第5章 第12話:最後の例外処理(ジレットの執念)
――世界崩壊まで、あと――150秒。
「……アロケート(領域確保)、完了。これより、基底OSのコア・ライブラリの書き換えを実行する」
テオの血の滲む指先が、純白のマスター・コンソールをミリ秒単位の超高速で叩き、新たな世界の仕様書を1行ずつ紡ぎ出していく。
彼の網膜のひび割れたゴーグルには、ジレットが構築した冷酷な選別アルゴリズム――『人間をランクで格付けし、効率のために間引く』という悪魔の仕様が、ライトグリーンのハックコードによって次々と「非推奨」へ指定され、無効化されていくログが美しく流れていた。
だが、新しいOSのコンパイル進行バーが【42.1%】に達した、まさにその瞬間だった。
ウゥゥゥゥ――――――――ッ!!!!
アルカナ・コアの心臓部から、鼓膜を裂くような、そしてこの世のすべての機械が同時に狂い出したかのような、おぞましい警告ノイズ(電子の絶叫)が統制室に轟き渡った。
『最悪の例外エラー:システムメモリの強制最大リーク(ALLOC_MAX_BURST)を検知』
『コンパイル実行スレッドの占有率が急激に低下中。新しいOSの書き換え処理がスタックしています』
「な……に……ッ!?」
テオの指先が、コンソールのキーの上で凍りついた。
画面を覆い尽くさんばかりにポップアップしたのは、血のようなライトレッドですらない、不気味な漆黒の「強制枯渇」のエラーフラグだった。
マスター・コンソールの奥から、滝のように流れる漆黒のノイズを身に纏い、半ば崩壊しかけた幾何学模様の「巨大な怨念(データ残滓)」として具現化したジレットの最終防衛プログラムが、地獄の底から這い上がるようにして姿を現したのだ。
ジレットの精神のアバターは、精神世界の底でテオとセレナのハックによって完全に消去されたはずだった。しかし、肉体を捨てて都市のOSそのものと同化していた彼の「完璧への執念」の残滓は、メインコアの最深部に『最悪の例外処理』として、システムが完全に崩壊する瞬間にのみ起動するトラップコードを密かに仕込んでいたのだ。
「テオ……アルカディア……」
空間の分子を直接引き裂くような、ジレットのノイズ混じりのシステム音声が統制室に響く。
「私の……調和を……拒絶し……世界を、再びバグだらけの不確実な泥沼へと引き戻そうというのか……。ならば……君たちの新しい数式ごと……この世界の全メモリを今ここで強制枯渇させ……等しく無(NULL空間)へと連れて行く……!」
ジレットの執念のプログラムが起動した瞬間、アルカナ・コアの全演算スレッドが、テオのハックプログラムを相殺するためだけに強制消費され始めた。
テオのタイピングしている純白のソースコードが、ジレットの放つ漆黒のリークノイズによって、上書きされる端から次々と砂のように分解され、消去されていく。
『警告:コンパイル進行度が逆流中。32.5%……18.4%……』
『完全な世界消去(全データデリート)まで、あと――90秒』
ファイナル・カウントダウンの数字が、ジレットの暴走によって2倍の速度で削られ始める。
「クソッ……! 奴は自分自身の存在データすらも燃料に変えて、システム全体のバッファを完全に潰しにきている! この過負荷の波形じゃあ、どんなに正しいコードを叩いても、コンパイルが通る前にメモリ不足でシステムがクラッシュする!」
テオは両手の工具をコンソールの基盤へと叩きつけ、ジレットのリーク電流を自分の身体(精神)へとアース(身代わり)させて強引に押し留めようとした。
バチバチバチバチギャァァァァァン――ッ!!!!
テオの全身のワイヤーフレーム描写データが、ジレットの最期の呪いのようなデータ過負荷(G)によって激しくライトレッドに焼き焦げ、破断の悲鳴を上げる。
特に、彼が最初の日から地下のゴミ溜めで握り締め、数々のバグをデバッグしてきた右手の『真鍮のスパナ』。その金属の表面に、限界以上の摩擦熱と魔力の過負荷によって、ビキビキと致命的な「構造破壊の亀裂」が走り始めた。
「テオッ! スパナがもたねえぞ! フレームが論理的に限界を越えてやがる!」
大階段の下で、泥まみれになりながらセレナを護っていたロックが叫んだ。
テオのスパナが粉々に砕け散れば、ジレットのリークノイズを中和する手段は完全に失われ、その瞬間にコンパイルは強制終了、世界はNULL(虚無)の底へとデリートされる。
(ここまで、みんなで……ツギハギで繋いできた数式なんだ……。ここで、砕け散って、たまるかよ……!)
