第94話 戦いの前日
一日目
俺たちは、ただ待っているだけの時間を過ごすことはしなかった。
それぞれが、それぞれにできることを探し、自然と身体を動かし始めていた。
俺とトマ、ダリル、オズワルは伐採作業に加わった。
木を倒し、枝を払い、丸太を運ぶ。
単調な作業の繰り返しだが、考えごとをしている余裕はなく、身体を動かしている間だけは余計な思考が頭から抜けていった。
レナードは、ヴィルクやカイたちと作戦会議に入っていた。
仕事を手伝おうとしていたが、隊長たちに呼ばれ、そのまま離れていった。
ロランは狩りに出た。
昼前、連合側の住民と話す機会があり、その中に狩人がいたらしい。
話が合ったのだろう、二人でそのまま狩りに向かったと聞いた。
『食料が増えるのはありがたい』
ヴィルクはそう言っていた。
戦いの準備であると同時に、生活そのものでもあるのだ。
オズワルは漁ができる場所を聞いて回っていたが、近くに川はなく、ここから行くのは時間がかかるという。しかも、連合の領土にあるらしく、現実的ではなかった。
結局、オズワルも伐採作業に戻ってきた。
『川がねぇ拠点ってのも、不便なもんだな』
そうぼやいたオズワルを、ダリルがからかい、その直後、ダリルが尻に蹴りをもらって悶絶していたのが、その日の一番印象に残った出来事だった。
二日目
この日も、朝から伐採作業が続いていたが、昼前にヴィルクが兵士たちを集めた。
戦いが近いこと。正式に、連合の拠点へ攻め込むこと。
その場で、はっきりと告げられた。
一瞬、空気が止まった。
だが、驚きはすぐに、別の感情へと変わっていった。
不思議なほど、士気は高かった。
隣にいた兵士に、思わず聞いてみた。
なぜ、そこまで迷いがないのか、と。
『連合のやり方が、あまりにも非道だからだ』
兵士は、静かにそう答えた。
『正直、最初は連合の人間なんてどうでもいいと思ってた。だが、交流してみりゃ……俺たちと何も変わらねぇ』
少し言葉を選びながら、続ける。
『そんな人たちを、平気で切り捨てる連中を、許せるはずがないだろ』
その言葉に、俺は返す言葉を持たなかった。
すごいと思った。
そこまで、自分の中で整理できている兵士たちを。
俺はまだ、怒りの感情の中にいる。
正しさを言葉にするところまでは、辿り着いていない。
三日目。
ミロと、第三斥候部隊の一人。リースという男と共に、ヴァルケン周辺の確認に向かった。
道の状況、奇襲に向いた場所、見通し。
一つひとつを確かめながら進む。
ヴァルケンまでは、半日もかからない距離だった。
ヴィルクが決戦予定地としている広場までは、その半分ほど。
思っていたよりも、近い。
周辺で、他の斥候部隊とも合流し、情報を共有した。
敵拠点の兵数は、多く見積もっても六百人ほどだという。
数字を聞いた瞬間、不安がよぎる。こちらの兵力で、本当に足りるのか。
そんな俺の肩を、リースが軽く叩いた。
『広場に行くまでに、ある程度は削る予定だ。その時は……お前たちも頼んだぞ』
そうだ。
戦うのは、俺たちだけじゃない。
今回は、テルティアとセクンダの兵士たちも一緒だ。
『それに、歴戦の猛将であるクラウス隊長もいる』
リースはそう言って笑った。
『数は劣っても、質はこちらの方が上だ』
その言葉が、妙に心に残った。
その夜、久しぶりに野宿をした。
地面の冷たさ、焚き火の匂い、夜空の静けさ。
横になりながら、俺は考える。
――誰も死ななきゃいいな、と。
四日目
偵察を終え、テルティアに戻る前に、地図と現地の情報を照らし合わせながら、八人で話し合いを行った。
最終的に採用されたのは、ミロとリースが提案した小道と、広場近くの丘。
どちらも退路が確保でき、奇襲には最適だった。
丘の上は、遠距離攻撃ができるロランとダリルが担当することになった。
距離を取れる反面、戦に巻き込まれる可能性もある。
だがロランは静かに言った。
『気にすることはない。小隊といえど、別行動になることはある』
その言葉を受け、レナードが続ける。
『ならば、一度ヴィルクに相談する。二人は別行動になるかもしれん』
二人は黙って頷いた。
仕方がないとはいえ、胸の奥に小さな不安が残った。
その夜は寝台に戻り、すぐに眠りについた。
五日目
朝、広場に向かうと、そこには圧倒的な光景が広がっていた。
王都の兵士、セクンダの兵士。
集まった数は、約六百人。
まだ二百人ほどもセクンダにいるらしい。
顔見知りになったテルティアの兵士が、誇らしげに教えてくれた。
ヴィルクはレナードに、ひとつの筒状の道具を手渡していた。
王都の最新兵器――雷筒。
火薬を使って、音を出す兵器とのことだ。
誰も使い方が分からなかったが、洞窟の訓練場で、カイ隊長が実演してみせた。
次の瞬間――
ドン!
