第49話 ~天敵襲来~
これって世の中よくある話なのだが。
災難というものは、警戒していると気配も見せないくせに、ふと気を抜いて忘れている時に限って、いきなり不意打ちのように降りかかってくるものである。
今朝のユースがちょうどそんなものだ。
朝起きて、みんなで朝食を食べて、ひとまずお茶を飲んでくつろいでいた時のことだ。
玄関の鐘が鳴る。来客による、ごめんくださいの音。
はいはーい、と声を発したユースが玄関へと向かい、庭行き用のサンダルを履いてドアノブに手をかける。
相手が誰なのかなんて、この時点では想像もしていない。
今ならいつでも起こり得たこの災難を、ユースはこの時まったく意識していなかったようで。
「ハロー」
「い゛っ」
朝起きて、顔を洗ってさっぱりし、朝食を食べてお腹も膨れて、のどかな朝を過ごしていたユースは、普通程度に上機嫌だったはずである。
そんなユースも、この人物を目の前にすれば、洗濯物を干した途端に雨が降ってきたかのような表情と心境に変わってしまう。
「遊びに来たわ」
「……はぁ、それはそれは」
紫のローブと藍色のナイトキャップ、何より幼子のような小さな体が最大の個性である、空飛ぶ箒を手にした大魔法使い様は、自分と直面してたじろぐユースを見てさっそく機嫌よさげ。
ただ、きゅっと目を細め、口の両端をにやりと持ち上げたその笑みは、9歳前後の幼女としか思えないその顔、その笑顔が放つはずのあどけなさとはかけ離れている。
それはまるで、生け贄を目の前にして舌なめずりをする魔女を思わせるもので、それをこの幼顔から醸し出すというのだから、性悪の年季が相当に深い証拠である。
「上がっていいわよね?」
「……まあ、はい」
「あら、もしかしてイヤ?」
「べつにそんなことないですよ」
「じゃ、お邪魔するわね」
嫌なんだけど嫌とは言えないジレンマに苛まれつつ、ユースも棒読みで返答だ。
もっとも、その返答がユースの口から発せられる前から、エルアーティは前進を始めている。
ユースの横を素通りし、まるで我が家のように遠慮なく家に上がる足取りである。
しかもユースの横を素通りする際、低い位置からユースのお尻をさわっと撫でていく始末。
「っ……!?」
「うふふ、またいい体つきになって。服越しじゃなく、じっくりとその体、見せてもらえないかしら?」
ばっとエルアーティに向き直って絶句するユースを、エルアーティは柔らかい拳を口元に添えて、くつくつと笑っている。
頭にくるより先にぞぞっとする。男のケツを触る女の気持ちが、ユースには全くわからない。
「……本当、ちょっとやめて貰えませんか」
「あらやだ怖い。襲われる前に逃げましょ」
口元を手で隠して笑う、からかう顔を一度見せたのち、エルアーティは玄関先に箒を置いて、居間の方へと去っていった。
見送るユースは額を押さえて、深々といやな溜め息をつくばかり。
今すぐどこかに出かける形ででも逃げ出したい。居間に戻ってあの人と同じ空間に居合わせるのは嫌だ。
でも、ユースは知っている。逃げたら逃げたで、それこそ余計にエルアーティを喜ばせるだけだって。
拒絶を示す、嫌だというのを示せば示すほどに、あの人は嫌がらせのように距離を詰めてくるような人だ。
想定される最も嫌な展開から逃げるために、ユースはエルアーティのいる居間の方へと戻る選択をしなければならないというこのパラドックス。
ユースに言わせれば、今日はもう最悪の日である。滅入る。
「――あれ、わわっ、エルアーティ様!? わわわ、おはようございます」
「ごきげんよう、アルミナ。急にだけど、気が向いたから遊びに来ちゃったわ」
エルアーティが来訪したその時、居間にはユースとシリカしかいなく、他三人は自室でくつろいでいた。
ふとした気分で居間に降りてきたアルミナはびっくりしたものである。世界的にも有名な賢者様、ここ王都に来賓されていることは当然知っていたが、まさか我が家に来られているとは。
誰とでも、たとえ相手が年上でも失敬ない程度に気軽な声を発せるアルミナも、不意打ち気味のこの対面には流石にご挨拶の声も上ずっていた。
「急にどうされたんですか? しかもこんな朝早くに」
「なんだかユースの淹れてくれるお茶が飲みたくなってね。美味しいわ」
