第76話 揺れる薪火と揺れる覚悟
レナードは一度、深く息を吸い込むと、わざとらしく「ごほん」と咳ばらいをした。
その瞬間、炉の前にいた全員の背筋が自然と伸びる。
あの温かな空気が、一気に張りつめた。
「……この場にガレス隊長がいるが、今から話すことは全員に聞いてほしい。だから、今日は敬語ではないがガレス隊長ご勘弁を」
レナードの言葉に、ガレスは軽く顎を引いて答えた。
「俺のことは気にするな。好きに話せ」
レナードは頷き、ゆっくりと炉の光の前に立つ。
「……まず、独立奇襲小隊の任務の前に、今後のこの拠点について話す。こっちはガレス隊長が主になる話だ」
俺たちは無言のまま頷いた。
炉の火が揺れ、レナードの影が壁に大きく映る。
レナードは視線をガレスへ移し、説明を始めた。
「……明後日までに、砦から牛が三頭、馬が二頭送られてくる」
その言葉に、全員がわずかに目を見開く。
牛や馬は、戦時下ではかなり貴重な存在だ。
「牛は、伐採後の根堀り作業の補助に使われる。それと畜産だ。雄が二頭、雌が一頭。馬は、隣の拠点や砦との連絡を早くするためだ」
レナードの声は、落ち着きながらも確かな力を帯びていた。
「これらに関しての人員の割り振りは、ガレス隊長に一任する」
ガレスはすぐに短く答えた。
「了解した」
レナードは続ける。
「それと……隣の拠点との道がどれくらいで完成するのか。カディン参謀が詳しく知りたがっている」
ここまでは淡々としていたが、次の一言で空気が変わった。
「……春には戦闘になる可能性が高いと判断しているそうだ」
炉の火が、小さくパチッ、と跳ねた。それが、場の空気を切る音のように聞こえた。誰も声を出さなかった。俺も思わず視線をレナードの手元へ落とす。今までの訓練や工作とは、まるで意味が違う重さがそこにあった。
ガレスが短く息を吸い、真っ直ぐにレナードを見た。
「……了解した。明日、伐採の職人と指揮官に確認してみる」
レナードは大きく頷いた。
「お願いします。馬が来たら、そのまま砦まで報告すればいいとのことです」
炉の光がレナードの横顔を照らし、その影がわずかに揺れる。
「この拠点の役割について……上層部は明確に方向性を示している」
レナードは声を少しだけ低くした。
「ここは防衛拠点の一つだが、主な目的としては物資の交流地点と新兵教育の場所にするそうだ。そして最終的には……周辺の一部を畑として広げる方針らしい」
畑の話にトマが小さく息をのむ。
俺たちがたまに手伝っている畑。この規模を広げるとなると、相当な人員が必要だ。
「……最終的には、この付近の砦周辺で最も重要な拠点にする方針だそうだ」
部屋の空気がようやく少し動いた。
誰も言葉にはしないが、全員の胸に責任という重さが落ちたのがわかる。
レナードはさらに続けた。
「それと……戦えないと判断された兵も、ここで生産作業に従事させるらしい。場合によっては、周辺の村や町の住民を移住させる可能性もある。……戦争で親を失った子供を送ることも、検討されているそうだ」
そこまで聞いて、炉の火がぱちりと大きく弾けた。
その音が――これから訪れる変化の重さを、いっそう強く思わせた。
レナードは最後にひとつ息をつき、ガレスへ向き直る。
「以上です。……この内容は、まずガレス隊長にお伝えするよう命じられていました」
ガレスは静かに頷いたが、その眼の奥には固い決意が宿っていた。
そして——
「……では、ここから独立奇襲小隊の任務の説明に入る」
炉の火が強く揺れた気がした。空気が、再び張りつめる。
独立奇襲小隊の任務。
ついに、その詳細が語られようとしていた。
