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兵の風と鐘の音にさらわれた少年  作者: 炭酸水
第二部 鐘が響く前に

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第90話 買収された国境

朝起きて、レナードが出て行ったあと、俺たちはそのまま宿舎に残っていた。

同じ仲間が築いた拠点とはいえ、初めて訪れた場所だ。気を抜いてぐっすり眠れるほど、状況に慣れているわけじゃない。


「……どんな任務なんだろうな?」

沈黙を破ったのはダリルだった。寝台の縁に座りながら、膝を揺らしている。


「わからねぇな。敵国に侵入するとは聞いているが……この拠点には第三斥候部隊がいる。周辺の確認くらい、もうとっくに済んでるはずだろ?」

オズワルが腕を組む。


「確かにその通りだ。それに、第三だけじゃない。ここには他の斥候部隊もいると聞いてる。冷静に考えると――なぜ俺たちが呼ばれたんだ?」

ロランも頷いた。


言われてみれば、確かにそうだった。

俺たちがいなくても、テルティアには探索に特化した部隊がすでに駐在している。

それも、精鋭揃いの斥候たちだ。探索力だけを見れば、王国軍でも随一だろう。


「まあ……ここで考えていても仕方ないよ。それに、ここにはミロがいるんだろ?早く会いたいな」

トマが目元をほぐすように笑いながら言った。


「そうだね。ミロとも……もう半年近く会っていないからな」

俺もつられて微笑む。


そのとき、扉がノックされ、レナードが姿を現した。


「待たせたな。……テルティアの隊長であるヴィルクが呼んでいる。行くぞ」


「了解。行くぞ」

オズワルの返答を皮切りに、全員が立ち上がる。

武器こそ携帯していないが、皆が革の鎧を身につけており、すぐにでも任務に出られる状態だった。俺たちは宿舎を後にした。


外に出てまず目に入ったのは、防壁だった。距離があるはずなのに、それでも圧倒的な存在感を放っている。石造りの壁は、どこか息苦しさすら感じさせるほどだった。


「うおっ!拠点の中からでも迫力あるな」

ダリルが目を丸くする。


そこかしこで作業の音が響いている。兵士だけでなく、職人の姿も見える。


「テルティアはすごいね……外から見ると完成しているように思えるけど、中から見ると……未完成って感じ。でも、敵に与える圧迫感は尋常じゃないね」

トマが歩きながら感心したように言った。


「ああ、俺も初めて来たが……本当にすげぇわ。これを半年でやったんだろ?信じられねぇよ……」

オズワルも絶句するように言った。


「レナードは、テルティアに来たことはあるのか?」

俺は隣を歩く彼に尋ねる。


「いや、俺も初めてだ。王都の職人だけでなく、各地から人が集まっていると聞いてはいたが……まさかここまでとはな」


俺は視線を巡らせる。ふと、少し離れた場所に見覚えのある構造を見つけた。


「……おい、ダリル、トマ。あそこ」


「あん?おおっ、洞窟側のきたねぇ小道じゃねーか!周辺にあった木がねぇぞ!」

ダリルが声を上げる。


「ほんとだ……あそこも伐採したんだ」

トマが驚いたように呟く。


かつて、盗賊を奇襲するために使った茂みや樹木は、すでに跡形もなかった。代わりに、そこには石造りの倉庫らしき建物が建っている。


「周りを見たくなる気持ちはわかるが、落ち着け。……着いたぞ。ここだ」

レナードが足を止め、正面の建物を指し示す。


石と木を組み合わせた建物で、装飾はほとんどない。だが入口の造りは堅牢で、ここが拠点の中枢であることは一目で分かった。


「……ここが。テルティアの司令部ってやつか」

ダリルが小さく息を呑む。


「そうなるな。前線基地の心臓部だ」

オズワルが低く答えた。


レナードが扉を開ける。

中からは紙の擦れる音と、低く抑えた話し声が聞こえてきた。


「お待ちしていました。お入りください」


部屋の向こうから、落ち着いた声が聞こえる。

レナードは一度だけこちらを振り返り、そのまま中へ入った。俺たちも続いて足を踏み入れる。


「お久しぶりです、レナード。プライマからご苦労様です」

「……ああ。久しぶりだな、ヴィルク」


二人は自然な動きで歩み寄り、固く握手を交わした。


ヴィルク。

バルデ砦の副隊長であり、現在はこの前線基地テルティアの隊長を務めている人物だ。


整えられた服装に、落ち着いた物腰。

だが、その立ち姿には、前線を預かる者特有の緊張感が滲んでいる。


「オズワルも……久しぶりですね」


「……その喋り方、やめろよな。気持ち悪いぞ」

そう言いながらも、オズワルは歩み寄り、ヴィルクと握手をする。


「おい、オズワル!それはやばいだろ!」

ダリルが慌てて声を上げる。


「大丈夫だ。以前、本人から許可はもらってる。砦にいた頃、王都と砦の連絡役をやってたから、ああいう喋り方になっただけと本人から聞いている」

オズワルは気にした様子もなく答えた。


そして少し口元を歪めて。

「……切れると、口調は普通に荒くなるしな」


「ええ」

ヴィルクは苦笑しながら頷いた。

「何度も王都へ報告に行っていましたからね。この話し方のほうが、すっかり馴染んでしまいまして」


そう言って肩をすくめると、ヴィルクは机へ戻り、積まれていた書類に目を通し始めた。


羽ペンを取り、淡々と作業を進めるその姿は、戦場よりも執務室が似合いそうにも見える。だが、この拠点を預かっているのがこの男なのだと、自然と理解できた。


(……この人が、テルティアの隊長)


