第48話 ~大好きが止まらない~
「ほう、エルアーティ様に魔法講義をな。
なかなか貴重な経験が出来たじゃないか」
「初心者の俺にはちょっとレベルが高すぎる内容にも聞こえましたけど……
それでもわかりやすく教えて下さって、すごくありがたいご講義でしたよ」
あまり遅くまで飲んで帰るわけにはいかないユース達の都合に合わせ、酒一杯ぶんの話題を切り出してくれるハルマに、ニトロも今日の出来事を種にお話する。
ユースは今のところ口数が少ないが、元より彼は聞き手回りの方が得意な口。楽しそうに会話するニトロとハルマの姿を、微笑ましい表情で今のところは眺めるに徹している。
シリカはユースの目線が自分に向いていないことを確かめつつ、手櫛で長い髪を整えている。
「魔法に名をつける、か。
人によっては難航するそうだが、私はむしろそういうのが好きな方だから苦労はしなかったな」
「そうなんだ……自分の魔法に名前つけろって言われても俺、とっかかり無くてさっぱりなんですけど」
「そうか? 私は若い頃、自分の編み出した魔法に、自分なりの名前をつけるのが楽しかったがなぁ。
なんの変哲もない火属性魔法に、過剰に長くて凝った名前つけて唱えるのが凄く楽しかったんだが」
「俺も英雄の双腕に関してはチータに名付けて貰ったしなぁ。
まず閃きが無くって困りますよ」
「おろ、ユースどのもそうですか。意外ですね。
読書家の顔されてますから、語彙力には困らなそうな印象なんですが」
「読書家の顔ってのが何なのかはよくわかりませんけど、語彙力と閃きは別問題でしょ。
……それに、自分で自分の魔法に名前つけて口にするの、なんか恥ずかしいというか何と言うか」
「なにぃ、そんな馬鹿な。
超究極火炎魔法とか言って、初めての火属性魔法を使うロマンとかユースどのには無かったんですか。男の子でしょう」
「それはもう8歳ぐらいの時に卒業したんで」
「あるんだ」
「そこまで尖ったセンス無かったですけどね」
自分とニトロだけで話していてはどうかなと思って、ユースにも話を振ろうとしていたハルマだが、自分でちゃんと入りどころを見つけて話に混ざってくれるユースなので、ハルマも気を遣わなくて済む。
それだけユースにとっても、ハルマは話しやすい相手になっているということだろう。
シリカは蚊帳の外でみんなの視界外にて、まつ毛をつまんでくりくりいじっている。
「シリカど……あー、うむ。シリカどのは、ご自分の魔法に関しては?」
「へっ? えっ、あ、何でしょう?」
「勇断の太刀という魔法をお使いのようですが、命名はどちらの方がとね。
シリカどのが名付けられたのか、誰かに名付けて頂いたのか、と」
ついでにシリカも話に巻き込もうとそちらに振りかけたところ、いかにもユースの参入で過剰に身だしなみを気にしだしているシリカを見てしまったので、ハルマも一から話すかのように問い方をゆるやかにする。
案の定、こちら三人の話もあまり耳に入っていなかったご様子。話しかけられて、はっとして顔を上げるシリカに三人の視線が集まっているが、インタビューに緊張する一般女性のように目が泳いでいる。
「あー、私はその……じ、自分で名付けたのですが、まあ……」
「ほう、勇断の太刀とはシリカどののセンスなのですな。
なかなか攻め気の強いネーミングセンスをお持ちですなぁ」
「いやあの、賢者様にいくつかヒントを頂いて、そこから……」
「なんでシリカさんこっちチラチラ見るんですか?」
「や、別に……」
シリカの挙動は、ユースから見るとその真意がわかりにくい。
ハルマは笑いを堪えているが、可笑しくってしょうがない。だらしなかった数分前があるせいなのか、今は過剰なほど身だしなみが気になっているのだろう。好きな男の前なのだし。
