第77話 道を造る者とその先に立つ者
レナードから任務の話が伝わった翌日、森にはまだ冬の冷たさが残っていた。
吐く息が細く白く散っていく中、エドリックたち三人は斧を担ぎ、伐採班へと向かった。
昨日の重い話が嘘のように、作業場にはいつもと変わらぬざわめきがある。
倒木の匂い、湿った土の匂い、どこか乾いた針葉樹の香り――。
冬枯れの森に、今日もまた人の手が入る。
その中で一際通る声が響いた。
「おい、お前ら!昨日の続きだ!ぼさっと突っ立ってねぇで、列ぇ確認しろ!」
振り向けば、そこには親方がいた。
町から派遣された木こり歴の長い職人で、最初こそ兵士相手にぎこちなく敬語を使っていたが、いまでは完全に現場を仕切る立場に収まっている。
雪解けの泥を踏みしめながら、親方は手早く目印の杭を並べ直した。
「ほれ、そこ!その斜めの杭、直すの忘れてんぞ。森の道は真っすぐが命だ。歪んだまま進めりゃ後で全部やり直しだ!」
声は荒いが、言っていることは的確で、誰も逆らおうとは思わない。
職人たちの中で親方ほど頼れる人物はいなかった。
「エドリック!そっちの幹は太ぇぞ。斧の角度、気ぃつけろよ。トマは根元を見る!ダリル、お前は反対側から切れ!そこにいるお前たちもだ!傾きが出ねぇようにな!」
名前を呼びつつ、次々と指示が飛んでくる。
全員慣れた様子で位置につき、割り当てられた一本の巨木へ向き合った。
エドリックが最初の一撃を入れる。
――ガンッ。
湿った木粉がふわりと舞う。
続いてダリルが力強く斧を振り下ろし、トマが幹の角度を調整しながら切れ目を広げる。
木の内部から染みるような香りが立ち、冬の森に少しだけ温かさが混じった。
遠くでは別の木が倒れ、乾いた枝落としの音が響いている。
「……よし、いったぞ!下がれぇッ!」
親方の声を合図に、全員すばやく後退した。
――ギギ……ッ
――バキィィン!!
大木が軋みを上げて傾き、そのまま地面へ倒れこむ。
震える地響きが足裏から伝わり、白い靄が陽光に照らされて散った。
親方は倒れた木を見て、ふんと鼻を鳴らした。
「よし、上等だ。枝落とし班、急げ!主幹はそっちに寄せろ、薪材は分けて積め!
おら、手ぇ止めるなよ!」
兵たちは親方の指示に従い、無駄のない動きで木を解体していく。
巨木は見る間に枝と幹に分けられ、防壁材と薪材へと姿を変えていった。
エドリックたちは息を整え、次の列へ歩き出す。
任務の影は胸に残っている――
それでも今日の作業は今日の作業として、手を止める理由はなかった。
冬の森に、親方の怒鳴り声と斧の響きがまた広がっていった。
***
親方の声が森に響いた。
「――よし、いったん作業は終いだ!昼めし食ったら、また戻るぞーッ!」
鋭いがどこか温かさのあるその号令に、伐採班の動きが一斉に止まる。
さきほどまで斧の音が重なり合っていた森が、急に静けさを取り戻した。
兵たちは汗をぬぐいながら斧を片づけ、荷物を肩にかける。
倒木や枝はすでに必要な位置へ寄せてあり、午後まで手をつける必要はない。
それぞれが伸びをしながら、昼めしの出る広場へと歩き始めた。
雪解けの道を踏みしめながら、エドリックのすぐ隣でダリルが口を開いた。
「しかしよ……やっぱ親方が指揮だと仕事が早ぇよな。他の上官も悪くはねぇけど……親方は段違いだぜ」
その言い方はいつもながら大げさなようで、けれどどこか本気だった。
トマも浅く息を吐き、苦笑しながらうなずく。
「そうだね。他の方々も最近は慣れてきてて指示が的確だけれど……親方は何ていうか、待たせないよね。判断が早いんだ」
たしかに――その通りだった。
エドリックは足元に広がった木粉の跡を見ながら思う。
親方は木こりを、自分と同じ年頃――十代半ばから始めたと聞いた。
何十年と斧を振り続けてきた男の経験は、兵の鍛錬だけでは到底追いつかない。
一本の木の傾き、根の張り具合、切り口の深さ。
そのどれもを一瞥で判断し、必要な作業を瞬時に割り振る。
ベテランという言葉が、あの人にはよく似合う。
「ほんと、すごいよね……」
エドリックがぽつりと漏らす。
ダリルは大きく肩を回しながら笑った。
「だろ?まあ、あんな指示されたら手ぇ止めらんねぇけどよ」
三人がそんな話をしているうちに、広場のざわめきが近づいてきた。
昼の鍋から上がる湯気が風に流れ、冬の終わりの空の下で白くたなびいている。
午前の疲れが腕に残ってはいるが、温かい食事のにおいがそれを少しだけ和らげた。
***
三人で丸太に腰を下ろし、湯気の立つスープをすすっていると、背後から足音が近づいた。
「……おい、ここで食ってもいいか?」
振り返れば親方が立っていた。大鍋の器を片手に、少しだけ遠慮したような表情をしている。
「どうぞどうぞ」
「もちろんです」
三人はすぐに頷いた。
親方は「ん」と軽くうなずいて、三人の横へ腰を下ろした。
職人と兵士という立場の違いはあれど、半年も同じ現場で汗を流せば、もう十分仲間だった。
しばらく黙って食べていたが、親方は器を置くとゆっくり口を開いた。
「……実はな。春までに隣の拠点につなげろと、この拠点の隊長さんから相談を受けた」
三人は顔を上げた。
「これからは俺も、しばらくここに寝泊まりすることになった。短ぇ間だが、よろしく頼む」
「そうなんすか?よろしくです!」
ダリルが嬉しそうに返し、
「よろしくお願いします」「こちらこそ」
エドリックとトマも頭を下げた。
昨日、レナードから春前には任務に入ると聞かされていたこともあり、親方がここに常駐する理由はおおよそ察しがついた。ただ、それでも気になることはある。
町は大丈夫なのか――?
