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兵の風と鐘の音にさらわれた少年  作者: 炭酸水
第二部 鐘が響く前に
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第73話 疲れと訓練と俺たちの日常

薪の運搬もすべて終わり、ようやく仕事は完全に終わった。

その後の食事も、親方に小言を言われることなく無事に済み、俺たちは心からほっと息をついた。


作業の重さが消えると、広場の空気は一気に緩む。

夕焼けが砦の壁や簡素な家々を赤く染め、そこに兵士たちの生きた気配が揺れていた。


槍を手入れする者。

木箱の上で雑談する者。

寝床に向かう者。

焚き火に手をかざす者。


冬の静けさの中にも、どこか活気のあるざわめきが広場を満たしていた。


「さて、戻るか」


俺、ダリル、トマ、オズワルの四人は、それぞれの道具を抱えて家へ向かった。

拠点で割り当てられた小さな木造の家――俺たちにとっては、すでに帰る場所として落ち着き始めていた。


扉を押し開くと、薄暗い室内に夕焼けが差し込み、とても静かだった。


ダリルは入口近くの寝台にぼすっと倒れこみ、

「……あー。もう腕が動かねぇ……」

と呻きながら天井をにらんでいる。


トマは道具の紐を解きつつ、背中を伸ばしていた。

「今日はさすがに疲れたね……」


俺は定位置に座り、肩を回す。

火の気がない家は少し冷えているが、仕事を終えたあとの空気は嫌いじゃなかった。


そんな中、オズワルもふぅ、と深く息を吐きながら椅子に腰を落とした。


しばらく、四人とも無言で休む時間が流れた。

外では仲間たちの笑い声や足音が聞こえてくる。

淡い夕焼けの光が小さな家の中に差し込み、床を赤く染める。


やがて――

オズワルは大きく伸びをし、椅子の軋む音とともに立ち上がった。

「……よし。そろそろ行くぞ」


ダリルとトマが同時にうめき声を上げた。

「行くのはいいけれども……もう少し休もうぜ……」

「そうだよ……今日は薪割りがほんとにきつかったんだからさ……」


二人とも完全に愚痴モードだ。

だが、その声に本気で行きたくないという響きはない。


口では文句を言っていても、実際には立ち上がる準備を始めている。

――これが、レナード隊の決まりだ。

任務であれ工作であれ、どれだけ疲れていても、最低限の実戦感覚だけは絶対に落とさない。


オズワルは腕を組みながら、少しだけ意地悪く口角を上げた。

「休んでからでもいいが……外が暗くなるぞ?暗くなったら片付けが大変になるが、いいのか?」


その一言で、ダリルとトマはピタッと動きを止め、

「……たしかに……」

と小声でつぶやく。


しかし、すぐにふたりとも何の訓練なのかを察した。

「ということは……今日は弓の訓練か?」


「そうだ。ガレスには許可を取ってある。それにレナードにも言われているからな。」


その瞬間、反応は三者三様だった。


ダリルと俺は、思わず顔が明るくなる。

トマだけは肩を落とした。


「弓か! それなら行こうぜ!スリングも楽しいが、最近は弓も面白いからな!」


「……はぁ……弓は苦手なんだよなぁ……」

そんなぼやきを受け流しながら、俺たちは短弓と矢筒を手に取り、家を出た。


トマは近接戦ならオズワルに次ぐ実力を持っている。

だが――遠距離武器となると、どうにも苦手意識が抜けない。


レナード隊近接最強であるオズワルでさえ弓は得意ではないが、『奇襲部隊なら最低限できなきゃ困る』とレナードに言われて、むきになったのか人一倍練習している。


逆に、俺とダリルは弓がそこそこ形になってきており、最近では少しだけ楽しさを感じられるようになっていた。もちろんロランが使いこなす長弓は扱えないが、軽くて持ち運びのしやすい短弓なら、どうにか様になってきた。


