第63話 ~魔法顕現~
アルミナは、ルザニアのことを過小評価していたのかもしれない。
いや、ある意味ではアルミナの見立ては正しかったのだが、その上でルザニアの戦いぶりは、アルミナの想像を遥かに超えていた。
ケンタウルスとの一騎打ちの空気を漂わせたルザニアだが、駆け寄り合い、二度か三度武器を鳴らし合うと、ルザニアはすぐさまケンタウルスから距離を取った。
肩透かしをくらったような心地を得たケンタウルスだが、ルザニアが向かったのは、今しがた対峙していたケンタウルスを全く無視するような方向だったから尚更だ。
他のセプトリア兵を追い詰めかけていたオーガに背後から接近し、その脚を断ち斬って立てなくすると、今度は近場のジャッカルに切りかかる。これはかわされたが。
ルザニアを最優先討伐対象と見定めているケンタウルスが、馬の脚を駆けさせて接近するのも速かったが、ルザニアはランスの一突きをかがんでかわし、敵のすぐ横を駆け抜ける足を使う。
その際、ケンタウルスの脚を切り裂く剣も振り抜いていったのだが、これは脚使いに優れるケンタウルスの横移動によりはずした。
ルザニアの攻撃を回避しつつ、向きを改めルザニアの追撃に構えたケンタウルスの動きも素早い。
ルザニアはそのまま走り抜け、ワータイガーへと接近だ。今度は向こうも、こちらを向いている。
殴り上げるような拳でルザニアの顔面を迎撃しようとするワータイガーに、ぎりぎりまで接近して、触れられる直前に横っ跳び、進行方向を折る。
L字の軌道でワータイガーから少し離れたかと思えば、すぐに一歩踏み出して、手を伸ばして剣を伸ばし、自分が出来る最長射程の突きで、ワータイガーの脇腹を貫く。貫きながら横に振り抜き、掻っ捌く。
ケンタウルスは迫ってきている。ルザニアもきゅるりと急旋回、方向転換してその方向を向く。
連続して放たれるランスの突きを、バックステップと身のひねりでかわし続け、四発目の突きを剣で横殴りにして排除する。
目の前にケンタウルスの姿があって、武器を横はじきにした好機。ルザニアが重心を前に傾ける。
だがそれはフェイントだ。ケンタウルスは後方に跳び下がりながら、ランスを守りの位置に引き戻せる技量がある。
ルザニアは最初から、ケンタウルスを自分の手で狩ることを諦めているかのよう。
攻め込む素振りだけ見せて相手に後退を促すと、横から迫っていたヴァイパーを返り討ちにする剣を振り抜き、近場にいたジャッカルに急接近して切り落としてしまう。
ケンタウルスとはそもそも、馬の下半身に人の形をした上半身。しかも上半身は鎧包み。
上半身を斬るのは難しく、狙うとするなら下半身、特に言うなら脚である。
機敏な動きが可能で、その下半身を守るランス捌きに秀でたケンタウルスを、そう簡単には仕留められないとルザニアは自己評価しているのだ。
これは、アルミナから見てもそうだった。ルザニアとケンタウルスが交戦するという形になった時、他の魔物と同じように簡単にはいくまいと、アルミナだってルザニアの力量を知っているから、そう思ったのだ。
戦争の勝利条件は大将首を取ることではない。敵の継戦能力を失わせることだ。
ケンタウルスの討伐に拘りを持たず、最強の敵であるケンタウルスをいなしつつ、それが前線に出てくる前と同じはたらきを続けているルザニアの、この戦場に対する貢献度は何も変わっていない。
ルザニアが欲しいのは、自分が一番強い敵を仕留めたという功績だとか、そんなものなどではないのだ。
この戦いを、犠牲を最小限に留めた上で勝利できればいいわけで、そのために自分が何をすれば一番いいのか、彼女はちゃんとわかって動いている。
そして、ケンタウルス一体の意識を自分に吸い寄せつつ、その上で魔物狩りを進めている彼女には、それだけ欲張れるだけの技量が備わっている。
「頑張って、ルザニアちゃん……!