炉の火が小さく揺れた瞬間、レナードは全員をゆっくりと見渡した。
「……俺たちは、まずこの拠点を完成させる。それは確定だ」
静かながら力のある声だった。俺たちは全員、黙ってうなずいた。
レナードは続ける。
「だが――上層部は俺たちを春前には奇襲部隊として任務につかせたいらしい。それまでは今までどおり、この拠点で作業だ」
その言葉に、ダリルが思わず身を乗り出した。
「なんだよ、それ……。結局これまでと変わらねぇってことか?」
肩の力が抜けたような声だった。正直、俺も同じだった。
ここまで空気が重くなったのは、すぐに任務に出るからだと思っていた。
レナードは苦笑を浮かべ、頭を軽く振った。
「……俺も同じ気持ちだ。だが、春からの任務はこれまでとは違う」
レナードの目が鋭くなった。
「――連合国を攻めるからな」
その瞬間、室内の空気が凍ったように感じた。ダリルもトマも、オズワルでさえ一瞬だけ目を見開く。
トマが、恐る恐る口を開いた。
「……どういうこと?これまでは、こちらから攻めることなんてしてなかったはずだけれど。」
レナードは深くうなずいた。
「その通りだ。今まではアーレン峡谷が主戦場になっていた。だが――王国はグレイウォール周辺から攻める方針に変えたらしい。つまり、今年からはこちらが打って出る」
言葉を告げたレナードの声は低く、炉の火の音すら吸い込まれそうだった。
誰もすぐに言葉を返せなかった。
レナードは続ける。
「……カディン参謀の話では、王都の近くに新しい鉱脈が見つかったらしい。だが、その鉱山はアーレン峡谷の近くでな……」
全員が息をのんだ。
レナードは炉に映る炎を一度見てから、続けた。
「連合は……たぶん俺たちより早く、その情報を掴んでいた可能性が高い。だからこそ、あの峡谷周辺を戦場にし続け、鉱山を手に入れるための動きをずっとしていた、と参謀は考えてる」
その仮説に、誰も反論できなかった。確かに筋が通っている。
レナードはさらに言葉を重ねた。
「だからこそ……これまでグレイウォール周辺では、連合は正規軍を使わなかった。代わりに盗賊……いや、実質傭兵を使っていた可能性が高い」
俺たちは顔を見合わせた。
半年間、あの辺りで遭遇した盗賊の異様な多さ――その答えがようやく繋がる。
レナードは、炉の火の揺らぎを背にして締めくくった。
「……だが、今年からは違う。王国はグレイウォール側から攻めることで、連合の動きを止めるつもりだ。砦の軍だけでなく王都周辺にある軍も動く。俺たち奇襲小隊も、その動きに合わせて任務に入る」
室内の空気が、ぐっと重くなった。
レナードは一度、視線を炉の火へ落とし、ゆっくりと息を整えた。
そして、静かに言葉を重ねる。
「……そのときの俺たちの任務は、先に斥候部隊と合流したあと――連合の拠点、周辺の村や町の現状確認だ」
淡々と話しているように見えて、声の奥には明らかな緊張があった。
「ヴァイス連合からのグレイウォール山脈周辺がどうなっているのか。どこまで前線を伸ばしているのか。どんな道が使われていて、どこが閉ざされているのか――」
一つひとつ、言葉が炉の光に照らされて落ちていく。
エドリックの胸に、半年前の廃村の空気、あの静まり返った路地の匂いがよみがえる。
斥候任務――それがどれだけ危険か、もう嫌というほど知っている。
レナードは息をひとつ吸い込んだ。そして、しっかりと全員を見渡す。
「……そして場合によっては――戦闘だ」
短い言葉だった。
だがその一言だけで、室内の空気がいっそう重く沈んだ。
トマが小さく肩をすくめ、ダリルは唇を引き結んでうつむく。
オズワルは表情を変えずにレナードを見つめていたが、その目は僅かに鋭く光っていた。
