第64話 ~事変~
「失礼します」
「……うむ、入れ」
王都が侵略者の牙に晒されたその日の夜、窮地を切り抜けた王都の真ん中、セプトリア城にて本国の要人二名。
ナナリー女王の部屋の扉をノックして、許可を頂きその中へと入っていくのはハルマである。
両者とも、日中の騒乱の渦中においては大変だった身だ。
嵐が過ぎ去った後も、その後始末の開始に着手して、明日以降もまだまだ仕事を持つ身。
ナナリーもハルマも、王と参謀らしく平静を装う顔作りには慣れているものの、目には隠しきれぬ疲労の色も少なからず表れている。
「……まずは、ご苦労。
まあ、何じゃろう……色々と、な」
「勿体ないお言葉です。
ナナリー様の背負われた労と比べれば、私めのものなど微々たるものですよ」
ねぎらいの言葉を交換する二人だが、どことなく両者の間にはよそよそしい空気が漂っている。
入室した瞬間から――いや、一人で妾の部屋に来いとナナリーから命じられた時点で、ハルマは異質な空気を感じ取っている。
来てみればやはりというところで、数ヶ月前にはハルマには全幅の信頼を寄せていたナナリーが、今日はそんな目でハルマを見ていない。
表面上は柔らかく客人を迎え入れる目で、しかしその奥に濁りを擁する、そんなナナリーの目だ。
これは、露骨に睨みつけられるよりも、嫌な予感を得る眼差しである。
「……まあ、座れ。
じっくり、話をしよう」
「はい」
ハルマは小さなテーブルを挟んで対面するソファー、その片方に座る。
向かい合う位置に座るのは当然ナナリーだ。
普段のナナリーにとっては、許婚の妹イリスとお茶を一緒に飲む際など、そうした時によく使うテーブルとソファーなのだが、今日はそれとは到底かけ離れた空気がこの場に漂っている。
「……エレム王国の皆様は、やはり格が違っておったな。
我が国の兵と比較してだとか、そういう話では決してなく、な」
「そうですね。
私がかつて属したアルバー帝国でも、あの五人に迫るほどの者すら見たことはありません」
「一人もか?」
「いや、まあ、ごく限られた一部にいましたけどね。
皇帝の近衛兵辺りに一人ほど……どうでもいいことですが」
王都を攻め込んできた魔物達は、日中セプトリア兵らの尽力の甲斐もあって、撃退することが出来た。
だが、その成功を語るにあたって、やはりユース達の活躍ははずせない。
五人がどのような活躍をしたのかは、その目で見ていないナナリーとハルマも、現地の兵からの報告で知っているのだ。
「特にシリカどのじゃなぁ。
我が国の兵をも主導し、西の関所の魔物を片っ端から斬り捨て、仕舞いには東の関所の守りにまで回るとは……
あれはちょっと、我が国の者に見習えと言おうにも無茶な次元じゃの……」
「それを聞いた時には何かの間違いかと思いましたからね。
元よりあの五名の中でも頭ひとつ抜けたお人であるのは察していましたが、想像を超えすぎています」
騎士団の活躍を後に耳にしたハルマだが、最初は兵の言っていることが理解できなかった。
西の関所で魔物達を迎え撃った兵士達は、シリカどのが来て下さって、我らを指揮しながらあっという間に魔物達の数をも減らしてくれたと言う。
東の関所で魔物達を迎え撃った兵士達は、シリカどのが来て下さって、一気に魔物の大駒を蹴散らす決定打を与えてくれたと言う。
同じ人物の名を、王都対極位置の二箇所から耳にすると、誰かと間違ってないかと思うのが普通である。
要するにシリカは、はじめ西の関所に赴いて、来るや否や関所の門を破られたセプトリア兵に、飛び入りの余所様でありながら指示を下し、リードしながら一気に魔物達を討ち取っていったわけだ。
来てからの短時間で、戦闘しながら友軍から情報をこまめに獲得し、ある程度まで魔物達の数を減らし、あとは兵士様だけでも容易に勝てるだろうというところまで至ったら、馬を借りて東の関所まで飛んでいったと。
シリカはこれまでの数ヶ月で、セプトリアの兵士様とは訓練場で何度も手合わせし、その力量の程だって概ね知っている。これも状況判断のために重要な情報として活きた。