「賢者様とはエルアーティ様で? シリカどのも、あの方に魔法講義を受けたことが?」
「いえ、そちらではない方に……昔、懇切丁寧に魔法の使い方を教わったことがありまして……」
「えー、いいなぁシリカさん。俺もあの人に、魔法のこととか色々教えても貰いたかったなぁ」
魔法都市ダニームには、エルアーティともう一人賢者様がいて、エルアーティじゃない方は良識があって非常に優しい、とてもいい人である。
エルアーティとは絡むのも嫌なユースにとっては、殊更あちらの方が敬える対象となっており、今の言い草はどちらかと言うと、エルアーティに対する自分の感情の強調の意味合いの方が強い。
「……私よりも?」
酒のせいだろうけど、ちょっとめんどくさいシリカになってしまっている。
そちらの賢者様は、確かに武の道でも魔法の道でも指導者として超優秀な賢者様なのだが、それに教えを請いたいとユースが言っただけで、シリカはコロッと不安げな顔になる。自分が教え手じゃダメでしたかと聞いてくる。
心配しなくても、たとえ指導者としてはシリカが賢者様より劣っていても、師としてシリカを世界一信頼できる対象と見ているユースなのに。
「ああごめんなさい、そうじゃないです。剣も魔法も、俺に教えてくれたのシリカさんですもんね。
俺は今でも、まだまだシリカさんにもっと色々教えて欲しいって思ってるぐらいですもん」
「そ、そう……? なら、よかったけど……」
気遣ってのお世辞ではなく、普通に真顔で素直にそう言ってくるユースだから、聞くだけ時間の無駄である。
それだけで頬がゆるむほどほっとして、端の上がりそうな口元を酒を飲むことでごまかすシリカだから、正面位置から眺めるハルマの腹筋が震えてやばい。
肩を狭めて両手でグラスを持ち、ちびっと酒を飲むあなた、背筋をしゃんとしたあのお姿はどこ行ったんですかと。
「ニトロも来国された騎士様、それも親しく話せるお方が魔法にも心得のあるとは幸運だな」
「そうですね。機会があればですけど、お話をうかがって、勉強していきたいなって思います」
あんまりシリカいじりをしていると笑いが我慢できそうにないので、ハルマはニトロに話しかける形で話を元の筋に戻す。
気持ちがいいぐらい生真面目な返答を返してくれるニトロだから、笑えるほど可笑しい水面下の恋心から目を逸らしたいハルマにとっては、ニトロのお堅い返答が今最も都合が良い。
「ほらな、仲良くなっておいてよかっただろ?」
「あー、そういえば会った頃のニトロ、とんがってたもんなぁ」
「やめろよ、思い出すと俺もちょっと恥ずかしくなるんだから。ハルマ様も掘り返さないで下さいよ」
今が親しくなれたからこそ、ちょっと前の一方的に仲悪だった頃もいい思い出話にして、酒の席の話に花を咲かせる。
話上手なハルマの舵取りのもと、ユースもニトロも楽しく会話を回し、さほど長くない酒の席を過ごしたら、後は程よくお開きにして解散。
そんな流れが決まっているも、短い時間で充分に楽しめるユースとニトロの姿を、大人のハルマは微笑ましく見守っているのだった。
時々ハルマが視界の端で捉えるシリカは、あまり口数が多くなかった。
ユースの言葉がよっぽど嬉しかったのか、グラスを両手で持ったまま置いて目線を落とし、うっとりほのかに微笑んだままの姿には、ハルマもユースらを見る目とは全く違う意味で微笑ましかった。
あなた今のその姿と顔、ユースに見られても知りませんよ、と。
ユースとの会話を矢継ぎ早に繋ぎ、彼の目をシリカから逸らし続けていたハルマは、ちょっとシリカに貸しを作った気分にすらなれたものである。
「ところで、シリカさん」
「ん?」