閃光と爆音が洞窟に響き渡り、思わず全員が身をすくめた。
これまで聞いたことのない音だった。
だが、これなら敵兵をおびき出すには十分すぎる。
使用者は、足の速いミロとリースに決まった。
『えっ!?俺もやるの!?』
リースがそう叫んだ瞬間、カイ隊長の拳骨が落ちた。
その一撃で、リースが作戦に同行することが決定した。決戦は、確実に近づいていた。
六日目。
昨日集結した兵士たちはどんどん決戦予定の広場へ移動している。
その光景がこれから戦いが始まるという事実を後押ししていた。
俺たちは訓練場に集まり、最後の調整を重ねていた。
明日になれば、もう引き返せない。だからこそ、誰も手を抜かない。
今回の主戦力となる武器は、短弓だった。
全員が距離を取り、敵を広場へと誘導する役割を担う。
仕留める必要はない。当てることができれば、それでいい。
ある程度の距離であれば、今の俺たちなら誰でも矢を当てられる。
命中精度は、すでに実戦レベルに達していた。
矢が飛び、弦が鳴る音だけが、訓練場に淡々と響く。
ひと区切りついたところで、俺はレナードに声をかけた。
『……投げナイフとか、他の投擲武器はどうする?』
気になっていた点だった。
奇襲といえば、そういう武器も使うと思っていたからだ。
レナードは短く答えた。
『ヴァルケンに行く時は、持っていかない』
即答だった。
『小道から撤退する時に、進路に置いておく。合戦に移行したら、各自が得意な武器に切り替える』
なるほど、と納得する。
投げナイフならまだしも、手斧や短槍は携帯すれば確実に重量になる。
奇襲と撤退を繰り返す今回の作戦では、身軽さが何より重要だ。
ただし――例外もある。
レナードは剣とバックラー。
オズワルは短槍を携帯するという。
『撤退時に、もし敵に追いつかれたら……俺とオズワルが殿を務める。お前たちは、迷わず逃げろ』
レナードが淡々と話し出す。
その言葉に、胸がざわついた。
『……危険じゃないか』
思わず、そう口にしていた。
だが、オズワルが即座に返してくる。
『任務自体が危険だろ?俺たちだけが、安全圏から戦えるわけじゃねぇ。誰かが止まらなきゃ、全員が死ぬ』
ぶっきらぼうな声だった。そして、それ以上、言葉を挟む余地はなかった。
正論だ。わかっている。
それでも、胸の奥に、嫌な不安が残る。
だが――レナードとオズワルが決めたことだ。
俺にできるのは、それを信じて、自分の役割を果たすことだけだった。
***
「……この作戦でいくぞ」
レナードの低い声が、夕方の作戦会議室の空気を引き締めた。
地図の上に置かれた指が止まり、視線が一斉に集まる。
独立奇襲小隊だけでなく、集まっていた第三斥候部隊の人員も、誰一人として異を唱えなかった。ただ静かに、頷く。
その様子を見てから、カイが口を開く。
「……確かに、これ以上の作戦は現状では考えられないだろう」
一拍置き、鋭い視線をレナードに向けた。
「だが、もしだ。敵が拠点から出てこなかった場合はどうする?」
重い問いだった。
この作戦は最終的に相手が動いてこそ意味を持つ。
レナードは即答しなかった。
一度だけ地図を見下ろし、それから静かに言った。
「その場合は――広場に展開している兵力で、ヴァルケンに攻め込むしかない」
誰も口を挟まない。
「この件については、後でヴィルクに伝える。……だからこそ、ヴァルケンで陽動する俺たちが、一人でも多く生き残る必要がある」
そして、はっきりと続けた。
その言葉に、背筋が伸びる。
カイが頷く。
「確かに、その通りだ。それに、俺たちが陽動しても、連合の兵士が全員出てくるとは限らない――ヴィルクも、そう言っていた」
静かに息を吐き、結論を口にする。
「最終的には……ヴァルケンでの戦闘は避けられない、か」
第三斥候部隊の一人が報告をする。
「こちらの調査では――明日、ヴァルケンの兵士が周辺の村へ徴収に向かう予定だと思われます」