邪魔はさせないからさ……!」
このルザニアを問題視するのは他の魔物達もそうで、特にもう一体のケンタウルスもそう。
そいつを、アルミナが決して自由には動かせない。ケンタウルスが二人がかりでルザニアを強襲する形になったらまずい。
アルミナの放つ銃弾は、ケンタウルスの行きたい方向を先読みし、その脚を止め、時にはケンタウルスの脚を撃ち抜く弾丸をも放ち、防御を強いて手を止めさせる。
ただでさえ混戦模様の戦場だ。もたもたしている、させられているケンタウルスには、同じ地面に立っているセプトリア兵だって攻め入る。
アルミナの銃弾に翻弄され、包囲網から白兵戦まで仕掛けられるケンタウルスは、凌いでかわして反撃してこそいるものの、一人の人間をも殺せず、逃げ回っているだけとも言い換えられる状況だ。
特筆すべきは、友軍の人間があれだけ密集している戦場に、恐るべき速さで撃って撃って撃っての連射、ケンタウルスの動きをずっと制限しているアルミナの存在なのだろう。
流れ弾を味方に当てることなど恐れていない。しかも実際、そんなこと一度もやっていない。
「なんとか、このままいけば……!」
現在進行形で、広い戦場では敵味方に戦闘不能者が増え続けている。
その増加が速いのは、ルザニアを敵に回している魔物達の方だ。
高所から戦況がよく見えるアルミナには、このまま粘れば勝利は見えた、だから妙なことは起きずにこのまま終わりに向かって欲しい、と思えてならないのが現状である。
「……はぇっ!?」
だが、そう願った矢先に、この戦場を大きく揺るがす一兵が投入された。
アルミナが誰よりも驚いた。周りの射手らが何かと思うような、裏返った声も出た。
凶報ではなく吉報で、相手の魔物からすれば最悪の出来事ですらあるのだが、とりあえずアルミナにとっては、そんな声が出てしまうほどのサプライズだったらしい。
ドレス姿の金髪の騎士が、もの凄い速度で戦場を駆け抜けていくのが見える。
セプトリア兵の間をくぐり抜け、多少の波打つような曲がりこそあれど、ルザニアを追い回しているケンタウルスの方へとほぼ一直線である。
直線軌道でないのは、走行軌道の近隣の、ジャッカルやらヴァイパーやらオーガやらを、通過ついでに片っ端から斬り捨てているからであって、ゆるやかにうねる軌道は寄り道カーブを含めているからだ。
ぞっとするような覇気にケンタウルスが、ルザニアもそっちのけで覇気の発生源方向を向き直った。
人の波を抜け、姿を見せた騎士一名は、戦人とは思えぬ服装かつ、兵士以上の気迫、ルザニア以上の速度で急接近してくる。
突然の窮地を確信したケンタウルスの集中力は、一瞬で血が沸騰するほど高められ、迫る女騎士にケンタウルスが放ったランスの突きは、今日最高の精度で敵の額を貫く一撃であったはず。
剛腕任せに両手持ちの剣で、それを上に叩き上げた彼女は、減速すらせずケンタウルスの懐へと飛び込んでいく。
ランスを上にかち上げられて、体勢が上ずりながらも、やばいと思ったケンタウルスは、馬の脚で地面を蹴っていた。
方向は右斜め後ろ。確かに動けていた。
敵はさらに加速して、ケンタウルスの動きを目で追って、敵の後退速度よりも速く接近し、逃がさない。
「!?!? し、シリカさ……」
もう一度振り抜いた彼女の剣は、一振りでケンタウルスの前足二本の根元をぶった斬る。
それでケンタウルスの上半身が前に崩れ落ちかけたところで、急停止して片足軸に回った彼女は、回転しながら振り上げた剣で、倒れていくケンタウルスの上半身を前から迎え撃つ剣の軌道を描いている。
詠唱もなく、万物を断つ剣を叶える魔法、勇断の太刀の魔力を剣に纏わせた彼女の一閃は、前脚を失った痛みで目を白黒させるケンタウルスが地面に倒れるより早く。
その上半身を鎧ごと切断し、馬の下半身から完全に分かれさせてしまったのである。
「ルザニア、大丈夫か!?」
「はっ、え……は、はい、なんとか……」
言葉も無い。なぜここにいらっしゃる。
西の関所に行くって言ってましたよねと。ここは東の関所なんですがと。
やや呆然としかけながらも、飛びかかってきたジャッカルにはっとして、それを返す刃で斬り捨てるルザニア。
その間に、シリカは自分からワータイガーに接近して一瞬で仕留め、ルザニアに接近する中でヴァイパーとジャッカルを斬り捨てて、それからルザニアと背中を合わせてくれる。
互いに背中を任せ合う構えというやつで、シリカは後輩に戦場で息を入れさせたい時にこれをやる。
「無事ならよかった……!