一杯ぶんだけの短い酒の席を終え、ユースはシリカと共に家への道を歩いていた。
当初の流れではニトロが家まで見送ってくれる運びだったが、シリカと合流したことで、ニトロは見送りをやめにしてハルマと一緒に城の方へと帰っていった。
邪魔をするのも無粋だとでも思われたのかもしれない。
「けっこう酔ってます?」
「しっけいな」
「シリカさんそういうキャラじゃないけど、今日はなーんか普段と違いますよ」
千鳥足になっているとか、そんなことはないシリカ。
多分、今いきなり剣を抜いて戦えと言われても、最善じゃないコンディションとはいえ充分にやれるだろう。
「んーまあ、飲みすぎたのかなぁ……体、おかしくなってるわけではないつもりだけど……」
「それはわかるんですけど。でも、どっかおかしいですよ」
「……体がおかしくなってないのにどこかおかしいって、頭おかしい以外に結論なくないか」
「あっ、いやー、そんなつもりじゃ」
「そんなつもりだろっ」
そんなつもりである。もちろん額面どおり、頭がおかしいシリカさんだとかのたまうつもりはないけれど、普段と違うシリカさん、何が違うって言動やら態度やら。
総じてそれを、どこがおかしいかって、酒にやられたアタマだと言ってるのと変わらない。
「こらっ、逃げるなっ」
「ダメですっ、今つかまったらつねられるっ」
早足になったユースは後ろ歩きで、決してシリカから目を逸らさない体の向きで、家の方へと進んでいく。
シリカも早歩きになって追いかけてくる。ひゃあ怖い怖い、の顔をしたユースも笑いがちで、シリカも似たような表情だ。怒った顔は作っているが、作りものなのは向き合うユースもわかる。
「さあ取り消しなさい、先輩に頭おかしいなんて言っちゃダメだろっ」
「と、とりあえず放して貰えます? わかった、わかりましたから……」
早歩きのシリカが後ろ歩きのユースを捕まえて、くるんと自分に背を向けるように回したら、脇の下を両手で持って、ユースをひょいっと持ち上げる始末。
締まりのいい筋肉だから細身に見えるユースだが、本質的にはよく出来た体だから体重はあるはずなのに。素の腕力が普通じゃない。
後ろのシリカを蹴らない程度に、脚をわたわたさせるユースが降ろしての抵抗をすると、シリカも笑いながら降ろしてくれた。
あとはユースに詫びの言葉を求めることもなく、再び二人並んでの帰路歩き。
先のかけ合いなど100パーセント冗談だ。これぐらいの痛みを伴わない絡みなど、普段からよくやっている。
「シリカさん、やっぱり飲みすぎてません? 何かヤなことあったんだったら、聞きますよ?」
「……いや、そういうわけじゃないんだけどな」
それでも普段と何か少し違うから、ユースもちょっと真顔を作って問いかける。
背の高さのほぼ等しい二人だから、同じ目線でユースに真正面から顔を見られるシリカは、いかにも複雑そうな顔を下向きに背けていた。
心配させてしまったかな、というばつの悪さと、心配する前に何かに気付いて欲しいな、という欲の混じったこの表情の真意など、きっと人生経験豊富なハルマであっても、見て全て看破するのは難しいだろう。
「……大丈夫だよ。別に、嫌なことがあったとかじゃない。
ハルマどのとのお話が楽しくて、少し酒が進みすぎただけだよ」
「そうですか? だったらいいですけど……」
釈然としない顔で、渋々納得する言葉を述べるユース。
明かしてくれないならこれ以上踏み入れないけど、何かあるんだったら力になりたいんだけどな、という感情がよくわかる顔だ。
女心を含めて複雑な胸中のシリカの本音が、表情からのみでは読み取れないのと真逆、ユースは本当に全感情が顔に出る。
「ありがとう。心配してくれるのは嬉しいよ。
