第93話 背伸びた?
ミロが宿舎に姿を現した瞬間、張り詰めていた空気が、わずかに緩んだのがはっきりとわかった。
誰も大きな声を上げたわけじゃない。
だが、全員の視線が自然と彼に集まり、肩に入っていた力が抜けていく。
――これで、全員が揃った。
その事実が、静かに胸に落ちてくる。
「ミロ!久しぶりだな!」
最初に声を上げたのはダリルだった。
寝台から勢いよく立ち上がり、扉の方へと歩み寄る。
「元気だったか?」
「う、うん。ダリルも、みんなも……久しぶりだね」
少し戸惑ったように答えながら、ミロは宿舎の中へ足を踏み入れる。
その瞬間だった。
「……って、あれ?」
ダリルがミロをまじまじと見つめ、首を傾げる。
「お前、なんか……でかくなってね?」
その一言で、場の空気がわずかに揺れた。
「え?」
ミロは一瞬きょとんとした顔をしたあと、照れたように視線を逸らす。
「う、うん。この拠点に来てから、ずっと重労働だったから……半年前よりは、少し大きくなったと思う」
石を運び、木を組み、地面を掘る工兵作業。
その積み重ねが、確かに彼の身体を作り変えていた。
そして、それにいち早く反応したのは――
「ミ、ミロ!!」
俺だった。
「久しぶりで悪いんだけど、ちょっと背比べしてくれない!?」
「えっ?」
ミロが目を丸くする。そして明るくなる。
「エド!?久しぶりだね!元気だった?」
「元気だったよ!それより背比べして!」
勢いのまま言い切ると、俺はすぐにオズワルの方を振り向いた。
「オズワル!悪いんだけど、どっちが背ぇ高いか確認してくれ!ほらミロ、背中合わせ!」
「はぁ?」
呆れた声を上げながらも、オズワルは立ち上がる。
その間に、俺はミロを半ば強引に引っ張り、背中を合わせた。
――あ。やば。
その瞬間、すぐにわかった。以前とは、明らかに違う。
背中越しに伝わってくる感触が、少し大きい。
「エドリック、何言ってんだお前……」
オズワルはため息をつきつつ、二人を見比べる。
「まあ、比べなくても明らかにミロの方がでけぇぞ」
「髪の毛立ってるからでしょ!」
即座に反論する。
「ちゃんと頭押さえて!正確に測って!」
「……めんどくせぇなぁ」
そう言いながらも、オズワルは俺とミロの頭に、それぞれ手を置いた。
少し間があって――
「……ミロの方がでけぇな。指一本分はでけぇ」
「なっ!?」
思わず声が裏返る。
「嘘だろ、オズワル!」
「嘘ついてどうすんだよ。現実見ろ」
オズワルは肩をすくめる。
その一言に、宿舎から笑いが漏れた。
重く沈んでいた空気が、確かに今、少しだけ和らいだ。
ミロは照れたように頭を掻きながら、困ったように笑っている。
――ああ。
こういう時間が、必要だったんだ。
俺はそう思いながら、久しぶりに仲間が全員揃った宿舎を見渡した。
***
背比べの騒ぎが一段落し、宿舎に小さな笑いが残ったまま、少しの沈黙が訪れた。
その沈黙を破ったのは、ミロだった。
「……隊長から、話は聞いたよ。一週間後に、戦いを起こすって……」
少しだけ声を落として、ミロが言う。
その言葉に、誰も驚かなかった。
全員が、静かに頷く。
ミロは一度、宿舎の中を見回してから、続けた。
「みんなと別れてから、こっちでは斥候と拠点の復興作業を並行してやってきたんだ。敵国に近いから……斥候の方が多かったかもしれないけど」
「斥候任務が多くて、この進み方はすげぇな。防壁なんて、バルデ砦にそっくりだ」
オズワルが防壁のある方向を顎で示す。
「ああ、それはね」
ミロは少しだけ笑った。
「隊長が、最初から防壁を優先して作業させたから。隣の拠点の隊長の紹介で、王都の職人も来てくれてるんだ。その人たちがどんどん作業を進めてくれてるから、ここまで早いよ」
そして、正直な調子で付け加える。
「僕たちだけだったら……たぶん、この半分も終わってないと思う」
「なるほど」
トマが頷く。
「でもさ、木の伐採とか伐根も早くない?いくら王都から応援が来てるとはいえ、あれは人数がいなきゃ無理でしょ」
