第83話 名が与えられる午後
正午を告げる鐘の音が、拠点に響いた。
その音を合図にするように、工兵たちが広場へと集まり始める。
眠そうに目をこする者。腰を伸ばしながら談笑する者。
次の任務を待つように、黙って立つ者もいた。
それぞれの表情は違っていたが、共通しているのは――
この拠点での大きな仕事が、ひと区切りついたという実感だった。
エドリックも人の流れに混じり、広場の一角に立つ。
ざわざわとした空気が、少しずつ広がっていく。
やがて、何人かの上官が姿を見せた。
自然と声が落ち、私語が減っていく。
そして最後に――拠点の隊長であるレナードが現れた。
その姿を見た瞬間、広場は一気に静まり返る。誰もが視線を向け、言葉を待った。
レナードは全員を見渡し、一歩前に出る。
「……お疲れさま」
低く、しかしよく通る声だった。
「まずは、お前たちのおかげで道がつながり、この拠点は完成に近づいた。
まだ完成とは言えないが……大きな仕事は、終わったと見ていいだろう」
ざわめきは起きない。誰もが、その言葉を噛みしめるように聞いていた。
「先ほどまで、俺はバルデ砦に行っていた」
レナードは続ける。
「この拠点だけでなく、周囲の拠点の状況、役割についても確認してきた。……そして、砦の上層部と話し合い、決まったことがある」
わずかに、空気が張り詰める。
「拠点の名前だ」
その一言で、広場のあちこちに小さなざわめきが走った。
名前――決まったのか。
レナードははっきりと言った。
「今日から、この拠点の正式名称は――プライマだ」
一瞬の静寂。
そして、低く抑えたどよめきが広がる。
「プライマは、食料生産と補給、新兵の育成を主に担う後方拠点となる。戦力を前に出す場所ではない。だが、前線を支える要だ」
エドリックの胸に、これまでの光景が浮かぶ。
伐採、伐根、畑、粉挽き場、倉庫――
すべてが、その言葉につながっていた。
「隣の拠点の名称は、セクンダ」
レナードは間を置かず続ける。
「セクンダは、兵士の駐屯・待機を主な役割とする。プライマと、次に話すテルティアをつなぐ中継点だ」
視線が、自然と森の向こうを思い描く。
「そして――連合国と最も隣接する拠点が、テルティアだ」
その名を聞いた瞬間、空気が変わった。
「テルティアは戦闘を主目的とする前線拠点だ。敵が侵攻してきた場合、最初の防壁となる。……そして、攻める場合も、テルティアが起点になる」
広場がざわめく。
誰もが、これから先を思い浮かべていた。
そのときだった。
訓練場の方から、足音が近づいてくる。
やがて、ガレスを先頭に、数名の上官が合流した。
「レナード隊長。遅れてすまない」
「構わない」
レナードは短く答える。
「ガレス、他の者も整列しろ。それから――新兵たちもだ。話を聞け」
号令とともに、上官たちが列に加わる。
その後ろに、新兵たちが並んだ。
誰一人、口を開かない。広場は完全な静寂に包まれていた。
プライマ。
セクンダ。
テルティア。
三つの名が与えられたことで、この場所はもう拠点という名前ではなくなった。
エドリックは、無意識のうちに足元の地面を踏みしめる。
自分たちが削り、均し、つないだ場所。
ここは、プライマだ。その事実が、静かに胸に落ちていった。
レナードは一度、広場を見渡してから続けた。
「これから、俺たち上層部は――誰をプライマに残すか。誰を他の拠点へ移すか。その話し合いに入る」
その言葉が落ちた瞬間、抑えきれなかったざわめきが広がった。
当然だ。
配置ひとつで、これからの立場も、危険も、役割も変わる。
ここに立つ兵士たちの運命は、今から決まるのだから。
レナードは、その反応を咎めることなく、静かに言葉を続ける。
「……不安になるのは分かっている」
ざわめきが、少しだけ収まる。
「だが安心しろ。基本的に前線拠点であるテルティアへ送ることはない。
場合によっては配置転換はしない可能性も大いにある。現在他の拠点も問題なく回っているしな」
その一言で、広場の空気がわずかに緩んだ。
「現在、テルティアは第三斥候部隊が中心となって、開拓と防衛を進めている。無理に人を増やす必要はない。それにお前たちの中には実践経験が少ないものもいる。無駄死にさせるつもりはない」
あちこちから、安堵の息が漏れるのが分かった。
だが――
レナードは、そこで一拍置いた。
「……ただし」
その間が、嫌に長く感じられた。
「隊長である俺が率いる、独立奇襲小隊は別だ」
ざわめきが、再び走る。
「俺たちは、テルティアへ派遣されることが決定した」
その言葉に、広場の視線が一斉に集まる。
「ここにいるだろう?」
レナードの視線が、真っ直ぐこちらを捉えた。
「エドリック。ダリル。トマ」
名を呼ばれた瞬間、周囲の兵士たちがこちらを見る。
驚き、納得、羨望、そして心配――さまざまな感情が入り混じった視線だった。
エドリックたちは顔を見合わせ、無言でうなずく。
