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第005話 女神の部屋が四畳半だった

転生課臨時職員。


カンスティウス。


白い画面に残ったその二行を、真木了はしばらく眺めていた。


眺めたところで、文字は変わらない。


頭上の天使の輪も外れない。


「コヨリさん」


「はい」


「まず、この名前を直してください」


「今すぐ直したい気持ちはあります」


「気持ちではなく、操作でお願いします」


「操作をすると、別の確認が走る可能性があります」


「別の確認」


嫌な言葉だった。


会社で聞くと、だいたい関係部署が増える言葉だ。


コヨリは白い画面を閉じた。


閉じるというより、見なかったことにする速度だった。


「と、とにかく、ここに立っているのはよくありません」


「ここは転生の案内をする場所では」


「そうです」


「なら、登録事故を起こした窓口に本人がいるのは自然では」


「自然ですが、自然に見つかると困ります」


「誰に」


コヨリは答えなかった。


代わりに、白い部屋の奥へ早足で向かった。


了は動かなかった。


「どこへ行くんですか」


「一時的に、安全な場所へ」


「安全の定義を先にください」


「ええと、見つかりにくい場所です」


「それは安全ではなく隠蔽です」


「言葉を選んでいます」


「選んだ結果がそれですか」


コヨリは白い壁の前で止まった。


そこには、さっきまで何もなかったはずだ。


白い壁。


白い床。


白い天井。


全部が同じ色で、境目さえ曖昧な場所だった。


ところが、コヨリが手をかざすと、壁に細い光の線が走った。縦に一筋、横に一筋。光はゆっくり広がり、白い壁の中から扉の形を浮かび上がらせる。


金色の縁取り。


羽根のような模様。


中央には、見たことのない文字が円を描いている。


神聖そうだった。


神聖そうすぎて、了は一歩引いた。


「その先は何ですか」


「関係者用の控えです」


「関係者」


「はい」


「俺は関係者なんですか」


「処理上は」


「その言葉で人の身分を変えないでください」


扉が、音もなく開いた。


白い光が漏れる。


と思った。


漏れてきたのは、醤油の匂いだった。


了は黙った。


コヨリも黙った。


神聖な扉の隙間から、カップ麺の匂いがしている。


「コヨリさん」


「はい」


「これは」


「天界香です」


「液体スープの匂いです」


「広い意味では、香りです」


「狭い意味でカップ麺です」


コヨリは扉の前に立ちはだかった。


立ちはだかったが、白い衣の裾から、部屋の中が少し見えていた。


畳。


ちゃぶ台。


ちゃぶ台の上で、蓋を半分めくられたカップ麺。


蓋の上には、転生マニュアルと書かれた分厚い冊子が重しのように置かれている。


了はゆっくり言った。


「関係者用の控え」


「です」


「畳があります」


「聖なる畳です」


「畳です」


「天界にも、床材の選択肢はあります」


コヨリは観念したように、扉を大きく開けた。


了は中を見た。


四畳半だった。


本当に四畳半だった。


白く荘厳な転生の間の奥に、畳敷きの四畳半がある。


ちゃぶ台がある。


座布団が二枚ある。


壁には、今月の転生ノルマ、と書かれた紙が貼られている。赤い丸がいくつかあり、赤くない空欄がそれ以上に並んでいる。


床には、転生マニュアルが三冊。


転生同意書の予備らしき束。


湯気の消えかけたカップ麺。


片方だけの白い靴下。


そして、部屋の隅に張られた細い紐に、何か白い布が干されていた。


了は視線を戻した。


戻した先で、コヨリが両手を広げていた。


白い布を隠すには、腕の長さが足りていなかった。


「見ないでください」


「見ていません」


「見ました」


「見えました」


「言い方を変えないでください」


「では、事故として視界に入りました」


コヨリは顔を赤くして、近くにあった神衣をつかんだ。


神衣。


たぶん、さっきまで彼女が神々しく羽織っていたものと同じ種類の衣装だ。


それが床に脱ぎっぱなしになっていた。


コヨリはそれを洗濯物の上に放り投げた。


放り投げた勢いで、床の転生マニュアルが崩れた。


その下から、ヨレヨレのジャージが出てきた。


胸のところに、学神祭、と薄れた文字がある。


