第50話 ~ニトロの家族~
「ところでユース。あなた、この国のことはどれぐらい知ってるの?」
「えっと……どれぐらい、というのは?」
「解釈はご自由にどうぞ。
この国、セプトリア王国が"どんな国であるのか"を、あなたなりに知っていることを頼りに言ってみて?」
王都の通りを歩くユースの隣に、空飛ぶ箒にちょこんと座ったエルアーティが並び、ユースの歩く速さに合わせてふよふよ進んでいる。
体の小さなエルアーティは、大人と一緒に並んで歩くと速度が合いづらいので、誰かと同行する際には概ね空飛ぶ箒に乗る。
速度の調整も高度の調整も自由自在、そんな魔法の箒である。目線の高さが、常にユースと同じ高度。
「んー……4年前ぐらい前に、アルバー帝国から独立した国だっていうのはこないだ知りました。
独立、って言っていいのかはちょっとわかんないですけど、なんかそういうニュアンスでしたし」
「定義を問うのは重要なことね。まあ独立という言葉で構わないんじゃない?
夏には独立記念日というのがこの国にはあるし、それはアルバー帝国との戦争に勝った日付とされているしね」
「あとは、ナナリー様やニトロ、ハルマ様やアルバーシティを統治されているウィーク様だとか、政に関わる人達のことを何人か知ってるぐらい……かな」
「ふむ。あとは、どこのお店が料理が美味しいかとか、気のいい商人様が誰かとか、俗な話ぐらいかしら」
「そうですね。そういうとこも話せばよかったですか?」
「道すがら、ちょっとそれも聞かせて頂戴。
たいしたことのない情報、とは自分で思わなくていいわ。何でも適当に教えて」
「えーと、じゃあこないだ行った市場で、野菜を売ってくれた行商人様の話なんですけど――」
二人はこつこつと石畳敷きの王都の道を歩き、その行き先はエルアーティが主導しているようだが、今のところどこに向かっているのかはユースに知らされていない。
どこだか知らぬが、エルアーティの思う目的地とやらに着くまでの時間、ユースはとりあえず思いつく限りのことを話し、なんとか話を繋いでいく。
「へぇ、野菜売りの行商人が鈴売りを兼ねているのね。
夏が近付いてきたら、それが風鈴に変わったりもするのかしら」
「そんなこともちらっと言ってましたね。
どこの商人様も、やっぱり時流に合わせて常に何かしら一考されてるんだなあって」
「至極当然のことではあるけど、改めて目の当たりにすると、へぇと思わされることもあるわよね。
私は魔法学者、あなたは騎士、異なる職種の方の話には、既知の新鮮というものもある」
「俺が商人様のお話を、いつも楽しいなって思うのはそういうことなのかなぁ。
――話を戻しますけど、その商人様の売ってくれた鈴をアルミナが気に入って、部屋に飾ってるらしいんです。
いい音がするって、今度お礼を言いに行く機会を作ろうとも言ってましたよ」
話し上手ではないと自認するユースだし、別段面白いことを話せているわけではないものの、相手方を退屈させまいと極力途切れなく話すその口は、エルアーティの暇潰しにはなっている。
話題が最初の質問から少々逸れることもあるが、横道もまた話の華というものだ。
極力話が逸れないよう、しばしば元のコンセプトに話題を引き戻すユースのスタンスだけでも、エルアーティの目線では、律儀な子ねぇと眺めて面白い要素である。
そうして何分か、ユース的には頑張り続け、与太話を継続していく道のりの中、特に目的地とやらについてはエルアーティの口から言及されない。
ただ、口にされなくともユースには、どこに向かっているのかが途中からだいたいわかってくる。
家からセプトリア城に通ったことは、ユースだって何度もあるわけで、今歩いているルートはだいたいその道のりと一致しているからだ。
「ふふ、ありがとう。
話上手じゃないって自分でも言いそうなあなたが、私を退屈させないよう頑張ってくれるの嬉しかったわ」
「いや、まあ、満足して貰えたなら光栄ですけど……お城、ですか?」
「ええ、ちょっと待ち合わせをしていてね。あなたにも同席して貰いたくって」
やがてセプトリアの城門前に到達した辺りで、退屈凌ぎの話題提供はここまででいいと、エルアーティが一区切りをつけてきた。
あとはそのまま、二人して城門をくぐって城の中へ。
そこからは、あまり会話も無い。
無言でエルアーティと並ぶ形で歩くユースは、黙っているとなんだか無性にむずむずする。
沈黙の中にあると、逆に頭の中でこの後のことを想像して、しかもすぐそばにエルアーティがいるとあっては、いつどこで何か変なことをされないかと、身構えたくもなってしまうのだ。
