第86話 切り開いた道の先へ
夜明け前の空は、まだ薄く青みを帯びていた。
春に入ったとはいえ朝の空気は冷たく、吐く息は白い。
独立奇襲小隊の六人は、静まり返った広場に集まっていた。
足音が響くたび、その音だけがやけに大きく感じられる。
この時間帯には、まだ誰の姿もない。昨日の時点で見送りは不要だと仲間たちに伝えていた。その言葉を、誰も引き留めようとはしなかった。
それでよかったのだと思う。別れを言葉にすれば、足が止まってしまいそうだった。
「……行くぞ」
レナードが短く告げる。
「正午までには、セクンダに着く」
その号令とともに、全員が歩き出した。
誰一人、後ろを振り返らない。
プライマを出るとき、胸の奥に小さな寂しさがよぎった。
だが、それを表に出す者はいなかった。
***
以前よりも、道は驚くほど歩きやすくなっていた。
初めてここを通ったときは草と枝に足を取られ、進むだけで一苦労だったはずだ。
今では躓くこともなく、自然と足が前に出る。
「……なつかしいな」
ぽつりと、ダリルが呟いた。
「ここにあった大木を伐採したときのこと、思い出すぜ」
「……そうだね」
トマも、少し視線を落として続ける。
「あれは大変だった。みんなでやって、丸一日かかったもんね」
今、歩いている道。そこは、かつて巨大な木が根を張っていた場所だった。
冬の厳しい寒さの中、斧を振るい続けた日。幹に刃を叩きつけてもなかなか倒れず、手の感覚がなくなるまで作業を続けた。朝から始めて、終わったのは夕方だった。エドリックにとっても、忘れられない出来事のひとつだ。
「……確かに、お前らはすげぇな」
オズワルが感心したように言う。
「俺はほとんど漁に出てたからよ。この道にそんな思い出があるなんて思わなかったぜ」
「……そうだな」
今度はロランが口を開いた。
「俺は開拓作業にあまり関わっていない。正直、その大変さは分からん」
少し間を置いて、続ける。
「だが……俺たちが普段使っている道も、先人たちが苦労して切り開いてきたものだと思うと、考えさせられるな」
エドリックは足元の地面を見つめながら頷いた。
「確かに、そうかもね。そう考えると……昔の人って、やっぱり凄いんだな」
感傷が、静かに広がっていく。
それでも、誰の歩みも止まらなかった。
「……お前ら」
前を行くレナードが、振り返らずに声をかける。
「思い出すのはいいが、歩みは止めるな。少しペースが落ちているぞ」
「わるい、わるい」
ダリルが軽く返す。それでも会話は途切れなかった。
自分たちが切り開いた道。この先、どんな未来が待っているのかは分からない。
だが、少なくとも当分の間、この道は残り続けるだろう。誰かが歩き、誰かがまた別の場所へ向かうために。
それだけでも――自分たちが生きてきた証を、ここに残せた気がした。
エドリックはそう思いながら歩き続ける。
冷たい朝の空気の中、足音だけが一定のリズムで道に刻まれていった。
***
俺たちは、かつて自分たちが工作を施した道を抜け、さらに先――セクンダの工兵たちが伐採し整備した道へと足を進めていた。足取りは軽い。地面は均され、視界も開けている。
「想像以上に早く着きそうだね、レナード」
エドリックの言葉に、レナードは前方を見据えたままうなずいた。
「そうだな。正直、ここまで早いとは思っていなかった。ほら、遠くだが……セクンダが見えてきた」
木々の向こうに拠点の輪郭が浮かび始めている。整備された道とは、これほどまでに歩きやすいものなのか。以前この辺りまで任務で来たときは、半日以上かかった記憶がある。藪をかき分け、足を取られ、進むだけで体力を削られていた。
「なあ、レナード。セクンダに着いたらどうするんだ?」
ダリルが軽い調子で問いかける。
「まだ体力は有り余ってるし、食糧も一度も使ってないから問題ないぞ」
「そうだな」
レナードは少し考えるように間を置いて答えた。
「それならセクンダで少し休もう。昼食を取る時間もある。必要なら、用意した分を使えばいい」
一同が無言でうなずく。
「セクンダの隊長、クラウス隊長はいい人だからな」
オズワルが思い出すように言う。
「変なことにはならねぇ。あの隊長が指揮を執ってるなら問題ないはずだ」
レナードとオズワルは、月に数度の会議でセクンダやテルティアの隊長と顔を合わせている。
バルデ砦の弓兵として警備に就いていたロランも、面識があった。
「確かに、クラウス隊長は人がいい。それでいて剣の腕も高い。これまでアーレン峡谷で戦ってきた実績もある」
ロランが静かに続ける。
ロランの話によれば、クラウスは去年までアーレン峡谷で戦い続けていたという。
秋前になって王国からグレイウォール山脈周辺の開拓方針が伝えられ、その流れでバルデ砦へ移ってきたらしい。
「そんなにすごい人なんだ……」
トマが素直に感心したように言う。
「でもさ、それだけの人ならずっと前線に配備されててもおかしくないよね?前線は兵力が必要だろうし」