親方は器に残ったスープを飲み干し、ふぅ、と息をついた。
「まあ、俺もこの道の仕上がりは気になってたからな。渡りに船ってやつだ。これからは俺が伐採班の責任者だ」
その言葉には、どこか誇らしさがあった。
エドリックは少しだけためらいながら尋ねた。
「……それはたしかに進みは早くなりそうですけれども、町は大丈夫なんですか?」
親方は一瞬きょとんとし、それから豪快に笑った。
「なぁに、なんとかなるだろう!第一、この道がつながりゃ、うちの町の野菜や材木を売りやすくなる。むしろとっとと完成させろって村長に言われるだろうよ!」
笑いながらそう言ったが、ふと表情が曇る。
「……それに、ヴァイス連合がいつ攻めてくるかわからないのだろう?戦争がすぐに終わらんことぐらい、俺にもわかるさ」
三人は息をのんだ。
(なんで知っているんだ……?)
その疑問が顔に出たのだろう。親方は肩をすくめた。
「隊長さんと話したときにな、なんとなく察しただけだ。あの若い隊長さんは隠しごとが得意じゃねぇ」
「……確かに」
ダリルが小さく笑うと、トマも苦笑した。
親方は器を置き、まっすぐ三人を見た。
「いいか。俺は木こりの仕事なら教えられるし、少しでも早く道を通す手助けはできる。だが――」
言葉を区切り、続ける。
「だが、戦い方は知らん。斧も短刀も、命を奪うために振ったことはない。戦争で役に立つことはできねぇ。実際に刃を交えるのは……お前たちだ」
焚き火の煙が風に揺れ、親方の影を細く伸ばす。
「だからせめて、この森の仕事だけは負けてられねぇ。道を造ることが、俺にできる戦いだからな」
三人は自然と背筋を伸ばしていた。
親方の大声は作業場では荒っぽいが――
こうして話すと、不思議と胸に響くものがある。
この冬を共に越えた者たちの絆が、静かに、しかし確かにそこにあった。
しばらくの沈黙のあと、親方は立ち上がり、器を手に取った。
「……さて、食ったら戻るぞ。午後は倒木の整理だ。太ぇ幹は道脇に寄せる、細ぇのは薪に回せ。雪解けで滑りやすいから、足元気ぃつけろよ」
「了解です」
エドリックがそう答えると、親方は軽く手を振った。
親方はそれ以上何も言わず、器を片手に広場の端へ歩いていった。
その背中を見送りながら、三人はしばらく言葉を失っていた。
沈黙を破ったのは、ダリルだった。
「……確かによ。俺たちは、もう兵士なんだな」
低く、噛みしめるような声だった。
「親方たちは道を作る。で、俺たちは……敵を倒す」
言葉にした途端、空気がわずかに重くなる。冗談めかすこともなく、ダリルはただ前を見ていた。
トマはスープの器を両手で包んだまま、少し間を置いてからうなずいた。
「……そうだね」
そして、静かに続ける。
「正直、どうしてこんな風になってしまったのか、まだよくわからない。気づいたら、ここにいて……牛の世話をしているのではなく、武器を持つことになっていた」
湯気が、二人の間をゆっくりと流れていく。
「でもさ……」
トマは一度言葉を切り、視線を落とした。
「それでも、俺たちがやるしかないんだよね。国の人たちを……村の人たちを、守るっていうなら」
ダリルは何も言わず、短く息を吐いた。
エドリックは二人の言葉を聞きながら、胸の奥で小さくうなずいていた。
(……守る、か)
親方は道を造る。それは、物を運び、人をつなぎ、生きるための道だ。
そして自分たちは――
その道の先で、敵と向き合う役目を担う。
もう、役割ははっきりしていた。誰もそれ以上言葉を重ねなかった。だが、三人の間には同じ理解が、静かに共有されていた。
その時拠点の中央で作業再開を告げる鐘が鳴りだした。
低く、短く、それでいてはっきりとした音だった。
「……鐘、鳴ったね」
二人が顔を上げる。
「片付けよう。午後の作業に戻らないと」
それだけ言って、エドリックは立ち上がった。もう迷いはなかった。
親方が道を造る。自分たちは、その先で戦う。役割は違っても、やるべきことは同じだ。今はただ、与えられた作業を確実にこなすだけ。三人はそれ以上言葉を交わさず、器を片付け始めた。鐘の余韻が消える頃には、森は再び斧の音に満ちていく。




