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兵の風と鐘の音にさらわれた少年  作者: 炭酸水
第二部 鐘が響く前に
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第75話 火の前で交わす想い

家に戻ったエドリックは、室内中央の簡易の開放炉に手早く薪を組み、火打ち石を鳴らした。乾いた火花が散り、細い薪がパチ、と小さく燃え上がる。粗末な炉は暖炉ほどの暖かさはないが、帰ってきた兵舎の寒気を少しだけ和らげてくれる。


(……レナードから話、か)


火が徐々に赤みを増すにつれ、さっき広場で告げられた言葉が胸の奥で何度も反響する。


——独立奇襲小隊の任務だ——


その一言だけで、工作兵として過ごしていた日々がふっと遠ざかっていくようだった。

肩に残る作業の疲れも、まだ冷えた指先の感覚も、今はどれも頭に入ってこない。


(ついに……戻るのか)


薪がはぜる音が静かな家に響き、揺れる炎の明かりが壁の煤を淡く照らした。エドリックはゆっくり息を吐き、炉の前に腰を下ろしながらレナードたちの帰りを待った。


少し経って、外の扉がきしむ音がした。

最初に顔をのぞかせたのはトマ、その後ろにダリルが続く。


「……エドリック。火を起こしてくれてありがとね」

トマが肩をほぐしながら、炉の温かさにほっと息を漏らす。


「助かるよ。ありがとな」

ダリルも短く言い、手袋を外して凍えた指先を炎へかざした。


「……ああ。いいよ」

エドリックは小さく返す。


それだけのやり取りで、三人は自然と炉の周りへそれぞれの位置を取った。

だがそこからは、誰も口を開こうとしない。


普段なら作業の愚痴、班の話、どこがしんどかったか……。そんなやり取りがすぐに始まるはずなのに。


(……二人も、レナードの話を聞いたのか?)

沈黙の理由を探すように、エドリックは炉に新しい薪をひとつ放り込んだ。


――パチッ。


乾いた音を立てて火がはぜる。

赤い光が三人の顔を照らすが、誰も目を合わせなかった。


***


やがて、外で雪解けの泥を踏むような重い足音が近づき、扉がゆっくりと開いた。


「すまない。遅れた」

最初に入ってきたのはオズワルだった。肩にうっすら土埃が付いている。


続いて、少し間を置いてガレスが姿を見せる。

「……お邪魔するぞ。すまないな」


二人の声は落ち着いているが、わずかに疲れと緊張が滲んでいた。


エドリックたち三人は立ち上がり、それぞれ軽く挨拶を返す。

オズワルとガレスも自然と炉のそばの椅子を引き寄せ、腰を下ろした。


普段なら、ここまで顔をそろえることはない。

そもそもガレスはこの家を使っておらず、別の宿舎で過ごしている。

それでも今日、こうしてここに来たということは――


(……レナードから、何かあるんだな)


全員がわかっていた。

炉の火だけが小さく爆ぜる音を立てる中、五人は沈黙のままレナードを待った。

どれほどの時間が過ぎたのか――ふいに、ガレスが静かな声で口を開いた。


「……お前たち。……すまないな」


突然のその言葉に、エドリックたちは顔を上げた。

隣のオズワルも同じように眉を上げる。


「……どういう意味でしょうか?」

オズワルは丁寧に問い返す。


立場は同じはずだが、なぜかいつもガレスを前にすると敬語になる。

俺たちは当然敬語だが、レナードもそうだ。これまでの訓練とガレスを隊長としていた時期があったからこそ、自然とそうなるのだろう。


ガレスは炉の火をじっと見つめたまま、短く息を吐いた。


「……少し、レナードから話は聞いている。独立奇襲小隊の任務があるとな」


炉の炎が揺れ、その光が五人の表情を照らす。

その一言は、これまで張りつめていた沈黙をさらに重くした。


ガレスは火の揺らぎを見つめたまま、少しだけ言葉を選ぶように間を置いた。


「……本来ならば、俺もお前たちを手伝ってやりたい」

低く、しかし確かな声だった。


「お前たちを危険な任務につかせるのは……元隊長として、どうしても抵抗がある」

その言葉に、誰もすぐには返せなかった。


ガレスは続けた。

「だが――半年前の任務でお前たちは功績を挙げた。……そして今もレナードは功績を積み上げ続けている」


そこで一度、ガレスの視線が落ちた。

「そんなレナードを助けたいと思っている。

……だが俺は集団戦の指揮はできても、奇襲任務には向いていない。それが……どうにも心苦しくてな」


自嘲するような、苦い響きがあった。

炉の火がパチ、と小さく爆ぜ、沈黙が落ちる。


エドリックはその静けさの中で、胸に重く沈む感情を抑えきれなかった。

(……そんなふうに思っていたのか)


