第3章 第2話:バグの温床(レジスタンス)
「……こっち、だよ」
セレナは掠れた声を絞り出すようにして、旧地下鉄の巨大な転轍機の裏にある、錆びついたハッチを指さした。
ロックが力任せにそのハッチを押し開けると、地下の冷気とは異なる、人の営みが放つ湿った熱気と、焦げた回路の匂いが一気に這い上がってきた。
梯子を下りたテオたちの眼前に広がっていたのは、地上のアルカナ・ハイヴとは対極にある「バグの温床」だった。
地下レジスタンスの隠れ家――通称『バッファ・ノード』。
大昔の巨大な地下貯水槽を改造して作られたその空間には、無数のジャンクベッドや、ツギハギのテントが幾何学性を完全に無視して乱雑に並んでいた。壁には剥き出しの太い光ケーブルがのたうち回り、廃棄されたサーバーラックから漏れる冷却ファンの重低音が絶え間なく響いている。
そこを行き交うのは、地上の「効率主義」に馴染めず、ランクが基準値を下回ってパージされた元技術者、研究者、そして労働者たちだった。
「おいおい、想像以上のギークどもの吹き溜まりだな」
ロックが呆れ半分、感心半分といった様子で、むき出しの基板をハンダ付けしている老人や、古いオシロスコープに噛み付くように画面を見つめる若者たちを見渡した。
地上のような絶対的な「社会貢献度ランク」の提示はどこにもない。
誰がどれだけ優れているか、誰が何をどれだけ所有しているかという数値化が存在しない世界。ここでは皆、不均一で、不確実で、そして自分の意志で泥臭く生きていた。
「驚いたか、新入り」
テオが周囲を観察していると、セレナがその華奢な肩を小さくすくめた。
「ここには、私たちを縛る『正しい数値』なんてない。みんな、システムから見ればただの『ゴミ(ノイズ)』だけど……ここでは、ただの人間として息ができるの」
テオはゴーグルの奥の瞳を静かに細めた。
完璧に管理されたディストピアで生まれ育ったテオにとって、このバッファに満ちた混沌は、かつてないほどに不気味で、そして――奇妙なほどに人間らしく思えた。
「数値化されないということは、明日生き残る確率すら計算できないということだ。不合理極まりない空間だな」
テオは冷淡に言葉を返したが、その手はポケットの中のスパナをそっと緩めていた。
「ふん、不合理だからこそ、人間は面白い回路を組めるのさ」
突如として、貯水槽の奥に置かれた巨大なジャンクコンソールの影から、低く掠れた、しかし酷く存在感のある老人の声が響いた。
テオが視線を向けると、そこには、ボロ布のような作業着を纏い、片目に骨董品のような拡大鏡を嵌めた老人が、大量の古い数式が書かれた紙の束を撒き散らしながら、不敵な笑みを浮かべてこちらを睨みつけていた。
世界の設計図を紐解き、システムの根底を覆す知の巨人――カインが、その姿を現した瞬間だった。