「それにしてもユース。頼んだら、私を退屈させないよう口を回してくれるの、確かに嬉しいのだけど」
「あ、はい……え、ちょちょ……」
箒に乗って並び飛ぶエルアーティが、急に乗り物ごとユースに寄り添い、横からユースの首の周りに手を回して抱きついてきた。
箒はエルアーティのお尻に接着されているのかの如く離れず、それに接しているエルアーティは無重力の中にあるかのようで、浮く身でユースの胸より上に抱きついても体勢を崩さない。
ユースは戸惑って足を止めざるを得ないが。城の廊下、女中らも通る目もある中で、急にいきなり何ですか状態。
「いつもそんなふうに、優しくしてくれた方が嬉しいのよ?」
「えー、あー……わ、わかりますけど、近いです近いです……」
エルアーティがその気になれば、鼻と鼻を触れさせられるほどの至近距離で、ユースにそう囁きかけてくる。
正面向き合うのがちょっと気まずく、顔を横向きにして目を逸らすユースだが、それがちょっと失敗だったか。
鎖骨の上の首筋に、ちゅっとキスされた。いきなりのことでびっくりしたユースが後ずさるが、同時に手を離していたエルアーティは、空中体勢を崩さずにくすくす笑っている。
「私、あなたのこと大好きよ? 優しいあなたなら、もっと好き。
できればもっともっと、私にあなたのことを好きにさせて頂戴?」
好きの種類が明らかに恋慕のそれとかじゃないし、しかもこの人、好む相手にはいたずらしたがる性分の変わり種。
普通だったら言われて嬉しいはずの言葉も、エルアーティに言われるとユースにとってはうなずきにくい。
口付けされた首元を手で押さえ、きょろきょろ周りを見渡すユースは、人目もあり得る場所で何するんですかと態度に表している。
幸い、目撃者はいなかったが。いても問題は起こらないけど、ユースとしては何となく、今のを誰かに見られると恥ずかしい。
「……善処しますよっ」
「うふふ、期待してるわ。無理に頑張らなくたってもいいけどね」
ユースが善処しようがしまいが、むしろしなかったとしても、私は勝手にあなたをもっと好きになって、やりたいこと好きなだけやるわよ、とでも聞こえそうな言い回し。
ふよふよと箒を進め始めたエルアーティの横を歩くユースは、さっきまでよりちょっとエルアーティとの距離を大きく作っていた。
歩く中、ちら、ちらとしばしば流し目でこちらを見てくるエルアーティに、ユースもいちいちぴくり、ぴくりと肩をひくつかせて反応してしまう。
怖いんだもの。いつ何をしてくるかわからないんだから。
ちょっと怯えの入っているユースの反応を楽しみ、ずっとにこにこ邪悪な笑みのエルアーティと並び歩くユースは、目上の人の前での溜め息を我慢するので必死だった。
「ごきげんよう、参謀ハルマ様」
「敬称は不要ですよ、偉大なる魔法学者エルアーティ様。どちらが格上だと思っておられます?」
やがて辿り着いたのは城の裏庭、裏手の庭園とも呼べる場所である。
そこで待ち合わせていたハルマの挨拶から察するに、セプトリア王国の参謀様と、魔法都市ダニームの賢者様を比較した時、世間的に格上となるのは後者ということらしい。
一国の参謀格よりも、一介の都市の称号持ち魔法使いが格上扱い、というのは一見不思議なことではあるが、ユースも違和感を感じない程度には、エルアーティの持つ"賢者"の称号は大きいのだ。
魔法都市ダニームとは、古くからのその名称を貫いているだけであって、今では"ダニーム地方"とまで呼ばれる広域を一手に統治する都市、つまりは一国の首都にも相当する大きな都である。
そんな魔法都市において"賢者"の称号は、その実かなり特別な肩書きとして扱われ、魔法学の発展のために相当な貢献をした大魔法使いにしか与えられない、極めて価値の高い称号なのだ。
百年の間に、賢者の称号を与えられる者が一人もいないなんていうのも歴史的にはざらであり、そんな称号を賜っているエルアーティとは、まさしく百年以上に一度の大魔法使いということ。
余談だが、現代のダニームにおいて"賢者"の称号を持つ者は二人いて、賢者が二人もいるこの時代というのは、千年に一度あるかないかの凄い時代だと言われているそうで。
賢者になると、首都相当の魔法都市にて特権も数多く与えられ、国相当の領地を持つダニーム地方の政治にも口出しできるようになる。それだけ特別な称号ということだ。
いわばエルアーティは、一国の元老院相当の立場にあると言え、セプトリア王国の参謀様と並び立っても、その地位は劣らぬという話で通じるのである。
「そんなに気を遣ってくれなくていいのに。