「あ、このお茶ユースが淹れたんだ。シリカさんだと思ってた」
「シリカも淹れようとはしてくれたんだけどね」
そう言って、ティーカップに入ったお茶を口に含むエルアーティは、口の中に広がる味を満喫して微笑む。
その隣に座った、あるいは恐らく隣に来てと座らされたユースは、見るも明らかに不安げな顔。エルアーティと一緒の空間にいるだけで、ユースはすぐこんな顔になる。
その二人の対面位置に座るシリカも、ちょっと萎縮気味の顔をしているが、流石にユースのいつイタズラされるかわからなくて怖い、という顔よりはずっとましである。
ちなみにシリカもエルアーティのことはあまり得意ではないのだが、彼女はエルアーティに対しては真っ当な敬意を抱いているし、決して根から苦手というわけではない。
昔エルアーティにきついお叱りを受けたことがあって、以降エルアーティを前にすると萎縮してしまうようになってしまった、というだけ。その件は、解釈のしようにもよるが、シリカにも非のようなものがあったので仕方ない話である。
「この子、基本的に家庭的スキルに秀でてるわよね。
あなたも見習ってみないの? お料理が苦手だと聞いてるけど」
「いやー、私は味覚がダメダメでして……野菜を切ったりとかお手伝いはよくやるんですけど、人向けの味付けがどうしても得意になれないんですよー」
ユースと二人で挟むような形でエルアーティの隣に座るアルミナは、失礼のない敬語は使いつつも、語り口は普段どおりの彼女にもう戻っている。リラックスしている。
反対側でエルアーティから目を離さず、その行動を警戒しまくっているユースとは対極的だ。
「シリカのお茶は上品さに満ちているし、どんな時に飲んでも美味しいんだけど、面白味という意味ではユースの淹れるお茶の方が勝っている部分もあるからねぇ」
「そうなんですか?」
「ええ。この子、感情が作るものによく表れるもの。あなたも飲んでみて、一発でわかるわ」
「私、味覚ダメなんですよ?」
「それでもわかるわ。さ、飲んで飲んで」
シリカの淹れるお茶は基礎をばっちり押さえており、そこに季節柄やその日の天気、相手の気分も想像で補う工夫も混ざるから、かなりの率で万人受けする。
一方ユースもお茶を淹れるのは上手な方で、シリカほどの応用力は無いものの、基本的なことは概ね押さえてあるから、客人に出すお茶として当たり障りのないものはいつでも出せる。
エルアーティの来訪に、はじめはシリカがお茶でもと淹れようとしたようだが、それを制してまでエルアーティはユースにお茶を頼んできたらしい。
エルアーティとの間接キッスの形になりながら、ユースが淹れたというお茶を受け取って口にするアルミナは、ちょっと嬉しいような複雑なような気分。
ユースの淹れたお茶を飲める機会を得られたと思えば少し嬉しいが、誰のために淹れたかってそれは私じゃないんだよなあ、って。
「……あー、わかる。わかっちゃう、味オンチの私でも」
「でしょ? わかりやす過ぎるんですもの」
時間が経って多少は冷めているから少々の誤差はあるだろうが、間違いなく茶葉の適正温度と湯の温度が噛み合っていない。
人様向けにはとりわけマメな性格のユースだから、茶葉の適正温度なんて絶対に間違えるはずがないのだ。
お茶を淹れる際、どれだけ乗り気でなかったのか、それによっていかに集中力を欠いていたのかがよくわかる。
「はい、ユースも飲んでみて?」
「いや、それエルアーティ様に出したお茶なんで……」
「いいから、ほら。さっさと飲んで?」
アルミナから返されたティーカップを差し出してくるエルアーティには、ユースも受け取るしかない。
飲めと言われても何だか嫌、だって飲んだら味についてどうこう聞かれて、エルアーティと会話する話の種を与えることになる。
アルミナとシリカを交互に見て、誰か助けてくれませんかと目で訴えるユースだが、あいにく助け舟は出ない。
自分が口にしたばかりのお茶をユースが飲むんだ……と、胸を小さくときめかせるアルミナと。
自分以外の女性二人とユースが間接キッスしそうなこの状況、そのユースをあまり見たくなくて目を逸らしがちのシリカが。
今この空気と心模様で、ユースを助けるための口なんか回せないのである。
