第004話 カンスティウス臨時職員
真木了の頭上で、輪が静かに光っていた。
白い部屋の中央。
白い床。
白い台。
白い画面。
その全部より、頭の上の輪だけが、妙に存在感を持っている。
「コヨリさん」
「はい」
「これは何ですか」
「……天使の輪です」
「見た目の説明は求めていません」
了は頭上へ手を伸ばした。
指先は輪に触れる。
触れるのに、つかめない。
輪はそこにあるのに、力を入れようとした瞬間だけ、指の腹をするりと逃げる。まるで、触っているのは見た目だけで、本体は別の場所に固定されているみたいだった。
「外してください」
「ええと」
「今すぐ」
「そうしたい気持ちは、私にも非常にあります」
「気持ちではなく作業でお願いします」
コヨリは両手を胸の前で握った。
さっきまでの案内役の女神は、もういない。
目の前にいるのは、重要な備品を客の頭に装着させてしまった窓口担当者だった。
「それは、臨時雇用神具です」
「臨時雇用」
了は輪を見上げた。
見上げても見えないので、目だけが上を向いた。
「死後一時間以内に聞く言葉として、だいぶ現実的ですね」
「本来は、転生課の補助員に一時的に装着するものです。魂面接の補助や、案内整理や、ええと、雑務などを」
「雑務」
「重要な雑務です」
「重要なら雑務でまとめない方がいい」
「今それを直す時間がありません」
コヨリは白い画面を開き直した。
画面の中央に、赤い文字が浮かぶ。
装着者未登録。
臨時雇用神具、登録処理待機中。
了はその文字を見た。
「登録処理待機中」
「読み上げないでください。現実になります」
「もう頭に付いています」
「はい。現実でした」
コヨリの指が、画面の上をせわしなく動く。
いくつもの欄が開いては閉じる。
装着者。
所属。
登録名。
期間。
権限。
了はそこで眉を寄せた。
「登録って、何の登録ですか」
「臨時職員登録です」
「誰の」
「真木了様の」
「俺は働くと言ってません」
「存じております」
「存じていて登録するんですか」
「登録しないと、もっと面倒なことになります」
「その説明を先にしてください」
コヨリは画面を見たまま、困ったように唇を結んだ。
「天使の輪は、装着後、所有者情報が空欄のままだと不安定化します」
「不安定化」
「処理上、よくない状態です」
「処理上、という言葉でごまかす癖がありますね」
「今は本当に処理の話なんです」
赤い文字が、ひとつ増えた。
登録未完了。
処理保留不可。
了は黙った。
嫌な文字だった。
保留不可。
会社で見たら、だいたい誰かの週末が消える言葉だ。
「外せないんですか」
「今は、外れません」
「今は」
「一輪期が終わるまでは、基本的に」
「一輪期」
知らない単語が増えた。
了が聞き返すと、コヨリは明らかにしまった、という顔をした。
「天界暦の試用期間です。地上感覚だと、だいたい一か月ほど」
「一か月」
「ほど」
「この輪が」
「はい」
「一か月」
「ほど」
「頭に」
「はい」
了はゆっくり息を吐いた。
息を吐いても、輪は外れない。
「何をしたら、そんな備品を客の手の届くところに置くんですか」
「客ではなく魂です」
「分類の訂正はいりません」
「すみません」
コヨリはもう一度画面に向き直った。
「とにかく、登録だけ先にします。あとで説明します。たぶん、大丈夫です」
「その、たぶんは何ですか」
「希望です」
「業務で希望を入力しないでください」
「では、祈りです」
「もっと悪い」
画面に、入力欄が浮かぶ。
登録名。
その下で、白いカーソルが点滅している。
コヨリの指が止まった。
「真木了です」
了は先に言った。
「登録名は真木了です」
「分かっています」
「なら、そのまま入れてください」
「はい。真木了様。真木、了。まき、りょう」
コヨリは復唱した。
復唱しながら、画面を見ていた。
画面の端では、さっき閉じたはずの魂評価欄が、まだ小さく残っている。
上限超過。
上限超過。
上限超過。
コヨリの口が、無意識に動いた。
「カンスト……」
「真木了です」
「はい。真木了様です。分かっています。カンストではありません。カンストではなく、カンス……」
「今、何と言いました?」
「何も」
「言いました」
「言っていません」
「指が動いています」
「動いていません」
動いていた。
ものすごく動いていた。
白い画面の登録名欄に、文字が並んでいく。
カン。
ス。
テ。
ィ。
ウ。
ス。
了は、その六文字を見つめた。
「コヨリさん」
「はい」
「消してください」
「今、消します」
コヨリの指が削除の方へ動く。
その瞬間、画面の赤文字が点滅した。
登録猶予終了。
自動確定します。
「待って」
コヨリの声と、了の声が重なった。
白い画面に、金色の枠が走る。
承認。
確定。
完了。
やけに神々しい音が鳴った。
会社の勤怠システムより、ずっと厳かな音だった。
内容は最悪だった。
一輪期登録完了。
所属:転生課。
区分:臨時職員。
登録名:カンスティウス。
白い部屋が静かになった。
了は画面を見た。
コヨリを見た。
もう一度、画面を見た。
「誰ですか」
「……登録名です」
「誰の」
「カンスティウス様の」
「名前で呼べ。カンスティウスじゃない」
コヨリは目をそらした。
目をそらした先に、また画面がある。
画面には、もう一度、同じ文字が出ていた。
転生課臨時職員、カンスティウス。
了は頭上の輪に触れた。
輪は相変わらず外れない。
魂破棄でもない。
異世界転生でもない。
だからといって、自由になったわけでもない。
死んだ直後に、本人同意なしの転生を断ったら、天界の臨時職員になっていた。
しかも名前が違う。
「コヨリさん」
「はい」
「これは、どういう状況ですか」
コヨリは、神々しい白衣の袖をぎゅっと握った。
そして、泣きそうな顔で笑った。
「処理上は、たぶん大丈夫です」
まったく大丈夫ではなさそうだった。
白い画面には、変わらず表示されている。
転生課臨時職員。
カンスティウス。