一国の参謀様が、こんな一介の学者にあまり謙っては、格好もつかないでしょうに」
「いえいえ、そもそも私は個人的にも、あなたには大きな恩がありますから。
素直な心持ちからも、こういった話口調にはなりますよ」
「恩? ……あーなるほど、いつぞやのね。
別にあれは私一人の意向によるものじゃないし、恩として見て貰うほどのことじゃなくってよ?」
「それでもエルアーティ様の一声にきっかけがあったのも事実でしょう。
まあ私が恩義を感じるのも差し出がましい気はしなくもないですが、それでも嬉しかったのでね」
「ふふ、そう。こういう形であなたも幸せになってくれているなら、それは素敵な副産物ね」
ハルマとエルアーティ、どうやら今以前にも繋がりがあったらしく、当人同士でしかわからない内容の会話で思い出話を挨拶ついでに。
傍からこれを聞くユースと、そしてこの場に居合わせているもう一人には、何の話をしているのかはちょっと読めまい。
「それにしても、私との待ち合わせをしておきながら、女を連れ込んでるなんて隅におけないわねぇ」
「やっ、えっ、あの、これは私が無理を言って……ハルマ様のせいでは……
違っ……お、おはようございますっ、賢者エルアーティ様っ……!」
そのもう一名は、さっそくテンパっている。
エルアーティの登場で、既に顔から血の気を引かせていて硬直していた彼女は、ハルマを擁護する弁を最優先にして、挨拶すら遅れている始末。
ニトロの妹、王族にあらずもお姫様のようなドレスに身を包んだイリスは、体を垂直に曲げるほどのお辞儀で、エルアーティにようやくのご挨拶だ。
「すみませんね、エルアーティ様。この子を責めてやらんでは下さい。
私も若い子にお喋りしたいと言われては、どうにもたまらず我慢できるわけがないんで」
「いいわよそんな、あなたみたいな男前は、女を侍らせているぐらいでちょうどいいんだから」
「ご、ごめんなさい、ハルマ様、恥を……」
「気になどされるなされるな、私は楽しかった」
異国のお偉い様、エルアーティ様との待ち合わせをしていたハルマだったが、イリスがお話したいと言ってきてしばらく一緒にいたという運びだったそうで。
そういう待ち合わせの場、目下のハルマが女連れで待つのは本来失礼なことだ。
エルアーティ様が来るからあんまりよくないんだが、とハルマも笑いながら釘を刺していたのだが、それでもどうしてもハルマとお話したかったイリスは食い下がり、結局エルアーティとの対面の時までもつれこんでしまったというわけだ。
ハルマは多忙の身で、イリスも彼と話がしたくても出来ない日が非常に多い。
イリスがハルマに対してどういう感情を持っているかは、本人は隠しているつもりでも周知の事実だが、そういう乙女にとって今日のチャンスは見逃したくなく、わがままを言ってしまったのだろう。
エルアーティでも一目でわかる恋心、イリスとハルマを責める気は全くない微笑みぶりだが、自分のわがままでハルマに失敬させてしまったと感じるイリスは、エルアーティ来訪の瞬間から顔色真っ青というわけであった。
「ふふ、イリスちゃん、こっちいらっしゃい?」
「は、はいっ……!
あのっ、私どんな罰でも受けますから、どうかハルマ様にだけはっ……」
おいやめろ、とユースは密かに戦慄する。
エルアーティの本性を知る彼としては、この魔女に"どんな罰でも"はやば過ぎると思うからだ。
過剰な自責と、恋する相手を守りたい想いによるとはいえ、それは危険だろうと。
「頑張りなさいね?」
「ぅゅ……」
エルアーティに近付いて、頭頂部を見せるほど頭を下げたイリスに、エルアーティはそう小さく耳打ちした。
何を頑張れって、そりゃ伝わるだろう。自分の胸に聞いてみれば。
ぼふっと頭から煙を出して、顔を真っ赤っ赤にするイリスは、今の顔をハルマに見せられなくなったという意味で、頭を上げられなくなってしまう。
「じゃ、ハルマ、行きましょう。どこでもいいけど」
「一応、予約とってありますよ。さあ、参りましょう」
今のイリスをこれ以上いじることはせず、エルアーティは先導するハルマに続き、ユースを従えついていく。
ハルマの後ろ姿を見送るイリスは、もしもハルマが振り返って今の顔を見たら大変だとばかりに、片手でお上品に口元を隠していた。
後ろ姿だけでも目を離したくないぐらい好きなのである。
うっとりとした眼差しを、振り返らなくても察せるエルアーティは、若いっていいわねぇとばかりにくすくす笑っていた。見た目はイリスよりもずっと若いくせに。
「この子はあなたと違って、私に対してものすごい借りがあってね?