「どう? ユース」
エルアーティとの絡みに対する忌避感で頭がいっぱいのユースは、乙女二人の内心はおろか、間接キッスが発生する状況であることも忘れ、渋々お茶を口にすることしか出来なかった。
口に含んで転がして、よーくじっくり吟味して。
コイツ私との間接キッスってわかってんのかな、めちゃくちゃ舌絡ませてるけど――と、それを見守る
アルミナは、見てるこっちが恥ずかしい、それとも意識してる私がバカなの? ってな心地である。
「……いや、未熟なのはわかってますけど」
「そうじゃない」
ティーカップを置いてそう言ったユースだが、隣に座るユースの両ふとももに、エルアーティがその両手を置きにいっての急接近。
そうしてユースの真下からわざわざ見上げる姿勢になって、きらりと目を光らせたエルアーティが、真っ直ぐユースの瞳を見つめてくる。
「あなた、私のことが苦手でしょう?」
「っ……わ、わかってるなら、こんな……」
「その苦手意識が、お茶の味にまで表れるのが面白いのよ。
味について何を言われるんだろう、早く帰ってくれないかな、でもわざと美味しくないお茶を淹れるのは人としてしたくない――そんなあなたの迷いすべてが手に取るように舌で感じられる、こんな経験はあなたとのお茶でしかそうそうお目にかかれないわ」
わかってるんなら慮るなりして欲しい、というユースの主張は途切れさせ、あなたの心は何でもお見通し、と言わんばかりの言葉の羅列。
一方で、まめ一つない女の子の手であるエルアーティの柔らかい掌が、ユースの太ももに軽すぎる体重の力を加え、女性の肌に触れるユースの心から落ち着きを奪っている。
ただでさえ、エルアーティの"目"がユースは苦手である。
心を見透かすかのような瞳と目を合わせるのは、ユースに限らず多くの人が好まないものだ。心を覗かれるのは誰しも嫌なことである。
「ふふ、どきどきしてるわね。それは緊張? それとも恐怖? あるいは、情欲?」
「ちょっ、ちょっとっ!?」
それでエルアーティから目を逸らしていたユースだが、シャツの下に手を這い入れてきたエルアーティの行動には鳥肌を立て、エルアーティの両肩を握って目線を下に向ける。
それでもエルアーティは手を止めず、すべすべの手肌、指と掌で甘くユースの腹、その肌を直接撫ぜ上げ進み、その掌をユースの左胸まで侵入させる。
手が進むたびに生じる、背筋がぞわつくような感触で力を奪われていたユースだったが、いつの間にか椅子から降り立ち、ユースのすぐ横に立つエルアーティは、半ばユースの服をめくり上げるような形で、彼の左胸に掌を当てている。
「うふふ、肌が前後するほどのこの鼓動、たまらないわ。
ねぇ、直接見せ……」
「っ、く……!」
もう無理、耐え切れなくなったユースは席を立ち、エルアーティの手から逃れるように後ずさった。
過剰に逃げ、壁にまで背中を合わせて息を荒くするユースの顔は真っ赤であり、エルアーティを睨み付ける目も鋭い。
猫を目の前にした鼠というか、食われてたまるか、でも力の差はわかっていて自信は無い、という目だが。
「あらあら、そんな顔しないの。可愛い顔が台無しよ?」
「お……っ、怒りますよ、本気でっ……!」
「もう、仕方ないわねぇ。反抗期なのかしら」
やれやれ、と肩をすくめて席につくエルアーティは、ユースがテーブルに置いたお茶を再び口にする。
ユースはもう動かない。この場から逃げることはしないけれど、かと言ってもうエルアーティの隣に座るのは嫌。その意思表示をするかの如く。
「間接キスまで受け入れてくれたんだから、そんな邪険にしないで欲しいわねぇ」
「んな……しっ、知りませんよっ、そんな事っ!」
手の甲を口元をぎゅっと押さえ、ユースは精一杯の反抗を示した。
言われてみればそうだ、と今さら思い出して、明らかな動揺の色が一瞬見開かれた目に表れていたが、それを隠すための大声のようなものだ。
これ以上あの人のペースに乗せられてたまるか、という気概もうかがえよう。
「ね、アルミナ?」
「んー、あー……知りませんけどね……」
ちぇ、やっぱり意識なんてしてなかったんだ、とばかりにアルミナも、少し呆れたような笑顔でエルアーティに返答する。