シリカに命令されたセプトリアの兵士達も、言うことを聞いているだけで随分と安全に戦えたもので――同時進行でシリカが敵を薙ぎ倒しているせいもあるが――指揮官慣れした騎士様の手腕に感服させられたものだ。
戦後もシリカは、東の関所の兵士様らの所に赴いて、差し出がましい命令を下して申し訳ありませんでしたと深く謝罪したものだが、それで文句どころか逆に感謝の言葉が返されるのだから、よく導いていたのだろう。
なんでもシリカ、ドレスの下に着ていたコルセットのせいでだいぶ動きづらかったらしく、兵士様の力も借りないとやってられなかったらしい。
侵略者の存在を知らせる警鐘が鳴り響いていた王都は、人通りなんかあるはずもなく、すかすかの道をシリカは馬に乗って駆け抜けた。
王都も勿論広いのだが、軍馬を全力追いした時の速度を馬鹿にしてはいけない。王都の端から端まで横断するのに、数分あれば充分である。
普段は人里を早馬の全力追いで走り抜けることなんてないから、案外その事実も実感を得られづらいものだが、実際のところはそんなものだ。
迅速に、東の関所においての戦いを、勝利確実の所まで仕上げ果たし、最大速度で西の関所まで向かい、そちらにも加勢したというのがシリカのやったことである。
「アルミナどのとルザニアどのも、東の関所で遺憾なきほど、存在感を発揮して下さったようで。
戦場においては、最前列を張る尖兵や魔導士に華を認識されがちですが、後衛支援者と遊撃手の重要性があれほど物語られるケースも少ないでしょう」
「うむ……妾も心のどこかでは、うら若く可憐なあの二人のことを、未だに甘く見ておったように思う。
人は見かけによらぬと言うが、まだまだ妾もその言葉を理解していなかったのじゃろうな」
普段着のアルミナとルザニアなんて、そんじょそこらの町娘に混ざっていても何ら違和感ない、若くて可愛い、あるいは綺麗な女性にしか見えない風貌だ。
あの二人が、たった二人で東の関所の戦況をがらりと変えてしまうほどの活躍をするなどとは、見た目からではなかなか想像できまい。
狙撃手アルミナの支援狙撃は、無限の銃弾任せにガンガン魔物の数を減らし、近接戦闘に臨んだルザニアもまた同様。
実際のところ、二人がいなくても東の関所の戦い、セプトリア兵のみの力でも勝利できたであろうことは予想できるのだが、あれほど優勢に戦えたのは二人が来たからと言っていい。
ハルマの言う話だが、戦場においては、ばっさばっさと敵を切り捨てる前衛の尖兵や、派手な魔法で敵を駆逐する魔導士の方が、戦場で結果を出したい者達の目は華々しく映りやすい。
中衛、後衛も勿論大切な役割を持っているのだが、そうした戦闘の本質を真には理解しきれていない若者は、どこの軍にも必ずいる。
後衛狙撃手ながら、一人で尖兵数人ぶんの魔物討伐を果たし、友軍の優勢を一気に引き寄せたアルミナの活躍は、そうした幼い戦場認識を、真っ向から否定するほど鮮烈な活躍だ。
ルザニアもそう。彼女も尖兵側ながら、大駒ケンタウルス狩りという功績に固執することはなく、賢い立ち回りで最後まで最効率、友軍のために戦い抜くことを優先した。
その姿は、戦というのは功績さえ上げればいいのでは、と思う若い兵には、革新的な動きすらあろう。
アルミナとルザニアの活躍は、単に友軍の大いなる力となっただけでなく、突き抜けた力ひとつあれば、立ち位置など関係なくこんなにも仲間の力になれるのだと、その手腕のみで証明して見せたのだ。
兵にはなったが特別な戦闘の才能には恵まれず、自分が兵として役に立っているのかどうか実感が掴めない若者にとって、二人の姿は大いなる刺激になったはずだ。
何か一つ極めればいい、と。華々しい活躍のための才覚でなくても、と。
そうした意味で、アルミナとルザニアの戦いぶりを兵の前で披露する形になったことは、思わぬ副産物をも生み出したとハルマは言っている。
「ユースどのとチータどのも、な」
「語るべきこともありませんね。
ワーフォックスとウェアラクーンは、数多い魔物の中でも特に危険な魔物ですよ。
