第80話 終わりの先に待つもの
あれから、十日ほどが過ぎた。
エドリックたちは連日、伐根作業を続けていた。
一日に抜ける切り株は、多くても七本。根が浅ければ人力と牛の力を合わせて順調に進むが、深く張ったものになると、牛を使っても一本抜くだけで丸一日を費やすこともあった。
それでも、作業は止まらなかった。
伐採の方は、すでに終わっている。かつて森だった場所には、もう立ち木は残っていない。切り開かれた地面の向こうには、隣の拠点がはっきりと見えていた。
道がつながったその日、誰かが声を上げ、気づけば皆で笑っていた。肩を叩き合い、泥だらけのまま喜びを分かち合った。あの瞬間だけは、疲労も任務も、すべて忘れていた気がする。
だが、残ったのは伐根作業だった。
切り株は一斉に抜けるものではない。間隔を空け、地道に、一本ずつ処理していくしかない。それが、この仕事の一番つらいところだった。
それでも、終わりは確実に近づいていた。
残りは、あと十本ほど。職人たちも、このペースなら春までには確実に終わると判断し、その見通しが共有されたとき、現場には小さな歓声が広がった。
ただし、喜びばかりではない。
その中には、根が異様に強く、牛の力を借りても一日がかりになる切り株も混じっていた。一本抜くたびに、身体だけでなく、心まで削られていくような感覚が残る。
伐根作業と並行して、拠点では櫓の建設も進められていた。
すでに完成し、見張りと弓兵が立てる体制も整っている。
「連合兵がある程度攻めてきても、ここは持ちこたえられるだろう」
ガレスや他の上官は、そう口を揃えて言った。
防衛戦の経験がないエドリックたちには、その言葉の重みを完全には理解できない。だが、経験者が言うのなら、きっと間違いはないのだろう。朝、地面に霜は降りなくなった。柔らかな土の隙間から、雑草が伸び始めている。
春は、もうすぐそこまで来ている。
そして今日も、エドリックたちは向かう。
残った切り株と、掘り返された地面の修繕作業へ。
道は、確かに前へ伸びていた。
***
「あーっ!疲れた!!」
伐根作業を終えたばかりの兵士が、空に向かって叫んだ。
その声は、今日一日分の疲労をまとめて吐き出したようで、周囲の空気を一気に緩めた。
「ほんとだな……」
「もうすぐ終わるな、これ」
「おい、耳元で叫ぶな!うるせぇよ!」
あちこちから、笑い混じりの声が飛ぶ。
文句のようでいて、どれもどこか明るい。
その中に、少し低く、よく通る声が割り込んだ。
「おい、そこの。確かにうるさいぞ」
声の方を向くと、伐根作業を兼任していた親方が腕を組んで立っていた。
だが、次の言葉は意外なほど穏やかだった。
「……まあ、気持ちはわかる。俺も同じだ」
一瞬の間。
そして親方は、ぐるりと現場を見渡してから、はっきりと言った。
「残りは、あと三本だ!この調子なら、明日中には全部終わるだろう!」
その瞬間だった。
「おおおおっ!!」
歓声が一斉に上がる。疲れ切った身体のどこに、こんな声が残っていたのかと思うほどだった。エドリックも、その声に押されるように、ふと後ろを振り返った。拠点へと続く道の方角を見る。
冬の前には、木々が密集し、奥などまったく見えなかった場所だ。
それが今では、視界の先に拠点の建物がはっきりと見えている。
(……これを、俺たちがやったんだな)
胸の奥で、静かにそう呟いた。
まだ道として完璧に整備されたわけではない。ところどころに凹凸は残り、土の色もまちまちだ。
それでも、人が通るには十分だった。馬車が通ることさえできる――そんな幅と見通しが、確かにある。
自分たちの手で、斧と縄と汗で、ここまで切り開いたのだ。
そう思うと、胸の奥からじわりと熱いものが込み上げてくる。
「よし!今日はここまでだ!」
親方の声が、再び現場に響く。
