第003話 転生拒否は最終処分です
「俺抜きで決まっている転生には、行きません」
真木了がそう言うと、白い部屋の空気が一段冷えた。
実際に温度が下がったわけではない。
白い転生の間に、風も冷気もない。
ただ、コヨリの顔から血の気が引いた。
それだけで十分だった。
「……真木了様」
「はい」
「確認いたします」
コヨリは両手を胸の前でそろえた。最初に会った時と同じ、案内役の姿勢だった。
ただし、笑顔はない。
「異世界転生を希望されない、ということでお間違いありませんか」
「間違いありません」
「候補世界の確認前です」
「それも含めてです」
「能力補正や環境調整の説明も、まだ」
「説明を聞いたら断りにくくなる順番に見えます」
コヨリの指先が、白い袖の端をつまんだ。
きれいな布に、小さなしわが寄る。
「そういう意図では、ないのですが」
「なら、最初に聞くべきでした。転生しますか、しませんかって」
「……通常は」
「通常は、もう聞きました」
了は白い台の上の画面へ目を向けた。
候補世界の一覧は、まだ開いたままだった。
適合率の数字。付与条件。能力補正。見慣れない世界名。
どれも整っている。
整いすぎている。
了の返事だけが、最初から予定に入っていなかったみたいに。
コヨリは小さく息を吸った。
「拒否の場合は、別手順になります」
「別手順」
「はい」
「それを説明してください」
「……説明が必要ですか」
「必要です」
「ですよね」
コヨリは泣きそうな顔ではなかった。
けれど、神々しい案内役の表面が、指先から少しずつ剥がれていくのが分かった。彼女は画面の端に触れ、候補世界の一覧を閉じる。
代わりに、細かな文字が浮かんだ。
了は読もうとしたが、文字は白すぎて見えにくい。
コヨリだけが読める画面なのかもしれない。
「転生候補魂が、案内手続きに同意しない場合」
コヨリの声が、少しだけ上ずった。
「当該魂は、通常輪廻への復帰が困難と判断されます」
「通常輪廻」
「ええと、生まれ変わりの通常ルートです」
「そっちに戻れない」
「はい」
「戻れないなら、どこへ行くんですか」
コヨリは答えなかった。
画面の文字を見ている。
見ているのに、読まない。
了は一歩、白い台へ近づいた。
「コヨリさん」
「……未同意転生候補魂は」
言葉がそこで詰まった。
コヨリは一度だけ、目を伏せる。
「最終処分対象になります」
白い部屋が、静まり返った。
最終処分。
会社でも聞く言葉だ。
壊れた備品。
期限切れの書類。
倉庫に残った古い端末。
人に使う言葉ではない。
まして、魂に使う言葉ではない。
了は声を低くした。
「処分」
「正式な表現では、その」
コヨリが慌てて画面をなぞる。
「未同意転生候補魂の最終処分、または再利用困難魂資源の」
「言い換えるな」
了は遮った。
声は大きくなかった。
それでも、コヨリの肩が小さく揺れた。
「処分ってことだろ」
「……はい」
「俺は転生を断った。だから処分する」
「手順上は」
「手順上は」
了は笑いそうになった。
笑えなかった。
「便利な言葉ですね」
コヨリは何も言わない。
了は白い床を見た。
床には影が薄く落ちている。自分の足の形をした影だ。生きていた時より頼りない。それでも、そこに立っている感覚だけはある。
「俺は、あの子を助けて死んだんですよね」
「はい」
「そのあと、同意していない転生を案内された」
「はい」
「断ったら、処分」
コヨリの唇が動いた。
否定は出てこなかった。
了は画面を指さした。
「高評価魂なんですよね」
「……はい」
「その高評価の理由に、他人を助けたことも入っている」
「入っています」
「それを評価して、勝手に転生先を決めて、断ったら処分する」
白い部屋に、了の声だけが残った。
怒鳴ってはいない。
けれど、胸の奥が熱い。
熱いというより、硬い。
「救済って言葉、使ってませんでしたっけ」
「転生制度は、魂の救済を目的とした」
「その救済、本人が断ったら処分なんですか」
コヨリは答えられなかった。
了はそれを、勝ったとは思わなかった。
これは言い負かす話ではない。
目の前の女神を困らせれば、自分の処遇が良くなるわけでもない。
ただ、目の前にある手順が、おかしい。
おかしいものを、おかしいまま飲み込むには、死んだ直後の魂でも少し疲れすぎていた。
「もう一度言います」
了はコヨリを見た。
「俺は、本人抜きで決まっている転生には行きません」
「でも、それだと」
「処分ですか」
コヨリの視線が揺れた。
画面へ。
了へ。
また画面へ。
「待ってください」
突然、コヨリが白い台の横へ回り込んだ。
「何か、例外処理があるはずです。魂評価が上限超過で、拒否理由が本人同意に関するもので、ええと、こういう場合は」
「あるんですか」
「今、探しています」
「ない可能性もあるんですね」
「探しています!」
初めて、コヨリの声が少し大きくなった。
了は口を閉じた。
彼女の指先が、白い画面を何度も滑る。
項目が流れる。
規則。
例外。
備品。
一瞬だけ、備品という文字が見えた。
画面の下、白い台の横に、小さな棚がせり出していた。
さっきまであっただろうか。
白い部屋では、何もかも白すぎて、目の前に出されるまで気づけない。
棚の上には、いくつかの物が並んでいた。
薄い板。
白い羽根ペンのようなもの。
そして、輪。
金色というには白く、白というには淡く光る、細い輪だった。
了が想像する天使の輪に、かなり近い。
「それは」
「触らないでください」
コヨリの返事が速すぎた。
了はまだ手を伸ばしていない。
それなのに、コヨリは明らかに慌てた。
「何ですか」
「備品です」
「天界の備品は、触るなと言われるほど危ないんですか」
「危ないというか、手続き上、非常に面倒というか」
「面倒」
「いえ、安全です。安全ではあります。ただ、対象者が違います」
コヨリは棚の前に立とうとした。
だが、白い画面がまだ開いている。棚は台の横から半端に出ていて、コヨリの袖が画面に引っかかった。
「あっ」
画面がぱっと散った。
白い文字が紙吹雪みたいにほどける。
その拍子に、棚の上の輪がかすかに跳ねた。
了は反射的に手を出した。
落ちそうなものを見ると、受け止めてしまう。
会社の湯飲みでも、資料の束でも、車道へ出た子どもでも。
考えるより先に、手が動く。
指先に、輪が触れた。
重さはほとんどなかった。
「真木さん、それ、だめです!」
コヨリの声が、今までで一番素に近かった。
了は輪をつかんだ。
つかんだはずだった。
だが、輪は手の中に収まらなかった。
指の間をすり抜けるように浮き上がり、ふわりと了の顔の前を上がる。
「え」
了が声を漏らした瞬間、輪は彼の頭上で止まった。
ぴたり。
音はしなかった。
だが、何かが閉じた感覚があった。
鍵。
判子。
承認ボタン。
そういうものに似ていた。
了は頭上へ手を伸ばす。
指が輪に触れる。
冷たくはない。
熱くもない。
ただ、そこにある。
動かそうとした。
動かない。
もう一度、少し強く引いた。
びくともしない。
「……外れませんけど」
コヨリは、白い顔で了を見上げていた。
神々しい案内役の顔ではなかった。
完全に、やらかした人の顔だった。
「コヨリさん」
「はい」
「これ、何ですか」
コヨリの口が、ゆっくり開く。
けれど、すぐには言葉が出てこない。
白い部屋の中央で、了の頭上の輪だけが、場違いなほど静かに光っていた。