果たしてあの二人がいなければ、我が軍の兵はどれほどの犠牲を伴っていたか。ぞっとする話です」
ユース達の活躍は、ワータイガーらを軽く片付けて、ワーフォックスとウェアラクーンを撃破したことの一事に集約される。
人間以上の身体能力を持つ獣人としての肉体、それでいて高威力の魔法をいとも簡単に操る。
簡単に説明してたったこれだけだが、それがどれほど恐ろしい魔物であるか。
ユースの剣術が秀でたものだからそんな場面はなかったが、その気になればワーフォックスだって鋭い蹴りを、ウェアラクーンだって重い拳を放てるのだ。
それは人体に激突させれば、骨を砕く棍棒の一撃をも凌ぐほどの破壊力。対人においては、凶器級の四肢を持つ存在ということである。
接近戦が出来て強力な魔法を使えるということは、一対一の近接戦闘を地力のみでこなし、多数の敵に迫られても魔法で対処できるということだ。隙がない。
もしもあれを、セプトリア兵らだけで対処しようと思えば、討伐できても多大なる死傷者が生まれていた可能性が高い。
それを、たった二人でユースとチータは撃破してくれたのだ。
たった一戦ぶんの勝利だが、それが戦況にもたらした影響は相当に大きかったのだ。
「……ただ、あの二人が取り逃がしたという残党どもは気になるのう」
「お言葉ながら、取り逃がしたという表現は控えた方がよろしいかと。
我が国の兵ですらない、善意のみでお力を貸して下さったあの二人に、失敗を意味する言葉は不敬です」
「む……そ、そうであった、な……
妾としたことが……」
普段のナナリーならば絶対にしないような失言だ。
やはり、今日のナナリーは普通じゃない。普通じゃない上役と話すハルマは、冷静に見えて神経を遣っている。
「リープとベスタですね。
私もよく覚えています。アルバー帝国においては有名な二人でしたから。
もっとも、リープについて知る者は兵役務めの者のみ、それも噂程度にしか知られぬ存在でしたがね」
「……そのリープという者は、いったい何者なのじゃ?
アルバー帝国において、どのような立ち位置にあった?」
「アルバー帝国皇帝ベリリアルは、公には知られぬ隠し玉と呼べる側近を数名囲っておりました。
魔物遣いのリープもその一人だったのでしょう。
魔物と手を結ぶ人間というのは、どこの国家の法においても重罪であり、さしものアルバー帝国とて例外ではありませんでした。
公に知られるわけにいかぬ配下の一人に、リープも名を連ねていたのでしょうね」
原則、魔物と人間が協力関係になることは、それ自体を一括して、法で言語道断とする国が殆どである。
例外はあるが、無いと考えた方がいい。この法によって守られる秩序の方が圧倒的に多い。
人類に対して友好的な魔物も存在するが、人間社会においてこの法律は確実に、あるべくしてあるものだ。
「別の例を言うならば、女を売買することだけを専門職とした商人やら、金術を使う魔導士やら、暗殺者やら……
まあ、あの皇帝は他国ないし、自国の者にすらそういう奴が存在するとは知らせられない、そういった配下を何人か極秘に雇っていたと思って頂ければ」
「魔物遣いのリープもそう、というわけか……」
要するに、人道に反するようなことを生業としているような奴と繋がりがあるとは、さすがの暴君皇帝とて出来ないということである。
力ずくで押さえつけている国民から不信感を得ても、それはまだ何とかなるかもしれないが、他国からの印象が悪すぎる。
海ひとつ隔てた場所に、強国家のエレム王国があっては尚更だ。
「では、ベスタと名乗った者は?」
「あれは我が国でも有名な人物でした。
皇帝お抱えの、アルバー帝国最強兵の一人と言われていましたからね」
こちらはわかりやすい。
要するに、今は亡き帝国の残党にして、強者であるというだけだ。
それも、かつての帝国では広く名を知られるほどの。
ユースも一対一で討ち取れなかったと、彼自身から聞いての情報である。
ユースの実力に強く敬意を払う二人をして、ベスタの脅威度は容易に想像できよう。
