比べて喩える
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彼の目は猛禽類を思わせる。
薄氷の瞳を持つ鷹が居たならまさしく彼にそっくりだろう。他を睥睨する様は高みから見下ろしているかのようだ。
文面を追っているその双眸は、髪と同じ栗色の睫毛に縁取られている。陽光を受けると金色に透ける。彫りの深い眼窩と、しっかりとした高い鼻筋。日差しの中ではっきりと分かれる陰影がまるで彫刻のようだった。
頁を捲る指は見慣れた文官のものとは違い、節が高く腱が浮いている。手首は締まっているが、続く袖の下に見てとれる腕は太さがあり、みっちりとした筋肉の重厚さを感じさせる。
本の下で組まれた長い脚。仕立ての良い服は身体に合わせて作られた特注品だろう。彼の体格の良さを存分にーー
「何を書いている」
「あっ」
鉛筆を走らせていた帳面を取り上げられ、私は思わず高い声を上げる。
「ダメです! ネタ帳を覗き込むなんて!」
持ち上げた紙面を視線が横切るのを見て、私はあたふたとそれに手を伸ばした。
「……君は薔薇は書かないはずでは?」
薔薇という隠語の意味するところを理解するようになった彼は、片眉を上げてこちらを見つめた。その薄氷の瞳で。
「違います! 形容の練習です!」
「練習」
「あっ、疑ってますわね!?」
彼の手の中を恨めしそうに見つめながら、
「絵描きがクロッキー帳に素描をするようなものです。表現方法によって読者へ与える影響は大きく変わるでしょう?」
「ほぅ、で、これは何を素描したものか、聞いても?」
目の前の風景を切り取るように、男性の容貌を書き上げたその帳面を私の手の届かない辺りではためかせながら、彼は首を傾げる。分かっていて言っているのか、本当に分かっていないのか定かではない真面目な顔に、私は眉根を寄せた。
「お分かりにならないならわたくしの腕がその程度ということですわ」
「……この頁はいただいておこう」
「えっ、ちょっと、やめて!」
大事な資料として後に使いたかったのに、彼はその頁だけを器用に破り取り、折り畳んで懐へ入れてしまった。
「君はもう少し自覚した方がいい」
「何をです?」
こほん、と気まずそうに咳払いをしながらも返す気はないようで、彼はベンチの端から更に身を引いた。
四人は掛けられそうな巾のあるベンチの端と端。私たちの距離はそれより詰まることはない。
私がそこで軽食を摂ることを知った彼は、気を遣わせないためか昼休憩の時間を避けてふらりと現れる。男女が二人きりで飲食していたらあらぬ誤解を受けてしまう。図書館職員たちが交代で昼食を摂る時間帯にも現れないから、きちんとその辺りのことは考えているのだと思う。
本の貸し借りも、返す約束が出来ないからとその場にいる時間で読むのが常だった。週に数回、日時を約束しているわけではないし、敢えてお互いの素性を明かさないままの奇妙な関係がひと月以上も続いている。季節は日に日に日差しが強くなり、時折雨の日が続くようになっていた。そろそろ雨季に入るのだろう。
だけど社交のシーズンは夏の大夜会までだから、この奇妙な関係もその内終わる。地方貴族が領地に戻れば私も少しずつ日常へ戻り、来年には新たな婚約者を探して真新しいドレスを纏うのだ。
「雨の日にお薦めの本はあるか?」
「雨ですか?」
明らかに話題を変えてきた彼を横目で見つつ、私はふむと頭の中の書棚を探る。
彼がどの家門の何という人物なのか、気にならないと言えば嘘になる。
彼を夜会で見た覚えがないのは、私の経験年数が少ないのと、彼が積極的にそういった場へ姿を現さないからだろうか。
貴族かそれに準ずる家柄、しかし少なくとも中央の人間ではなさそうだ。軍に配属されていて、前線から長いこと戻らなかった人かもしれない。あるいは外相的な職務に就いていて国を離れていたとか。
「そうですね、薔薇モノなら雨の戦場で剣を交わした二人の好敵手が停戦協定後に出会うケンカップルがお薦めですわ。冒頭の雨と血に濡れた戦場でのシーンが作中でも繰り返しフラッシュバックしながら話が進むのがとても印象的で」
ケンカップルとはいつも喧嘩腰で仲が悪そうに見えるが実は相手のことを意識し過ぎてしまって普通に接することができないじれじれカップルのことである。この辺りの用語についても彼には既に解説済みで、説明したことは一度で理解してくれるので話が早くてとても助かる。