オズワルは短弓と矢筒を手に取りながら、トマの肩を軽く叩いた。


「トマ。俺だって弓は苦手だ。だから練習するんだよ。――どっちかっていうと、今日の訓練は俺とお前のためみたいなもんだ」


「……そんなぁ……」

トマはさらに肩を落とし、地面に沈み込みそうな顔をした。


「手斧だったら簡単なんだけどなぁ……なんで弓になると、あんなに的に当たらないんだろう」


「それは俺にもわからん……俺も槍投げは得意なんだがな……弓になると、どうしても狙いがズレる……なんでだろうな……」

自分で言いながら、しょんぼりとうなだれるオズワル。

レナード隊の最強の前衛の二人が落ち込むのはなかなか珍しい。


ダリルは苦笑しながら、二人の肩を軽く叩いた。

「まあまあ、二人とも気にすんなよ。結局、任務じゃ一番得意な武器を使うんだからさ」


その明るさに、トマはようやく顔を上げる。

「……そう言ってくれるとありがたいよ」


「まあ、前よりは当たるようになってきてるしな」

オズワルも少しだけ持ち直したように鼻を鳴らす。


エドリックもその意見にうなずいた。

「そうだよ。二人がいなかったら近接は壊滅だよ。むしろ俺たちだって鍛え続けないと危ないくらいさ」


ダリルも笑いながら頬をかく。

「だよな。でもまあ……最終的に俺は弓じゃなくてスリングを選ぶと思うけどな」


その言葉に、みんな――たしかに、と言いたげに目を見合わせた。

それぞれに得意不得意があり、役割も違う。

だが奇襲部隊である以上、どの武器も完全に避けて通ることはできない。


オズワルは腕を組み、重々しくうなずいた。


「……まあ、結局は訓練あるのみだな。行くぞ。今日はそこまで長くやるわけじゃねぇ」

その言葉に、全員が自然とうなずいた。


だが自主訓練を始めた頃は、少し問題も起きていた。


レナード隊の隊長や副隊長が訓練をしているのに、

――自分たちは何もせず休んでいていいのか?――

と他の兵士たちが勝手に思い込み、次々と自主訓練に参加しだしたのだ。


最初はそれでもよかった。励まし合う空気もあり、活気も出た。


しかし――数日後には、案の定問題が出た。


翌日の工作作業に疲労が響き、動きが鈍り、普段ならすぐ終わる作業が目に見えて遅れた。


そしてその状態で数日続ければ、拠点そのものの作業進行にまで影響が出かねない。


――これはまずいな――

とレナードやオズワル、そしてガレスも気づいていた。

無茶をして明日の作業に支障が出ては元も子もない。


そんな問題が出た頃、レナードが少し前に皆を集めてこう言ったことがある。

『俺たちの訓練を見て自主訓練をするのは嬉しい。だが、無理はするな。訓練は俺やガレス副隊長たちの分だけでも十分厳しい。工作作業を担当する者はちゃんと休め。訓練は順番でやるんだからな』

その言葉が、誰の胸にも残っている。


さらにガレスも、レナードに続いて言ったのだ。

『自分の体を把握することも大事だ。お前らは使い捨ての駒ではない。自分自身が王国や家族や仲間を守る存在だってことを忘れるな』


その重さと温かさは、今でも皆の中に強く響いていた。


だからこそ、俺たちの自主訓練は、やりたい者がやるという形で落ち着いている。


そして俺たちは今日も、弓を手に外へ向かう。

夕闇が落ち始める訓練場へと。


***


辺りはすっかり暗くなり、的の輪郭がぼんやりと溶け始めている。

訓練もそろそろ佳境――いや、終わりが近い。


今日は俺たち以外にも数人が自主訓練に来ており、短槍を振る者、走り込みをする者、ひたすら素振りを繰り返す者……それぞれが自分に必要だと思う訓練に没頭している。


「――そろそろ終わりにするぞ。これが最後だ」


オズワルの声が夕闇に響いた。

最初は愚痴をこぼしていたトマも、矢をつがえた顔は真剣そのものだ。


俺たちは最後の一射に集中する。


弦を引く指の震え。息を整える感覚。

闇に溶ける的の中心を、じっと見据える。


パシィン!


パスッ!バスッ!