少し息が切れてるようだが、もう少し頑張るんだぞ……!」
「あ、あの、シリカさん、西の関所は……?」
「概ね片付けてきた……!
今はこちらに専念しよう……!」
なんだかいろいろ時間の計算が合わないような気がしてならないが、そう仰るんだったらそうなんだろう。
なんだか考えるのも馬鹿らしくなって、ルザニアは考えるのをやめることにした。
生きて勝って帰って、後から色々聞いてみたいとして、思考の隅へと発想をどけていく。
「勝ったわ、これ……!」
アルミナは、この戦場に参じて以来、最も勝利を確信した顔でそう言わずにはいられなかった。
もう一体のケンタウルスの動きを縛る銃弾は、継続して発砲し続けている。
ケンタウルスもしぶとく凌ぎながら、セプトリア兵の一人をランスで殴り飛ばす活躍を見せているが、この戦場において大駒相当の存在でありながら、よの程度では期待値に応えられていない。
もっとも、しぶとく狙い撃ちされまくっていながら、近場の兵に接近戦を仕掛けられてもまだ無傷で生き残っている辺り、その実力の高さ自体は証明し続けているのだが。
そのケンタウルスの方向へ、金髪の女死神が駆け始めた。
大駒二つが完全に落ちたら、あとは地上のエレム王国の騎士二名を筆頭に、勢いよく人類が魔物達を制圧する流れになるだろう。
その頃には、アルミナだって自由に戦場全体に干渉し始めるので尚更である。
王都東の関所の戦い、大勢決したと表現して相違なし。
魔物達の最後方、エビルアープは憎々しげに爪を噛み、自分周りの魔物に撤退の指示を発し始めていた。
「一筋縄では、いかぬな……!」
両手を広げ、その両手から大気を操る魔法を行使するナナリーは、室内の気流を自在に操って、漂うスモークレイスの動きを制しようとしている。
ドレスの裾や術者の髪が、ばさばさとはためくほど、室内は渦巻く気流に満ち溢れており、隅によけられた机や椅子もがたがたと揺れている。
スモークレイスは存在することを意識すれば、目を凝らせばその灰色の体が視認できる。
だが、気流に漂わされ、あるいは抗い、密集させられたり拡散したりを繰り返すスモークレイスは、濃い灰色と薄い灰色を、室内あらゆる位置に漂わせる形だ。
これを気流の操作で一点に集め、そこから仕留める形に持って行きたいナナリーだが、スモークレイスも意志ある気体の魔物として、ナナリーの魔力に抗って一点には集わない。
「ナナリー様……!」
「見えておる!!」
風に乱されながらも、灰色煙の体の一部を、スモークレイスがナナリーの左側から迫らせてくる。
両手をそちらに向け、風を強く発したナナリーにより、それはぶわりと吹き飛ばされる。
だが、乱れる室内の乱気流に乗って、反対側からかえって加速して接近する灰色の煙もある。
「がふっ……! げっ、かはっ……!」
「けは、っ……!?
くっ、か……この、失せい……っ!!」
ナナリーとニトロを包み込んだ灰色の煙は、すぐに二人の喉奥を刺激し、息を乱させ咳き込ませる。
吸い吐きが一瞬にして難しくなる心地を覚えつつ、気合に近い声とともに魔力を操り、両腕を振り下ろしたナナリーが、自分を中心に拡散する突風を巻き起こした。
ナナリーとニトロに絡み付いていた灰色の煙は吹き飛ばされ、しかし部屋の四隅にしゅうしゅうと群がり、分裂した形でナナリー達を全方位から見据えるかのよう。
「くっ、けほっ……!