テオは目元から血を流しながら、過負荷で動かなくなりかけた右腕を、執念だけでコンソールへと押し付け続けた。スパナの亀裂から青白い電子ノイズの火花が激しく吹き飛び、その真鍮の骨組みが、一瞬ごとに、じわり、じわりと光の粒子となって崩壊していく。
『警告:右腕オブジェクトの構造整合性:1.2%。完全デリートまで、あと――5秒』
エンジニアとしての、そして現場のデバッガーとしての、物理的な限界。
テオの手からスパナが滑り落ち、世界の未来が完全に漆黒のメモリリークの中に呑まれかけようとした、まさにその絶望の1ミリ秒前だった。
「――だったら、俺の『意地』を、そこへねじ込みやがれ、新入りィィィィッッ!!!!」
大階段の最上段、テオのすぐ真後ろの空間を物理的にぶち破って、凄まじい鉄の衝突音(力学エネルギー)が炸裂した。
ロックだった。
彼は、コックピットの中で過負荷によって暴走し、内側から完全にギアを噛み潰されて直立すら不可能だったはずの、あの愛機『ジャンク・ゴーレム』のメインコックピットフレームそのものを物理的に背負い、生身の足腰から血を流しながら、大階段の頂上へと泥臭く這い上がってきたのだ。
そして、ロックは、過負荷で今まさに粉々に砕け散ろうとしていたテオの真鍮のスパナのその「亀裂のど真ん中」に向けて、自身の命そのものである、ジャンク・ゴーレムの剥き出しの最高硬度鉄骨を、素手で力任せにブチ当てた。
「ハードウェア(鉄)の頑丈さを……舐めるんじゃねえぞ、地上の神様がよォッ!!」
ロックの魂の叫びと共に、テオの壊れかけたスパナの亀裂へと、ロックのツギハギの鉄の質量が、物理的な『補強パーツ(スプリント)』として完璧に噛み合わされ、焼き付けられた。
ソフトの脆弱性を、ハードウェアの圧倒的な物理的強度によって、力技で補強する。
カギィィィィィィィィィィン――ッ!!!!
統制室の真ん中で、これまでのどのハック音よりも、泥臭く、不格好で、しかし世界で最も力強い「ツギハギの金属音」が轟き渡った。
ジレットの放った最悪のメモリリーク(バースト攻撃)の漆黒の波形が、ロックが物理的にねじ込んだ鉄骨の過負荷耐性(G)の前に完全に阻まれ、それ以上の浸食を完璧にストップ(ホールド)させられたのだ。
「ロック……お前、機体の心臓部を……!」
テオは、横で血を流しながら笑う相棒を見つめた。
「へっ……。壊れたパーツがありゃあ、その場にある一番頑丈な鉄を叩き込んで直すのが……俺たち現場の職人の『設計思想』だろ?」
ロックは生身の右腕の皮膚を激しく火傷させながらも、テオのスパナを支える鉄骨を絶対に離さなかった。
(テオ、今だよ……! ジレットのリークノイズ……ロックの鉄骨によって、あと40秒間だけ、すべての演算負荷が静的に固定された! ……私たちの最後のコードを、実行して!)
大階段の踊り場から、テオの脳内へと、声を失った歌姫セレナの、これまでで最も鮮烈で美しいライトブルーの走査線データ(未来の数式)が、1バイトの狂いもなくダイレクトに完全コンパイルされた。
カインの知識、ロックの鉄、セレナの眼、そしてテオの論理。
「ジレット、お前の完璧主義への『執念』というバグは、俺たちのツギハギのエンジニアリング(絆)によって、今度こそ完全にデバッグされたんだ」
テオは補強された最強のスパナをコンソールの基幹へと深く回し、血の気の引いた指先で、純白のキーボードの最終確定キー(エンター)へ向けて、その魂の全出力を振り下ろした。世界の終わりを告げる秒読みの最中に、人類の不確実な明日を肯定する『世界再起動』の決定的な一撃が、いま、轟音の中で力強く執行されようとしていた。