「伐採は、僕たちがやってるよ。でも、伐根は牛を使ってる」
ミロは即答した。
「牛?」
「うん」
ミロは少し身を乗り出して説明する。
「連合国側の村が、ここからそう遠くない場所にあるんだ。隊長がここにきてすぐに、そこの村長と交渉して……今も牛を借りてる」
「……なるほどな」
ロランが低く唸る。
「だが、連合側の協力を得ようとすることに抵抗はなかったのか?」
その問いに、ミロは一瞬だけ言葉を詰まらせた。
「……正直に言うと、あったよ」
視線を落としながら、静かに答える。
「僕だけじゃなくて、第三斥候部隊の中にも、抵抗があった人はいたと思う」
少し間を置いてから、続けた。
「でも、隊長が僕を含めて、ちゃんと話をしてくれたんだ。今は……納得してる」
顔を上げ、まっすぐに言う。
「連合って言っても、村や町に住んでる人たちは、戦争とは関係ないからね」
レナードが腕を組んだまま言った。
「……なるほどな。ヴィルクと話していたが、周辺の村や町からは、ある程度協力を受けられていると聞いた。いつ頃からだ?」
ミロは首を傾げる。
「うーん……それは、正直よくわからないな。こちらで保護を続けてたら、いつの間にか、って感じが一番近いと思う」
そして、ぽつりと付け加えた。
「……だってさ。最初、僕、村の人に石を投げられたもん。『お前たちなんて死んでしまえ!』って、言われながらね」
一瞬、宿舎の空気が凍りつく。
ミロは淡々としていたが、その言葉の重さは、全員に伝わった。
「何人かは、やり返そうとしてたよ。でも、隊長が暴力を禁じてたし……あとで聞いたら、僕たちが盗賊に見えたらしいんだ」
「……」
「後で、その人から謝罪は受けてるよ」
ミロは肩をすくめる。
「だから、僕はもう気にしてない」
その言葉に、誰もすぐには返事をしなかった。
怒りでも、同情でもない。
ただ、ミロがここで過ごしてきた時間の重さを、全員が噛みしめていた。
和んでいた宿舎の空気は、再び静かに引き締まる。
だが、それは嫌な沈黙ではなかった。
「それは……大変だったな」
レナードが、短くそう言った。
慰めるような言い方ではない。ただ事実として受け止めた声だった。
「それと、カイとも話をしたんだが――作戦前に一度、ヴァルケン周辺を確認したい。その時は、ミロの他に誰か来るのか?」
ミロは少し考えるように視線を泳がせる。
「うーん……それは、まだわからないな。今もヴァルケン周辺には斥候部隊が張り付いてる。もし援軍の動きがあれば、すぐにこちらへ連絡が来るはずだよ」
そして、ふと首を傾げる。
「ちなみに……いつ頃、確認する予定なの?」
「三日後だ」
レナードは即答した。
「それまでは、自由行動にするつもりだ」
「えっ!?」
その言葉に、ダリルが勢いよく声を上げた。
「ってことは……二日間は自由か!?やったぜ!」
「馬鹿が」
即座に、オズワルが突っ込む。
「浮かれてる暇があったら、スリングの練習でもしてろ。それか、伐採の手伝いでもして来い」
そう言いながらも、口元はわずかに緩んでいる。
「ははっ」
ミロが小さく笑った。
「それなら、その日までにカイ隊長に聞いておくよ」
「頼む」
レナードが頷く。
「そういえば……お前は、この二日間はどうするんだ?」
ミロは迷いなく答えた。
「伐採作業を続けるよ。ちょうど、途中だったしね」
オズワルがダリルを親指で指す。
「この馬鹿も手伝わせてやってくれ。プライマで、ずっと伐採やっていたんだ。慣れてるはずだ」
ダリルが噛みつく。
「馬鹿馬鹿、うるせぇよ!だったら、お前も一緒にやれよ!」
「俺は監督だ」
「ふざけんな!」
二人が言い合いを始め、その様子に思わず笑いが漏れる。
重かった宿舎の空気が、少しずつ和らいでいく。
完全に消えたわけじゃない。
怒りも、覚悟も、胸の奥に残ったままだ。
それでも――
こうして笑える時間が、確かにここにあった。
久しぶりに全員が揃い、それぞれが自分の役割を思い出し始めている。
戦いは、まだ先だ。だが、もう誰も迷ってはいなかった。




