第5章 第11話:ルート権限の掌握
――世界崩壊まで、あと――320秒。
中央管理塔最上階の統制室は、もはや現世の物理空間としての体裁を保っていなかった。
制御OSの核を失って暴走を極める超巨大メインシステム『アルカナ・コア』の周囲では、漆黒の魔力放電がまるで狂暴な嵐のように渦巻いていた。放電が白磁の構造物に触れるたび、存在定義そのものが消去され、空間にぽっかりと漆黒の「NULL(虚無)の穴」が穿たれていく。
「――ガ、はっ……! 1ミリ秒の処理遅延も、ここでは死に直結する……!」
テオはその漆黒の嵐が吹き荒れる大階段を、弾丸のような速度で駆け上がっていた。
彼のゴーグルのレンズは、コアから放たれる強烈な論理放射によってひび割れ、ライトグリーンの幾何学ラインが狂ったように明滅している。しかし、その網膜には、地上と地下で泥にまみれながら物理的な骨組み(ハードウェア)を支え続けてくれている仲間たちの『構造維持ログ』が、確かな数値として焼き付いていた。
(みんなが……320秒ものバッファを繋いでくれた。……ここで俺がコンパイルを通さなければ、あのゴミ溜めで生きてきた人間の意地が、すべてただのエラーとしてゴミ箱に捨てられる……!)
テオは、右足を踏み出す瞬間に空間の摩擦係数がゼロになるトラップを、セレナからダイレクトに転送されてくる時空間シード値によって先手で看破。完璧な重心移動で滑るようにして、デリート放電の網の目の、ほんの数センチの隙間を連続で潜り抜けた。
「テオ! 正面、メインコンソールの防衛障壁が再起動しやがったぞ! 演算規模がこれまでの比じゃねえ!」
階段の下で、大破した機体から身を乗り出したロックが、生身の右腕を突き出して絶叫した。
アルカナ・コアの制御盤へと至る最後の踊り場。そこに立ち塞がったのは、ジレットが遺した最後の遺産――最上位特権権限を物理的に保護する、幾重にも重なる「ライトレッドの立方体防壁」だった。
その壁面には、都市が始まって以来のすべての仕様書のプロトコルが数式の文字列となって高速で流れ、外部からのあらゆる書き換えコード(ハックプログラム)を『アクセス拒否(Access Denied)』として一瞬で消滅させる、絶対の拒絶回路を形成していた。
「ジレット……。お前が死んでシステムと同化してもなお、この冷酷な仕様だけは世界を縛り続けるというのか」
テオは階段の最上段に立ち、目の前の巨大な論理の壁を見据えた。
ルート権限(最上位の開発者権限)の掌握。それができなければ、暴走するアルカナ・コアを安全にシャットダウンし、世界のシステムを書き換えることは絶対に不可能だ。
『警告:不正な最上位アクセスを検知。ルート権限の復旧を拒否します』
『完全な世界フォーマット(全消去)まで、あと――240秒』
非情なシステムログがテオの視界にポップアップする。
(特権の壁を通常のクラッキングで崩すのは不可能。ならば、カインのバックドアの残響に、ロックの力学エネルギー、そしてセレナの全周波数ジャミングを1つの『ツギハギのプロトコル』として統合し、この壁の根底にある『初期アドレス』へ一撃で叩き込む……!)
テオは、右手にロックから託された真鍮の超大型レンチを、左手に自身の真鍮のスパナを構え、天を仰いだ。
(セレナ! お前の高度環境感知の全全帯域を、この二つの工具の接触点へと集中(同期)させてくれ! 特権の数式が『再計算』される、その一瞬のタイムラグを抉じ開ける!)
テオの脳内リンクに、大階段の下に佇むセレナの、あの美しく発光するライトブルーの瞳から、極限の演算データ(魂の波動)がダイレクトに流れ込んできた。
(――テオ、今だよ! ジレットの残した防壁の数式……あと3ミリ秒後に、地下のレジスタンスが鉄骨を支えた力学的な反動を処理するために、左方、偏角【0.03度】のアドレスの優先順位が一瞬だけ下位へドロップする! そこが、絶対の脆弱性!)
「――同期、コンパイル、実行ッッ!!」
テオは咆哮し、ライトグリーンの閃光を撒き散らしながら跳躍した。
両手の工具を十字に交差し、セレナが算出したわずか3ミリ秒の、そして【0.03度】という極限の針の穴のような脆弱性へと、自身の全魔力を論理ボムとして変調して一撃を叩き込んだ。
カギィィィィィィィィィィン――ッ!!!!
統制室全体が、いや、魔導都市アルカナ・ハイヴの全階層の空間が、物理的に激しく歪み、きしむほどの、澄み切った、そして圧倒的なハック音が世界に響き渡った。
テオのデバッグ技術、カインの30年前の初期設計、ロックのハードウェアの意地、そしてセレナの声なき魂の歌。
地下世界の泥溜めで磨き上げられた4人のエンジニアリングが完全に一つに噛み合ったツギハギのプログラムは、ジレットが遺した最上位特権の防壁を、その根底にある初期設計の矛盾から、内側から劇的に爆破した。
バリギャァァァァァァァン!! と、ライトレッドの立方体防壁がガラスのように粉々に砕け散り、光の破片となって漆黒の嵐の中へと消滅していった。
『システム通知:最上位開発者権限(ルート権限)の強制解放を検知』
『該当アカウント:テオ・アルカディア。……ルート権限の掌握、完了』
「……やった、ルートを……取ったぞ……!」
テオは激しい反動で両手から血を流しながらも、ついにアルカナ・コアの「メイン制御コンソール」の前へと両足を着地させた。
目の前に展開されたのは、この世界の基底現実のすべての物理法則、全住人のステータス、そして都市のOSそのものを書き換えることができる、純白の『マスター・ソースコード』のホログラム画面だった。
だが、ルート権限を掌握した喜びも束の間、アルカナ・コアの心臓部は、制御を失ったことによる限界以上のメモリリーク(魔力暴走)によって、すでに真っ赤な過熱のフラグを点滅させていた。
『世界崩壊まで、あと――180秒』
「180秒(3分)か。これより、ジレットの遺した冷酷なディストピアの仕様書を、根底からすべて消去する」
テオは血の滲む指先を純白のキーボードの上へと構え、現場のデバッガーとしての、そして世界で唯一の『最高位開発者』としてのタイピングを静かに、しかしミリ秒単位の超高速で開始した。
世界を安全に一度シャットダウンし、ランクで人間を選別しない、誰もが意志を持って生きられる新しい仕様(OS)へと書き換えるための、人類の未来をかけた世界再起動の最終コンパイルが、いま、テオの指先から、轟音の渦の中で紡ぎ出されようとしていた。