絶対に私には逆らえないのよ。ね、ユース?」
「わかってますってば……別に逆らったりしてないでしょ」
三人は、城の近くの小奇麗なオープンテラスにてお茶の席を囲んでいた。
シリカとの酒の席でもそうだが、どうもハルマは空の下での憩いが好きなのかもしれない。地位では王族に次ぐほどのお偉い様にも関わらず、彼の性根は割と庶民寄りである。
シリカとの飲み場と違って、今日は小奇麗な場所を選んでいるのも、エルアーティに合わせてのものだろう。
「ははは、エルアーティ様に借りを作るとは、ユースどのも大変ですな」
「でしょ。この子、きっと後悔してるわ」
「後悔はしてませんけどねぇ……」
でしょ、って。自分の性悪を自覚しての発言に、ユースは頭が痛くなってくる。
ユースは過去に、エルアーティにかなり大きな意味で救われたことがあり、その恩の大きさがどれくらいかと言うと、ちょっと他に並べられる例がないぐらい。
エルアーティがいなかったら、今のユースは絶対になかったと、話を聞いたら誰でも納得できるほどだ。
そんな事情もあって、以来ユースはエルアーティに頭が上がらない。エルアーティも、いちいちそれを引き合いにして無茶を言うことはないが、ユースにとってはかなりの弱味になっているのも事実である。
「エルアーティ様は、好きな相手にこそ意地悪なところがありますからなぁ。
好かれたユースどのが、幸せなのか不幸なのかはちょっとよくわからない」
「幸せよね、ユース? 幸せって言って?」
「しあわせです。これでいいですか」
「嬉しいわ~、ユースが私に好かれて幸せって言ってくれてる」
頬杖ついて、ぶすっと顔を逸らしてそう言うユースの言葉に、どこから本音を感じられるというのやら。
言質だけで、これ見よがしに喜んで見せるエルアーティは、一介の平民が一国の宰相級の賢者様にこんな態度を取ったことを咎めもせず、全然許せるぐらい楽しんでいるご様子。意地悪。
「誰でも誰かに好意を寄せられると嬉しいものよ。
ハルマも、イリスに好かれているのは嬉しいでしょ?」
「嬉しいには嬉しいですが、身に余ると言いますかねぇ。
彼女は私にはちょっと勿体ないですよ、もっといい殿方に巡り会えた方がいいですのに」
エルアーティの弁は、自分がユースを好きなのだからユースも嬉しいはず、とユースをからかうついでに、ハルマの話にシフトするための接続詞のようなものだ。
対するハルマは、あの子というのが誰のことかをわかった上で、ちょっと気まずそうな笑顔である。
「ちなみにあなたとしては、あの子は女性として魅力的ではない?」
「いやいやいや、あれを女性として魅力ないとか言う奴、目が腐ってるでしょ。
可愛いわ気立ていいわ人懐っこいわ、あれ見てイマイチとか言う奴いたら、そいつ自分の選り好み癖で生涯独身確定ですよ」
これにはユースも黙って同意。
騎士物語のヒロインを地で行けそうな美貌に、性格もよしとあり、しかも地位すら王族に並ぶ高位。
だいたい、シリカやらアルミナやらルザニアやら、どこに出しても美人か可愛いと呼ばれる三人がいつもそばにいて、それに目が慣れているはずのユースも可愛いと思うようなイリスなんだから、相当なべっぴんさんである。
「あなたもあれだけ懐かれちゃ、愛着だってあるでしょうに。
もしもあの子が悪い男に捕まって、泣かされるようなことになったらどうする?」
「あー、何の筋合いもないですけど間違いなくしばき倒しに行きますね。
まあもっとも、私が行かなくても例のお兄ちゃんが殺しに行きかねないですが」
「くふっ、そうね。あの子なら本当にやりかねないわ」
イリスの兄とは、超シスコンのニトロさん。
妹を溺愛する彼の愛情は時々いき過ぎていて、例を挙げれば枚挙に暇がない。
この国で普段過ごさないエルアーティでも知っているんだから、そりゃもう有名な話である。
「だから結局、イリスとくっつくのはあなたがベストだって思うわけよ、私は。
人の恋路に首を突っ込むのも無粋だけど、そうでないとちょっとイリスが不憫すぎるというかねぇ。
あなたもあの子のことは、個人的感情のみで言えば好きな方でしょう?」
「それはそうですけどね~。
異国上がりの叩き上げの一兵が、姫様との恋仲だなんて流石に身分違いも甚だしいでしょう」
「あなた、身分違いの恋には否定派?」
「周りのそれにとやかく言うつもりはありませんが、自分がそうだと相手に悪いと思ったりもしますよ」
聞けば昔から女には不自由しなかったというハルマだが、これに関してはかなり強い線を引いているようだ。
卑屈の匂いはその声色から感じないが、ゆえにこそ、冷静な思考でそうした結論に至っているとも見える。
「はっきり言うけど、そういうのってつまらない拘りよ?
