第95話 害獣駆除
「……よし。準備は整えたな」
レナードの低い声が、まだ薄暗い宿舎に響いた。
朝日が昇る前。
空は深い藍色のままで、夜と朝の境目にある時間だった。
俺たちは無言で装備を確認する。短弓、矢筒、投擲武器や動きやすい革の鎧。
余計な荷物はない。すべて、昨日までに決めた通りだ。
テルティアの外は静まり返っている。
この時間に動く兵士は、俺たちと第三斥候部隊くらいだろう。
「俺たちは、ここからそれほど遠くない村に向かう」
レナードが全員を見回しながら続ける。
「連合の徴収部隊を始末する。作戦は昨日言った通りだ」
一拍置き、声がわずかに強くなる。
「……村人が何をされても、俺の合図が出るまでは、絶対に攻撃するな」
その言葉に、空気が張り詰めた。
「勝手な行動は、作戦全体を失敗させる可能性がある」
全員が、無言で頷く。
ここにいる誰もが、その意味を理解していた。
感情で動けば、守れるものも守れなくなる。
「……行くぞ。ミロ、案内を頼む」
「わかった」
ミロが短く答える。
「その村は、ここからそれほど遠くない。カイ隊長をはじめ、第三斥候部隊はもう向かい始めている。僕たちも急ごう」
そう言って、先頭に立つ。
テルティアの門を抜けた瞬間、冷たい朝の空気が肌を刺した。
これから始まるのは、訓練でも準備でもない。
戦いだ。
***
「……ここがいいね」
ミロが足を止め、小さく声を落とした。
「ヴァルケンの兵士を確認できる。それに、村からもそれほど離れていない」
示されたのは、道脇に広がる茂みだった。
視界は利き、身を隠すには十分な密度がある。
全員がその茂みに身を沈める。
草の冷たさが、服越しに伝わってきた。
朝日が、ゆっくりと地平線から顔を出し始める。
薄暗かった景色が、少しずつ輪郭を持ち始めた。
やがて、村の姿が見えてくる。
……かなり、ボロボロだ。
家屋の壁は崩れ、屋根には穴が空いている。
柵は歪み、修理された形跡もほとんどない。
人の気配はある。
だが、生きているというより、耐えているという印象だった。
俺は、息を殺したまま村を見つめる。
ここに、連合の兵士が来る。
そして――それを合図に、すべてが動き出す。
朝日は、もう完全に昇りつつあった。
夜明けとともに、戦争が始まろうとしている。
***
朝日が低い位置を離れ、村全体がはっきりと輪郭を持ち始めた頃だった。
「……来た」
誰かが、息だけでそう呟いた。
村へ続く道の先。連合の兵士と思われる影が、ゆっくりと姿を現す。
数は五人。
武器を持っているのは三人。
残りの二人は何も持っていない。
(五人……)
俺たちは七人。
数では勝っている。だが、どれだけ素早く、どれだけ確実に仕留められるかがすべてだった。
兵士たちは、こちらに気づく様子もなく、俺たちの潜む茂みの前を通り過ぎていく。
足音、革鎧の擦れる音、低い会話。
心臓の音が、やけに大きく感じられた。
完全に通り過ぎ、村へと近づいた時にレナードが、わずかに身を寄せ、小声で指示を出す。
「……奴らは五人だ」
視線は動かさず、声だけが届く。
「武器を持っているのは三人。残りは何も持っていない。荷物持ちだろう」
全員が、無言で頷く。
「村から出てきたら、まず武器を持っている三人を片付ける」
一拍置き、ロランを見る。
「ロラン。さっきの距離で、狙えるか?」
「全く問題はない。確実に一撃で頭を狙える」
その声には、迷いが一切なかった。
「わかった」
レナードは視線を移し、次はダリルを見る。
「ダリル。お前はどうだ?」
ダリルは小さく首を振る。
「……この位置からスリングは厳しいな。距離が近すぎる。石を回した音で、気づかれる可能性がある」
「わかった。それなら、お前も弓にしろ」
短く、迷いのない判断。レナードは、全員を一度見回した。
「狙う敵を伝える」
声が、さらに低くなる。
「全員、武器を持っている奴を狙え」
指で地面に、三点を描くように示す。
「ロランは一人で武器持ちを担当だ。俺とエドリック、トマで一人。オズワルとダリル、ミロで一人だ」
「誰を狙うかは、ロランが決めろ」
「了解した。俺は、狙いにくい奴を狙う。距離が近いやつは任せる」
「わかった」
レナードは頷き、最後の確認をする。
「仕留められれば上等だ。だが、難しいと判断した場合は、武器持ちでなくてもいい。
誰でも狙え。相手の意表を突く。それが最優先だ」
そして、ロランにだけ、もう一言。
「ロラン。できるだけ仕留めてくれ。……お前が全部仕留めても、全く問題はない」
ロランは、わずかに口角を上げた。
「全部は無理だと思うが……やってみよう」
――その時だった。
村の方角から、怒声が上がる。
続いて、甲高い叫び声。
何かを叩く音。泣き声のような、押し殺した声。
一瞬で、空気が変わった。無理やり徴収をしているのだろう。