でも、今日は本当にそんなのじゃないからさ。気にしないでくれ」
ただ、この言葉だけはシリカも、素直な表情が自然と出て発せた。
好きな人が、自分のことを心配してくれているのだ。ただその優しさだけで、胸が温かくなる。
単に気のいい後輩に礼を言う先輩の顔ではなく、あなたに心遣われるだけでこんなにも幸せ、というシリカの、女性としての微笑を目の前にして、ユースの胸が一瞬だけ鳴ったのも密かな事実である。
「……み、みんなご飯もう作ってくれてるんですかねー。
帰り、遅くなっちゃったからなー」
「帰ったら、ただいまの次はありがとうかな。それともごめんなさいかな」
「俺ごめんなさい言うからシリカさんがありがとうで」
「役割分担するのか?」
「一番年上はそう簡単にごめんなさい言わなくていいんですよ」
「縦社会育ちだなぁ。そのくせお前は、すぐにごめんなさいを言える年上になりそう」
「え、それが一番いいでしょ」
「確かに」
くだらないことを言い合って、話を弾ませて、家までのそう長くない夜道を歩いていく。
この何の変哲もない時間を、シリカがどれだけ楽しく過ごせていたのかを、果たしてユースは想像できているのだろうか。
一番尊敬する先輩であり師匠であるシリカと、こうして仲良く話せているだけでも幸せなユースだから、まさか先輩の方が自分より楽しんでいるとは思っていないだろう。
元より同じ隊に所属するようになって以来、家族のように過ごしてきた二人である。
それ以上の関係となることを、心の底では望んでいる片方であろうとは、もう片方は未だ夢にも思っていないのだ。
それがそもそも、敬愛してやまぬ人からそう思われているなんてまさかあるまいという、過ぎたる謙虚が根底にあるせいなのだから、焦がれる方には気の毒な話。
春はまだまだ遠そうだ。何もせず待っていても、春を妨げる鈍感な誰かさんの雪は自然には溶けない。
シリカはまず、自分が雪を溶かす太陽になる努力をしなくてはならないのである。
「おかえりなさい、シリカさん。遅かったですね……あや、ユースも一緒?」
「ただいま。帰る途中で、偶然シリカさんを見つけたからさ」
帰宅した二人を玄関口で迎えてくれたのはアルミナだ。
こうこうこういう経緯で二人での帰りになって、というのを、靴を脱ぎながら家に上がりながら二人で説明し、居間の方へと三人で進んでいく。
居間には読書中のチータとルザニアがお待ちかねだ。
チータは何やら哲学的な本を読んでいるが、ルザニアは剣術指南書を拝読中。片や趣味、片やお勉強だとよくわかる。
「あ、おかえりなさい。じゃ、夕食作りますんでお風呂でも入ってきて下さい」
「待っててくれたのか?」
「チータさんが先に準備だけ済ませておいてくれたんですよ。
シリカさんはみんなで食べるのが好きですよね」
「そっか……うん、ありがとう」
「シリカさん、お先にどうぞ」
今日は台所の長シリカの帰りが遅くなったのと、いつ帰ってくるのかがわからない都合から、彼女が帰ったらすぐに取り掛かれるようチータが夕食の準備を済ませてくれていたようだ。
訓練明けで疲れ果てているルザニアに仕事を渡すこともせず、こういう時は自分に役割を進んで与える辺り、チータも鉄仮面に見えて身内をちゃんと気遣っているのである。
「チータ、手伝……」
「あ、ちょっと待って下さいユースさん、私が私が」
「ルザニアはシリカさんに特訓して貰った後なんだろ? 疲れてるだろうし、休んでろよ」
「いえいえ、そんな。ユースさんだって飲んできてるお帰りでしょう?
それにいい加減、私だって皆さんのお夕飯ぐらい作れるようになりたいですし」
「ん~……」
「お願いです、やらせて下さい」
「いいじゃん、ここまで言われて仕事取っちゃイケズだよ?