「……やはりかつての独立戦争で、病床はすべて始末できたわけではなかったのじゃな」
「覚悟はしていたことでありました。
ただ、当の二人を討ち取ることさえ出来るなら……という話でもありますが」
セプトリア王国はアルバー帝都まで進軍し、皇帝を討ち取った後も、執拗な残党狩りに励んできたものだ。
徹底的なその姿勢は、実際のところ殆どのアルバー帝国軍の残党を仕留め果たした。
それでも、どうしたってその網を抜けるごく少数がいても不思議ではない。
アルバー帝国の情報を持っているハルマだって、帝国残党のすべてをリストアップするほどの記憶力は、流石に人として持ち合わせていない。
帝国崩壊の危機を迎えた帝都において、皇帝の隠し玉と言われる者達も、総動員されたことは間違いあるまい。
人には言えない配下を従えていた皇帝だが、戦役に参加していないそれら殆どが、残党狩りを逃れて今も生存している、という可能性は見なくていい。
ハルマは、リープとベスタさえ討ち取れれば最後の残党狩りも完遂できる、と示唆するような言い方をしたが、まあまあそういう見込みでも、楽観的に聞こえて的は射ているのだ。
現状、リープとベスタの討伐が望まれていて、それさえ出来れば過去の始末もほぼ――という見解で概ね結構。
ただ、奴らが姿をなかなか見せないであろうことを思えば、それもまた達成されるのが先になりそうな問題である。
「さしものリープとて、今回の進撃で失った魔物の数多くを、再び揃えることは容易ではありますまい。
当面は、今回の撃退によって、概ね奴を無力化することには成功させられたと言えます。
今は他に優先すべきことを進めていくべきと思われます」
「そうじゃな……
まあ、それはいいが……」
今回侵略を仕掛けてきたリープ達だが、それに関しては今後も警戒、可能ならば捜索も試みるべしと、話は簡潔に纏められる。
それよりまずは、戦争ひとつ終えた後の始末と復興に追われる時間の始まりだ。
明日は今回の戦役で命を失った、セプトリア兵を悼む国葬を行わなくてはならない。
民間人に死傷者がいなかったのは幸いだが、負傷した兵の手厚い看護は当然配慮を急ぐべき。
魔物達に破られた関所の補修も、早急に進めなくては二次災害の恐れがある。
王都に侵略した魔物の破壊活動により、傷つけられた街の復興も課題の一つ。ワーフォックスに火を放たれた民家もある。
そうして帰るべき家を失った人々に、仮の住まいを用意することだって必要だ。王都内だけでなく、近隣の町村の力も借りる必要もあろう。
ざっと挙げただけでこれだけあるのだ。それにかかる金の計算をするのも仕事。
行動を起こす前の緻密な計画を立てることも含めて、これからセプトリア王国の執政は大忙しだ。
戦争中は当然命の懸かった大変な時間だが、本当に長く苦しいのは戦後だってそう、あるいは戦後こそである。
「今後のことは、これから進めていくとしよう。
今は、妾はぬしと話がしたい」
「はい、政務のみならぬご用で招かれたとは察しているつもりです」
「……なぜ、妾に呼ばれたかわかるか」
「存じ上げません」
女王と参謀、二人は執政の相談でこの部屋にて顔を合わせることが多かった。
だが、今日はそうではない。基本的に政務に関わることなど、女王が書面を通して命令を下すだけでも、最低限成り立つのだ。
まして戦後の処理など、かつての独立戦争などで経験済みの二人をして、深々と語らわなくても数日間は適当にでも連携を取れるはずである。
本来こんな時期に、わざわざ国務について一対一で話す必要はない。
「わからぬと言うのか……」
「責任の追及でしたら受け入れさせて頂きます。
ただし、それは女王様の一声で全てを定められるものでありましょう。
わざわざここで、私を招いてまで、多くを語る必要は無いかと思われます」
「…………」
二人の間には、冷静な面持ちながらも張り詰めた空気が漂っている。
今、ここにおいては妙なほど、部下のハルマがやや強気に発言しているほどだ。