炉の火がパチッと小さくはじける。
沈黙の中で、オズワルがゆっくりと口を開いた。
「……任務に関しては了解した」
低い声だが、迷いは感じられない。
ただ、その眼だけがわずかに鋭くなる。
「だが……一つ確認したいことがある」
レナードはすぐに顔を向けた。
「……なんだ?」
オズワルはわずかに背を伸ばし、正面から言葉をぶつけた。
「戦闘になる可能性があると言ったが……相手は敵国の正規兵か、盗賊だよな?――一般人まで巻き込むのは、できれば避けたい」
その言葉に、俺の胸も小さく反応した。
(……そうだ。そこが一番怖い部分だ)
レナードはすぐには返さず、一度だけ静かに目を閉じた。
そして炉の火を見つめながら、低く言った。
「……基本的には、一般人には手出しはしない方針だ。場合によっては、物資や金銭で懐柔する案も出ているらしい」
その言葉に、トマがほんの少しだけ目を見開く。
懐柔――つまり、敵国の住民を味方に引き込むということだ。
戦争では珍しくない手段とはいえ、現場の俺たちにとっては重い言葉だった。
レナードは続ける。
「……こればかりは、王都にある司令部の指示待ちだ。ルガン隊長にも、カディン参謀にも……一般人への干渉を決めるほどの権限はない」
少し苦味を含んだ声だった。
「何せ、相手国の領土を懐柔するということは――国境そのものを動かすってことだからな」
炉の火がゆらりと揺れ、壁の影が伸びた。
俺はその重さを飲み込みながら、ゆっくりと言葉を探すように口を開いた。
「……じゃあ……もし、その懐柔や交渉に乗らなかったら?」
言葉にした瞬間、胸の奥がじくりと痛んだ。
武力による制圧
誰も口に出さなかったが――全員が、その可能性を意識してしまった。
部屋の空気が静かに沈み、炉の火だけがパチ……と小さく鳴った。
沈黙が続く中、レナードはわずかに目を伏せ、炉の火を見つめながらぽつりと口を開いた。レナードの言葉が落ち着いた低さで続いた。
「……俺たちが捕まえた盗賊であるリオットの話によれば、グレイウォール山脈周辺の連合内部の村や町は、かなりの貧困状態と聞いている」
突然の名前に全員がわずかに目を動かす。だがすぐに理解した。レナードが言葉を選んで、全員の胸に浮かんだ嫌な予感を察したことを。
レナードの声は淡々としているようで、その奥に迷いが微かに滲む。
「……そのため、懐柔はうまくいくであろう……と、上層部は考えている」
俺たちは誰も口を開かない。
それは納得の沈黙ではなく、それぞれが胸の奥の感情を噛みしめている沈黙だった。
誰も言わないが、全員が同じ思いだった。
——戦うのは仕方ない。
国のために剣を取ることは覚悟している。だが、一般人に危害を加えることだけは……。
レナードの横顔は炎に照らされ、ほんの少しだけ影を深くした。
「……俺たちは軍隊だ。個人の感情で命令を無視することはできない」
その言葉が静かに胸へ落ちる。分かっている。それでも重い。
レナードは続けた。
「今後も王都からの連絡を待ち、状況が変われば説明する。だが……まず覚えておいてくれ。俺たちは春前にはここを出て、斥候兼奇襲任務にあたる。最優先は、それだ」
炉の火がぱちりと弾け、赤い火花が一つ跳ねた。
全員が短く息を吸う。
「……了解」
ガレスを含めその場の全員が返事を返す。
だが、その声の底には一つの願いが共通して沈んでいた。
——どうか、戦うべきは兵同士だけであってほしい。
——どうか、戦場にでていない人間を傷つけずに済む道が残されているように。
その願いは誰も口に出さなかったが、灰色の炉の火を見つめる全員の表情に、確かに浮かんでいた。