全員の視線が、その男に集まる。
「時間帯に多少の差はあるでしょうが、正午までには必ず動きます。商人として潜入させている仲間からも、すでに確認を取っています」
その報告に、カイが短く頷いた。
「了解だ。……これまで潜入させてきた甲斐があったな」
レナードが、感心したように言う。
「さすがだな。ちなみに……どれくらい、連合に侵入させている?」
カイは淡々と答えた。
「第三斥候部隊の半数以上だ。三十人は、すでに内部に入っている」
一瞬、言葉を切り、続ける。
「これまで侵入がうまくいっている理由は、ヴィルクが連合側の村を保護してくれているおかげだ。村人たちも、侵入した部下を自分の息子だと偽ってくれている」
その時オズワルが作戦の提案をする。
「話を中断させて悪いが……部隊を少し分けるか?」
地図を見下ろしたまま、低く言う。
「ダリルとロランも、村への徴収のタイミングなら作戦に参加できる。明日どれぐらいの村が徴収されるかはわからねぇが、それなりには守れるはずだ」
合理的な提案だった。
だが――
「いや、それはやめておこう」
即座に、カイが首を振った。
「最終的には合流して陽動作戦を行うが、村に来る兵士への対応は、小隊同士で行うべきだ。それに明日徴収に来るであろう村の数は三つ。お前たち小隊とこちらの部隊を二つに分ければ全く問題はない」
「…なるほど。そちらがそういうなら文句はねぇよ」
反論はなかった。
カイは続ける。
「それに一度、ヴァルケンの兵士には食料を奪わせる」
その言葉に、わずかに空気が揺れた。
「奴らの手がふさがっている瞬間に、奇襲をかける」
「……それだと」
トマが、思わず声を上げる。
「村の人たちは、また大変になるんじゃ……」
心配そうな視線が、カイに向けられる。
だが、カイは落ち着いたまま答えた。
「徴収に来る村には、すでにこちらから食料を送り込んである」
一拍置き、続ける。
「だから、奪われても問題はない。敵兵を殲滅した後だが、村人たちには報告を入れる」
地図を指で軽く叩く。
「本来なら、俺たちが直接届けたいところだが……時間が足りなくなる可能性もある。そのため、村人たち自身に食料を取りに来てもらう」
トマは一瞬考え、ゆっくりと頷いた。
「……なるほど。わかりました。それなら、自分からはありません」
そのやり取りを聞いていたリースが、何でもないことのように言う。
「本当はな。毒を入れた食料を送り込む案も考えたんだけど」
――空気が、凍りついた。
「さすがに、毒を大量に用意するのは無理だった」
さらっと、恐ろしいことを口にする。
「おいおい……それは、さすがにやりすぎじゃねぇか?」
ダリルが顔をしかめる。
リースは肩をすくめた。
「だが、一番確実で、成功率が高いのは事実だぞ」
淡々と続ける。
「斬られて死ぬのと、毒で苦しんで死ぬのも……最終的には同じだ。結果は変わらない」
その言葉に、誰もすぐには返せなかった。
だが、カイが低く息を吐く。
「……まあな。だが、それが相手にばれた場合、こちらが凶弾される」
視線が鋭くなる。
「連合だけなら、まだしらばっくれることもできる。だが、他国までそれが知られれば、世界が敵になる可能性もある」
静かな声だったが、重みがあった。
「今回は相手も多い。だから、その案は俺が却下した」
誰も異を唱えなかった。
勝つためなら、何でもやる。だが、越えてはいけない線がある。
その線を、誰が引くのか。それを理解している人間が、この場にいる。
それだけで、少しだけ救われた気がした。
その後も作戦は、詰められていく。
選択肢は削られ、道は一本に絞られていく。
もう後戻りはできない。
この静かな会議室で交わされている言葉の一つ一つが、明日、確実に俺たちの生死を分ける。そう思うと、胸の奥がひりついた。決戦は、すぐそこまで来ている。