「畏れ多くも申し上げさせて頂きますが、私が定めた舞踏会の日程、それを狙い澄ましたようなリープ達による王都の襲撃。これはエレムの騎士様方含め、武装が遅れて対処が最迅速でなかったことに繋がりました。
ですが、晴天の霹靂の如く発生した王都襲撃、その日を私に予想せよと言われても人智を超えた話です。
正直なところ、今回の攻防戦において、私の定めた舞踏会の日程が対処を遅らせることに繋がったことは事実でありますが、それに対する責任追及をされるのは、少々理不尽ではないかと思うのです」
「……そうじゃな。
ある日突然に起こる厄災を、あらかじめ予見せよというのは酷な話とも言えような」
「私には、ナナリー様が私をそのような目で見られる理由こそ計りかねます。
存じ上げぬと申し上げたのは、心より困惑する想いもあってのことだとご理解して頂きたい」
ハルマの主張を要約すると、こんな時間に呼び出して何なんですかとでも言い換えられる。
発生した結果は自分の采配によって最善ではなくなったが、それで私を責めるのは違うとも言っているに近い。
開き直りと言われようが、俗にはやや正当性を持つ主張である。
「私は貴女の部下です。何を言われても構いません。
仰りたいことがあるのでしたら、遠慮なく言って下さって結構ですよ」
「……まずは、黙れ。
そんなにはっきりと聞きたいなら、妾も腹を括らせて貰うがな」
張り詰めていた空気がびりびりと震え始める。
幼き少女としか見えぬこの風貌の、いったいどこからこれほどの威圧感を発せるというのか。
一歩も退かずに眼差しを返すハルマだが、歴戦の武人であり参謀である彼だからこそこれが出来るだけだ。
これがまだ若いニトロなら、今のナナリーの覇気は、差し向けられただけで上半身が後ろに逃げている。
「フーリオ山地に妾が赴いた時、凶悪な魔物が妾を襲撃してきた。
とても現地に生息するとは思えぬほどの魔物がな。まるで、何者かに遣わされたかのように」
「はい」
「妾がお忍びでフーリオ山地に赴いたのは、ぬし含め限られた少数しか知らぬことであったな?」
「はい」
「ぬしの手配するとおりにハフトの都に赴いた際も、たった一日滞在しただけのその日に、ハフトの都を
フラックオース組の連中が襲撃した」
「はい」
「ぬしが定めた舞踏会の日程を、アルバー帝国の残党どもは狙い澄ましたかのように王都襲撃に踏み込んだ。
まして、妾がいる大講堂に最も近い、南関所から進撃する軍勢の層を厚くしてな」
「はい」
「これらの符合、ぬしはどう思う」
問いかける形だが、ほぼ完全に直球で言っている。
この短期間で、ナナリーの周囲で何度も発生した異常事態、それら全てにハルマが関わっていると。
それを単なる偶然だとは思っていないナナリーの目が、ハルマを真正面から突き刺している。
「ナナリー様、はっきり申し上げてよろしいですか」
「おう」
「ナナリー様は、貴女やその周りの者を襲った厄災と、私が繋がりを持っていると疑われておいでですか」
「否認せぬのか」
「私は先代国王プレアデス様に、ここセプトリア王国に、あるいはこのセプトリア城に迎え入れて頂いたご恩に報いるため、帰化以降、心血を注いでこの国に捧げて参りました。
畏れながら申し上げますが、その上でなぜ、そのような言葉を向けられねばならないのですか」
静かな声ではありながら、ハルマも理不尽に対する強き主張をその声に乗せている。
大声を発するわけでもなく、これほど強き声を静かに発するのは、はらわたが煮えくり返った人間でもなければ相当に出来ないことだろう。
「もう一度問うぞ、否認せぬのか」
「すでに否認は申し上げております。
今やかつての生まれの祖国より、身を置くここセプトリア王国こそ強く愛するこの私が、ナナリー様を、ひいてはこの国の平穏を脅かすようなことに、加担するはずがありません。
これだけ強く愛国心を語ってなお通じぬのであれば、元より話になりません」
「……ぬし、言葉の使い方を間違ってはならぬと教わったことはないのか」
「間違ってなどいませんよ。話になりません、言葉通りです。