俺は弓を握る手に、力を込める。
(……合図を待て)
レナードの言葉を、頭の中で繰り返す。
全員思うところがあるのだろう。村の方をじっと見つめている。
特にオズワルは完全な無表情で村を見ている。だが弓を持つ手は震えている。
(オズワル。ブチ切れてる……)
隊の中で一番面倒見がよく、正義感が強いオズワルだ。本当はすぐに駆け出したいのだろう。でも一人が感情的になれば、みんなを危険に晒すだけでなく、今回はテルティアとセクンダ、そして王都の兵士にも迷惑をかけることになる。
レナードが再び声をかけてくる。
「……全員耐えろ。これは命令だ。攻撃するのは奴らが俺たちに背を向けてからだ。その時を待て」
「……わかっているぜレナード。攻撃の合図が出たらぶっ殺してやる」
オズワルがすぐに返事を返す。
レナードは返事をしないでただ頷いただけだった。
俺たちにとって耐えなければならない時間が続いた。
***
しばらくして兵士たちが村から出ていた。それぞれ荷物を持ってだ。
来た時とは違い全員が笑顔になっている。
風に乗って、下卑た笑いを含んだ声が、途切れ途切れに流れてくる。
村人を侮辱する言葉。
王国から守ってやっている、という独善的な言い分。
そして戦えないなら、飯か女を寄こせ、という声。
吐き気がするほど、はっきりと聞こえた。
その時隣でバキッ!という音が聞こえる。
オズワルが持っている矢を一本握り潰していた。
――おい!オズワル落ち着け!――
レナードが小声で。しかししっかりとした声でオズワルを落ち着かせている。
――大丈夫だレナード。お前の合図であの害獣どもをぶっ殺すからよ――
そうして矢を取り換え、弓に番える。
レナードがため息をついたときにロランが指示をだす。
――俺は奥のデカブツを狙う。レナードたちは手前の短髪を狙え。オズワルたちは残りだ。――
ロランもしゃがみながら矢を弓に番えた。
その言葉に全員が意識を連合兵に向ける。全員がいつでも撃てる状態だ。
奴らは全く俺たちに気が付いていない。
食料という名の戦利品が手に入り気が緩んでいるのだろう。俺たちの前を通り過ぎた。
そして、剣や槍ではこちらに絶対に届かない距離――
弓だけが意味を持つ間合いに入った瞬間。
レナードが合図を出す。
その瞬間に全員が立ち上がり、標的めがけて矢が放たれた。
***
戦闘は、あっという間だった。
最初の一斉射撃で、敵兵三人が倒れた。
悲鳴を上げる間もなく、地面に崩れ落ちる。
残った二人は、何が起きたのかすら理解できていなかった。
振り返ることもできないまま――
二射目の矢が放たれ、そのままこの世から去った。
奇襲とはいえ、戦闘時間は一分も経っていない。
疑いようのない、作戦勝ちだった。
「……よし」
レナードがすぐに声を上げる。迷いはない。
「ミロ。お前は村に行け」
ミロが即座に顔を向ける。
「村人に、食料を取りに来てもらうように伝えろ。俺たちのことは伏せていい」
レナードは低い声で続けた。
「村の人は、俺たちを知らない。武装した俺たちが行けば、恐怖を与えるだけだ」
一瞬だけ視線を村の方へ向ける。
「俺たちはこのままヴァルケン方面へ向かう。途中で兵士がいれば、排除する」
「わかった」
ミロは短く頷く。
「みんなに伝えてから、すぐ合流するね」
レナードは最後に付け加えた。
「頼む。基本は茂みの中にいる。もし居場所が分からなければ、いつもの指笛を使え。俺たちも返す」
「了解」
そう言って、ミロは静かに村の方へと駆けていった。
「行くぞ。死体を隠す。終わったら、作戦通りヴァルケン方面へ向かう」
レナードが残った全員に視線を走らせる。
全員が素早く動き出す。
刺さった矢を回収し、茂みの影へ倒れた兵士たちを引きずり込もうとした――その時だった。
ボグッ!
鈍い音が響いた。
見ると、オズワルが倒れている兵士の一人を、思い切り蹴り飛ばしていた。
死体がわずかに転がり、土埃が舞う。
一瞬、全員の動きが止まる。
「オズワル!」
トマが慌てて駆け寄り、体を抑える。
「気持ちは分かるけど……もう仏だ。これ以上はダメだ」
オズワルは、しばらく何も言わなかった。
拳を強く握り締め、地面を睨みつけている。
やがて、低く吐き捨てるように言った。
「……こいつらは、仏なんかじゃねぇ。くそくらえの害獣だ」
声は震えていた。
そして、一拍置いて。
「……だが、この一発だけだ。……すまなかったな」
視線を逸らし、小さく続ける。
誰も、それ以上何も言わなかった。
全員が分かっていた。オズワルが、どれほど耐えていたのかを。
そしてこの先、もっと耐えなければならない場面が来ることも。
レナードが短く手を上げる。
「終わりだ。行くぞ」
俺たちは再び動き出した。次の獲物が待つ、ヴァルケンへ向かって。