「前へ出ろ」
言われるまでもなかった。
三人が動き出すと、人の波が自然と割れ、道ができる。
静まり返った広場の中を歩き、レナードたちの前に立つ。
レナードは、三人を見て小さくうなずいた。
「この拠点を、明後日出る」
短く、しかし重い言葉だった。
「明日は、戦闘準備に専念しろ。この場にいないオズワルとロランには、後で俺から伝える」
「了解!」
三人は揃って答えた。
その声を合図にしたかのように、再び広場がざわつく。
レナードは構わず、続けた。
「当然だが、俺もテルティアへ向かう。つまり――その間、プライマには隊長が不在となる」
一瞬、空気が張り詰めた。
「そのため……」
レナードは、後ろに並ぶ上官たちに視線を向ける。
「俺が不在の間、プライマの指揮は――ガレス、ロルフ、ヴァルター。この三名が、隊長代理として担う」
名を呼ばれた三人は、一瞬だけ目を見開いた。だが、すぐに表情を引き締め、前へ一歩出る。
「これは、バルデ砦の隊長ルガン、参謀カディンと話し合い決定したことだ」
ガレス、ロルフ、ヴァルターは、互いに一瞬だけ視線を交わし――
揃って答えた。
「了解しました!」
その声には、迷いはなかった。レナードは満足そうにうなずく。
プライマは守られる。
そして――独立奇襲小隊は、次の戦場へ向かう。
広場に集まった全員が、それを理解していた。
自分たちの立場が、役割が、そして――これから進む先が。
レナードは一度だけ全体を見渡し、短く息を吐いた。
「連絡は以上だ」
その一言で、空気が少し緩む。
「午後からの任務だが、まずは食事を取れ。その後、上層部は話し合いに入る」
視線を横に流し、続ける。
「ただし、ガレスは新兵の訓練を続行しろ。それ以外は、プライマの建築作業と畑の拡張、それに伴う伐採の準備だ」
そこで、にやりと口元を歪めた。
「工兵も午前は休んだんだ。……いけるだろ?」
その瞬間だった。
「ブーッ!!」
広場の一角から、はっきりとしたブーイングが上がる。
すぐに、それは新兵以外の全体に広がった。
「おい、レナード!」
声を張り上げたのはダリルだった。
「昨日、やっと終わったばかりだぞ!それに俺たち、明後日にはここを出るんだろ!?今日は休ませろよ!」
さらに畳みかける。
「それに、拠点の名前が決まっためでたい日じゃねぇか!!」
「そうだ!」「そうだ!!」
同意の声が次々と重なり、広場は一気に騒がしくなった。
前に出ようとした上官がいたが、レナードは軽く手を上げてそれを制した。
「……うるせぇぞ、ダリル」
低い声だったが、よく通る。
「明後日にここを出るのは事実だ。だが、それまではここでの任務だ」
そして、少しだけ間を置く。
「名前が決まった、めでたい日だってことも……分かってる」
その言葉に、工兵たちが一瞬だけ黙る。
レナードは、背後にいる上官たちへ視線を向けた。
「おい。あれ、持ってこい」
短い指示だった。
何人かの上官が顔を見合わせ、すぐに動き出す。
突然のことに、広場には戸惑いが広がった。
(……何だ?)
ざわめきの中、やがて上官たちが戻ってくる。
肩に担がれていたのは――
大きな樽が、三つ。
「……仕事が終わったらだ」
レナードが、はっきりと言った。
「今日は酒を飲むぞ!カディン参謀が、労いによこしてくれた!」
一瞬の沈黙。
次の瞬間――
「おおおおおっ!!」
大歓声が、爆発した。
広場が揺れるほどの声。
拳を突き上げる者、仲間の肩を叩く者、思わず笑い出す者。
酒を飲んだことのない兵士たちは、何が起きたのか分からない様子で周囲を見回している。もちろん、エドリックもその一人だった。
(……酒?)
だが、ついさっきまで文句を言っていたダリルや工兵たちは、態度を一変させていた。
「隊長、最高!!」
「仕事なんて、すぐ終わらせるぞ!!」
ダリルは、両手を合わせる勢いで叫ぶ。
「レナード隊長!さっきはすいませんでした!!そうですよね!俺たちプライマの兵士は、隊長の指示に従います!!」
「切り替え早すぎだろ……」
エドリックが呟いたが、かき消される。
トマまで、珍しく声を張り上げていた。
「早く昼飯を食べよう!仕事を始めるぞ!!」
その顔は、普段の落ち着きからは想像できないほど上気している。
レナードは苦笑しつつ、最後に声を張った。
「よし、解散!昼食後、各自持ち場に戻れ!」
だが、興奮はなかなか収まらなかった。
笑い声と騒ぎ声が、しばらく広場に残り続ける。
やがて解散となり、エドリックも流れに押されるように食事を取った。
だが――
何を食べているのか、正直よく分からなかった。
(……酒、か)
さっきまでの騒ぎが、頭の中で何度も再生される。
めでたい日。仕事。別れ。そして、これから向かう場所。
よく分からない感情のまま、エドリックは黙々と昼食を口に運んでいた。
午後が、静かに――いや、どこか落ち着かない気配を伴って、始まろうとしていた。