私はセプトリア王国を愛しています。ゆえに、この国を支える最大の柱たるナナリー様を、私が私の意志で脅かすことなど断じてあり得ません。
それが通じぬというのでは、話にならぬと形容する以外に何がありましょう」
「…………」
「…………」
主君に向ける言葉とは思えぬほど、ハルマの言葉には尖りがある。
見切りも結論もつけてきているのだ。そうでなければここまで言えない。
「ナナリー様、お尋ねさせて頂いてもよろしいですか。
貴女は、私が否認の言葉を発したとして、果たしてそれを信用して頂ける心持ちにあるのですか」
「…………」
「でしたらもう、後はもうご自由になされて下さい。
私は現在の参謀位、ならびにセプトリア兵としての位より退役させて頂きます」
「……なに?」
黙ってハルマを睨みつけていたナナリーも、眉をひくつかせたのち目を見開いた。
さらりとハルマは言い述べたが、それはつまり、辞職するという意味だ。
築き上げた現在の地位も捨て、明日からは失職者になると言っているのである。
「否認してなお主君にその言葉に信を抱かれぬ参謀など、国の重役に就くべきではありません。
ましてナナリー様が申し上げているような疑念とは、私がこの城で兵役を営んでいても危ういことでしょう。
ならば私は、貴女の心労の種になるよりは、そばを離れた方が良いと判断します」
「……それは覆せる言葉ではないぞ。
取り返しのつかぬことを言っているとわかっておるのか」
「はい」
そう言ってハルマは席を立ち上がってしまった。
ナナリーに座れと言われていた場所から、部下が勝手に立ち上がったのだ。
それは、相手をもはや主君ではないと表明する行動であり、つまりハルマはもう、現時点で自分はセプトリアの兵ではないと態度に表している。
「今夜、私の部屋に仕事の引継ぎに関しての書類を纏めておきますよ。
明日にでも、誰もいなくなった私の部屋にでもお入りになって下さい」
「待て、ハルマ!
話はまだ終わっておらぬぞ!」
ナナリーの制止も聞かず、ハルマは退室する方向へと歩を進めていく。
それは、話を半ばにして逃げる姿ともとれれば、単に辛抱ならず怒れる足取りであるともとれる。
「ハルマ!!」
ハルマがドアノブに手をかけた時、今一度最も強い声でナナリーが呼びかけた。
立ち上がった彼女の目の前にて、ハルマは扉を開けてしまう。
ただ、開いた扉から去る前に、一度はナナリーを振り返って。
「長らく、お世話になりました。
ナナリー様のご多幸とセプトリア王国の繁栄、ならびにこの国に住まうすべての方々の安寧を、心よりお祈り申し上げます。
今までありがとうございました、ナナリー様」
無表情、静かな声。
静かながら感情を込めたような、あるいは形式だけの無感情な挨拶だったか、それすらもわかりにくい。
ただ一つはっきりとわかるのは、別れの言葉を口にして、扉の向こうへと踏み出して、扉を閉じてしまったハルマはもう、明日からこの城にいないということだけ。
ナナリーからすれば不完全燃焼だ。
もっと問い詰めたかったことがあった。確かめたいことがあった。
それに至るよりも先に、ハルマが幕を降ろしてしまい、吐き出そうとした言葉の多くは喉の奥。
まるで逃げられた心地である。だが、引き止めることも出来なかった。
仮にナナリーの疑念が的を射ていたとしても、これまでのハルマの功績を思えば、勇退の道を選んだ彼のことを、無理に引き止めることも難しい。
引き止めたところでその後にあるのは、詰問あるいは吊るし上げ、果ては裁判という流れにもなろう。
ハルマを無理にでも引き止められなかったのは、甘さか、功労者に対する当然の良識か。
王たるナナリーにとって、何が正解であったのかはわからない。
「…………」
再びソファーに腰かけたナナリーは、歯を食いしばるほど表情を怒りに満たし、握り合わせた拳をぎゅうっと締め込んでいた。
その時のナナリーの表情は、誰の目にも触れていない。
誰かが目にしていたとしたら、それは初めて見るほどの、怒りと憎悪に満ちたナナリーの表情である。