それだけの理由で、あなたがイリスの無垢な想いを退けるっていうのなら、悲恋物語が一枚書けちゃうレベル」
「いやまあ、仰ることはわかるんですけど。
でも構図をよく見て下さいよ。イリスは女王様の許婚の妹君ですよ?
将来的にはニトロが王位に並び立つに等しい地位に――まあ実権あるかは別としてそうなるでしょ?
その妹様の婿となれば、いよいよ王族の親戚じゃないですか。
捉えようによっちゃあ女王ナナリー様の義弟ですよ? 流石に私のような兵卒上がりがその地位はやり過ぎだ」
「でもあなた、今でも参謀格かつ政治にも口出しできる立場じゃない。
仮にそうなっても別にそこまで状況変わらないわよ」
「そこに血縁関係まで明確に結んでは、成り上がりにしたってやり過ぎでしょ。
だいたい若い頃に女遊びにかまけていた私のような奴が、気高き王位の血族に名を連ねるなどちと汚い」
「どこの王族も異性侍らせてたくさん抱いてるものじゃないの。側室持ちなんて全然珍しくない」
「抱いてきた女の種類が違います。私のかつての主戦場、風俗ですよ?」
「経験豊富ならむしろ、大事な大事なお姫様が初夜に安心」
「使い古された逸物を箱入り娘のお姫様に使うのは余計にダメでしょ」
真昼間からなんて会話だと、ユースもちょっと席を立ちたくなる。なんだか恥ずかしい。
決してこういう話に潔癖なユースというわけではないが、こんな話を小さくない声でやる人とオープンテラスで同席していると、周りの目が気になったりもする。
「じゃー誰がイリスにお似合いの殿方になるっていうのよ。
地位があって器量がいい、あとニトロにも認めて貰える男性ね、ここ大事。
それに該当する第一人者にあなた思いっきり名を連ねてるんだけど。対抗馬いないわよ」
「いつか現れますって。初恋よりもいい男性に以後巡り会えた女性の方が多いぐらいでしょ」
「絶対とは言い切れないじゃない。
今後にあなた以上の男性を引き当てる賭けを、あの子に強いるなら結構あなたも罪な男よ?」
「ご評価ありがたいところですが、そう言われましてもねぇ……」
「あのー、ハルマ様。
そんなにハルマ様、自分が庶民上がり? なの気にしてます?」
「そうではないですが、相手の立場を思えばね。
エルアーティ様の仰ることはわかるんですが、鈍感でいていい部分ではないんですよ」
意固地なハルマに流石のユースも素朴な疑問をぶつけたが、育ちに対するコンプレックスなどではなく、偏にイリスを慮って身を引いているだけとわかる回答だ。
こういう心遣いが出来る人ならなおのこと、イリスのことも幸せに出来るんじゃないかってユースも
思うのだが、恋愛経験に乏しい自覚のせいか、これ以上踏み入ったことを言う勇気がユースには無い。
「イリスとあなたの関係についてはもう全部言ったから、それであなたが心変わりしないならもう無駄なのかもしれないけどね。
視点を変えて、ニトロについてはどう? あの子が、イリスに言い寄る男性を、そう簡単に認めると思う?」
「あー、まあ、駄目な意味で厳しいでしょうなぁ。
もしかしたらいざという時には、大人になってみせるかもしれないけど」
「見込み、薄いでしょ?」
「それは認める」
「あなたはその条件も満たしているのよ?