ほらほら、あんたこそ休んでなさいってば」
「むむ……それじゃ、ルザニア、お願いするよ。ごめんな?」
「全然そんな! 頑張りますっ!」
エプロンをつけて台所に立ったチータの後方、働きたがりが仕事の取り合いをしていて、誰にも見えない角度でチータは溜め息をついている。呆れる。
一般的な感性で言えば、仕事なんてむしろ押し付け合うぐらいのものなのに、この糞真面目な騎士二人は取り合ってまで働きたいのかと。
いっそ自分が読書に逃げて、ユースとルザニアの二人に台所を譲ってやった方がよかったのかよと思うと、せっかくここまで来たのに馬鹿馬鹿しくなってしまうじゃないかと。
「チータさん、何かお手伝い出来ることはありませんか?」
「出汁はもう取ってあるからタマネギのスープ作ってくれ。
炒め物はこっちでやる、火加減を調節しながら、余裕があったらサラダも盛り付けておいてくれ」
「はいっ!」
どうやら働きたがりのようなので、チータも余裕があればの言葉を添えつつ、ルザニアにいっぱい仕事を差し上げる。
どうせやるんだろうと。自分はラクが出来ていいのでチータもありがたい。
剣の特訓の後であり、体の疲れているルザニアに、炒め物を作るためにフライパンを振る役は与えない辺り、そういう気の遣い方はしているのだが。
「ねえねえユース、ニトロさんとどんな話してきたの? エルアーティ様の魔法講義ってどんなだった?」
「質問はいっこずつにしてくれないかなぁ」
「好きな方先に答えて? 選択肢はお任せ」
「ん~、ニトロとは……」
「案の定エルアーティ様関連の話はしたがらない」
「この野郎、遊ばれた」
「はいはい続けて続けて。ニトロさんとどんな話を?」
「そう言われても、たいした話はしてないぞ?
魔法を作るには魔法に名付けることが大事って言われたから、どんな名前がいいかなとか――」
夕食当番をはずれたアルミナとユースは、隣り合って座ってのお喋りだ。
極論、時間と体力が続くならば一日じゅうでも話し続けられるんじゃないかっていう二人だから、時間つぶしにお互いがいれば全く何も事欠かない。
台所のチータとルザニアは、さあ今日も始まったぞと二人の会話にちょっと耳を傾けてみたりもする。
今日こそはどこかで話が途切れたりするかな、なんて思ったりも。毎回そう思っても、結局止まらずノンストップトークがずっと続くのだが。
「……あ」
そんな折に、居間に帰ってきたのがシリカである。
自室に戻り、着替えを持ってお風呂に向かおうとしていた矢先、その通過点なる居間に足を踏み入れた途端、シリカの足が止まってしまう。
「ユースは英雄の双腕の名前もチータにつけて貰ったんだよね。
じゃあ今回、チャンスじゃん。ニトロさんの魔法の名付け親になれば、恩の循環ルートだよね」
「言ってることはわかるけどさ~。
もしかしたら、作った魔法がニトロが今後ずっと使い続ける特別な魔法になるかもしれないって思ったら、俺がその名付け親になるのだって、いいのかなあって気分になるよ」
「ユースも英雄の双腕が生涯相棒級になっちゃってるし、それはわかるけど。
でもユースだって、チータに貰った魔法の名前でも全然愛着あるでしょ?」
「そりゃまあ、なあ」
一言発するたびに表情もころころと変え、アルミナが特にだが話すたびしばしば手振りも多く、ユースも返答のたび体を前後させる動きで感情を表している。
よく会話が弾んでいる証拠だ。二人とも、楽しんでいる証拠である。
二人だけの世界、あの小空間には誰かが故意に割り込まない限り、ユースとアルミナしかいない。
それを離れた所から眺めるだけのシリカの胸中たるや如何ばかりたるや。
自分のことなど視界にも含まず、女の自分から見ても魅力的な"女性"と楽しそうに話すユースの姿を見て、シリカは思わず自分の胸を握ってしまうほど、胸の奥がじくじくし始めている。