思った以上に、しぶと……」
「っ……!!」
「ニトロ!? 何をしておる!」
咳を耐えて強がりの目を浮かべるナナリーの前へ、ニトロがすっと踏み出した。
剣を抜いて、構えてだ。
忠臣の思わぬ行動に、ナナリーは手を伸ばしてでも、後ろからニトロの腕を握りにいく。
「やめい、無謀なことをするでない!
ぬしに何が出来る! 奴には剣など効かぬぞ!?」
「確かめてみなければわかりません……!」
「馬鹿なことを言うな! あれを斬って何になる!? 見てわからぬか!?」
百人いれば、九十九人がナナリーと同じことを言うはずだ。煙のような実体のスモークレイスに、ニトロが構えているあの剣が、何の手応えを与えられようか。
それでも異を唱えるたった一人の側のニトロは、制止するナナリーの手を振りほどき、はあっと一度息を吐く。
これから魔物に立ち向かおうという男の一喝だ。だが、立ち向かうと言っても何に?
「ニトロ……!」
「――はあああっ!!」
部屋の隅にて固まっているスモークレイスの一部に、ニトロは駆け迫って剣を振り下ろした。
灰色の煙の集合体を剣が通過し、剣圧によって生じた風で、煙は両断されるようにぶわりと二分化される。
ただそれだけだ。斬られたそれは、むわりと舞い上がり、ニトロの体に纏わりつこうとする。
「ええい、何をしておるか……!」
怒気すら孕んだ声と共に、ナナリーが操った魔力は強い風を生み、ニトロを中心に渦巻く気流を作る。
渦は大気を周囲に吹き飛ばすもので、絡みついて来た煙に息を詰まらせかけたニトロの周囲から、灰色の煙を吹き飛ばす。
それを見受けてナナリーは、ニトロの方へと移動する。部屋の隅に位置するニトロが、ちょうど角を背にして向き直ったことを幸いとし、彼の前に立ちはだかる形で、壁とニトロを背に部屋全体が一望できる形に。
「ナナリーさ……」
「引っ込んでおれ! ぬしに何が出来るというのじゃ!
つまらぬ意地で妾の荷を増やすでないわ!!」
主君の辛辣な発言は、興奮状態にあるニトロの胸を引き裂くほど痛烈だ。
表情が歪むほど、歯を食いしばるほどの想いでそれを耳にしながら、それでもニトロは剣を握る手の力を失わない。
考えはあるのだ。上手くいかなかっただけ、次は絶対に成功させると、傷ついた胸の内でニトロは決意を改めて固めている。
「――かあっ!!」
一喝と共に、ナナリーは再び巻き起こす風は、部屋を満たして分散したスモークレイスを一点に集めようとする。
一箇所に集めさえすれば、氷の魔法でそれをがちんと固め、動きを封じてしまえばいい。
相手が動けなくさえなれば、気体や霊体の魔物を昇天させるための魔法をじっくりと行使できる。
ナナリーが考えている勝ち筋とはそういったものだ。
だが、風に振り回されつつも、スモークレイスは己のすべてを一箇所に集められることを避けるかのように、風の隙間と交流点を駆使して、分散することに努めようとする。
スモークレイスが根負けするのが先か、ナナリーの魔力が尽きるのが先か。
汗を流してまばたき一つしないナナリーに、幼い彼女の体にどれほどの体力が残っているだろうか。
前面に集中するナナリーの後ろから、ニトロは再び前へと躍り出た。
またも指図に反し、無謀な前進へと踏み出したニトロの姿には、ナナリーは怒りを通り越して絶句したものだ。
殺気に近い怒気をニトロも感じ取っている。
もう、失敗は許されない。今一時の覚悟をいっそう強く持つ。
"魔力が剣に乗った実感が足りなかった"
"慣れない魔力の練成に、頭がくらっとくるあの実感も得られなかった"
"失敗しただけだ、成功させられたら結果も変わるはずだ"
"魔力とは精神を具現化したもの"
"上手く生み出せなかったのは己の精神力に力強さが足りなかったから"
