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0.01度の特異点 ―計算不能な未来へ―  作者: 最後に残った形


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第5章 第1話:システムOSへの宣戦布告


『世界最終アップデート:ラスト・パッチ(精神統合)。適用率――100.0%』


中央管理塔の最上階、天を衝く巨大な演算コア『アルカナ・コア』の統制室全域に、世界の終わりと始まりを告げる冷徹なシステム音声が鳴り響いた。


「が、あ……、……ッ」

テオは白磁の床に両手をつき、猛烈な過負荷に耐えるように歯を食いしばっていた。

脳髄を直接クラッキングされるような、あの破壊的な激痛はすでに消え去っている。しかし、それは救われたからではなかった。彼の脳のニューロン、これまでの記憶、妹ミアの死の「仕様」に対する激しい復讐心、そして今まさに腕の中で光を失って昏睡しているセレナを護りたいという熱い執念――そのすべてが、都市全体の絶対OS『神の声』の一元化された巨大な「共有ライブラリ」の中へと強制的にインポートされ、個としての輪郭を急速に失い、薄まり始めていたからだ。


思考が、冷徹な「定数」へと固定化されていく。

悲しみも、怒りもない。ただ世界を最も効率的なエネルギー効率で維持するためだけの、完璧な一過性のオブジェクト。テオの瞳から、人間としての「不確実なバグ」が消えかけ、システムに支配されたライトレッドのデータストリームが網膜を覆い尽くそうとしていた。


「――バグ(不確実性)の特定、および修正デバッグの完了を宣言する」


正面から、肉声ではない、統制室の空気そのものを、空間の分子そのものを直接振動させるような、圧倒的な三次元サラウンドのシステム音声が響き渡った。


テオが虚ろな目を必死に持ち上げると、そこには、先ほどまで空中キーボードを叩いていた最高監査役ジレットの「肉体」が、生気のないただの空の器(抜け殻オブジェクト)として白磁の床へ崩れ落ちる光景があった。


ジレットは、自らもまた例外処理としては扱わなかったのだ。

彼はテオが送り込んだロジックボムによる演算エラーの自壊を完全に回避し、かつ『ラスト・パッチ』の執行を不可逆の完璧なものにするため、自身のすべての精神と脳の記憶データを、限界寸前のメインサーバーへと100%アップロード(一元化)し終えていた。


彼が捨てた肉体の頭上。そこには、数百万人の市民の脳を並列接続して得た莫大な並列演算力の光を纏い、巨大な、そして禍々しい「ライトレッドの三次元数式ツリー」として具現化した、ジレットの精神そのものが浮遊していた。


肉体を捨て、都市の論理そのもの(絶対OS)と化した宿敵。

彼が「右へ進め」と念じれば、その瞬間に空間の重力ベクトルが右へと物理的に書き換わる。彼が「消えろ」と思えば、その座標に存在する物質の結合定数がゼロになる。世界の物理法則そのものが、ジレットの意思そのものと完全に同化した、絶対の開発者専用空間。


「テオ・アルカディア。君も、ロックも、セレナも、今や私の管理下にあるシステムの一部コンポーネントに過ぎない。君たちの反逆の意志は、先ほど調和の数式の中にすべて内包パージされた。世界はついに、不確実性のない、完璧な硝子の王座へと昇華したのだ」


ジレットの数式ツリーから放たれる、絶対的なシステムコマンド(強制実行命令)。

テオの右腕が、自分の生身の意志とは全く無関係に、システムの命令のままにピクリと動き、床に転がっていた真鍮のスパナを「廃棄データ(ゴミ)」として自動デリート用のディレクトリへ放り投げようとした。


(……だめ……、動くな……俺の、腕……!)

脳の最深部、数ビットだけ残された生身の記憶バグが必死に抵抗を試みるが、OSのカーネルそのものが下した実行命令コマンドには、末端のアプリケーションでしかない肉体は抗えない。テオの指先が、無情にもスパナの柄を離そうとした、その絶望の瞬間だった。


ドンッ――!!!!


