揺れる馬車の中
ブックマーク登録、評価、いいね、ありがとうございます。
石畳の上をごとごとと馬車が揺れている。
クロードはその後ろを騎乗して追いかけながら眺めていた。
まるで仔牛を運ぶ荷馬車みたいだ。実家の子爵領は牧畜が盛んで、そうして売られていく家畜をよく見かけたものだ。そんなものと比べること自体不敬だが、ここのところのクリスティナの様子を見ているとどうしても想像せずにはいられなかった。
クリスティナが書斎に閉じこもるのは珍しいことではない。
家人でも一部の者しか知り得ないが、この家の御令嬢は女性向けの恋愛小説を執筆するそれなりに人気のある作家で、しばしばそうやって書斎から出てこないことがある。
こうなると食事もまともに摂ることはなく、軽食を運んでとりあえず空腹を凌ぎ、納得のいくものが書き上がるまで出てこない。締め切り前の時が多いが、筆が調子に乗っている時も同様に出てこない時がある。
けれどこの時は様子が違った。
まずメイベルの様子がおかしい。クリスティナ付きの侍女だが、大夜会が終わってからというもの、やけにピリピリしている。
付き添った兄夫婦も心配そうにしているが、両親にはいつもの引き籠りが始まったのだと言って取り合わないように押し留めていた。
明らかに何かがあったのに、物事がはっきりしないのは当人が何も話さないからだ。大夜会の夜もクロードはユリウス夫妻とクリスティナが乗った馬車を護衛していた。
あの夜、予定時間より早く馬車に戻ったクリスティナは兄夫婦が戻るまでずっと馬車の中で放心していた。怪我をしたような様子はなく、しかし疲れているというよりは心ここに在らずといった様子で暗い馬車の中にこもっていた。
時折様子を伺うために車内を覗けば、じっと虚空を見上げる横顔がはっとするほど白く、けれど注意深く見ればかろうじて呼吸をする動きに安堵する。眠る訳でもなく、魂が抜け落ちたような雰囲気だった。
「間もなく到着ですが、気分はいかがですか」
クロードは馬を馬車へ寄せて窓を叩くと、顔色の悪い令嬢はただ静かに頷いて見せた。手前にいたメイベルも同様に頷き、しかしやはり心配そうに主人を振り返る。
今日は郊外にある孤児院へ、月に一度の読み聞かせの奉仕活動に行く日だ。具合が悪いなら休んではと思ったのだが、気が塞いでいるだけで体調は問題なく、むしろ義務的にでも外に出る気持ちがあるなら外出した方が良いとユリウスが言うので無理を押して出てきたのだ。
「このまま行ってくれ」
御者に声をかけて馬を離す。
クリスティナは幼い頃から賢い令嬢だった。頭で考えすぎて動けなくなるところがあって、たまに気晴らしになればと、親に反抗して家に戻らないユリウスの代わりに兄のように接してメイベルとピクニックに連れ出すようなこともあった。
本を読むことが彼女にとって世界を広げることだった。だから孤児院の子供達にも同じように世界を広げてあげたい。物語を読むために文字に興味を持てれば精神的にも経済的にも彼らの助けとなるだろう。
あと何回行けるか分からないから。
婚約の話がまとまれば、相手方の領地への距離的にも互いの年齢的にもすぐに輿入れとなるだろう。そしておそらく、一度嫁に行けばほとんど戻って来られないという。
王都生まれの王都育ち、馬に乗ることすら補助の要る御令嬢が辺境に行ってまともに生活していけるのだろうか。
ごとん、
と石畳が終わり、踏み固めた土の道へ降りる。
郊外の平民が利用する教会が経営する孤児院だ。ヴァンシュタイン家は主に物資面で寄付を行うようにしている。この教会は健全な運営をしている方だが、金銭の寄付はどうしても横領されやすい。人件的な支援については実際に家人をやって手伝い、ついでに目を配られるように努めている。クロードも男手として何度か手伝いに来たことがある。
車輪による土埃や跳ね上げられる小石を馬が嫌うので、クロードは馬車から少し距離を取る。
「うん?」
遠くにもやのようなものが見えて目を凝らす。向かいから他の馬車がこちらに向かっていた。しかしいくら雨季が終わって空気が乾燥していたとしても、あの砂煙は相当にスピードが出ていないだろうか。
「クロード卿、」
「ああ、あのままだとすれ違うのは危ない」
後ろを走っていた二人の同僚からも声がかかり、クロードは御者に速度を落として路肩へ寄るよう指示を出す。
そして近づいてくる馬車の車体が相当に古びていることを訝しみ、さらにその御者台にいる男が立ち上がってこちらを見た瞬間、
「くそ、野盗か!」
元より向かい合っていた距離は急速に縮まり、向こうの御者がすれ違いざまに馬首を返した。急な方向転換による反動で馬車の車体が傾ぎこちらの車体へ横当たりをかます。
「お嬢様!」
車軸に使われた金属がぶつかり合う音と、箱型の上部が大きく揺れた。古びた箱馬車は扉が剥がれ、こちらの馬車は横転こそしなかったものの、中に乗っていた人間はひとたまりもない。
「メイベル!」
同僚二人が野盗に向かう間に、反対側の扉へ向かってクロードは大声で安否を確認する。
