ここは自由の箱庭
楡の木陰が風に吹かれてさわさわと揺れる。新緑の葉擦れの音は柔らかく、日に日に強くなる日差しを遮って緑の影を落とす。
緑夜月の爽やかな空気は好きだ。
王立図書館のベンチで過ごすのも、この季節が一番気持ちいい。
「騎士団長と傭兵隊長が共闘する中で互いへの愛を知るラブロマンスなんですのよっ」
そんな爽やかな空気感を壊す熱量で、私は思わず両拳を握って力説していた。
「君の勧めるものが日に日に男臭くなっていくのは気のせいか?」
あれから本編を読んだ彼が、男同士の話だったのかと呟くのを聞いて、私は恥の上塗りをしてしまったことを知った。どうやらあの特典冊子だけを読んだ時には男女モノだと思っていたらしい。
バレた時には恥ずか死ぬかと思ったが、案外慣れてしまえば平気なもので、何故だか今でも交流が続いていた。
開き直ったとも言う。
「王侯貴族モノが正統派とされておりますけど、そもそも殿方のそちらが性癖の方は男らしさにこそ惹かれると聞きますわ。つまり、そう、リアリティの追求です!」
彼は目を瞬いた。
「リアリティ」
口の中で呟いてその意味を考える姿から、今ひとつ理解に及んでいないのだと察する。
「そうですわね、」
私は声をひそめて具体的な例を挙げることにする。
「不敬なのでここだけの話にしていただきたいのですけど、例えば第二王子殿下のような、あれだけスペックが高くてらっしゃるのに女性との噂がないような御仁は怪しいと踏んでますわ」
途端に彼はげふげふと咳き込んで頭を抱えた。
王子というがすでに成人して久しいかの方は、王太子殿下との派閥争いになることを懸念して、若い頃から軍務を担当すると言って具体的な政務からは退いていると聞く。騎士として兄に忠誠を誓った彼は男性らしくて女性陣にも人気なのだが、不思議とそういう噂は流れてこないのだ。
「君は、王子と面識があるのか?」
何か、ちょっと笑っているような肩の震えに、私はつんとそっぽを向いた。
「顔は存じ上げません。かなり男前だとお聞きしましたけど」
だろうな、と彼は呆れたように嘯いた。
「想像だけでそこまで妄想が及ぶのは最早感心してしまうな」
かの御方は社交の場が苦手で王城で開かれるような参加必須の夜会に少し顔を出す程度だという。おそらく同じ空間にいたことはあるのだろうが、ご挨拶できるような伝手も身分もない自分はただ遠巻きに他の貴族女性たちが群がるのを眺めたことがあるが、ドレスの向こうのご尊顔を仰いだことはない。
そういえば目の前の彼もそこそこに男前だと思う。薄氷色の瞳の眼光が鋭過ぎることを除けば、顔立ちは整っているし、陽光を透かすと金色に見える栗色の髪も素敵だ。軍務に就く者特有の胸板の厚みは頼もしく、着痩せしているが腕もかなり太そうだ。
図書館にいる時間は三揃いのスーツでジャケットを腕に掛け貴族としては軽装の部類で過ごしているが、夜会服など纏えばさぞかし見栄えするに違いない。
「そういえば君は夜会で見かけたことはないが、社交はしないのか」
勝手に正装の彼を想像していたら、突然夜会の話題を振られてぎくりと体が強張る。
「よくそれで夜会や茶会の様子を書けるな」
どうして私の書く作品の内容を知っているのかと首を傾げると、彼は意地の悪そうな笑みを浮かべて私を見下ろした。
「ニーナ・クロイツといえばなかなかに有名な作家らしいな」
「ま、まさか読んだんですの!?」
お互い名乗ることなく続いている関係だが、先日うっかり最新刊に書かれたサインの宛名を見られ執筆名がバレた。編集者を通して作家同士の繋がりのある作家様だったので、執筆名宛でサインをくれたのだ。いや、本名バレたらダメだし、執筆名からたどり着けないようにはしてあるけどもちろん。
貴族でしかも女性が執筆業をするなど褒められた行為ではない。
かつて恋愛小説とは貴族が囲う書生や若手の舞台作家が小遣い稼ぎに書くようなものだった。それをひとつの確立したジャンルにし、発展させたのは異世界から来た稀人だという。近隣国で起こった文化革命は瞬く間に世間へ浸透したが、それでも貴族女性が生業とすれば白い目で見られる類のものだ。