短く、乾いた発射音が連続する。


放たれた矢は、全員的に命中。

だが――それぞれ中心からは少し外れていた。


「……はぁ。もうちょい練習が必要だな、こりゃ」

ダリルが頭をかきながらため息をつく。


「今日はこれで終わりだ。片付けるぞ」

オズワルが矢筒を背負い直しながら言う。


全員が頷き、訓練場の片付けに移る。

するとオズワルは、自主訓練をしていた他の兵士にも声を張った。

「お前らもだ!そろそろ切り上げろ! 無理すると明日に響くぞ!!」


「了解です!!」

気持ちのよい返事が一斉に返る。

誰もが疲れているが、それでもどこか誇らしげだった。


訓練場には、弦の匂いと土の匂い、そして今日も生き抜くために努力したという静かな充足感が漂っていた。


***


片付けを終え、矢筒の紐を締めていると、オズワルがふと思い出したように口を開いた。

「そういえば明日は俺、訓練兵の面倒を見なきゃなんねぇんだ。もしかしたら、明日の夜は魚が出ねぇかもな」


「……は?」

ダリルが矢を落としそうになるほど驚き、眉を跳ね上げた。

「まじかよ!他の漁師はなにやってんだよ!!」


怒っているというよりショックが混ざっている。

ダリルは夜の魚料理を何より楽しみにしているから、気持ちはわかる。


オズワルは肩をすくめ、落ち着いた声で続ける。

「まあ、そう怒るなって。今日も大量だったが、他の拠点にも運ばなきゃならねぇし、保存作業もある。前にガレスから聞いたんだが――春になれば、連合が攻めてくる可能性が高いらしい。そん時に食料がねぇんじゃ、話にならねぇからな」


矢を丁寧にまとめながら、言葉を続ける。

「それに――他の漁師たちは仕事の腕はいいが、戦闘力はまだまだだ。腕っぷしがあって喧嘩は強いが、戦になりゃあすぐ倒れちまう。これまでは俺が漁師兼護衛をやってたから問題なかったが、俺がいねぇとなりゃ、さすがに川に行かせられねぇ。万が一があったら大変だからな。だからあいつらも明日は訓練だ」


「まじかよ……」

ダリルの声が完全に落ち込んでいる。


トマが苦笑しながら肩をすくめた。

「まあまあ、しょうがないって。魚が出ないってことはさ、明日は肉だろ?もっと喜べよ」


「俺は肉より魚の方が好きなんだよ……」

ダリルは本気で悲しそうだった。


オズワルは近接戦闘なら拠点でも群を抜く存在だ。レナード隊に限らず、この砦全体でも、オズワルと肩を並べる者はほとんどいない。そんな彼だからこそ、自分の役目を冷静に理解している。


オズワルは淡々と短弓を片付けながら言う。

「まあ俺が教えられるのは個々の戦闘ぐらいだ。集団戦になりゃ、ガレスや他の奴らの方が指揮もうまいしな。だから明日は戦闘訓練をする俺の出番ってわけだ」


オズワルの言葉には、誇りと責任感がにじんでいた。

訓練場に吹く冷たい夜風の中、その背中はいつもより少しだけ大きく見えた。


オズワルは空になった矢筒を全て腰に戻し、訓練場の奥に灯り始めた松明をちらりと見た。


「ほら、そろそろ帰って寝るぞ。お前ら、明日も工作だろ?」


「そうだよ。……明日は薪割りじゃなければいいけどな」

俺は肩をぐるりと回しながら答えた。


「ほんとだよ……さすがに四日連続とかになったら、俺、さすがに抗議するよ。」

トマがうなだれる。


「だよな……なんか明日のこと考えるとよ……気分が乗らねぇ……」

ダリルもため息をつきながら矢筒の紐を締める。


「それは……工作が?それとも魚が?」

俺が意地悪く聞くと、ダリルは即答した。


「どっちもだよ……」


それを聞いて、俺たちは堪えきれず笑い声を上げた。

暗くなり始めた訓練場に、短い笑いが響く。


オズワルは口元にうっすら笑みを浮かべながらも、全体をまとめるように声を張る。


「まあ、それは仕方がねぇとして――早く帰るぞ。もう暗くなってきた。俺たちがここにだらだら残ってると、夜の見張りにも迷惑がかかる」


確かに、訓練場の周囲には夜警の見張りが立ち始めていて、こちらに気を配って待っているようにも見えた。


「はいはい」

「わかったよ」

「帰るか……」


オズワルの一声で、俺たちは自然と帰路についた。


冷え込む夜風が草を揺らし、足元に影を伸ばしていく。

明かりの少ない砦の道は薄暗く、その中を四人の影がゆっくりと並んで歩く。


(……明日は薪割りじゃなければいいけどな)


歩きながらも、俺はそんなことを考えていた。



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