第010話 聖女候補はうなずかない
候補区分:聖女候補。
白い画面に浮かんだ文字は、やけにきれいだった。
金色の細い線で縁取られ、周囲には小さな光の粒まで散っている。
了の頭上の輪とは、扱いが違う。
あちらは事故。
こちらは祝福。
そう見えるように作られている。
「聖女候補……」
少女は、画面の文字を見上げていた。
声は小さい。
けれど、聞き返すほどではない。
聞き返させないための声に、了には聞こえた。
「はい」
コヨリが白い台の向こうで、いつもより丁寧に背筋を伸ばした。
「あなたには、癒やしと加護の適性が確認されています。候補世界は、祈りと治癒術を重んじる王国です」
画面が切り替わる。
白い文字が並んだ。
適性:高。
救済適合:高。
世界需要:高。
期待役割:聖女候補。
高、という文字が三つも並ぶと、会社の評価表より圧がある。
了は無意識に眉を寄せた。
「高ばかりですね」
「良いことです」
コヨリはそう言ってから、少しだけ言い直すように息を吸った。
「本来は、良いことです」
シオリが隣で腕を組んだ。
「適性も需要も高いなら、案内としてはかなり良い案件よ。危険度の説明は必要だけど」
「危険度」
少女の指が、体の前で少し重なった。
爪が白くなるほどではない。
けれど、ほどけない。
コヨリは少女の手元を見て、画面の一部を引き寄せた。
「危険度は中です。戦場の最前線ではありません。ただ、疫病や災害時に祈りと治癒を求められる可能性があります」
「はい」
少女はすぐに返事をした。
早い。
まただ。
了は、さっきからその速さが気になっていた。
コヨリが一つ説明するたび、少女はすぐ「はい」と言う。
言葉だけなら、素直で礼儀正しい。
けれど、目が遅れている。
返事のあとで、画面の文字を追っている。
「生活環境は、神殿付属の学舎から始まります」
コヨリが続ける。
「衣食住は保証されます。教育担当もつきます。前世の記憶は薄まりますが、性格傾向と技能適性は引き継がれます」
「はい」
「ただし、祈りや治癒の訓練があります。人前に出る機会も多くなります」
「はい」
「周囲から期待される立場です」
「はい」
今の返事だけ、半拍だけ早かった。
了は少女の顔を見た。
少女は笑っていない。
泣いてもいない。
ただ、きれいにうなずこうとして、うなずききれていなかった。
あごが少しだけ下がる。
そこで止まる。
また画面を見る。
「……うなずいていませんね」
了がつぶやくと、コヨリの指が止まった。
少女がこちらを見る。
「え」
「いえ」
了は一度、言葉を飲み込んだ。
今、口を出せば、また「勤務」が進んでしまう気がした。
そもそも自分は職員ではない。
監視だ。
監視のはずだ。
「すみません。続けてください」
「真木様」
コヨリが小さく名前を呼んだ。
その声には、少しだけ迷いが混じっていた。
シオリは腕を組んだまま、淡々と言う。
「違和感があるなら、最後の確認で聞けばいいわ。今は重要条件の読み上げ中」
「最後まで待つものなんですか」
「途中で全部止めていたら、説明が終わらない」
正しい。
たぶん正しい。
了は反論しなかった。
できなかった。
コヨリはもう一度、少女へ向き直った。
「嫌なことや、不安なことがあれば、途中で言ってくださいね」
「はい。大丈夫です」
少女はそう答えた。
大丈夫、という言葉も早かった。
大丈夫な人間は、あまり大丈夫を急がない。
生きていた時、了は何度かそういう場面を見た。
会議で。
上司の前で。
納期が燃えているプロジェクトで。
大丈夫です、と一番早く言う人間ほど、だいたい大丈夫ではなかった。
「あなたの前世照合を行います」
コヨリが画面に触れた。
少女の周囲に、薄い文字が流れる。
名前は表示されない。
代わりに、細かい項目だけが光った。
学業努力。
責任感。
周囲期待対応。
自己希望申告、低。
了は最後の一行で目を止めた。
自己希望申告、低。
ひどく事務的な言い方だった。
自分の希望を言わない子。
そう書くと重いから、項目名に隠しているようにも見える。
「問題ありません」
コヨリが言った。
「適性は非常に高いです。前世で積み重ねた努力や、人を助けようとする姿勢が評価されています」
「そう、なんですか」
少女の声が、少しだけ揺れた。
「はい」
コヨリはやわらかくうなずく。
「あなたは、とても頑張ってこられた魂です」
少女は目を伏せた。
褒められている。
たぶん、褒められている。
それなのに、少女の肩は少しだけ固くなった。
「ありがとうございます」
返事は、やはりきれいだった。
きれいすぎた。
シオリが横から一枚の表示を滑らせた。
「重要条件は出たわ。あとは本人意思確認。通常なら同意欄まで進める」
コヨリの指が、同意欄の手前で止まった。
白い画面の右下に、小さな枠が浮かんでいる。
同意する。
その四文字が、やけに軽い。
少女はその枠を見ていた。
手は動かない。
でも、顔は動いた。
小さく、うなずこうとする。
また途中で止まった。
「同意する場合は、こちらに触れてください」
コヨリの声も、少しだけ慎重になっていた。
「もちろん、質問があれば先に」
「はい」
少女は言った。
同意欄を見たまま。
「大丈夫です」
了の手の中で、臨時の腕章がまたしわになった。
シオリがこちらを見た。
何も言わない。
ただ、見ている。
たぶん、口を出すかどうかを見ている。
了は、少女の指先を見た。
重ねた両手の親指が、互いの爪の横を押している。
痛いほどではない。
けれど、離れない。
「……一つ、確認してもいいですか」
了が言う前に、コヨリが口を開いた。
自分でも驚いたような顔をしていた。
シオリの眉が少し動く。
少女は、同意欄から目を上げた。
「はい」
「聖女候補という案内を聞いて」
コヨリは言葉を探した。
「うれしい、ですか」
白い部屋が静かになった。
問いとしては、ひどく簡単だ。
うれしいか。
嫌か。
困っているか。
それだけのことを聞くのに、コヨリはずいぶん慎重だった。
少女はすぐに答えようとした。
口が少し開く。
けれど、声が出る前に、視線がシオリへ行った。
次にコヨリへ。
最後に、了の手元の腕章へ。
「期待されるのは」
少女は言った。
「嫌じゃないんです」
その言い方は、用意していた答えに似ていた。
先生に聞かれた時。
親に聞かれた時。
周囲が安心する返事を探す時。
了は、なぜかそう思った。
「嫌じゃ、ないんですけど」
少女の声が、少しだけ小さくなる。
コヨリが同意欄から手を離した。
シオリは止めなかった。
少女は白い床を見た。
そこには、魂が立つための細い線があるだけだった。
「また、失敗できない場所なんですか」