小説を書いて出版していることは、家族でも知っているのは兄のユリウスだけだ。私に協力してくれる使用人の協力あって成り立つことであって、もしこれが露見すれば両親は私を詰ってすぐさま適当な相手を見繕って嫁にやることだろう。
「読んだ。君はなかなか良い文を書く」
しかし執筆名がバレたものの、わざわざ作品を手に取って読むとまでは思っていなかった。そんな、夜会の描写にリアリティがあるかどうかの判断ができるほど読み込まれている事実に驚愕すると同時に、執筆そのものには忌避感を抱かない彼に何やらほっとしてしまう。
「わたくしだって、婚約者にエスコートしていただいて夜会に出るくらいはしておりましたわ」
すると彼は虚を突かれたような顔で私を見つめた。私のような可愛げのない女に婚約者がいたことが意外だったのか。けれどそれなりの家柄の貴族の娘であれば、成人する頃には婚約者がいるのが当たり前だ。
「もう別れました」
けれどそれももう過去の話となってしまった。
婚約者に逃げられた女は、社交界では格好の噂の的になる。今シーズンも始まったばかりの頃は出席義務のある王家の夜会などは参加したが、皆が私に好奇の目を向け、遠巻きに噂したり、または同情するふりをしながら事の顛末を聞き出そうと声をかけて来た。
しかも婚約によって融通されていた鉱山などの利権が慰謝料代わりにそのまま継続されることになった。これを聞きつけた人間たちが、こちらは破談になった直後だというのに、利権も持参金に含まれることを期待して興味津々で近づいてくるのだ。
元々社交が得意とは言い難かった私は、それらを避けるように表舞台から遠ざかってしまったのだ。
「そうか」
おおよその顛末を予想したのか、彼は深く聞いてくることはしなかった。
そう、社交界ではそういった男女のスキャンダルはすぐに噂に登るが、移り変わりも早い。似たような話はいくらでもあり、皆まで聞かずとも予測可能で安直なストーリーだ。
「生憎、物語のように心踊る展開にはなりませんでしたわ」
声高に婚約破棄を告げられたり、お相手の女性がこれ見よがしに仲睦まじい姿を見せたりすることもなく、いつの間にやら恋人を作っていつの間にやら私の前から姿を消していた大して仲の良くもないぱっとしない婚約者。
現実なんてそんなものだ。
ますます読書にのめり込む私を両親は心配したが、兄が今シーズンくらいそっとしておいてやろうと取りなしてくれた。だから私はこうしてまた図書館へ日参することができている。
王立図書館の出入りは希少な本を持ち出さないように厳しく管理されていて、怪しい人間は入ってこれない。平民も利用することができるが、身分証を提出しないと入れない。貴族は顔パスだけど、それとて記録には残される。
ただ管理されるのは出入りだけだから、中で過ごす時間は自由だ。侍女のメイベルから離れても構わないし、護衛達だって外で待機させておくことができる。
正直自宅にいるよりも気ままに過ごせるとあって、私は傷心を装って社交から遠ざかり、のんびりと読書ばかりする日々を送っている。
快適だ。
最近では読書仲間もできてしまった。
「それで、今君の心を占めているのは情熱的な薔薇というわけか」
鋭い目を細め、口の端を持ち上げる。相変わらずシニカルな笑い方で、彼は私を皮肉った。
けれど彼は薦めた作品を読むようになってから、猥褻という言葉は使わないようになった。しっかりと読んで、感想を述べ、何なら王道の男女モノを薦めれば家族の蔵書にあったと言って予習までしてくる始末。果ては私の執筆名から作品を探し出して批評してくださるほどだ。
え、このヒトちょっと優秀過ぎないかしら? こんな事に大真面目に付き合う? 暇? 暇なの?
「何か失礼なこと考えていないか?」
「えっ? いいえぇそんな、」
おほほほほ、と口元を隠して渇いた笑い声を上げる。
お互いに本名も知らないまま交流だけが続いていて、だけどその肩書きを気にせず付き合える気安さが心地良くて、私たちは互いを深く詮索しないまま、ゆったりとした交流を続けていた。




