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0.01度の特異点 ―計算不能な未来へ―  作者: 最後に残った形


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第4章 第7話:ロックの独断(ハードの意地)


反逆軍の本体が第1外縁門を突破し、地上の絢爛豪華な中枢区画へと狂涛の勢いでなだれ込んでいく中、その進撃の足跡から完全に置き去りにされた「暗がりの階層セクター」があった。


ダークセクターと連絡通路の境界線。

そこには、テオの冷徹な効率戦術によって「移動速度不足」「生存期待値不足」というバグの烙印を押され、パッキングから強制除外された8万人の老人、子供、下層市民の避難民たちが、身を寄せ合って蹲っていた。

世界の物理法則が0.01秒毎に変質する『環境パッチ』の第2段階は、容赦なく彼らの頭上から降り注いでいる。空間の分子結合が数ミリ秒だけ弛緩するたび、肌からポロポロと青白い電子ノイズの剥離が起き、住人たちはただその場に座り込んで、システムに消去デリートされる瞬間を待つ恐怖のカウントダウンに耐えていた。


だが、彼らに向けられた最悪の例外エラーは、環境の変質だけではなかった。


チカチカチカ……と、連絡通路の天井に配置された古い警告灯が一斉に真っ赤に反転する。

「――前方に、未識別オブジェクトの接近を検知」

避難民の若者が、震える指で通路の奥を指さした。


白磁の壁の向こうから現れたのは、ジレットがこの総間引きのために配備した新型警備ゴーレム『アイアン・バイパー』の尖兵部隊だった。地上の市民の脳を焼き切って得た膨大な演算力を与えられたその機械蛇たちは、流体のようにうねりながら、0.01秒毎に変わる重力や摩擦を完璧にトレースして突進してくる。その鋭い尾部のブレードには、触れた有機物の構造ロジックを直接解体する、最悪の抹殺プログラム(デリート・コード)が禍々しく脈動していた。


「ひ、悲鳴を上げるな! 走れる者は奥へ!」

指導者たちが必死に声を上げるが、足の悪い老人や子供たちが、急激に跳ね上がる重力定数に阻まれてバタバタと地面に這いつくばる。誰もが、もう終わりだと絶望した、その瞬間だった。


ズウゥゥゥゥン――ッ!!


連絡通路の天井をへし折るほどの強烈な着地音と共に、一台の泥臭く、醜悪で、しかし圧倒的な質量を持った鉄の巨躯が、避難民たちの前に割って入った。


ロックの愛機『ジャンク・ゴーレム』。


胸部には大型ドローンのジャンクローター、腕部には油圧プレスのシリンダー、脚部には装甲車の無限軌道。地上の幾何学的な洗練さをこれっぽっちも持ち合わせていない、地下世界のジャンク部品を執念だけでツギハギした「ハードウェアの結晶」が、そこに立ち塞がっていた。


「おい、新入りどもの選別部隊は、とっくに門の向こうへ行っちまったぞ」

コックピットのハッチを開け、レバーをガチリと鳴らしたロックが、避難民たちを振り返って不敵に笑った。

「だがな、あいつのクソ冷てえ数式は、俺のシステムにはどうしてもインポート(適用)できねえんだわ。お前ら、早く奥の旧地下鉄トンネルへ逃げろ。流石の『神の声』も、あそこまではまだデータの同期が届いてねえ!」


「ロ、ロック……!? お前、本隊の進撃命令を無視して、ここに残ったのか!?」

指導者が驚愕の声を上げる。


「命令だぁ? 誰が従うかよ。俺はエンジニアだ。壊れかけたハードウェア(人間)が目の前に転がってんなら、どんなジャンクだろうが全部直して動かすのが俺の『設計思想ロジック』だ!」

ロックはハッチを乱暴に閉め、全出力を前方のアイアン・バイパー部隊へと固定した。


インカムからは、第1外縁門の向こう側を突き進むテオの、冷徹極まりない音声がノイズ混じりに響いてくる。

『警告、ロック。お前のジャンク・ゴーレムの離脱を確認した。現在、本隊の到達確率は42.1%から31.5%へ低下。予定のタイムラグは120秒を超えている。即座に戦線へ復帰しろ。非効率なスタンドアロン(独断)は全滅を招く』


「うるせえよ、クソギーク」

ロックはインカムのスイッチを力任せに叩き切り、通信の走査線を完全に遮断した。

「てめえの綺麗な数式のために、ここの8万人をバグとしてゴミ箱に放り込めるかよ。ジレットのクソ野郎のパッチがどれだけ速かろうが……俺のハード(鉄)の頑丈さは、仕様変更なんかじゃブレねえんだよ!」


シャァァァァッ!! と、新型ゴーレム『アイアン・バイパー』の群れが一斉に跳躍し、ジャンク・ゴーレムへと襲いかかった。

空間の重力定数が、ジレットのパッチによって突如として「5G」へと跳ね上がる。通常であれば、重さの計算が狂って身動きが取れなくなる瞬間。


「オラァッ! 耐えやがれ、俺のスクラップ!」

ロックは叫び、魔力制御ではなく、純粋な機械義手のレバー比を最大化して油圧シリンダーを駆動させた。

バキィィィィン!! と、重力によって加速されたジャンク・ゴーレムの巨大な鉄拳が、最前列のアイアン・バイパーの頭部へと正確に叩き込まれた。


魔力など1ミリも乗っていない。純粋な質量と、力学的なエネルギーの衝突。

ジレットの新型ゴーレムの防護術式は、前方からの魔導攻撃には完璧な最適化を誇っていたが、この「物理法則の乱れを力技でねじ伏せる圧倒的な鉄の塊」の過負荷(G)までは演算しきれていなかった。蛇の頭部が物理的に粉砕され、スパークを散らして床へ転がる。


「見たかよ! どれだけルールを書き換えようがなぁ、ネジ一本、歯車一枚の限界数値を物理的に越えにゃあ、ハードウェアは動かねえんだよ!」

ロックは無限軌道を逆転させ、迫り来る二機目の胴体を踏み潰した。


しかし、ジレットの『環境パッチ』の猛威は、ロックのハードウェアを内側から確実に破壊しつつあった。

次の瞬間、空間の『流体摩擦係数』が無限大へと書き換わる。

ガガガガガッ! と、ジャンク・ゴーレムの関節の歯車が物理的な摩擦熱で真っ赤に焼け付き、溶接部分が次々と悲鳴を上げて弾け飛んだ。黒い作動油が血のように激しく噴き出し、コックピット内のロックの生身の身体にも、凄まじい不均一な重力加速度(G)が襲いかかる。


「がはっ……! くそ、関節が焼き切れやがる……!」

ロックは口元から鮮血を漏らしながらも、義手のレバーを離さなかった。

壊れたら、その場で直す。彼は片手で義手のボルトを締め直し、破断したチェーンを手動で噛み合わせ直しながら、執念だけで鉄の壁を維持し続けていた。


避難民の老人や子供たちが、ロックの泥臭い背中を見上げながら、泣きながら奥のトンネルへと走っていく。


「一歩も……通さねえぞ……!」

ロックの視界は、過負荷と自身の血によって赤く染まりかけていた。

ジレットの洗練された論理の軍勢に対し、地下世界の偏屈な頑固親父が、ただ「ハードウェアの意地」という壊れない部品だけを武器に、8万人の命を繋ぐための絶望的な防衛戦を繰り広げていた。その泥臭い執念は、完璧に管理された世界の数式を、物理的な質量で激しく揺るがし始めていた。

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