第002話 俺が行くって、いつ決めました?
「あなたは異世界へ転生します」
コヨリは、そう言い切った。
白い転生の間に、声だけがやけにきれいに響いた。
真木了は、しばらく返事をしなかった。
異世界。
転生。
単語だけなら知っている。休日に動画広告で見たこともあるし、電車の中吊りで似たような文字も見た。死んだら別世界でやり直し。剣と魔法。チート。貴族。勇者。魔王。
現実で聞く言葉ではない。
少なくとも、事故に遭った直後の会社員へ、窓口業務の声で渡す言葉ではない。
「すみません」
了は片手を上げた。
「その前に、確認していいですか」
「はい。ご不明点ですね」
コヨリは業務用の笑顔でうなずいた。きれいな笑顔だった。きれいすぎて、逆に押印欄の近くに置かれているサンプルみたいだった。
「俺は死んだんですか」
「はい」
即答だった。
了はまばたきをした。
「そこ、もう少し段階を踏みませんか」
「あっ。失礼しました。真木了様は地上時間において、先ほど肉体活動を終了されています」
「言い換えが事務的すぎる」
「では、ええと……ご逝去されています」
「急に葬儀場みたいになった」
コヨリの眉が、ほんの少し下がった。
「申し訳ありません。死後案内は、魂によって受け止め方が違いますので」
その言い方は、妙に慣れていた。
了は息を吐いた。肺があるのかどうか分からないのに、息を吐いた感覚だけはある。
「あの子は」
「あの子?」
「道路に飛び出した子です」
コヨリは白い台の上に浮かぶ画面へ視線を落とした。指先で空中をなぞると、白い文字が何行か滑る。
「救助対象は生存しています。軽い打撲と擦り傷。命に別状はありません」
「そうですか」
了の肩から、何かが抜けた。
鞄の重みも、月曜の資料も、もう戻ってこない。それでも、黄色い帽子の子どもが生きているなら、少なくとも最後の動きは無駄ではなかった。
「では」
コヨリは、そこで声を一段明るくした。
「真木了様のご生前の記録と魂評価を確認いたします」
「魂評価」
「はい。転生先との適合を測るためのものです」
白い台の上で、画面が広がった。
病院のモニターでも、会社の管理システムでもない。けれど、並んだ項目と数字には、どこかで見たような冷たさがあった。
善行評価。
自己犠牲評価。
信念維持評価。
不正抵抗。
他者救済行動。
項目名の横に、細い棒が伸びている。
どの棒も、端にぶつかっていた。
さらに、その先に小さな文字が浮かぶ。
上限超過。
上限超過。
上限超過。
コヨリの笑顔が止まった。
「……あれ」
了は画面とコヨリを見比べる。
「何か問題ですか」
「いえ。問題というか、その」
コヨリは画面の端をつついた。文字が一度消え、すぐに戻る。もう一度つつく。やはり戻る。
「カンスト……?」
「何ですか」
「あっ、いえ、こちらの業務用語です」
「天界にも業務用語あるんですね」
「あります。大変あります」
大変あるらしい。
コヨリは咳払いをした。さっきまでの神々しさを取り戻そうとしているのが分かった。取り戻そうとしている時点で、少し崩れている。
「真木了様は、非常に高い転生適性をお持ちです。記憶保持型の異世界転生において、かなり優先度の高い魂となります」
「優先度」
了はその言葉を繰り返した。
聞き慣れている。
仕事で嫌というほど聞いた。
優先度を上げてください。
優先度高めで対応お願いします。
優先度が高いから休日中に一度見ておいて。
死んだあとにまで、その言葉を聞くとは思わなかった。
「それは、喜ぶところですか」
「通常は、とても」
「通常は」
「はい。記憶を保ったまま、別の世界で新しい人生を始められます。能力補正や環境調整も、評価に応じて付与されますので」
コヨリは画面を切り替えた。
今度は、いくつかの枠が並んだ。
転生先候補。
適合率。
保有記憶。
能力補正。