了はそれを見た。


コヨリを見た。


「控え室」


「私室です」


コヨリは小さな声で言った。


「最初からそう言ってください」


「言ったら入ってくれないと思いました」


「言われなくても、だいぶ入りづらいです」


了は入口で足を止めたまま、畳を見た。


靴を脱ぐべきなのか。


死後の魂に靴の概念があるのか。


そもそもこの白い部屋に来てから、自分が靴を履いているのかも曖昧だった。


ただ、畳を踏む前に迷う程度には、四畳半は四畳半だった。


「ここが、コヨリさんの部屋ですか」


「はい」


「女神の」


「はい」


「転生課の」


「はい」


「四畳半」


「広さを繰り返さないでください」


「確認です」


「確認なら、もう済みました」


コヨリはちゃぶ台の上のカップ麺に気づき、慌てて蓋を押さえた。


もう遅い。


匂いは扉の外まで仕事をしていた。


「勤務中の食事ですか」


「休憩中の補給です」


「同じものを、職場ではよく昼食と呼びます」


「天界では魂の案内に集中力が必要なので」


「カップ麺で補うんですか」


「お湯があるので」


「理由が設備側ですね」


コヨリは、反論しようとしてやめた。


その代わり、ちゃぶ台の上の書類を端へ寄せる。


寄せた先で、今度は壁のノルマ表が見えた。


今月の転生ノルマ。


了はそこに目を止めた。


「ノルマ」


「見ないでください」


「壁に貼ってあります」


「貼らないと忘れるので」


「忘れるんですか」


「数を」


コヨリは少しだけ視線を落とした。


それまでの慌て方とは違う、短い沈黙だった。


了は、ノルマ表の空欄を見た。


カップ麺。


洗濯物。


散らかったマニュアル。


四畳半。


その全部があまりにも生活じみていて、神聖さはどこかへ消えている。


けれど、壁の紙だけは妙に職場だった。


魂を案内する女神にも、数字が貼られている。


了は息を吐いた。


「それで」


「はい」


「俺はこの部屋で何をするんですか」


コヨリは、ぴたりと動きを止めた。


「一時的に、待機を」


「待機場所が女神の私室なんですか」


「他に、すぐ使える場所がなくて」


「臨時職員なら宿舎は」


「あります」


「ならそこへ」


「申請が必要です」


「申請してください」


「しました」


「早いですね」


「正確には、しようとしました」


「差が大きい」


コヨリは指先を合わせた。


「宿舎申請には、所属、区分、登録名、受け入れ責任者、発行番号が必要で」


「所属は転生課」


「はい」


「区分は臨時職員」


「はい」


「登録名は真木了」


「カンスティウスです」


「名前で呼べ」


「すみません」


コヨリは小さく頭を下げた。


本当に小さく、申し訳なさそうに。


そこだけは、さっきまでの取り繕いとは違っていた。


了はそれ以上、名前の件を言わなかった。


言わなかったが、許したわけでもない。


「受け入れ責任者は」


「私です」


「発行番号は」


「まだ出ていません」


「では、宿舎は」


「今すぐは、使えません」


部屋の中が静かになった。


カップ麺の湯気だけが、細く上がっている。


神聖な天界の奥。


女神の四畳半。


転生課臨時職員、登録名カンスティウス。


そして、正式な宿舎なし。


了は額に手を当てた。


頭上の輪に指が触れる。


やっぱり外れない。


「コヨリさん」


「はい」


「死後の生活環境について、説明が足りなさすぎます」


「すみません」


「転生する気も、働く気もありません」


「はい」


「その上で、今夜の置き場所がない」


「はい」


「この状況を、処理上は何と呼ぶんですか」


コヨリは黙った。


それから、ゆっくり部屋の奥を見た。


了もつられて見た。


そこには押し入れがあった。


古いふすま。


片方の取っ手に、なぜか転生課の名札が引っかかっている。


了はコヨリを見た。


「今、そっちを見ましたね」


「見ていません」


「見ました」


「確認しただけです」


「何を」


コヨリは、神々しいほど小さな声で言った。


「空き容量を」


まったく大丈夫ではなさそうだった。

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