御令嬢は人気作家
「それではクリスティナ様、いつもの時間にお迎えにあがりますからね。けして敷地の外には出ないでくださいよ」
「ええ分かってるわ。大人しくしていたら今日はアマンドショコラを買ってくれるんでしょう?」
王立図書館の入り口で交わされるいつものやり取りに、メイベルの主は呆れたように肩をすくめて冗談で返してくる。
淡いクリーム色の髪を耳の上から編み込んでハーフアップにしたのは自分だ。本を読む時に髪が邪魔だからとサイドは髪が落ちないようしっかりと結い上げる。主人の艶のある直毛は髪が逃げて結いにくいが、幼い頃から続けているメイベルには造作もない作業だ。
「そうです。お嬢様の大好きなパティスリーのアマンドショコラですよ。帰ったらよく合うお茶を淹れて差し上げますからね」
端から聞いていたらどんな幼い子と話しているのかと思われるだろうが、彼女は成人している立派な淑女だ。メイベルの母が弟を産んだ年に生まれた主家の娘で、母が乳母となって育てた。だからメイベルにとって彼女は誰よりも可愛い妹で、そして何よりも大事な主だ。
その主、クリスティナ・エーデル・ヴァンシュタインは週に数回、侍女が街で用事を済ませる時間をこの王立図書館で過ごす。王立の高等学院では優秀な成績だったそうだが、貴族の娘は成績が良かったところで多少評判が良くなる程度、将来的に役に立つことなどない。卒業後は母に習って家政を仕切りながら、持て余した時間を読書に充てている。
というのが表の姿。
「今回の新作も、イチオシです!」
護衛のひとりとお使いの途中で訪れた書店の二階で、メイベルは主から預かった封筒を目の前の男へ差し出した。
「君にかかるとニナの作品は全部イチオシだねぇ」
呆れたように笑いながらも、封筒を開ける彼の顔も期待に満ちている。
「そりゃ、私の自慢ですもん」
中から現れたのはびっしりと字が連ねられた原稿の束。表紙にした一枚には、ニーナ・クロイツという女性の名前が綴られている。この下の書店の新刊棚でもその名前は散見することができるだろう。最近人気の女流作家のひとりだ。
そう、才媛と謳われたかの令嬢は、学生時代からすでに名の知れた小説家としての裏の顔を持っていた。ただし貴族の娘が執筆で金を稼いでいるなどというのは外聞がよろしくないので、これは家人でも一部の協力的な人間しか知らない事実だ。
堅物で有名な彼女の父が知ったらそれこそ卒倒するかもしれない。
彼女の原稿はメイベルが編集者へ受け渡し、推敲、校正を経て刊行される。その間の原稿の受け渡しは全てメイベルが行い、クリスティナ本人が表に出ることはない。
「しかし勿体無いな」
デビューからの付き合いになる編集者は、新たな原稿の出だしに目を走らせながら、深い溜息を吐いた。
「結婚したら辞めるんだろ?」
そろそろニーナ・クロイツの作品も見納めかと嘯く男に、メイベルは思わず隣にいた護衛騎士のクロードと顔を見合わせた。この護衛もクリスティナの兄の乳兄弟でどこぞの子爵家の次男だが、妹の奇行に寛容な兄がメイベルの納品時に支障がないようにと付けてくれているのだ。
内情を知る二人が微妙な空気を漂わせるものだから、編集者の男は字面を追う目線だけをこちらに寄越して眉を顰める。
その視線を受けた二人はやれやれといった様子で溜息をついた。
「ああ……いえ、まだしばらくは、続けられそうなんです」
メイベルの言葉に、彼は怪訝そうに顔を上げた。
「婚約が、頓挫いたしまして」
ぽかんとした顔をした編集者に、メイベルは肩をすくめて見せた。
「何、まさか執筆業がバレた?」
彼は顔色を青くして原稿を強く握る。お嬢様の力作が皺になるからやめてほしい。
「いいえ、まったく関係ごさいません」
ぴしりと背筋を伸ばしたクロードが応えれば、
「お相手が平民女性と駆け落ちなさって行方知れずとなりましたので、この度ご縁がなかったということで破談と相成りました」
とメイベルが続ける。もし執筆業がバレたのだったらクリスティナ付きの侍女である自分などここに来ることさえできないではないか。
「はぁあ?」
二人の説明に男は間の抜けた声を上げるが、メイベルだって聞いた時には開いた口が塞がらなかった。