「明日に備えて、しっかり休め!明日中には、すべて伐根するぞ!」
「はいっ!!」
兵士全員が、声を揃えて返事をした。
その声には、疲労よりも、確かな高揚が混じっている。
終わりが見えなかった冬とは違う。今は、終わりが確実にそこにある。
それだけで、気分は不思議と軽くなっていた。
***
夕食を終え、エドリックたちは自分たちの寝床へ戻っていた。
外の冷え込みに比べれば、室内はまだましだが、それでも炉の火がなければ肌寒い。
オズワルは壁際で、明日の漁に使う道具を点検しながら、ふと顔を上げた。
「お前ら、聞いたぞ。明日には作業が完了するんだって?」
網のほつれを直しながら、何気ない調子で問いかけてくる。
トマが寝台に腰掛けながら答える。
「ああ。残りの根っこは三本だけだ。それも親方曰く、そこまで太い切り株じゃないらしい。たぶん、そんなに時間はかからないってさ」
「へぇ……。」
オズワルは感心したように小さく息を吐く。
「ほんと、疲れたぜ……。終わったら任務だってのは分かってるけどよ。少しくらいは休みたいよな」
ダリルが床に座り込んだまま、天井を見上げる。
「少しは休めるんじゃないか?さすがに、作業が終わってすぐ任務ってのは……きついだろ」
エドリックもそう言った。
その言葉に、皆が曖昧にうなずく。
特にエドリック、トマ、ダリルの三人は、この冬のほとんどを拠点の工作に費やしてきた。泥と汗にまみれ、同じ現場に立ち続けてきた分、その達成感も、しんどさも、よく分かち合えている。
ロランは壁にもたれながら、その様子を眺めていた。
「俺は途中までバルデ砦にいたからな。正直、ここまでとは思わなかった。狩りの帰りに道を見たが……驚いたよ。一冬で、よくここまで進めたな」
「だろ、だろ!俺たち、マジで頑張ったんだぜ!」
ダリルがすかさず食いつく。
自慢げに身を乗り出すダリルに、ロランは少しうるさそうな顔をしながらも、口元は緩んでいた。
「分かったから、落ち着け」
そのやり取りを横目に、オズワルは仕事着を手に取った。
漁で使っていた厚手の服を、炉の近くへ寄せて乾かし始める。
「俺の方も、そろそろ漁は一区切りだな。拠点が形になれば、この辺一帯の安全もある程度は確保できる。そうなりゃ、残りの連中だけでも漁は回せるし、防衛も任せられる」
そう言って、火の様子を確かめる。
その言葉に、皆の表情が少し引き締まる。
「レナードは、砦に報告しに行ってる。戻るまでに、あと二、三日はかかるだろう。それまでに、準備を整えておかねぇとな」
準備――
それは、この拠点を守るためのものではない。
敵地へ向かうための準備だ。
誰も口には出さなかったが、全員が理解していた。
自然と、皆がうなずく。
「それまでは、少しは休めるだろ。俺とロランは、漁と狩りで休めねぇがな」
オズワルは肩をすくめる。
ロランも短くうなずいた。
「春が近づいてきてる。動物も増えてきたからな。任務に出るまでは、本職を全うするさ」
そう、この生活はもうすぐ終わる。
俺たち独立奇襲小隊は、休み続けることはできない。
仲間のため。国のため。
そして――故郷のため。
戦争が終わるまで、戦い続けるのだ。
(……母さん、元気にしてるかな)
ふと、母の顔が浮かぶ。
――戦に、心まで奪われないで。
その言葉は、今も胸の奥に深く残っている。
それがあるからこそ、まだ自分は人でいられる。
そう、エドリックは思っていた。
その時、外から低く澄んだ音が響いた。
就寝時間を告げる鐘だ。
「そろそろだな。寝るぞ。炉は消すが、いいな?」
一同は黙ってうなずいた。
オズワルが火を落とすと、室内は一気に暗くなる。
残ったのは、かすかな残り香と、静けさだけだった。
寝床に潜り込んだエドリックは、もう一度だけ故郷のことを思い浮かべ、そのまま、抗えない眠気に身を委ねた。意識は、静かに闇へと沈んでいった。