"一人でやった時には上手くいきそうだった、あの手応えをもう一度"
不可能だなんて思わない。
ニトロの脳裏には、無為と思われるようなその行動に、成功のビジョンがはっきりとある。
「はあああああっ!!」
より強く、より大きく叫び、ニトロは気流の中でもがくような灰色の煙を断ち切った。
剣圧によって煙が割られるだけ。何も先程と変わらない光景が続く。
だが、今度は違う。
ナナリーも、ニトロ自身も見落としていたが、ニトロの剣は振り下ろされる直前に、淡く蒼い光を纏っていた。
二人がそれを認識したのは、ニトロの振り下ろした剣の残影が、その光の色と同じ蒼きものであった光景を、目にしてやっとのことである。
そして、そんなニトロの剣に切り裂かれた灰色の煙はどうか。
割れたところまでは先程までと同じだ。その後が違う。
気流に乗って、またも室内をさまようのかと思いきや、風の流れとは全く無関係に、ゆらあと上昇するように舞い上がる。
さらに、ざあっと色を失って、まるで空気中から薄まっていくかのように、この世から姿を消してしまったのだ。
「っ、ぐ……」
そして来た、ニトロの脳裏を貫く目まい。
慣れない魔力の過剰生成は、こうした症状を引き起こす。もっとひどくなれば命にも関わる重大な事だ。
それは同時に、ニトロ自身に、魔力を生成できた事実を伝える勲章のようなものである。
「ニトロっ!」
「っ……はあっ!!」
突然のことに言葉を失っていたナナリーだったが、別方向から灰色の煙が、ニトロの上方から迫り来る光景に、危機を知らせる大声を発していた。
野鳥の魔物を迎撃するかのように、ニトロが振り上げたその剣は、煙の塊であるそれを切り裂いた。
そしてそれも、単なる剣圧に斬られたかのように一度割れるも、終いには色を失って雲散霧消し、消えてしまう結果に落ち着いてしまう。
「に、ニトロ……?」
「はあっ、はあっ……!
ナナリー様、お控え下さい……! 俺が、必ず、貴女を守り抜きますから……!」
拡散したスモークレイスは室内にまだ形を残していたが、ニトロが切り裂き消し飛ばしたぶんが減ったのか、室内に存在するスモークレイスの総量が少なくなっている。
動きからも積極性が薄れている。近付いてこない。
まるで、恐るべき武器を持った天敵を恐れる獣のように、スモークレイスがニトロやナナリーを攻め込む姿勢を失っている。
「行くぞ……!」
ナナリーの風に動きを縛られ、完全自由に動くことが難しいスモークレイスに、ニトロが剣を握って駆け寄る。
風向きが変わり、一気に人類の勝利への道が開けたこの室内、決死行に臨むニトロの背を見るナナリーの目には、驚愕の色がただただ現れるばかりだった。
アルバー帝国皇帝近衛兵。
かつての肩書きに恥じぬ剣技を見せるベスタの前、ユースは終始、苦戦が顔色に表れている。
ベスタの剣は速く、重い。特徴を語るなら本当にそれだけだ。
ユースの剣による反撃をかわせば、カウンター気味に返す刃でユースの首元を狙い、それを後退したユースが免れれば、すぐさま距離を詰めてもう一撃。
ユースも持ち前の俊敏性と足捌き、身のこなしでかわし続けているが、ベスタの方が手数が多い。
平均して、ベスタが三度の剣を振るう中、ユースが一撃返せるかどうかというところだろう。
攻め立てられる中、ユースの目だってベスタの隙を探し続けている。
だが、無い。剣を振り抜けば脇が一瞬空くだとか、突きを放てば伸びた腕が狙い目になるだとか、本来どうしても生じるはずの隙が、ベスタの全身捌きには見当たりづらい。
すべての動きがシンプルに速く、生じるはずの隙が発生する時間を極限まで小さくした、ただそれだけのことでベスタはユースに隙を見せず、反撃の機会をそう簡単には与えない。