イリスとあなたが手を繋ぐことは、みんな幸せになれる最善のルートじゃないの。
あなたがイリスを女性として受け入れ難いならともかく、感情論でもあの子を女性として認めているあなたがいるのに、それを遮っているのはあなたの小難しい屁理屈だけじゃない」
「むぅ、どうあってもそういう方向に持っていこうとされますね」
「こう見えたって、私あなたより年上よ?
人生の先輩として、これに勝るハッピーエンドは無いって強く推奨してるのだけど」
そこまで言ったら、ハルマも腕を組んでうーんと黙り込んでしまった。
不快感を示しているのではなく、たいそう困っておられる顔。折り合いがつかないのだろう。
気まずくない程度に沈黙が流れてしまう。
「ニトロって、そんなにあのイリス様のことを可愛がってるんですか?」
「そりゃもう、やばいわよ。
アルミナがどっかの後輩女の子を愛でるのと同じぐらい、強い愛に溢れすぎている」
「あ~、超すごいですね」
沈黙破りにユースが気を利かせて問いかけてみたら、エルアーティの返してくれた例えは、ユースにはすごくよく伝わるものだった。
アルミナよりも少し年下で、小動物のように可愛い後輩の女の子がいるのだが、アルミナは隙があったらいつでもその子に抱きつきたがるぐらい溺愛している。
同性愛疑惑が(違うが)立つぐらい、祖国に残してきたその誰かさんにメロメロのアルミナを思い出したら、ユースもニトロがどれだけイリスを愛しているのかがわかってしまうのである。
「まあ、仕方ないけどね。
元々ニトロにとっては可愛い妹だったでしょうけど、今となってはあの子だけが、ニトロにとっての唯一の家族だから」
「……それは、ご両親がもう?」
「ニトロの母君は既に病で世を去られ、父君も戦役で命を落とされましたからな。
つくづくあれは、惜しい人を亡くされたと思うばかりでしたよ」
お茶を少し飲み、ふーと深い息をつくハルマの遠い目は、思い出すだけで寂しいという表情だ。
もう数年前に世を去った人を回想し、ここまで寂しげな目をする男がいるというだけで、いかにその人物が愛されていたかは物語られているようなものである。
「ヘンリー様、私もお会いしたことがあったけどねぇ。
あれほど気高き人物を亡くされたのは、セプトリア王国にとっても大きな損失だったと想像に難くない。
独立戦争の勝利だって、あの方がおられてのものだと皆言うでしょう」
「勿論ですよ。今は財力の都合で間に合っていませんが、いつかは必ずあの方の銅像を作るんだってナナリー様も決意されていますからね。
それに異を唱える家臣も民もいない時点でお察しというものだ」
思い出話に浸る口ぶりでありながら、双方わかりきっていることを口にし合う二人は、その辺りの深い話を知らないユース向けに語っているのだろう。
へぇ、そんな人がいたんだと、英雄譚を聞く立場のユースが、目に見えて興味を持ち始めている。
「ユースどの、興味がおありで?」
「はい。もっと聞かせてくれませんか?」
「ふふ、そうですか。では、退屈な話にならないよう、いっちょ本腰入れて語ってみますかね」
聞いて欲しそう。ユースも聞きたい。
異国にて、死後もなお愛される英雄の話を聞かせて貰えるなんて、騎士物語を愛読していたユースにしてみれば、創作物の書物よりもわくわくする話である。
無邪気なユースの返答を受け取ったハルマも、嬉しそうに咳払いをして、かの英雄の思い出話を
語り始めてくれた。
今日は、こういう話に持っていきたかったと思っていたエルアーティも、ここまで流れを作れたことに満足し、あとはお茶を味わうのみの無言になっていく。
敬ってやまぬ英雄の生前を語る楽しみを、ハルマから奪うこともしたくない。
あれだけエルアーティとの同行で気分が落ち込んでいたユースも、ハルマの話を聞くにつれ、感情豊かな顔色になっていく。
主役が故人である話ゆえ、手放しに面白がれる話ではなかったが、それでもハルマの軽快な語り口でそれを聞くユースにしてみれば、聞き入るばかりの内容だ。
自分の方を見返りもせず、ハルマに、彼が語る昔話に夢中なユースを、エルアーティは微笑ましげに眺めていた。