「…………」
「じゃあ別に、ユースがニトロさんの"特別な魔法"の名付け親になっても、別に大丈夫だとは思わない?」
「そしたらやっぱ、ちゃんとしたいい名前つけたくもなるじゃん。
俺はチータみたいにいいネーミングセンス持ってないしさ。なんかやっぱ気後れする」
「あんたホント何事にも"自信なし"よねぇ。
逆に何か、これは自信ありますっての無いの? むしろそろそろ聞いてみたいわ」
「ダーツめちゃくちゃ自信ありますけど」
「そうでした、あんたそれは最強だったわ」
見たくないと思っても、不思議なぐらい目を逸らせない。
ライバルが既に、自分が一番欲しい世界を既に手にしていることを、こうもまざまざ目の前に見せられては、逃げたくない思いと、それを見せ付けられる敗北感が胸中に混在する。
結果、動けない。
中途半端な所に突っ立っていながら、しかし全く動きがなくて、ユースとアルミナに気付かれないぐらい動けない。
「その自信を、もっと他のことに転換してみよう」
「次元が全然違うだろよ。ダーツとネーミングセンスをどうやってシンクロさせるんだよ」
「それを今から編み出す魔法を編み出す」
「言霊という名の詭弁作りってことな」
「いやいや、そういうの大事よ? 要は気の持ちようなんだから……」
「――アルミナ」
耐え切れず、シリカはアルミナの名前を呼んでいた。
その後に何の言葉も用意していないのにである。
「はい?」
「…………あっ。いや……」
呼ばれてシリカの方を振り返ったアルミナだが、驚いたのはアルミナの方だろう。
目の前で、左手で胸を握り締めたシリカが、右の手で手を口で隠し、次の言葉に完全に詰まっている。
何に驚いたかって、みるみるうちにさあっと血の気を引かせていく、シリカの顔色にだ。
「……………………何でもない、です……」
ふっと顔を伏せ、つかつかと早歩きでシリカは風呂場に向かっていった。
目で追うユースもアルミナも目が点である。きょとん、というより、絶句に近い。
それぐらい、今までに見たことのないシリカの顔だったからだ。
「あ、あの、ユース? シリカさんにこの言葉遣いしたくないけど……何アレ……?」
「さ、さぁ……俺にも全然わかんねぇ……」
「あの人、私達に敬語使ってなかった……? あり得なくない……?」
「俺達っつーか、お前にじゃね? いや、だとしてもあり得ねーけど……」
話題が完全にシリカ一色になった。
真相の仮説もろくに立たず、ユースとアルミナの会話も途切れ途切れになる。
二人をしてこれは珍しい。
「やれやれ、心配だなあ」
「大丈夫ですよ、チータさん。お料理ぐらい……」
「お前のことじゃないよ」
「え?」
肉多めの野菜炒めを炒めながら、じゃーじゃーうるさいフライパンの油音を近くしながらも、チータは今のシリカとユースらのやりとりを聞いていたようだ。
疲れた体で料理に臨む自分が心配されたと思ったルザニアは、そうじゃないよと言われて首をかしげるのみ。
彼女はまだまだ、自分周りのことで必死になって、チータほど視野が広くない若さである。
チータが心配している誰かさんは、お風呂で浴槽に身を沈め、三角座りで口を湯船に浸けていた。
大きな胸は湯船の水面に浮くのだが、その谷間に自分の口を割り込ませんほどに、首を引いてはっきりとうなだれている。
「…………」
胸が痛い。ものすごく嫌な意味でずきずきする。
アルミナに話しかけたのは、ユースと仲の良いアルミナの姿が羨ましくって羨ましくって、思わずその世界に無理にでも割り込む行動だ。
結果、二人の話の腰を折った。邪魔をした。
それは羨望からくるすがりつきか、あるいは嫉妬からくる二人の世界の妨げか。
もはや自分のことさえわからなくなり始めたシリカだが、二人だけのあの世界を邪魔するだけの結果を見て、彼女は後者の方だと自己評価してしまう。
「うぅ……最低……」