それでもユースは返してみせる場面もある。
けさ斬りを放ってきたベスタの攻撃を、最小限のバックステップで回避して、鼻先すれすれを敵の剣先がかすめる絶妙な回避を叶えられた。
剣を振り下ろす中で一瞬開いた、ベスタの顔面への道筋を、ユースはその剣による突きで狙い撃つ。絶妙なカウンターとも言えるこの一撃は、普通だったら勝負を決めている。
それを、ベスタは剣を振り下ろす中にありながらすっと後退し、事も無げに回避を叶えてしまうのだ。
その動きを目の当たりにして、まずいと思ったユースが素早く剣ごと腕を引いたからよかったが、ベスタの振り上げた剣はユースの剣の先端を叩き上げ、ユースの手元が痺れるほどの衝撃を与えてくる。
引っ込めずに剣を打ち上げられていたら、真芯を叩かれ手から武器をはじき飛ばされていただろう。
手の痺れにユースが表情を歪める中、ベスタは再び剣を振り抜き、ユースに連続攻撃を仕掛けてくる。
喉元裂きの薙ぎ払い、脳天割りの振り下ろし、胸を狙った突き、二秒経たぬ間にこれらすべてを的確に放つ。
堅実な戦い方を主とするユースと似て無駄が無く、しかし勝る腕力により速度はユース以上、ゆえに反撃を差し向けられても対応を間に合わせる守備力も高い。
ユースにしてみれば、自分よりも強い自分に追い詰められているような心境だ。
「開門、落雷魔法……!」
ユースとベスタが至近距離で、位置を絶え間無く変える接戦に撃ち込む魔法として、チータは最も手馴れた魔法を選択する。
ユースに余裕が無く、動きが安定していない今、雑な狙いではユースに誤爆しかねないのだ。
ベスタのやや頭上に開いた空間の亀裂から、ユースの敵めがけての稲妻が発射される。
「ふん……!」
熟練の勘が利くのか、見上げもせぬままベスタはチータの放った稲妻に対し、左腕の盾を構えて防ぐ体勢を作る。
チータの稲妻はベスタの盾、あるいはその盾から少し膨らむように広面積を形成する、ベスタの魔力に衝突してはじけ飛ぶ形にされてしまう。
鉄の壁など、その稲妻で破壊できないものに稲妻が着弾した時と同じ結末だ。ベスタの盾は、一目で単なる盾による防ぎものではないとわかる。
剣を持つ右手は完全に左腕とは独立して動いており、ユースを攻め立てるベスタの剣は休まることを知らない。
これでは駄目、チータの稲妻を容易に防いでみせ、それを全くつまづきとしないベスタの姿を見たユースがそう思い、打つ手は新しい一打である。
力強く振り抜いてくるベスタの剣、ユースの右脇腹を狙う大振りのフルスイングに、ユースはその方向へと体をひねって向けてでも、盾を構えて防ぐ形を取りにいく。
「っが……!」
「ぬぐ……!?」
詠唱なく、あらゆる攻撃を退けるための魔法、英雄の双腕の魔力を盾に纏わせたユースは、ベスタの剣が盾に激突するその瞬間に盾を振り上げた。
半ば殴り上げるような行動で、それは強い反発力を持ったユースの盾により、ベスタの剣がユースの盾によって上方にはじき上げられるような結果を招く。
明らかに力押し向きの体格でないユースの盾により、思わぬほど剣を叩き上げられたベスタは、剣を持つ腕ごと大きく振り上げる形にさせられ、胴と胸ががら空きになる。
ユースによる最速の突きが、ベスタの右胸へと突き出される。
この時ばかりはベスタも目の色を変え、盾をその位置に引き下げて、ユースの剣を受け止めた。
渾身の突きはユースの攻撃をがっつりと受け止め、反発力でユースが後方に跳ぶように離れるほど。
ユースは自分で逃げたのだが。渾身の一撃を防がれた時点で、すぐに距離を取らないとまずい。
「開門、落雷魔法陣!」
まるでユースがそうするとわかっていたかのように、位置を移して詠唱を口にしたチータが、突き出した杖の前方に、一瞬でばしりと空間を割る亀裂を作る。
