されて雪山に行った時、狙い澄ましたように強い魔物に襲われたこと。
魔法都市ダニームへと向かう道のりを、ハルマの示したとおりにしたところ、ハフトの都でフラックオース組の襲撃に遭ったこと。
そして今回もそう。
舞踏会にナナリーが赴き、国内でも最も安全であるはずの場所、城から出払っているこのタイミングで、魔物達がこの王都を強襲しているのだ。
しかも、この会場に最も近い南関所から押し寄せる魔物達が、最も兵士達を打ち破る力に秀でる布陣という出来上がりぶり。
ナナリーは、ハルマの手配したとおりに動くたび、しばしば窮地に追い込まれてきた前例の数々を口にして、参謀への疑念をニトロに訴えている。
「あまりに話が出来すぎているのじゃ……!
ましてハルマはあのアルバー帝国の……」
「それ以上は仰ってはなりません!
その帝国に背を向けてでも、かつての独立戦争でセプトリア王国のために戦い、祖国を滅亡に追い込んだのがハルマ様なんですよ!?
あの方がかつての仇国の生まれであるとしても、それ以上にあの方には信頼に値するものがあるとプレアデス様も仰っていたじゃないですか!」
「それはそうじゃが……!」
プレアデスとはナナリーの父、すなわち先代国王だ。
ハルマは独立戦争の勝利に大きく貢献したとはいえ、終戦当時は少なからず、元アルバー帝国の生まれである彼を王国の重鎮に据えて大丈夫なのかと、そんな声も無くはなかった。
そんなハルマが今もセプトリア王国で参謀職を務めているのは、ハルマは信用すべき人物だと見立てた先代国王が、それを言い遺して世を去ったことも大きな一因だ。
「貴女は先代国王様や、ハルマ様を信じた俺の父さんの言葉も疑うんですか!?
それ以上に、独立以来ずっと我が国のために尽力してくれたハルマ様を、貴女は信用できないと仰るのですか!?」
「む、ぐ……うぐぐ……」
そんな先代国王に受け入れて貰えた恩を返すかの如く、独立以来セプトリア王国の繁栄のため、身を粉にして働き続ける姿を見せたハルマは、自身の行動によって信用を獲得している。
ハルマによくからかわれるニトロですら、本心ではハルマのことを強く信頼しているのだ。
従者、衛兵でありながら、最も信頼するものの一つを侮辱されることに声を荒げたニトロには、ナナリーも言葉を詰まらせて拳を握り締める。
だが、その目に退く姿勢は表れていない。
ナナリーの、ハルマに対する猜疑心は、ニトロのハルマを庇う言葉を受け付けぬほど大きくなっている。
「ナナリー様……!」
「控えよ、ニトロ……!
誰に向けて、そのような目をしておるのじゃ……!」
「っ……申し訳、ありません……」
美しい髪もざわついて見えるほど、ナナリーの全身から放たれる気迫が凄まじいものとなる。
肩書きに頼った威圧感ではない。相応の覚悟を以って、一国の主としての覚悟を固めた国王の魂は、同じくセプトリア王国のために命をも捧げると覚悟したニトロを、怯ませるほどの権威を生み出している。
「許婚とはいえ過ぎたことは許さぬぞ……!
一線を越えることは……っ、ぐ……!」
「ナナリー様……!」
興奮して声を荒げたせいなのか、ナナリーはげほげほと咳き込んだ。
思わずニトロもその背をさするが、その手を平手ではたき返すほど、今のナナリーは頭に血が昇っている。
添える手も許されぬニトロが歯噛みする中、ナナリーの咳は何度も繰り返される。
「っ、げほっ……! よいか、ニトロ……!
ぬしは許婚とはいえ、あくまで兵に過ぎ……」
「げほ、っ……!?
す、すいません、ナナリ……っぐ、げほっ……!」
叱責の声を荒げるナナリーの前、咳き込んでしまったことを詫びようとしたニトロだが、それを最後まで言い終えられぬうちに次の咳が出た。
睨み付ける目のナナリーの前、咳を止めようとするが止まらない。
四度、五度の咳を繰り返した頃、またもナナリーの方も一度の咳を吐く。
「がっ、げほっ……!
な、何じゃ、どうなって……」
「ナナリー様……っ、げほっ、げほっ……!
うぐっ、くっ……な、何が……!?」
二人の咳が鳴り止まない。
ナナリーとニトロの他に誰もいないはずのこの一室、見回したところで何の異変も無い。
二人がどんなに我慢しようとしても、咳が止まらないという事象だけが、目ではなく体が訴える異変としてこの場に存在している。
今、この部屋では何が起こっているのか。
目に見えぬ脅威はもう既に、ここへ逃げ込むことでかえって孤立した、ナナリーとニトロに触れている。