あいつ私のこと女だって認識するって約束したのになぁ――
でもエルアーティ様の前でテンパってたし仕方ないか――
まあ、それはさておいても急に意識変えるのも無理だろうし、今回は大目に見るべきなんだろうな――
と、頭の中ではかなりの回転速度で、ユースに対してお咎めなしの結論を導いていたりも。
頬杖ついて、鼻でのみ小さく溜め息をついたアルミナの哀愁は、それだけで内心をすべて周りに表すほど主張の強いものではない。
「………………あっ」
だが、流石にユースも気付いた。遅い、遅すぎる。
しかし、それなりにその発見は、ユースにとっても衝撃度が高かったのか、小さく声まで漏らしたユースに、思わずアルミナも目線をそちらに向けてしまった。
目が合うユースとアルミナ。言葉はなく、二秒の沈黙。
いいよいいよ、忘れてたんでしょ、余裕なかったもんね、とアルミナが小さく笑うと、ユースがぼふっと頭から煙を噴かせ、ぎゅるっと顔を横に逸らしてしまった。無論、口元を手の甲で隠したまま。
それを見て、ころっと機嫌が直ってしまうアルミナだから、彼女自身も案外私も単純だなあって、自嘲の笑みが溢れてしまったものである。
もしかしたらその笑みは、周りの目には、うぶなユースを笑った顔のように映ったかもしれないが。
「すけべ」
「う……うるさいなぁ、もうっ!」
照れ隠しに発されたアルミナの言葉に、返す言葉もないユースは相手の顔も見れず、屈服の大声を放つことしか出来なかった。
せっかくこの時、ちょっと赤らんだアルミナの上機嫌な笑顔が見える場所にあったのに、それを見逃したのはユースにとって、少し勿体ない話。
一方、不幸の真ん中にあったユースとは対極、ある意味シリカは幸運である。
今の一連のやりとりを黙って見ていることしか出来ず、かちんこちんに固まっている格好のつかないその顔を、余裕の失われたユースに見られずに済んでいたのだから。
「じゃ、ユース借りてくわね」
「うーん、何だかもの凄く胸騒ぎがするけど、いってらっしゃいませぇ」
「胸騒ぎって何、どういう意味で?」
「よくわかんないけど、誰も得しない展開とかありそうな、そんな予感がですねぇ」
「うふふ、面白いことを言うわね」
玄関口にて靴を履いた、上機嫌の魔女と、ド憂鬱顔の騎士一名ずつ。
エルアーティが、今日はユースと一緒に二人で王都を回りたい、と言うので、そういう展開になってしまった。
とりあえずこの時点で、ユースの心はとうに折れている。もう逃げられない。
見送る側のアルミナとシリカは、さほどは本来この状況を憂いてはいない。
エルアーティがユースを好いていることは知っているが、それは恋慕のそれではないとわかっているし、仮にそうでもユースのエルアーティに対する忌避感は鉄板なので、二人がどうこうなることは絶対にない。
本来、ユースが女性と二人歩きなんていうシチュエーション、シリカとアルミナには面白くないはずだが、エルアーティはそういう意味でのライバルにはなり得ないから、別に構わないのである。
ただ、さっきのエルアーティの挙動を見ていると、まさかとは思うが嫌な仮説もちょっと沸く。
超極論だが、まさかユース、食われたりしないよねって。
本当、まさかまさかでしかないけれど、帰ってきたユースはもう綺麗な体じゃない、なんて展開はないよねって、そんな不安がちょっと沸く。
「安心なさい。仮にも今のユースはエレム王国騎士団を代表する、セプトリア王国とエレム王国の掛け橋の長。
私も自分の手癖の悪さは自覚があるけど、人前でこの子に恥ずべき行動を強いるほど鬼じゃなくってよ?」
「いやー、そこまでは疑ってませんけど」
「人前で、かぁ……」
ぽそ、とユースが呟いた。はっきりと、エルアーティにも聞こえる声で呟いた。
人前じゃなかったら何してくるかわからないってことですね、絶対に二人きりの空間には行きませんよ、という牽制を強くかけている。ユースは微塵もエルアーティを信用していない。
「ま、とにかく夕頃には帰るわ。
その後のことは、それから考えることにするけど」
「あ、もしかして?」
「ええ、ちょっとだけ考えてる。流石にこればっかりは、迷惑になるなら遠慮するつもりだけどね」
もしかしたら今晩泊めて、の流れもあるかもしれないというやつ。