「……エドリック。多分だが、ヴィルクのことを書類作業が似合っている人だと思っているだろ?」


不意にオズワルが囁くように言ってきた。


「えっ!そ、そんなことはないよ!」

慌てて否定する。だが、言い終わる前からオズワルは小さく笑っていた。


「まあ、初めて見たやつがそうなるのは仕方ねぇか。ヴィルクは槍の名手だ。本当は前線に出たがる戦闘狂だぞ」


「……オズワル」

ヴィルクが低く名を呼んだ。視線は書類から外さない。


「隊の人員に、私の人物像を勝手に与えないでください。私は拠点の隊長として、やるべきことをやっているだけです」

淡々とした口調のまま言う。


そう言いながらも、羽ペンは止まらない。

紙の上を走る音だけが、部屋に静かに響いている。


そんな中、レナードが口を開いた。

「カイから少し話は聞いたぞ。……準備が整いつつあるとな」


「ええ。そうです。……ですが、まず書類を片付けさせてください」

そう言って書類にサインをし始めた。


「……こんなものですか」


ヴィルクはようやく手を止め、書類を整える。

そして顔を上げ、俺たち一人ひとりを順に見た。


「あなた方独立奇襲小隊を呼んだのは、まさしく敵国の拠点を制圧したいからです」


その言葉が、静かに、しかし確実に胸へと落ちてきた。


「現在、この拠点テルティアはアルドレア王国の中で、最もヴァイス連合国と隣接している拠点です」


ヴィルクは机の端に指先を置いたまま、淡々と続けた。

「そして、グレイウォール山脈周辺の防壁として、今後確実に役に立っていくでしょう」


その口調には感情の起伏がない。だが、それだけに言葉の重みがはっきりと伝わってくる。


ヴィルクは視線を落とし、まるで事務的な報告をするかのように言った。

「去年の秋から冬にかけて、基地の建築を進めながら、近隣の連合国側の村や町の買収を行ってきました。同時に、周辺地域との交渉を重ね……現在は、協力を得られる状態にあります」


……さらっと、とんでもないことを言った。


「……それは、聞いていなかったぞ」


思わずレナードが口を挟む。声は低いが、驚きを隠しきれていない。


ヴィルクは一瞬だけ視線を上げた。

「ええ。正式な戦略図には、まだ反映していませんからね」

そう言って、また書類へと目を戻す。


「表に出せば、連合側に察知される可能性があります。ですので、この件は現時点では、限られた者しか知りません」


その言葉を聞きながら、俺は背筋に冷たいものが走るのを感じていた。


(村や町を……買収?)