細かな文字が、こちらの理解を待たずに増えていく。
「こちらが候補世界の一覧です。まずは適合率の高い順にご説明し、その後、希望に近い転生条件を」
「待ってください」
了は言った。
コヨリの指が、画面の上で止まった。
「はい」
「その希望って、誰の希望ですか」
「真木了様のご希望です」
「俺、まだ何も言ってません」
コヨリは目を瞬かせた。
「はい。ですので、これから候補をご確認いただいて」
「候補を見る前に確認したいです」
了は白い台へ一歩近づいた。
画面の文字はきれいに整っている。まるで最初から、了が次の世界へ行くことだけは決まっているみたいに。
「これ、どこで同意するんですか」
「同意、ですか」
「転生することへの同意です」
コヨリは少し考える顔をした。
少し考えなければ出てこない時点で、了の胸の奥に硬いものが沈んだ。
「最終確認は、転生先確定時に行います」
「転生先確定時」
「はい。候補世界と付与条件を確認したあと、最終的な移行意思を」
「その前に、俺が異世界へ行くこと自体は決まってるんですか」
「決まっている、というよりは」
コヨリの視線が、ほんの少し横へ逃げた。
「手順上、対象魂は転生案内へ進みます」
「対象魂」
「真木了様のことです」
「俺のことを俺抜きで分類しないでください」
白い部屋が、少しだけ静かになった気がした。
コヨリは口を開きかけて、閉じた。画面の上で止まった指先が、困ったように丸まる。
了は怒鳴らなかった。
怒鳴る場面ではない。
ここはたぶん、神聖な場所なのだろう。目の前の女も、たぶん悪意でやっているわけではない。むしろ丁寧で、真面目で、了を良いものとして扱おうとしている。
けれど、だからこそ引っかかった。
親切そうな声で。
白く整った画面で。
評価の高い魂です、と褒めながら。
こちらがまだ何も選んでいないことだけが、手続きの外に置かれている。
了は、画面の端に並ぶ小さな項目を指で示した。
「この画面、全部俺のことですよね」
「はい」
「俺の生前の行動を見て、点をつけて、行き先を候補にしている」
「点、という表現は少し」
「評価って書いてあります」
コヨリは黙った。
「それで、最初に言いましたよね」
了はコヨリを見た。
「あなたは異世界へ転生します、って」
「……はい」
「案内じゃなくて、決定事項みたいに聞こえました」
「それは、通常のご案内では」
「通常かどうかは、俺には分かりません」
了は一拍置いた。
声を荒げても、たぶん話は進まない。
会社でもそうだった。資料の不備を怒鳴っても、なぜその不備が通ったのかは分からない。まず見るべきは、欄だ。承認者。確認日。前提条件。
この白い画面に足りない欄は、ひとつだった。
「俺が行くって、いつ決めました?」
コヨリの唇が、小さく動いた。
声は出なかった。
了は続ける。
「候補世界の条件を見るとか、能力補正があるとか、その前です。俺はまだ、異世界に行きたいとは言ってません」
「ですが、真木了様は高評価魂で、転生適性も」
「適性があることと、行くことに同意することは別です」
コヨリの指先が、画面から離れた。
白い文字が揺れる。
「……転生を、希望されないのですか」
その声から、初めて窓口の滑らかさが消えた。
了は画面を見た。
上限超過。
適合率。
候補世界。
どれも、自分の次の人生を決めるための言葉だった。
けれど、その中心にいるはずの自分の意思だけが、最後の確認欄へ押し込まれている。
了は顔を上げた。
「はい」
コヨリの表情が固まる。
「俺は、異世界転生を希望しません」
白い部屋のどこかで、聞こえないはずの事務処理が止まった気がした。
コヨリは、ゆっくりと瞬きをした。
「……本当に、拒否されますか」
「少なくとも」
了は、目の前の画面を指で軽く叩いた。
指先はすり抜けた。けれど、文字が小さく震えた。
「俺抜きで決まっている転生には、行きません」