湯船に沈めていた口をようやく水面から上げたと思ったら、今にも泣きそうな顔でそんなことをつぶやいてしまう始末。
自分にこんな浅ましい感情があったなんて今まで知らなかった。
大好きなアルミナのことを、まるで押しのけてでも邪魔してしまう私がいたなんて。
そうまでして自分の場所を得ようとする自分に、ユースの隣に立つ資格なんて――
と、まあまあ何と卑屈なと突っ込み甲斐のあるほど自己嫌悪に陥っていらっしゃる。
しつこいようだが彼女は酔っている。自分を客観視できていない。
はっきり言ってあの状況を客観的に語るなら、好きな人がライバルと仲良くしている姿を見て、いいなぁ私もああなりたいなぁって思ってた、ただそれだけのことだというのに。
話しかけて話の腰を折ったと言っても、それであの二人の関係が壊れるほど罪深いことをしたのかと言えば、んなわけねぇだろって誰でもわかる話である。
シリカだけがわかっていない。
肩から上を水面から出し、シリカは浴槽の底の脚を正座に切り替え、浴槽のへりに両腕と肘を置く。
重ねた両手の甲に顎を置き、へこんだ心境を体に表すほどグッタリ。胸がむぎゅっとへりに押し付けられて潰れているがお構いなし。
「…………お湯、換えてあるなぁ」
酔っ払いのくせに、そういう判断はちゃんと出来る。そこから色々推理も出来る。
今日、シリカより先にお風呂に入った者は二人いる。アルミナとルザニアだ。チータは寝る前に入るから。
先に入ったのはどちらか。ほぼ間違いなくルザニアだろう。アルミナの性格上、その日の新湯の一番風呂は、訓練疲れのルザニアに譲るに決まっている。
その後、残り湯だろうが気にせず入るのがアルミナで、そして今は湯が新しいものに変わっている。
つまりアルミナは、後から帰ってくるユースやシリカのために、ちゃんと自分が入った後のお風呂の湯を抜き、きれいなお湯を用意しておいてくれていたのである。
仮説の一部が間違いで、仮に後から入ったのがルザニアであっても、湯を抜いて新しい水を入れて焚くなんて仕事を、訓練後で疲れているルザニアにアルミナがやらせるわけがない。
どう推理したって、今シリカが入っているきれいなお湯は、丁寧にアルミナが換えてくれたものだという結論になるのである。
人の美点を探すのが得意なシリカだから、酒入りの頭でも、そういう推理は出来てしまう。
だからこそ、そんなアルミナをあんな形で邪魔をする自分のことが、とにかくとにかく罪深く感じる。
丸裸の今だからというわけではないが、一人になって自分と向き合うと、包み隠さない自分と向き合うことになるもので、そんな自分が嫌な自分だと針のむしろになる。
そんな自己嫌悪するようなことではないはずなのだが、これだから酔っ払いは。
こういう奴が、過剰に飲んだら泣き上戸になったりするのである。
「…………すん」
鼻をすすってがっくりとうつむいて、涙こそ落とさないものの涙目。
すっかり落ち込んでしまったシリカはこの後、なかなか上がってこないけどどうしたんだろうと、ユースやアルミナをちょっと心配させてしまうわけである。たいしたことはないけど悪循環。
一人で勝手に悩んで落ち込んで身動き取れなくなって、こんな自分を翌朝シラフの頭で思い出したら、今度は自己嫌悪ではなく、何をそんなにへこみ過ぎてたんだというコンボにも繋がっていく。
色々と散々だ。飲み過ぎるとろくなことがない。
ともかくこんな今日のシリカから学べる最大の教訓は、飲みすぎた頭で長湯はすべきでないということである。
すごく頭まで酒が回るので。そしたら余計に、ろくなことにならないのである。
が、その一方で、シリカが風呂から上がってユースが入浴に移った際のこと。
「シリカさん、何か作るんですか?」
「ん、まあ……」
風呂を上がる前に、何とかみんなの前に、出していい顔を出せるメンタルまで持ち直したシリカは、ユースが入浴中の間に台所へとやって来た。