戦場の話ではない。剣や槍の話でもない。

これは、戦争の前段階だ。血が流れる前に、すでに始まっている争い。


ヴィルクは静かな声のまま、続ける。

「敵国の拠点を制圧するというのは、単に壁を越えることではありません。周囲を孤立させ、補給を断ち、逃げ場をなくす。そのための準備です」


その言葉は、冷静で、合理的で、そして恐ろしいほど現実的だった。


「セクンダの兵士から、聞いていませんでしたか?テルティアは、連合国の商人も出入りできる。そういう拠点だと」


ヴィルクは静かに問いかけた。


その言葉に、俺ははっとする。確かに、聞いた覚えがあった。

セクンダでの会話の中で、誰かがそんなことを言っていた気がする。


「私たちも、最初から連合の内部事情を把握していたわけではありません」


ヴィルクは続ける。

「ですが、連合は税という名目で、食料や物資を過剰に徴収しています。結果として、村々は急速に疲弊していった」


淡々とした口調のまま、言葉は重く落ちてくる。

「我々が連合国側の村を偵察した際……すでに、餓死者が出ている村もありました」


室内の空気が、一段冷えた気がした。


「……すぐに、保護はしましたがね」


その一言のあと、ヴィルクは強く拳を握りしめた。

机の上で、わずかに音が鳴る。


「現在、戦争は王国と連合の間で行われています。ですが、その原因は両国の代表の意見が一致しない。ただそれだけです」


視線を上げ、俺たちを見据える。


「当然、そこには何の関係もない村人がいます。そして、関係のない者ほど、真っ先に搾取される」


一拍置いて、静かに言った。


「……私も元は徴募された人間です」


その言葉に、レナードとオズワル以外が息を呑んだ。

この男も――徴募兵。


書類仕事が似合う、冷静な隊長。

その裏に、そんな過去があるとは思っていなかった。


「王国の徴募制度について、思うところがないわけではありません」


ヴィルクは視線を落としながら言う。


「ですが、力を持った以上、それは後回しです。今は関係のない人間を救うことに、全力を注いでいます」


その言葉には、迷いがなかった。

「それが、連合の村であっても、関係ありません」


一瞬の沈黙のあと、ヴィルクは小さく息を吐いた。


「……少し、話が脱線しましたね」


そして、元の話題へと戻す。

「そうなれば、盗賊が連合国内で発生するのは当然です。連合は、彼らを傭兵として利用しようとしました」


ヴィルクの視線が、ゆっくりと俺たちに向けられる。

「ですが半年ほど前。あなた方が、それを殲滅した」


一瞬、間があった。


「連合の軍部は、大慌てだったそうですよ」

ククッ、とヴィルクは小さく笑った。


「連合は大慌てで、兵力をグレイウォール山脈周辺の拠点へ移し始めました。ですが、その頃にはすでに冬になりかけていた」


淡々とした声だが、その内容は冷静な戦況分析だった。


「彼らが動き出した時点で、こちらはすでに周辺地域の協力を取り付けている最中でした。幸いにも……いえ、当然と言うべきでしょうか。村や町は、すぐにこちらへ協力してくれるようになりました」


一瞬だけ、視線が鋭くなる。

「盗賊が襲ってきても、連合は放置していましたからね」


その言葉には、軽蔑が滲んでいた。


「……現在、この拠点テルティアにはおよそ四百人がいます。全員が兵士ではありませんがね」


そこで一度言葉を区切り、レナードとオズワルを見る。


「以前、バルデ砦での会議で伝えた通り……あなた方が合流してから一週間後、テルティアとセクンダの兵で、連合の拠点へ踏み込みます」


その瞬間、室内の空気が一変した。


「……え?」


ダリルとトマが思わず声を漏らし、ロランも驚いたように二人を見る。

視線が、自然とレナードとオズワルに集まった。


ヴィルクは、その反応を一瞥してから、静かに頷いた。


「……隊の反応を見る限り、守秘義務はきちんと守ってくれたようですね。感謝します」

わずかに口元を緩める。


「……みんな、すまなかったな」

レナードが低く言った。


「これは、超極秘の作戦だ。俺の口からは、どうしても言えなかった」


オズワルも続ける。

「申し訳ない。だが、この作戦を知っているのは、一部の上官だけだ」


視線を巡らせ、真剣な表情で続ける。

「文句があるなら、後でいくらでも受け付ける。今は……黙って聞いていてくれ」


誰も、すぐには言葉を返せなかった。


「独立奇襲小隊の皆様には、こちらからも謝罪をいたします」


ヴィルクはそう言うと、机の向こう側から一歩下がり、エドリックたちの方へ向き直った。


そして、はっきりと頭を下げる。


その行動に、思わず息を呑んだ。

隊長という立場の人間が、ここまで明確に頭を下げるとは思っていなかったからだ。


「……っ」


ダリルが言葉を失い、トマも目を瞬かせている。

ロランも、わずかに表情を硬くしたまま黙っていた。


「ですが」


ヴィルクは顔を上げ、静かに続ける。


「この作戦では、僅かな情報漏洩も許されません。万が一がありますからね」


その声音は穏やかだが、断固としていた。

謝罪と警告。その両方が、同時に込められている。


「……話を戻しましょう」


ヴィルクはそう言って、話題を切り替えた。


「小隊の皆様にお願いしたいのは『拠点への牽制』です」


その言葉に、自然と全員の意識が引き締まる。


「真正面からぶつかってほしいわけではありません。正面戦闘は、こちらで行います」


ヴィルクは背後の棚に歩み寄り、一枚の地図を取り出した。

それを机の上に広げる。


「こちらをご覧ください」


全員が机の周りに集まり、地図を覗き込む。


「この地図は、斥候部隊の調査と連合側住民の証言を元に作成したものです。現時点で、この地図はここにしか存在しません」


そう言って、ヴィルクは指先で地図の端を押さえた。


「ですが、精度については保証します。これ以上正確なものはない、と斥候からもお墨付きです」


確かに、その地図は異様なほど細かかった。


主要な街道だけではない。

森の中の小道、獣道、谷沿いの裏道。

普段目にする軍用地図とは比べものにならないほど、詳細に描き込まれている。


(……これは、ただの地図じゃない)


エドリックはそう感じた。

時間と労力、そして命をかけて集められた情報の塊だ。


「敵の拠点はここになります」


ヴィルクの指が、一点を示す。


「そして、我々が敵と衝突すると想定している地点はこちらです」


そして困惑したまま、会議が始まった。


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