第4章 第9話:論理のブレ(テオの修正)
「――演算領域、強制割り込み(インターラプト)。これより、対象セクターの仕様変更通知を直接クラッキングする」
バチバチバチッ! と、連絡通路の白磁の壁面が、強烈な電子ノイズを散らして内側から破裂した。
新型警備ゴーレム『アイアン・バイパー』の鋭利なブレードが、限界を迎えて膝をついたジャンク・ゴーレムのコックピット装甲を切り裂かんとした、まさにその1ミリ秒前の瞬間だった。
通路の闇を切り裂いて跳躍し、むき出しの魔導基板へとスパナを力任せに突き立てたのは、テオだった。
「テ、オ……!? てめえ、なんで……ここに……ッ!?」
血塗れのコックピットの中で、ロックが驚愕に目をみはる。本隊を率いて最短ルートを突っ走っていたはずの冷徹なデバッガーが、自分の計算式をへし折って、この廃棄セクターへと逆流してきたのだ。
「予定が120秒遅れた。大馬鹿野郎が」
テオはゴーグルを叩き、迫り来るアイアン・バイパーの群れを睨みつけた。彼の隣には、ライトブルーの瞳を限界まで発光させたセレナが立ち、その華奢な手をテオの肩へとそっと添えていた。
(テオ、くるよ……! 次の5ミリ秒、この空間の『流体摩擦係数』は【0.00】へ、重力定数は【マイナス3G】へと強制適用される。敵の蛇たちは、その瞬間に床を滑りながら頭上から襲いかかってくる!)
セレナの脳内リンクから、テオの演算領域へと、5ミリ秒先の世界の仕様変更のシード値が寸分の狂いもなくインポート(転送)される。
「――同期、コンパイル」
テオの視界が、一瞬にして鮮烈なライトグリーンの最適解回路へと上書きされた。
ジレットの環境パッチは、5ミリ秒毎に世界のルールを書き換えてハックを空振りにさせる。しかし、セレナという最高の環境センサーが「適用される前の数値」を完全にトレースしてくるのであれば、それはもはやバグ(不確実性)ではない。ただの、事前に開示された「仕様」だ。
「ロック、ジャンク・ゴーレムの右無限軌道の固定ボルトをハサミで叩き切れ! 重力が反転する瞬間に、その反動を利用して機体を後方へ2メートルスライドさせろ!」
「――応よッ!!」
ロックはテオの意図を一瞬で理解し、機械義手でスパナを握り直すと、愛機の脚部のボルトを力任せに叩き折った。
カァン――ッ!!
その直後、世界のルールが書き換わった。重力が反転し、摩擦が完全に消失する。通常であれば、機体の制御が完全に破綻して空中へと投げ出される瞬間。しかし、ロックが自らボルトを叩き折った力学的な反動により、ジャンク・ゴーレムの泥臭い巨躯は、氷のようになった地面を滑るようにして正確に後方へと退避した。
そのジャンク・ゴーレムが先ほどまでいた空間を、ジレットのアイアン・バイパー部隊が、重力反転の計算通りに上空から鋭いブレードを突き立てて収束していく。
「お前たちの演算パターンは、すべてセレナがパッキング(受信)済みだ」
テオは跳躍し、摩擦ゼロの空間を、セレナから共有された重心移動の補正値だけで完璧に滑り抜けた。
標的は、密集したアイアン・バイパーの群れの中心――お互いに並列同期信号を送り合っている『共有ルーター(通信中枢)』だ。
(テオ、今! 次の3ミリ秒、敵の防護障壁の計算優先順位が、空間の結合処理のせいで一瞬だけ下位へドロップする! 隙間は左方、偏角【0.01度】!)
「そこだ――デバッグ(ハック)を実行する!!」
テオは手にしたスパナを、アイアン・バイパーのルーターの装甲の合わせ目へと正確に叩き込んだ。魔力ではない。摩擦がゼロになり、重力が反転した空間の運動エネルギーを100%味方につけた、純粋な力学の過負荷。
バキィィィィン――ッ!!
完璧なタイミングで注入されたテオの「論理のブレ(修正プログラム)」。
ルーターが破壊されると同時に、ジレットが地上の市民の脳を焼き切って供給していた高度な同期信号が、アイアン・バイパーの部隊の内部で致命的な計算不整合を引き起こした。5ミリ秒毎に変わる世界のルールに対し、先読みデータを失った機械蛇たちは、自らの姿勢制御プログラムが現在の重力定数を処理しきれず、次々と自滅のノイズを散らして床へ転がり、自爆していった。
白煙と電子ノイズが立ち込める連絡通路。
避難民の老人や子供たちが、トンネルの奥から呆然と、自分たちを救った二人のエンジニアの姿を見つめていた。
「ハッ……ハハハ! 綺麗に動く数式がなんだって? てめえ、結局一番泥臭いハックをしに来やがったな、新入り」
ロックがコックピットのハッチを開け、口元の血を拭いながら大笑いした。
「うるさい、ロック。予定のタイムラグは240秒を超えた。到達確率は10.5%だ。エンジニアとしては、最悪の例外処理だよ」
テオはゴーグルを額へと上げ、荒い息を整えながら、不敵に口元を歪めた。
「だが……カインの言う通り、お前という最大級のバグ(不確実性)を切り捨てたプログラムは、俺の胸の奥のメモリがどうしても実行を拒否した。……行くぞ、相棒。ここからは、10.5%の可能性を100%に書き換えるコンパイルの時間だ」
「ヘッ、計算通りにいかないのが、人間って優秀なハードウェアだろ?」
ロックはジャンク・ゴーレムの出力を力強く再起動させ、残された唯一の腕の油圧プレスをガチリと鳴らした。
声を失った少女セレナが、二人の間に立ち、言葉のない、しかしこれまでで最も美しく輝く信頼の笑みを浮かべてテオの手を握りしめる。
チームの亀裂は、効率ではなく「人間の意志」という壊れない部品によって、今度こそ完璧に修正された。三人のエンジニアの思想が本当の意味で一つに同期した瞬間、反逆軍は世界のルールそのものを書き換えるため、中央管理塔の最上階へと向けて、再び狂涛の進撃を開始するのだった。




