出会いとか邂逅とかいうもの
月面からのR15版転載となります。
「それではクリスティナ様、いつもの時間にお迎えにあがりますからね。けして敷地の外には出ないでくださいよ」
いつものことにも関わらず、侍女のメイベルは小さな子供に言い聞かせるようにそう言ってから街への用事を済ませに行く。乳母の娘である彼女は、私のことをいつまでも手のかかる妹だと思っているようだ。さながらここは児童預かり所といったところだろうか。
「ええ分かってるわ。大人しくしていたら今日はアマンドショコラを買ってくれるんでしょう?」
「そうです。お嬢様の大好きなパティスリーのアマンドショコラですよ。帰ったらよく合うお茶を淹れて差し上げますからね」
端から聞いていたらどんな幼い子と話しているのかと思われるだろうが、私はこう見えて成人している立派な淑女だ。そして預けられる先も王立図書館というけして幼子を置いていけるような場所ではない。
私はここの常連で、職員にも顔が知れており、何なら司書として働かないかとお声が掛かっているような人間だ。今更何を心配することもないのだが、それでも彼女は私を心配してくれる。
だから私も彼女を安心させるために、どんなに夢中になる本があっても必ず時間までにはこの入口に戻るのが日課だった。
けれどこの日はその時間に遅れるような事態を引き起こしてしまった。
「わたくしったら、あの本を置き忘れるなんて……っ!」
門限間近に貸出手続きを終えて本を鞄にしまおうという時になって、持参していた小冊子がそこにないことに気がついた私は、普段にないほど慌てて来た道を戻っていた。
この図書館には中庭があり、幾つかのベンチが用意されている。長時間過ごす人間はそこでお茶や軽食を取っても良いことになっているため、私は天気の良い日は外の決まったベンチで休むことにしていた。
楡の木がちょうど良い日陰を作るそこは道から外れているためにいつも空いている特等席だった。
今日は昨夜遅くまで起きていたこともあってそこでうたた寝をしてしまい、時間が近づいていることに気がついて慌てて受付へ向かったためにうっかりその小冊子を置き忘れたのだ。
「あっ、」
しかしこういう時に限って、そこには珍しく客がいた。
「あっ、あっ、あの!!」
声が上擦ってしまったのはどうしようもない。だって私の忘れ物を、あろうことかその人物が組んだ長い足の上で広げていたのだから。
「うん? ああ、これは君のか?」
低く響く声。男性だ。どこからどう見ても男性だった。
薄い水色の瞳がこちらを向いて、手にした冊子と私を見比べる。氷にも似た温度のない瞳に、私は焦った。
「明らかに図書館の本ではないから、どうしたものかと考えていたんだ。そこいらに置いて置くのはあまりよろしくない類のようだったからな」
内容を見られたーー
「薔薇は趣味ですから読み専ですの。書くのは専ら王道のラブロマンスです!」
言ってしまってから、はたと気づく。
「書くのか」
手にした薄い本をパラパラとめくりながら、彼はふぅんと感心したように頷いた。低い声は落ち着いていて、揶揄うような色は見られなかった。彼はぱたんと冊子を閉じ、腰掛けたベンチから立ち上がると、それを私へ差し出した。
「まぁ、人の趣味をどうこう言うつもりはない」
いっそ興味のなさそうな態度に、やや安心が兆したのも束の間、
「が、まぁ猥本を図書館に持ち込むのは宜しくないな」
家で楽しみなさいと諭すように手元に返された本を受け取った手が、震えていた。
「わ、猥本とおっしゃいまして?」
しっかりと両手でそれを掴みながら、私は思わずその男性を下から睨み上げた。彼は特に怯むことなく、ただ片眉を上げて見せる。
「美麗な暗喩で濁してはいるが、割と直接的な行為が書かれていたように思ったが」
割としっかり目を通したらしい。