ぶつかられた方の窓が破れ、破片が床に散乱していた。こちらにいたメイベルは咄嗟にクリスティナを抱えたらしく、腕の中に淡い色の髪が見えた。
「クロードさん、何があったの!?」
「野盗だ、クリスティナ様は!?」
「出血はないけど、気を失われてる。頭を打ったかもしれない!」
窓越しに大声で声を掛け合い、扉を開けないように指示して同僚の側へ回る。
気付けば向かい側からさらに数頭の馬に跨った人影が近寄ってきていた。馬車は完全に体当たりさせるためだけに利用されたようだ。乱暴な手段だった。
一番後ろから来ているのが頭なのか、濁った声で檄を飛ばしている。
「金髪の方の娘だ! そのまま扉を壊して引き摺り出せ!!」
クロードはぞくりと背筋が冷えた。
郊外とはいえこんな王都の近くで野盗が出ること自体が珍しい。これほどの目立つ事故を起こしてはすぐに騒ぎを聞きつけた警邏が駆け付けてくるはずだ。だが奴らの狙いは金目のものを物色することではない。狙いを定めているのは、ひとりだった。
何故この馬車に金髪の令嬢が乗っていることを知っているのだ。
剣を抜き、壊れた扉の前に構える。応戦中の同僚は数で既に押され始めていた。
警邏が来るのに後どれほど時間がかかるだろう。せめて時間を稼がねば。
剣の柄に施された魔石を叩き、素早く口の中で呪文を唱えると、剣身がじわりと光る。
同僚の一人が馬上から落ちるのが見えた。
クロードは剣を高く振りかざし、斜めに振り下ろす。
「ぐぁっ」
落ちた同僚を潰そうとしていた馬体が吹っ飛ぶ。
「何だっ、斬撃が飛んだ!?」
野盗が警戒して距離を取る。
クロードの魔力では飛弾の弾数はさほど撃てないが、近寄らせないようにできれば今はそれでいい。
「怯むな! あんなの虚仮威しだ!」
頭が濁声で怒鳴る。場数を踏んだ者なら威力と弾数の推測はつくだろう。実際、自分の斬撃はあの頭までは届かない。
「魔剣士か」
ふいに、頭上から声が掛かった。
「振り向くな、そのまま構えていろ。目を逸らしたら踏み込まれるぞ」
どうやら背後に護る馬車の上から聞こえてくる。
「雷撃系か? ならば合わせた方がいいな」
ばちばちばちばちっ、と頭上で不穏な音がする。振り返るなと言われたが、正直背後に滞留している力場の大きさに振り返れない。とりあえず言われるままに敵を睨んでいると、
「貴様! 呪術士野郎がっ」
魔導士のことを呪術士と呼ぶのは確か隣国の習わしではなかったか。かの国では魔法を毛嫌いする風習があったはず。
「ふ、」
男の声が不敵に笑う。
「やはり残党か。さては辺境伯の花嫁でも攫いに来たか」
ぱんっ、と掌が打ち合わされる軽い音と共に、辺り一帯が眩く光る。目が慣れているクロードでさえ、一瞬焦点を失うほどの光量の後、
野盗の上だけに狙い澄ましたように、
雷撃が落ちた。
馬車の屋根から降りた男が箱の中を見て二人の女性を外へ出す。メイベルは震えながらも自分の足で、クリスティナは気を失ったまま男に抱えられていた。
「目は見えるか」
目の奥に焼き付いた光の残滓に苛まれながらも頷く。クリスティナを受け取ろうと手を出すが、察した男は首を振って歩き始める。
「頭を打っているようだ。近くの教会の軒を借りて少し安静にさせた方がいい」
一行が訪れる予定だった教会はもう歩いて行ける距離にある。
「貴方は、」
メイベルに肩を貸しながら後を追う。馬から落ちた同僚はもう一人が様子を見ており、こちらへ頷いて見せた。幸い大きな怪我はないようだ。
「通りすがり、と言いたいところだが、元よりその教会に用があってな」
上位の貴族的な物の言い方をする。剣を下げているところを見ると騎士だろうか。魔導士というには体格が良すぎたが、先程の雷撃を無詠唱で複数同時に撃てるほどの魔力と技術を持つところを見ると一介の剣士ではないだろう。
「奴らは放っておけ。皆殺しにすると事情聴取ができないからいくらか加減はしたが、息があったとしても動ける状態じゃない。派手にやったからすぐ警邏が来るだろう」
できれば後で警邏の聴取に付き合ってやってくれ、と男はクロードを振り返った。氷のような薄青の眼だ。
「残党と仰いましたが、奴等に心当たりが?」
「さぁ……君には見当がついているか?」
クリスティナが婚約を打診されているのは、東方辺境伯。たった半年前まで隣国と交戦していた国の境界だ。
「和睦に反対する過激派の連中ですか?」
五部族が国を収めるかの国では国内での意見の違いによる内戦も後を絶たない。第二王子が穏健派を後押しすることでなった和睦だが、政が不安定な国ではまだ内情が整っていないと見える。
「郊外とはいえみすみす国の中枢まで侵入を許すとは、王都の警備も堕ちたものだな。後で文句を言っておいてやる」
腕の中の令嬢を気遣わしげに見る。その目が余りに優しいので、クロードは目を瞬いた。
「次期辺境伯の婚約者に何かあれば、王室といえど恨みを買うぞ」
そういえば、どうして彼は、クリスティナが辺境伯から婚約の申し出を受けていることを知っているのだろうか。