牽制を意図的に聞き流されたばかりか、そんな予感まで得させられたユースの眉が、ひくっと震えてさらに顔色を悪くしたが、どうもエルアーティは見ずしてそれを察しながら、それすら楽しんでいるようにも見える。
「それじゃあ、行ってくるわ」
「はーい、いってらっしゃいませ」
「……いってらっしゃいませ」
そう言って去っていくエルアーティと、肩を落としたユースの背中を見送る、アルミナとシリカのテンションの違いは明らかだ。
流石に大人、賢者様を見送る声の張りこそ、普段どおりの礼節を満たしたものと変わらぬよう演じていたシリカだが、やはり内心ではすごく不安になっているのだろう。
エルアーティが、容赦のない性格なのは知っているからだ。二人きりになって、ユースに何をするのかもわからない。
単純に、ユースのことが心配で心配で。助けられるものなら助けたかったのだけど。
「うーん、まずいことになった」
「……お前も、そう思ってるのか」
「正直、けっこう怖いですよ。
まさかのまさか、本当まさかですけど、ユースの貞操大丈夫かなって……
いや、無いとは思ってますよ、思ってますけど、なにせエルアーティ様なだけに」
玄関で靴を脱いだ辺りで、アルミナがぶっちゃけた。
それを聞いてシリカも、想像はしたものの流石にそれはないだろう、と決め込んでいた仮説を、アルミナも同じことを考えていたと知った途端、やっぱりあり得ない話ではないのか、と思ってまた不安になってくる。
「……冗談ですよ、冗談!
こーいうのって、先にこう想定しておいたら、実際には起こらないもんですって!」
あまりにもシリカの表情が曇るので、口が過ぎたかと思ってアルミナも取り消しておくことにした。
ユースがもしエルアーティに……と、最悪の悲劇を想定したシリカは、親指の付け根を口に添え、ずーんと暗い目になってしまっている。
好きな人が貞操の危機にある、なんて、恋する側からすれば気が気であるまい。
「……えー? もしかしてシリカさん」
今のだけじゃ不充分か、と、過ぎた冗談に負い目があるアルミナは、追加のフォローを入れにいく。
ここは敢えて、シリカが気持ちを切り替えやすくするための、ちょっと挑発的な言葉を作りにいく。
「私はもし今日なにがあったって、ユースのことは好きなままでいられますよ?
シリカさんは、そうじゃない?」
恋心の強さの比較を迫る。私は何が起こっても、極論たとえユースが他の女性と関係を持ったって、この恋心は死にませんよと。
あなたはそうじゃないんですか、その程度の想いですか、と。
「……そんなわけ、ないっ」
「ほんとに~? 意地になって言い返してるだけじゃ~?」
「むむむ……見くびるなよ、私だってっ……」
想いの強さでも私の方が上だぞ、と、ちょっと勝ったような目で見上げてくるアルミナに、シリカはちょっと強い目で意地を返している。
いい具合に意識がそちらに逸れ、同時に、ユースに対する心配も薄れたようだ。
これならたとえ何が起こっても、起こらない最悪想定にすら覚悟が固まったことで、シリカの心にひびが入ることはあるまい。
いかんせん、この件について一騎打ちになってしまうと、シリカはまだまだアルミナに敵いそうにない。挑発言動に意地を返すので精一杯なばかりで、気遣われていることにも無自覚なようでは。
それだけ必死、負けたくないって食い下がってくるこの姿は、それはそれでアルミナにとっては油断ならないライバルの姿であり、これを見てアルミナも案外、自発的に張り合いに行っている。
何事もそうだが、自分が劣勢にあると自覚してなお食い下がってくる宿敵の方が、優勢側にあって余裕かましているライバルよりも余程怖いのである。
「んふふ、ホントにシリカさん、私よりも年上?」
「う、うるさいなぁ……言っておくけど、私だって譲るつもりはないんだからなっ……」
二人で目を合わせ、ぱちぱちと火花を散らし合う。火花の炸裂地点が両者の目の中間点よりも、シリカの側にあるぐらい、年上の方が眼力でも押されているが。
自分がいない場所で、二人がこんな小競り合いをしていることなんて、ユースは露知らずである。
もっとも、今のユースはそれどころではないので、察しろというのも酷な話に違いあるまい。