「これは、特別版ですの! 本編は装丁もしっかりしたれっきとした刊行本でしてよ!? 一部の御贔屓様向けに刷られたこの特典冊子を、猥本ですって!?」
そう、伝手がなければ手に入らない稀少本を置き忘れるという大失態に落ち込んでいた私は、それが舞い戻ってきた事実が奇跡であると分かっている。しかも男性同士を主体とした恋愛小説の、濡れ場を中心とした完全成人向けのそれなど、価値の分からない人に見られたら気持ち悪がって捨てられてしまう可能性すらあった。
だから中身を見た上でなおそれを返してくれた彼には恩義を感じるが、コレをただの猥本扱いされることは我慢がならなかった。
「……違うのか」
私の怒りに気圧されつつ、彼は手渡した冊子を今一度見る。
「違います! 本編のあの力強くも物悲しい雰囲気あってこその番外編の軽妙さ!! それを読まずしてこの話の奥深さは安易に語れるものではありません!!」
そうか、と気難しそうな顔で眉間を揉んでいた彼は、しばらく考えるようにして、やがてうんと頷いた。
「それは失礼をした。では本編を貸したまえ」
「ひぇっ!?」
「何だ?」
答えが斜め上過ぎて私の喉から変な声が出た。
「え? お読みになるんですの??」
彼は厳かなほど真面目な顔をして頷いた。
「文章は悪くなかった。話の構成がよく分からなかったのは君の言う通り本編を知らないからだろう。あれが猥本でないという証明をしたいなら、一度それを読んでみよう」
いや、むしろもう顔を合わせるのも恥ずかしいのだが、文章は悪くなかったというその言葉にファン心理が働いて、ちょっとうずっとしてしまった。
「ホントにお読みになります?」
恐る恐る、思わず上目遣いになって彼を見れば、ふっと片側だけ唇を上げてシニカルに笑う。
「信じられないならここで読んでやってもいい。これだって大した内容じゃない」
彼が傍らに置いた分厚い歴史書を叩くとぽんぽんとこもった音がした。図書館から借りてきたであろうその本は、金箔押しの荘厳なタイトルを見せている。
「エルディラート戦記はなかなかの読み応えだと思いますけど」
「読んだことがあるのか?」
「歴史書は好きな部類です」
意外そうに驚く顔に、私は頷いた。小説の舞台設定の参考に欠かせないし、何より戦記物には萌え要素が盛り沢山だ。
「男児が読まされるものの中では面白い部類だな。久々にタイトルを見て手に取ってしまったから懐かしさもあって何となく読んでいただけだ」
なるほど、確かに教本にされる歴史書の中では戦記物は男の子が好みそうだ。落ち着いて重厚な感じのする彼も幼い頃があったのかと思うと何やらほんわかした。だから思わず聞いてしまう。
「お暇なんですの?」
人のことは言えないが、今は社交シーズン真っ只中。毎晩のようにどこかの屋敷では夜会が開かれ、昼にはお茶会もある。男性であれば議会や乗馬などで忙しいはずだ。
私の言わんとすることを察したのか、彼は苦笑した。
「必要な集まりには顔を出している。ここは本を読む連中しか来ないから、静かでいい」
あまり喧騒を好まないようだ。けれどよく見るとかなり体格が良い。質の良い布地の下に隠されているが、胸板の分厚さと腕の太さは騎士並で、上流階級でも軍部に属する方なのかもしれない。
「君はいつもこの時間に?」
「えっ!?」
社交辞令ではなく本当に本を借りる気らしく、予定を聞かれて声を上げてしまう。
「い、いつもというわけでは、」
三日と空けず通っているが、それをわざわざ言うのも気が引ける。
「まぁ、気が向いたら貸してくれ。私は別に君の読むものが猥褻であろうとなかろうと構わない。どこの誰だか存じ上げない御令嬢の趣味を吹聴してまわる趣味もない」
ふっと笑う皮肉げな顔。
「わ、猥褻……!」
明らかに挑発する言葉選びにカッとなる。
「いいえ、これは私のプライドの問題です!」
そして何故だか週に一、二回、顔を合わせれば本を貸し、しばしの時間を互いに本を読んで過ごす奇妙な関係が始まったのだ。




