宰相夫人
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針のように空から落ちてくる水の線が、庭園の木々の陰を浮き立たせ、反対に建物の影は沈んでどこか遠くに感じる。
夏も間近だと言うのに冷えた空気はいっそ神聖なほどで、街中の賑やかさは遠く雨音の向こう。
雨の日の茶会は特別な催しだ。
雨に濡れる庭を魔法で遮られた透明な壁の向こうに見る。実際には壁ではなく風の魔法を滞留させて指定した範囲に雨を入り込ませないようにしているらしいが、魔導士が術を施す際に簡単に説明するのを聞いただけなので詳しくは知らない。
主催者であるフロレンツィアにとって重要なのは、敢えて雨の日を狙って茶会を催し、雨に濡れず、内部の気温を快適に保つことのできる高度な魔法を使えるお抱え魔導士がいるという事実を誇示することだった。
社交界が始まるのはその年の議会が開催される春の日差しが強くなる頃から、大夜会が開催される夏の暑さが本格的になる前までの三ヶ月程度。その間に雨季が訪れるため交流は下火になるのだが、雨でも馬車を乗り付けられる広いポートや、茶会を開けるような豪華な温室、果ては魔法を駆使して庭を開放するような贅を凝らしたもてなしができる貴族というのは格の違いを見せつけられる。
けれど「雨だから」を言い訳に、招待客を限定した特別感を味わえるようにすることもでき、特別なサロンのような一種のステータス作りに役立っている。
「フロレンツィア様、本日はお招きいただきましてありがとうございます」
淡い水色のデイドレスを纏って綺麗なお辞儀を見せるのは、この国の宰相を務める夫の部下で、懇意にしているヴァンシュタイン伯の娘、クリスティナだ。フロレンツィアは礼儀正しく頭の良い彼女のことを気に入っていて、度々身内が中心の茶会に彼女を招いている。
「会えて嬉しいわ、クリスティナ。堅苦しい呼び方はよして、いつも通りおば様と呼んでちょうだい。私もシルビオも貴女と会えるのを楽しみにしていたのよ」
今日の茶会は夫の仕事の部下にあたる文官の家族が中心で、その中でもなるべくクリスティナに好意的な面々を集めている。というのも、子供の頃から家同士で結んでいた婚約が男側の身勝手な都合で破談となり、どうにも引き篭もりがちらしいと夫を通じて相談があったのだ。
彼女の母親は雨の日には体調を崩しがちなのでこうした集まりには参加しないことは分かっていて、だからこそ自分が身内のように気にかけてやれば彼女を悪く言う者などいない。時には家族以外の者とも会って気軽な会話をすることだって必要な気分転換だ。
「クリスティナ様、お越しいただき光栄です! 美味しいお菓子もふんだんに用意いたしましたので、是非たのしんでくださいね!」
母の挨拶もそこそこに、隣に控えていた幼い息子が浮かれた声を上げる。まだ初等教育を始めたばかりの年頃にしては賢い子で、近頃は自分を子供扱いする大人に反抗的な態度を見せるようになって扱いにくいところがあるのだが、大人に対するのと変わらぬ態度で接してくれるクリスティナには懐いていた。
「ありがとうございます。シルビオ様もお元気そうで何よりですわ。御自慢のお菓子も楽しみです」
とはいえ彼女が子供の扱いに長けているのではなく、逆に接し方が分からず大人と同じように応対しているだけだろう。彼女にはそういう不器用なところがあって、礼儀正しいと言えばその通りなのだが、堅苦しいと感じさせてしまうこともある。
クリスティナが婚約を破談にしたと聞いた時も、残念だと思う一方で、ああやはりなと思う自分がいた。
婚約していたのは法務省に所属する官吏の息子で、父親同士が仲が良く、幼い頃から知った仲だった。当然フロレンツィアも子連れの茶会で顔を合わせる機会は多く良く知った子供達だったが、何かと自分優位に物事を考えようとする男児に、大人びた応対をするクリスティナはかなり以前から辟易する様子を見せていた。
政略結婚とはいえ互いを尊敬できない間柄では早々に破綻すると踏んでいたが、どうやら正解だったらしい。とはいえまさか平民と駆け落ちするまで考えのない青年だとは思わなかった。
