問題は田舎であることではない
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雲間からさっと差した陽光に、本の頁が眩しくて目を眇める。
楡の木陰は変わらず影を落としてくれるが、日差しが強くなってコントラストが強くなり、むしろ風に揺らされて視界をちらちらとつきまとう。まとまった雨の日を越える度、肌で分かるほどに気温も上がってきた。
そろそろ外で読書するには向かない季節になってきた。
「どうした、具合でも悪いのか」
思わず溜息を吐いた私を見咎める声。執筆や読書による夜更かしで体調が優れないことがあるのを知っている彼は、度々その事を不健康だと詰りながらも私のことを気遣ってくれる。
私は読書を諦めて、駒鳥の栞を挟んで膝の上に置く。
「婚約のお話が上がってるんです」
特に隠すこともないと正直に打ち明けると、彼は驚いたように目を見張って私を見た。婚約破棄したと言ってからまだワンシーズンも過ぎていないから、当然の反応だ。私とて父から聞かされて驚いたのだ。
読書に集中できないのは、季節のせいばかりではなかった。
「君は社交はしていないと言わなかったか」
訝しげな様子で、彼は慎重に言葉を選ぶ。互いの素性について探らないことが暗黙の了解になっている私たちは、迂闊に話せない内容も多い。
「婚約が破談になったことを聞いた父の上役が気を利かせてくださったそうで」
話を持ってきた父は無碍にできない筋からの申し出だったためか、事務業務のように淡々と言い渡してきたのだ。
「……早過ぎないか」
ぼそりと呟く声に無理もないと苦笑する。
けれど元婚約者とは互いが成人したら結婚する予定だった。だが時期が悪いだのなんだので引き伸ばされていたので婚期の早い貴族としては私は既に行き遅れの部類だ。以前から仲の悪さを知っていた宰相閣下やおば様が心配してくださったのだと思う。
「そうですね。けれどお話が頂けることは悪いことではないのでしょう。以前の婚約も家が決めたものです。決めるのは私ではありませんわ」
自分で言うのもなんだが、貴族としてなら私の持つスペックは嫁に貰うには悪くない。
父は宰相の筆頭補佐官であり、領地は持たない宮廷貴族だが王家に仕える忠臣として歴史は長い家柄だ。持参金もそれなりにあるところに加え、この度の破談で慰謝料として与えられた鉱山の利権まで抱えている。
婚約がなくなって夜会へ出れば様子伺いをしてくるのは、好奇心だけでなく自分の家門に引き込むに値するかの品定めをしているようにも見えた。幼い頃から婚約者のいた私は、何より人を値踏みするようなその視線に耐えきれなかったのだ。
「割り切っている割に不満そうだな。気に入らない相手なのか」
彼は面白くなさそうな顔で頬杖をついた。
「気に入らないも何も、お会いしたこともない方です。その、年齢は少し離れていることは確かですけど」
少し、の示すニュアンスに、かなり歳が離れていることに彼は気づいたようだ。
とはいえお相手は魔力の強い家系なので、実年齢よりは若く見えるのではないかと思いたい。貴族は平民に比べて魔力が多く、自分の魔力は身体を修復する作用があるので多い者ほどその分寿命が長い。桁違いに多い魔導士などは三桁に達してもまだ青年のような姿の者もいるくらいだ。
私などは貴族としては平均よりやや少ないくらいなので、いくら勉強しても魔導士の道は拓けそうになかった。興味を持って齧ったことはあるけれど、消費する魔力量の数字を見て、せっかく長く与えられた寿命を削ってまで使いたいものでもないと思った。
「気に入らないというか……その、田舎なんですよね」
どこの地方貴族へ嫁ぐのかといった具体的な話は身バレする可能性が高くてできないので、私はやんわりと話を逸らす。
婚約の話が上がったのは辺境伯のひとつ。侯爵にも並ぶ高位の爵位を捕まえて田舎呼ばわりは不敬だろうが、王都から見れば田舎には違いない。いや、境界のある隣国のレベルによっては学園都市を抱えるほど都会の辺境もあるが、少なくとも北と東に位置する国は文化レベルに差があり、それに接する辺境も都会とは言い難い。
何より遠い。馬車で十日以上走らないとたどり着かない距離は遠過ぎる。
「田舎なのが気に入らないって?」
彼は意外そうな声を上げる。
「どうしたって本の普及率は低いでしょう」
都会から離れてしまうと、娯楽から遠ざかる。服飾や宝石に未練はないが、活字から離れてしまう不安があった。何より、嫁げば小説家として生きていくことは難しい。
「君はブレないな」
何やらつまらなそうな顔をしていた彼は、私の意見にくつくつと笑う。
だが貴族の娘に生まれた以上、課せられた役割は理解していた。これまで苦労もなく過ごしてきた意味を知らないほど無知で無邪気な育てられ方はしていない。
「物語に触れる機会が少なくなったら、君は息ができなくなりそうだ」
「ええもう本当に……」
けれど婚約を破談にした手前、もう1年くらいは執筆活動を続けられるかなと思っていたのだが、どうやら考えが甘かったようだ。
「でもそうですわね、識字率が上がれば自ずと読者層は広がるから、まずは識字率百パーセントを目指すべきかしら」
「百って……平民を教育するということか?」
「そう、識字率が上がれば、文字に携われる人間も増えるでしょう? 本を作るには最低限字が読めて書けないと。今は専門職になってしまってるけど、文字を扱える平民が増えれば出版物を制作する費用も下がる。結果、出版物の単価が下がって手に取りやすくなれば本を購入する裾野も広がりますよね」