その空間の裂け目を突き破るかの如く、発射される太い稲妻の砲撃は、ベスタをまるまる呑み込むほどの直径光線だ。落雷音のような轟音とともに放たれるそれは、はっきりとベスタを狙い撃ちながら、その径が呑み込む径の中にユースを含めていない。
「これが、真の魔導士――!」
ぎんと見開いた目、飢えた獣が獲物を見つけた目。
稲光によって明るく照らされた、そんなベスタの横顔を目にしたユースが鳥肌を立てる前、ベスタは左腕の盾をチータの雷撃に向けて構える。
その盾は赤黒く輝き、盾を頂点に大きな傘型の魔力の障壁を纏い、それがチータの砲撃からベスタの全身を守る大きな障壁となる。
稲妻の砲撃がそれに直撃し、ばちばちと火花を散らしながら、ベスタのいる位置を貫けない実感に、チータも小さく舌打ちする。
「――っ、かあっ!!」
吠えると共に、チータの砲撃を受け止めていた盾を振り上げたベスタにより、太い稲妻は上天に向けて軌道を折り曲げられた。
空を貫く稲妻は何者をも射抜かず、地上に残るのは破壊的魔法の通り過ぎた、台風一過の如き静寂のみ。
ぜえっ、と息を吐いたベスタの姿に、チータも腰を僅かに落とし、離れた位置からでも素早い急襲に備えていつでも地を蹴れる体勢を作る。
「……なるほど、フラックオース組の若造では、リープがいても相手にならんわけだ」
身構えていたユースやチータに反し、ひゅんと一度剣を素振りしたベスタは、リープの方へと歩きだす。
それは二人に向かう道筋とは全く異なり、思わぬ行動にユースがごくりと生唾を呑む中で、チータだけがこれを機にユースのそばへと立ち位置を改めるべく駆けていく。
「もういいのか?」
「ああ、充分だ。満足のいく戦いだった」
「今日のうちにあいつらを仕留めてくれれば、後のことが楽になるんだがなぁ」
「下種の分際で俺に指図するつもりか」
「冗談、冗談だよ。お前は今や、誰の指図も受けぬ狂犬だったな」
リープのそばへと歩み戻ったベスタは、リープと少々の語らいを落ち着いた声で交わす。
剣を鞘に収め、交戦の意思無きを表明すると共に、ユースとチータの方を一度振り返る。
ユースは未だに構えている。その隣で、チータは軽く息をつき、ひとまず脅威が去ってくれる確信に心を休めている。
「ユーステット、そしてチータと言ったな?」
「……ああ」
「再び相見えることあらば、次は断じて容赦はせん。
命が惜しくば、有望なるその才と共に、速やかにこの国を去ることだな」
は、と笑うような口角を見せ、ベスタはリープと共にユース達の前から立ち去って行った。
悠々としたその背中も、はったりの無い自信に満ちたその声も、ユースの胸にその存在感を強く刻むものだ。
ぽんと背中をチータに叩かれ、それでやっと夢から覚めたように、ユースが一度剣を鞘に収める。
僅かに生き残っていた魔物達も、リープの撤退に従うように、同じ方向へと駆け出していく。
その光景はわかりやすく、王都を侵攻していた魔物達の退却を表すものであり、戦いが終幕に向かっていることを表していた。
「大講堂周辺はハルマ様を中心とした、セプトリア兵の皆様が守り抜いているだろう。
僕達は、完全終戦の判断が兵士様から下されるまでは、この近辺を哨戒しながら待つ形でいこう」
「……そう、だな」
冷や汗の引かないユース。
あのまま戦い続け、どちらかが死ぬまでの戦いとなっていたら、自分は生存できただろうか。
片方の悪い結末も充分にあった、そう思えてならないユースの心臓は、今も苦しい意味でどくどくと鳴り続けている。
再び相見えることあらば。
ベスタが残したその言葉は、ユースの心に大きな不安を落とし込むには、ある種の魔法よりもずっと大きな効力を持っていた。