「……あくまで噂だ。本当のところは分からんが」
オズワルが前を見たまま、低く言った。
「中隊を率いる隊長だったとも聞く。戦果を挙げすぎて、貴族連中からやっかみを受けたって話もある」
「俺も、前に少し聞いたな」
レナードが会話を引き取る。
「アーレン峡谷の戦闘は、表向きは落ち着いてきている……そういう話だった」
一瞬、言葉を選ぶように間を置く。
「だが、本当にそうかは分からん。クラウス本人も、そこははっきり言っていなかった」
レナードは小さく鼻を鳴らした。
「ただ一つ確かなのは……クラウスは貴族の面倒事に巻き込まれるのを嫌っている、ということだ」
口調には、わずかな同情が滲んでいた。
「……あいつ以上に指揮を執れる兵士は峡谷にはいないだろう」
それは断言だった。
「カディン参謀もそう言っていた。もし峡谷で戦況が崩れるなら……責任を取らされるのは、引き継いだ貴族の方だろうな」
それ以上は語らなかった。
詳しい事情は、レナード自身も把握していないのだろう。
会話が途切れ、再び足音だけが続く。
やがて木々の隙間がさらに広がり、セクンダの姿がはっきりと視界に入ってきた。
次の拠点は、もうすぐそこだった。
***
セクンダに到着すると、エドリックは思わず防壁を見上げた。
プライマよりも、明らかに高い。
石と木材が幾重にも組まれ、見張り台も等間隔に配置されている。
(……この防壁なら)
敵が攻めてきたとしても、簡単には突破されないだろう。
兵の駐屯を主とする拠点として、十分すぎる備えだ。
レナードが見張りの兵士と短く言葉を交わす。内容までは聞こえないが、事情はすでに伝わっている様子だった。形式的な確認だけで、すぐに中へ通される。
防壁の内側は、プライマとはまるで別の場所だった。
食料を貯蔵する大きな倉庫や粉挽き場はほとんど見当たらない。代わりに目につくのは、整然と並ぶ兵の宿舎と訓練用の広場だ。別の入り口では、商人らしき者たちが兵と向き合い、荷を広げて取引をしている。
(……隣の拠点でも、ここまで違うのか)
ここは兵を集め、待機させ、送り出すための場所。
まさしく駐屯地と呼ぶにふさわしい。
「……初めて来たけど、すごいね。プライマが街なら、セクンダは宿場って感じだ」
トマが周囲を見回しながら言う。
宿場。
その言葉は、確かにしっくりきた。
(ということは……)
自然とテルティアの姿が思い浮かぶ。
きっと、純然たる前線基地なのだろう。
「……そんなにきょろきょろすんな」
オズワルが低く言った。
「まったくだ」
レナードも頷く。
「俺とオズワルは、あそこにいるクラウスと話してくる。少し待っていろ」
そう言って、商人と話している兵士の方へ向かっていった。
(……あの人が、セクンダの隊長か)
噂に聞く名を思い出しながら、エドリックはその背中を見送った。
しばらくすると、近くにいたセクンダの兵士が声をかけてくる。
「久しぶりだな。伐根作業のときは助かったぜ」
「ああ……久しぶり」
一瞬誰か分からなかったが、すぐに思い出した。
伐根作業のとき、一緒に縄を引っ張った兵士だ。
「お前ら、これからテルティアに行くんだろ?その前に、飯でも食っていけよ」
「ありがたいが……いいのか?食料には限りがあるだろう?」
ロランが慎重に聞き返す。
「問題ない」
兵士はあっさりと言った。
「隊長が仕入れを進めてる。プライマからの補給が本格化するのはこれからだが、それまでは近隣の街から買い続けてきた」
なるほど、とエドリックは思う。
プライマでは自給自足が基本だったが、セクンダでは流通が前提になっている。
「それに、テルティアにもここから食料を回してる。あそこは王国の商人がなかなか行けねぇからな。向こうが買うとしたら、連合側の商人になる」
話しているうちに、別の兵士も合流してきた。
「……連合の商人が、テルティアに来るのか?」
ダリルが眉をひそめる。
「それって……大丈夫なのか?」
「聞いた話だと、連合軍には税として渡さなきゃならないらしい」
兵士は肩をすくめる。
「それなら、王国に売った方が得なんだとよ」
「ばれたら、大変じゃないか?」
トマが少し心配そうに言う。
「商人は大変だろうな」
兵士は苦笑した。
「連合じゃ王国通貨は禁止されてる。でも、こっちは王国通貨でしか基本的には払わない。……テルティアの兵士から聞いた話だが、連合の商人はそんなの気にせず商売してるらしいぜ」
商人という存在のしたたかさに、エドリックは内心で感心する。
「それより食堂に案内する。こっちだ」
兵士は話を切り替えた。
気づけば周囲には何人かの兵士が集まっていた。
工作や伐根作業で顔を合わせたことのある者もいる。
「独立奇襲小隊が来たら、食堂に案内しろって隊長から言われてる」
兵士の一人が言う。
「さっき向こうに行ったお前たちの隊長と副隊長も、たぶんそこで合流するはずだ。ほら、こっちだ」
促されるまま、エドリックたちは大きな建物の中へと足を踏み入れた。