何やら考え出したらわくわくしてきた。執筆については限界が見えているが、本を流通させるための環境作りなら、むしろ貴族という立場の方がやりやすい。
「物書き人生は諦めても、出版に携わる道は拓けそうですわねっ」
つい先ほどとは打って変わって意気込む私に、彼は不思議そうな顔をした。
「諦めるのか?」
彼は結婚後も当然執筆を続けるものだと思っていたのだろうか。
「いくら王道物で子女子向けのラブロマンス作家とはいえ、貴族の子女が本を書くことに賛成しない貴族が普通ですわ。それに例え続けることを容認されたとして、王都にくるのは社交シーズンだけになると考えたら、とても校了なんてできる気がしません」
書きあげたら出版するのではなく、出版するために書き上げるのが執筆業というものだ。締め切り前のあの忙しさは渦中の人間でないと分からない。
「そうか、」
彼は膝上の本に視線を落とす。
「君が嫁ぐと、新作が読めなくなるのか」
その本当に残念そうな姿に、彼が私の作品を純粋に楽しんでくれていたことを知る。
そうだ、私の作品をサポートしてくれる家人たちでもなく、出版に携わる編集者でも執筆仲間でもない、本当に一読者として私に思ったままの感想をぶつけてくれるのは、彼だけなのだと、
この時、初めて気がつかされた。
新たな婚約の話を聞かされたのは、珍しく家族の揃った朝食の席でだった。
父は宰相補佐として忙しく、夕食の席に並ぶことはない。朝も早いことが多いのだが、その日は兄嫁と甥はおらず、両親と私たち兄妹だけが揃っていた。
「婚約の申し入れ、ですか?」
父はむっつりと黙ったまま頷いた。とはいえ基本的に無駄な会話を好まない人なのでいつでもそんな感じなのだが。
婚約の話が上がったお相手は何と辺境伯の長男だという。しかも宰相閣下からの口利きだとか。格上からの申し出に、これはよほどの理由がなければ断れない雰囲気を感じる。
「社交界でも大した評判でもない、しかも婚約が破談になったばかりのわたくしにお話が来るなんて、普通の御令嬢では何か差し障りがあるからではなくて?」
「むしろかの血筋は王家が結び付きを強くしたいと望んでおられる。宮仕えの我が家にとっては悪い話ではない」
それどころか降って湧いたような話だ。領地を持たない宮廷貴族の我が家にとって、広大な領地と権限を持つ辺境伯は格上過ぎてむしろ不敬に当たらないか不安になる。
「それこそ姫君を降嫁させても良いような御家柄ではありませんか。わたくしに務まるとも思えませんが」
明らかに乗り気でない答えに兄も首を傾げる。
「あそこの領主は魔女の血を封じた一族ではなかったですか? 王家が欲しがるのはそのせいでしょうか?」
「そうだ。王家に忠誠を誓ってはいるが、利用されることをよしとしない独立不羈の精神が強い。だからこそ中央の貴族と縁付くのは珍しい」
「ではなぜ今回我が家にお話が?」
私は頭の中で地図を広げ、その辺境伯が有する領地を思い描く。地図は歴史を知る上で重要な要素なので、物語を書く参考にするためにも部屋の壁に貼ってよく眺めていた。
そしてふとその配置に気がついて父を見る。
「……それは持参金に含まれるあの鉱山の利権が絡んでいるのでしょうか?」
「ないとは言い切れない」
というかほぼ九分九厘それが理由だろう。
元婚約者の実家が持つ領地にある鉱山は辺境伯領にも連なる山脈の一部分だ。その利権を持参金として持つ適齢期の貴族令嬢がいる。しかも父は王党派の宰相補佐。よほど評判の悪い娘でない限り、利益だけ考えてもおつりがくるような好条件だろう。
「なるほど」
自ら納得のいく答えを導き出した娘を、父は苦い顔で、母は困ったような顔をして見ていた。
両親は政略結婚だが、元々幼い頃から交流のある間柄であったため仲が良く穏やかな関係だった。だから娘に対しても同じようにすれば良好な結婚生活が送れるものと考えていて、家族ぐるみで仲の良い同僚の貴族の息子へ嫁がせる話は随分と前から出ていた。
後継の兄は政略結婚だったから、娘の私くらいは穏やかにとでも思ったのだろうか。
けれど生憎、婚約者と私は反りが合わずどうにも不愉快なことが多かった。
私を見た大人の多くは、私のことを賢そうな娘だと褒めた。可愛いでも美人でもなく、賢そうだという第一印象は一体どこから来るのか。おそらく愛想も振り撒かず、大人の会話を盗み聞き意見を述べる態度に小賢しさが透けて見えたのだろう。
元婚約者の彼はよく私のことを可愛げがない女だと罵っていた。
歴史書や法律書の類を手にしているとあからさまに嫌な顔をするので、女性が好む恋愛小説を持ち歩くようにした。会話の少ないお茶の時間をそれで濁せば、そんなものばかり読むから現実が見えないのだと嘲笑された。
私とて彼に理解されようという気はさらさらなく、誰かから聞いたようなそれこそ現実味のない理想を語る彼を小馬鹿にしていたのだからお互い様だ。
どこまでも混じり合うことのない私達の関係は、やがて彼が平民の女性と駆け落ちしたことで終止符を打った。
「答えは顔合わせをしてからで構わないと言われている。あちらも気を遣ってくださってはいるようだ」
何に気を遣っていると言うのか。元婚約者のことか、年齢が離れていることか。
「どの道わたくしに選択権などありませんでしょう?」
いつだって私が決められるのは私の書く恋愛小説の道筋だけ。
私自身の人生は、どんなに逸れても結局のところ、他の誰かに〝あるべき姿〟へ正される。
私は早く自分の物語の中に逃げ込みたくて、碌に喉を通らない朝食を残したまま、席を立った。