一般的な上官なら――

部下の手柄は自分のものとして報告する。そういう世界だと、どこかで漠然と考えていた。


だが、ガレスは違う。


誰よりも俺たちの功績に喜び、誰よりもレナードを正当に評価し、誰よりも俺たち七人の働きを上層部へ推し続けてきた。その結果、他の上官から陰で散々言われていたことも、エドリックたちは知っていた。


それでもガレスは胸を張って言い続けてきた。

――自分は何もしていない。

――すべては、レナードをはじめとする七人の功績だと。


それを聞くたびに、嘘でも謙遜でもないとわかるほど真っ直ぐだった。

炉の明かりが揺れ、ガレスの横顔に影を落とす。


(……だからこそ、悔しいんだろうな)

真面目で、誠実で、俺たちを本気で想ってくれるガレスだからこそ。


自分が任務に同行できないことを。自分が役に立てないと思ってしまうことを。誰よりも悔しく感じているのだろう。ガレスの言葉に、炉の火がぱちりと弾けた。その音が、沈黙に沈んだ空気へ小さく沁みていく。


オズワルは短く息を吸い、真正面からガレスを見た。

「……心配してくれてありがとうございます。でも俺たちは大丈夫……だと思います」


その言葉は、虚勢ではなかった。腹の底から、しっかりと地に足がついた声だった。

「ここにはいないロランやミロも、同じ気持ちのはずです」


オズワルは拳を軽く握り直すと、少しだけ照れくさそうに眉を下げる。

「……厳しい訓練の時は、正直……腹の中で何度も怒りましたよ。でも、その厳しさが俺たちを死なせないためだって気づいてからは……感謝してるんです」


ガレスは視線を落とし、静かに耳を傾けていた。


オズワルは、炉の火に照らされた横顔で微笑んだ。

「それに……俺たちが徴募兵で砦に連れていかれた時のこと、あの時、ガレス隊長は……俺たちに温かいスープをくれた」


トマとダリルも、その記憶がよみがえったように小さくうなずく。

「寝台でも何でもなく、ただ藁を敷き詰めただけの……倉庫みたいな場所でした。スープだって、くず野菜とほんの少しの油しか入ってなかった。

それでも……あの時の温かさは、今でも忘れられません」


エドリックは思わず拳を握った。

言葉なしに、胸の奥がじわりと熱くなる。


そう。

あの夜、疲れ切った七人の前に現れた革鎧の兵士。

彼の顔を当時の俺たちは知らなかったが、あの時にスープを置いていった兵こそ……ガレスだった。


オズワルは続ける。

「……恐怖で足がすくんで、歩くのさえ嫌だった俺たちを、励まして、前に進ませてくれたのは――ガレス隊長、あんただ」


炉の火が、ゆらりと揺れた。ガレスは黙ったまま微動だにしない。

だが、握りしめた拳はわずかに震えていた。


「だから……向いてないなんて、俺は思いません。あんたは俺たちを生かす訓練をしてくれた。それは奇襲でも集団戦でも関係ない、俺たちの根っこの部分です」


静かに、しかし確かな響きを持つ声だった。

沈黙が落ちた。だが先ほどの張りつめた沈黙ではない。


火の温かさが、五人の間に流れ込んでくるような――そんな、やわらかい沈黙だった。


ガレスはゆっくり顔を上げ、ほんの僅かに笑った。

その目は、訓練場で怒号を飛ばす鬼教官のそれではなく、かつて七人を守ろうとした隊長の目だった。


ガレスは軽く息を吐き、炉の火越しにこちらを見た。


「……そう言ってもらえると助かる」

その一言に、張りつめていた空気がふっと弛んだ。熱かった胸の奥が、ゆっくりと落ち着いていく。


すると、沈黙を破ったのはダリルだった。

「そうですよ!そんなこと気にすることじゃありませんって!最終的にはみんな分かってくれますよ!」


場を一気に明るくするような声。

炉の火がぱち、と弾け、ダリルの横顔を照らした。


ガレスが目を細める。

「……ダリル。お前も成長したんだな。いつもだったら余計なことを言って俺に怒られるパターンだったが」


「へっ?」


ダリルは一瞬きょとんとし、そのあとこちらを見る。

エドリックとトマは、自然と小さくうなずいてしまっていた。


「ちょ!どんな風に俺を見ていたんですか!?つーかお前らは頷くな!!」

その言葉に、オズワルが吹き出し、エドリックとトマもこらえきれずに笑った。


一気に場が明るくなる。さっきまでの緊張が嘘みたいに、家の中に温かい空気が満ちていった。


そのタイミングで、家の扉がぎぃ、と開いた。

「……遅れてすまない」


レナードが戻ってきた。

冷えた夕風を連れてきたように、外套の裾が揺れている。


そして、部屋の空気を見て眉をひそめた。

「……なんでお前ら笑っているんだ?」


五人は一瞬だけ目を合わせ――その後、誰からともなくまた笑みがこぼれた。


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