しかも、お相手が姿を消したのは半年も前の話だという。大方秋の豊穣祭辺りで盛り上がってそのまま逃避行といったところだろうか。貴族の体面に差し支えるということで表沙汰にはなっていなかったそうだが、社交シーズンが始まるこの時期に便りもなく姿を現さない婚約者について問い合わせたところ、これ以上隠しようがないと上述の事態が明らかとなった。
「まったくお貴族様の考えは分からないな。お互い気が合わなくてもお家のために結婚するって綺麗事言いながら、土壇場になって愛に生きるとかまた綺麗事で誤魔化すんだから。結局責任を負いたくないだけだろ?」
まったくその通りだと思うので、メイベルは深く頷いた。
「ああ勿体無いなぁ。ヴァンシュタイン家の御令嬢なのに。上手いことすれば文官の良いポジションに潜り込めただろう?」
「ちょっと、裏切り男側に同情してたりしないでしょうね」
「しないしない。どっちかっていうと、ティナ嬢の話。男に生まれていれば兄貴より優秀な文官になっただろうに、勿体無いよ」
それは常々周りからも言われている話だった。女王を戴く隣国では女性官僚の登用も進んでいると聞くが、男子のみに王位継承権のあるこの国ではその考え方はまだ一般的ではなく、よほど才覚のある魔導士でもない限り、女性が官僚になることはない。
ヴァンシュタイン家は文官を多く輩出する家柄で、現当主であるクリスティナの父は宰相の筆頭補佐官だ。兄も別部署で既に勤めているが、学生時代の成績だけでいうなら妹の方が優秀だ。学院からの報告書を読んだ当主が、男であればなと溜息をついているところを見たことがある。
「皆様そう言いますけど、お嬢様は文官になりたいなんておっしゃったこと一度もありませんよ」
「え?」
「お嬢様は物語がお好きです。作る側になりたくて努力した結果が今のお嬢様です。どちらかと言えば今の生活を出来るだけ長く続けたいと思ってらっしゃるようですが、義務は心得ておいでの方なので今回の件に関してはそれなりに消沈しておられました」
才能だけあっても世に作品を出す機会がなければ成り得ない職業だ。
パトロンもなしに生活することができて、作品に集中できる環境。出版に携わる人間に辿り着き作品を売り込むことのできるコネクション。それらが生まれ持った環境による恩恵だと理解している彼女は、それ故に貴族の娘としての義務は果たさねばならないと言う。
ただ与えられたものに満足しているだけの御令嬢じゃないところはメイベルの自慢だが、少し自分に厳しすぎじゃないかとも思う。だからせめて自分は全面的に彼女の味方でいたい。
「……そうか。いや、そうだな。少しでも長く彼女が書ける状況になったことは編集者としちゃ喜ばしいが、婚約を破棄されるって、そりゃおおごとだよなぁ」
少し皺のついた原稿を伸ばし、彼はやるせない様子で頭をがりがりと掻いた。
「破棄されたのではなく、こちらから破談にしたのです。お間違いなく」
「ああ、うん。そうな」
忠誠心の強いクロードがきっぱりと反論したのに対し、彼は苦笑して肩をすくめる。
事実はどうであっても貴族令嬢としての評判が悪くなることは否めない。だが婚約者に逃げられた魅力のない女というレッテルを貼られてはかなわない。
それに、今回の破談において、婚約によって融通されることになっていた鉱山などの利権についてはそのまま継続するそうで、謂わば慰謝料を受け取ったことになる。つまり非があるのは完全にあちら側、こちらには何の瑕疵もないことを明確にしている。
何ならこの利権を持参金に上乗せして持たせれば次の婚約にも有利に働くのではないかと考えられ、さすが頭の回る当主は転ばせようにも簡単には転ばない御仁だ。
「お嬢様のあのツンツンの中にある情熱に気づく殿方が現れると良いのですけれど……」
異性に愛想笑いのひとつも溢さない澄ました才女。けれど好きなものにはまっすぐで、歴史物語に記された英雄に恋する乙女な一面も持っている、可愛らしい方だ。
「平民なら男を紹介してやるところだけど、お貴族様だからな。俺にしてやれるのはコレくらいだ」
そう言って編集者が鞄から取り出したのは、真新しい箔押しの新刊。
「まっ」
メイベルはそのタイトルを目にして思わずにんまりと口元を歪めた。
「店頭に並ぶのは来週からだ。ニーナ先生宛のサインももらってあるぞ?」
クリスティナが愛してやまない長編シリーズの発売前の最新刊だ。これは目を輝かせて喜ぶに違いない。キラキラとした琥珀の瞳を思い浮かべて、メイベルは早く自分の主に会いたくなった。