「さあ今日はお茶も珍しいものを用意したのよ」
招待客が席に着くのを見計らい、フロレンツィアは侍女に視線を送る。心得たひとりが湯の入ったケトルを持ってテーブルに近づいた。
「まぁ、硝子のポットなんて珍しい」
テーブルに据えられた丸いフォルムのポットに目を引かれた令嬢は声を上げる。
魔石を原料とした炉で硝子を溶かし吹いて作るそれは、宰相家が支援する工芸家の新作だ。中の茶葉の様子が見えるのはもちろん、それ自体が優美なカーブを描く美しい工芸品として成り立っている。
そこに本日は変わった丸い茶葉の塊を入れ、お湯を注いだ。
「まぁ、お花が!」
湯によって解れた花弁が一枚、また一枚と元の形を取り戻していく。それはまるで今まさに目の前で花が咲くことを見ているような気持ちにさせる面白い趣向だ。
「魔法みたいですわね」
取り巻く会場を作る大掛かりな魔法を前にして呟く若い娘にフロレンツィアは思わず笑った。
貴族であれば平均以上の魔力を有していて、難しい術式を必要としない生活魔法くらいなら使えるものだ。今や灯りに湯沸かしにと動力源としての魔力は平民にすら身近な存在だが、純粋に魔導士が行使するようないわゆる魔法については使える人間は限られている。
その中でも花を咲かせるような魔法は生命の成長を促進させるか幻影を見せるかしかなく、意外に高度な魔法なのである。
「香りもいいのよ。さ、召し上がって」
水色は薄い鮮やかな若草色。ベースとなる茶葉は茉莉花で、雨天で沈みがちな気分を整える。大陸向こうの東方の魔女の考案だというその工芸茶は大陸ルートで手に入れたまだ希少な品だ。
招待客らの反応に満足しながら、フロレンツィアもしばし茶を楽しむ。
「クリスティナ様、お庭を見に行きませんか? 今日は薔薇園のところまで傘の魔法を敷いてあるんです。ちょうど見頃の花があって」
子供だけのテーブルから早速抜け出してきたシルビオが、紳士のそれらしい仕草をして令嬢を誘い出す。あちらのテーブルでは同じ年頃の少女たちがいささか不満そうな顔でこちらを見ていた。
自分のテーブルの客も満足にもてなさない内から動き出した我が子に呆れ、フロレンツィアは苦笑いを零しながら頷いた。
「薔薇のアーチが見頃なのよ。どうぞ、ご覧になって」
するとクリスティナが首を傾げて花種を問う。
「確かおば様の庭には木香薔薇がありましたね」
「ええ、アーチと言えば蔓草ですからね。木香薔薇は昔から好きだから植えてあってよ」
彼女らが幼く庭で遊んだ頃に見たのだろう。何か思い出すきっかけでもあったのかと問えば、少し恥ずかしそうに目を伏せる。
「木香薔薇のようだと言われたことがあったので、」
「僕はクリスティナ様は百合のような方だと思います。博識で、凛として美しい!」
「ありがとう、シルビオ」
柔らかなクリーム色の花を無数につけてアーチを作る薔薇を思い出しながら、フロレンツィアは首を傾げた。
薔薇の中ではそうしてアーチ状にすればそれなりに見応えがある種類だが、古い原種なのでひとつひとつの花は小さく地味な方だろう。
シルビオも言う通り才女と名高いクリスティナだが、華やかさとはほど遠い。着飾ればそれなりに可愛らしいのに、当人は清楚を通り越して地味で目立たない装いを好む。
新緑を背景に淡い花色が寄り集まって鮮やかに陽の光を返す様に、この花の本当の姿を目にしたら、とても地味な花とは評価できないだろうとも思う。
「悪くないわね」
フロレンツィアは香り高い茶を含んで口許を綻ばせた。
「え、何かおっしゃいまして、おば様?」
誰しも注目する大輪の花ではないけれど、いつの間にやら咲いていて、その可愛らしさにはっと目を奪われる。好む人はとても愛着を持つ花だ。
彼女をそんな花に例えたのは一体どんな人間だろう。
この花を見て彼女のことを想ったのであれば、それは地味だと貶めるような意味ではなく、間違いなく賛辞の意だ。それも、敢えて例えれば失礼にあたるかもしれない主役ではない花など、思わず溢れてしまった本音としか考えられない。
「春は良いわねぇ。わくわくするわ」
新しい恋の兆しを見かけることは、どうしてこうも心躍るのか。