けれど今の様子を見る限りどうにも食指を引かれないようなので、
「男女モノだと……『紅の魔女と雨の
「それはもう読んだ」
有名な話は既読済みか。
書かれたのはかなり前だが根強い人気のあるシリーズで、主人公は今も存命の有名な魔女がモデルだという。平民出身の力のある魔女が貴族令息の相談事に乗るうちに互いを意識し始める恋愛物語で、その相談事を解決するに至る過程が推理物のような雰囲気があって密かに愛読する男性読者もいるほどだ。
私が薦める以前に、彼はそれなりにこういった本を手に取ることがあったのだなと察する。一見堅物の軍人のような雰囲気を持つ彼だが、話すほどにこちらの意見を取り入れて納得のいく答えを導き出す柔軟さを見せつけられる。
「そうするとマイナーですけれど……街にお忍びで出た貴族令息が雨に降られて雨宿りした先の食堂の娘と恋に落ちる話は?」
「……それはちゃんと結ばれる気がしないんだが、身分差は解決されるのか」
「雨と心情の描写が綺麗な作品です。その、ネタバレしていいのであれば申し上げますけどどうします?」
本来ならちゃんと読んでもらうべきなのだが、何やら不安そうな顔をするので思わずそんな提案をしたその時、
一陣の風が吹いて膝の上の本の頁を巻き上げた。
「あ、」
挟んでいた栞が溢れてベンチの向こうへ落ちたのを追いかけて身を屈める。駒鳥の絵を描いた可愛らしい栞は、絵の得意な甥が描いてくれたものだ。何とかそれ以上は飛ばされずに捕まえて体を起こすと、
「痛っ!」
髪を引かれて声を上げる。見れば、薔薇の蔓が絡んでいる。
棘のない淡い黄色の薔薇が、楡の木に絡んで立ち上がり見事に咲き誇っていた。いつも背を向けていたとはいえ、私たちに木陰を作ってくれる木の根元にこんなに沢山の花を持つ薔薇があったことに気が付かなかったとは。ここ数日で一気に花開いたようで、八重の花弁を持つ小ぶりな花がブーケのようだ。
「どうした、棘に刺さったか?」
「え? ああいえ、木香薔薇ですから棘はありません。髪が絡んでしまったみたいで」
解くには振り返って絡まった箇所を確認した方がいいのだが、角度的に髪が引かれて痛い。引きちぎった方が早いかもしれないが、綺麗に咲いている花を傷つけることに気が引けて何とか解けないかとまごついた。
「君は存外そそっかしいところがあるな」
彼は苦笑して立ち上がり、楡の木の陰に回ると枝の様子を確認した。かさり、と耳元で小さな音がして、軽く髪を引かれる感触に大人しく頭を動かさないようにしていると、それほどの時間を要さずそれは解けた。
「ありがとうございます」
「君の髪は癖がないな」
「え、ええ。直毛で癖が付きにくいので、自分で結い上げるのは難しくて苦戦するんです。だからいつも侍女任せで」
「……この花とよく似た色だ」
「そうですか?」
言われて振り返ると、淡いクリームのような可愛らしい花たちである。赤やピンクのような艶やかさはないが、周囲に溶け込みながらも明るさを添える花色は嫌いではない。
「本当に棘がないのだな」
私の髪を解いた後も、彼はその花弁を傷つけないようにしながら薔薇の蔓を確かめるように指に絡めた。無骨な男の手の中にあると小さな花は一層弱々しく可憐に見える。
「東の方の原種だそうです。薔薇というには小ぶりで色味は地味ですけど、新緑の中にあると眩しいくらいですわね」
「ああ、まるで、」
まるで、の言葉の後を待つが、いつまで経っても続く言葉がないので首を傾げて花から視線を上げると、彼の薄氷色の瞳と合う。
ぱき、
「あ」
驚いて目を見開いた彼の手元に視線を戻せば、そこには手折られた木香薔薇が一房。
「あら、駄目ですよ、公共の花を折るなんて」
「……ああ、そうだな、すまない」
私に謝られても困るのだが、何やら本当に困ったような声を上げる彼に、
「ふっ、ふふっ」
私は思わず声を出して笑ってしまった。
「貴方がそんな顔をするなんて、」
いつも自信ありげに泰然とした様子の紳士が幼子のように戸惑っている様子は何やら可愛らしく、笑いが止まらない。口許を本で隠しながらも、ふふふっと声が漏れてしまって笑っていることはバレバレだった。
あまりに私が笑うものだから、やがて彼も戸惑った顔を苦笑に変えて、
「この花を見るたびに君の笑う顔を思い出しそうだ」
急にふわりと優しく笑うものだから、今度はこちらが戸惑ってしまう番だった。