シリカの長湯でもう出来上がってしまった夕食を尻目に、てきぱき材料を手に取り、クレープの生地を練り上げて、それをフライパンで焼き上げる。
さっきは心配すらしたのに、えらくまた思わぬ行動に出てきたなと、チータも首をかしげたものである。
やがてユースが風呂から上がってきて食卓に着いた頃、ちょうどシリカが6枚のクレープを焼き上げた。
それを一枚の皿に5枚盛り、残る1枚は別の皿。
いただきますを言う前にそれを食卓に持って来て、5枚乗りの皿をテーブルの真ん中に置き、1枚乗りの皿はアルミナの前に置く。
「わ、わ、何これ、デザートですか!?」
「……二人とも、遠出ご苦労様。たまには、こんなデザートがあってもいいかなって……」
「わー、マジですか! しかも私だけ、あれっ、いいんです!?」
「……アルミナは、クレープが大好物だもんな」
これは、勝手に自分を罪人認定しての罪滅ぼしを込んでいる。
元々、遠出から帰ってきたユースとアルミナをねぎらう意味も込め、今日はデザートにメロンでも切ってあげようと計画していたシリカだが、献立が変わってこんな形になったのはそういうこと。
身内全員の好物を覚えているシリカだから、今日はその知識も活かした形である。
「何これー、ホント嬉しい! ありがとうございます、シリカさんっ!」
「すいませんシリカさん、ホント嬉しいです。ありがとうございます」
「……あはは」
この無邪気な二人の笑顔。
デザートひとつ作ってあげただけで大喜びのアルミナと、彼女ほどではないにせよ、顔を綻ばせて喜んでくれるユースを見て、シリカは風呂上がり後、初めて心の底から笑うことが出来た。
ああ、やっぱりこの二人には、ユースとアルミナには適わないなあって。
ユースのことは特別好きだが、やっぱりシリカにとっては、アルミナだって特別可愛い。
ずっと懐いてついてきてくれて、だから大好きで仕方ないアルミナだからこそ、あんなくだらないちょっとしたやきもちを抱いた自分のことも嫌になってしまう、そういう部分もあるのである。
「ではシリカさん、いただきますの合図どうぞ」
「ん……私でいいのかな」
「いつもシリカさんがやってることじゃないですか?」
「今は俺が隊長かもしれないですけど、この集まりじゃやっぱりシリカさんが真ん中ですよ」
「クレープありがとうございますー! さあさ、いただきますの合図どうぞー!」
ユースもアルミナもチータも、シリカが隊長を務める部隊に入ったのが初めで、その時から同じメンバーでずっといる。
今になって隊長がユースに変わったと言っても、やっぱり四人の間では、一家の長はシリカなのだ。
途中参入のルザニアでも、年長者だからというだけの理由ではなく、どこかでやっぱりこの集まりの中心人物はシリカさんなんだなと、これまでの空気から学び取っているのである。
「……それじゃ」
自分に自信の持てないタイプのユースの師であるだけあって、シリカもたいがい自分に自信を満たした方ではない。
むしろつまらないことで自己嫌悪したり、至らなさを悔いたり、そういうことは人相応にある方。
そういう人にとって、自分を慕ってついて来てくれる人というのは、たとえ相手が年下だろうが何であろうが、一生抱きしめて離したくなくなるほど愛おしい。
「いただきます」
だからかシリカは、みんなで夕食を囲うことをいたく好む。
ハルマとの酒の席でつまみも口にし、お腹が半ば膨れていたって、みんなと夕食を囲む時間を無くしたくない。
自分の言葉に次いで、いただきますを口にしてくれる四人の声に胸を温められ、箸を手にするこの時間が、シリカにとって世界一幸せな時間の一つである。
恋心は日を追うごとに強くなる。
それでも今のシリカの中ではまだ、家族愛の方がずっと強い。こちらの方が長いのだから当然だ。