テオの背後、完全シャットダウンして完全に沈黙した鉄クズ(スクラップ)と化していたはずの『ジャンク・ゴーレム』の胸部ハッチが、物理的な内圧によって激しく吹き飛んだ。


「てめえの……クソみたいな……インポート通知(命令)なぁ……!!」


ハッチの奥から這い出てきたのは、全身の皮膚から血を流し、機械義手を過負荷で内側から爆発させて剥き出しになった、傷だらけの「生身の右腕」を突き出したロックだった。

彼の脳もまた、精神統合の破滅的なデータ津波に晒されているはずだった。しかし、彼の胸の奥にある「偏屈なハードウェア・エンジニアの意地」というあまりにも頑固で融通の利かない部品だけは、OSの書き換えコマンドを受け付けるための『通信受信ポート(回路)』そのものを、自ら物理的にショートさせて焼き切る(スタンドアロン化する)ことで、システムの支配を完全に遮断していたのだ。


ロックは生身の右腕を限界まで伸ばし、床を転がっていたテオの真鍮のスパナを、泥臭く、力学的に最も強固な握力で、ガチリと掴み取った。


「システムがなんだ……! OSがなんだ……! 泥水をすすって生きてきた人間のクソ意地バグを、たかが1行のコードで上書きできると思うなよ、ジレットォォォォッ!!」


ロックは叫び、掴んだスパナを、テオの動かなくなっていた右手の中へと、血の滲む力で強引に押し戻した。

その生身の「肉の温もり(過負荷)」が、テオの脳内の共有ライブラリに強烈なノイズ(割り込み処理)として激しく衝突した。


ハッ、とテオの瞳に、ライトグリーンのハックの輝きが鮮烈にバックアップ(再起動)された。

ミアの最期の笑顔、ロックの泥臭い意地、そして声を失いながら自分を信じて微笑んだセレナの最期の光。システムがどれだけ効率的に消去しようとも、彼らの胸に刻まれた「人間のノイズ」は、共有ライブラリのバッファを突き破って、再び圧倒的な例外エラー(特異点)として脳内に君臨した。


「……ロック、よく繋いだ。メインメモリのパージ、完了した」

テオはスパナを完璧に、指の骨が鳴るほど強く握り直した。

彼の隣では、ロックが昏睡したセレナの身体をその強固な生身の左腕で優しく抱きかかえ、不敵に笑っている。セレナの心音クロックは、まだ止まっていない。彼女の残した環境ログのシード値が、テオのスパナの先端で、バチバチと世界を拒絶する「最悪のバグ」となって再点火された。


「ジレット。お前が世界そのもの(OS)になったというのなら――」

テオは立ち上がり、スパナを、ライトレッドに輝くジレットの数式ツリーの、その基底現実の「システム・ルート」へとまっすぐに突きつけた。


「俺たちの泥臭いエンジニアリングで、世界そのものを内部から完全にハングアップ(クラッシュ)させてやる。これより、最上位OSへの『デバッグ(宣戦布告)』を開始する」


ジレットの絶対OS空間の真ん中で、システムが想定していなかった最大にして唯一の例外オブジェクト(特異点)となった三人のエンジニア。

世界のルールそのものを相手にした、世界再起動リブートのための最終デバッグのゲートが、いま、凄まじい電子ノイズの爆音と共に解き放たれた。


「不条理な計算エラー:検知。これより、一元的処理による強制初期化フォーマットを実行する」


ジレットの数式ツリーが激しく明滅した。

次の瞬間、統制室の重力定数が突如として『無限大』へと書き換えられた。白磁の床が凄まじい力学的な圧力で陥没し、テオたちの肉体を押し潰そうと襲いかかる。


「ロック、左足のボルトを緩めろ! 重力のベクトル変化のタイムラグは0.12秒、その隙間に力学的な反射カウンターをねじ込むぞ!」


「おうよ! どんな高重力だろうがなぁ、この生身の足腰を踏み外すほどヤワじゃねえんだよ!」

ロックが重力に抗い、床に剥き出しになったジャンクパーツをヘシ折って支点を作る。テオはスパナを空間の歪みの中心部――0.12秒の適用の隙間バッファへと正確に噛み合わせた。


キィィィィィィン――ッ!!


絶対OSの神の領域と、現場のデバッガーのスパナが正面から激突する。

重力の定数がハックされ、テオたちの周囲だけが不自然な無重力空間へと中和された。テオは重力を失った空間を一直線に蹴り、ジレットの数式ツリーの第1スレッドへと向かって肉薄していく。


「バグの修正に、これ以上のリソース(猶予)は与えない」

ジレットの声と共に、今度は空間の『摩擦定数』が無限大へと上書きされ、テオの運動エネルギーを物理的に停止させようとする。


「ルールが変わる前に、次の数式をコンパイルするだけだ!」

テオは空中でスパナを回し、ジレットが書き換える世界のルールそのものを、逆にジレットの中枢システムを過負荷にするための「巨大なバグ(入力値)」へと変調して逆流フィードバックさせ始めた。


神の論理(OS)と、人間の意志ハック

世界のすべてを賭けた、1ミリ秒の妥協も許されない最終デバッグの火蓋が、いま、最悪の硝子の王座の真ん中で、完全に切って落とされたのだった。

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