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兵の風と鐘の音にさらわれた少年  作者: 炭酸水
第二部 鐘が響く前に
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第72話 薪と明日の火

レナードの背中が砦へ向かって遠ざかっていくのを見送りながら、俺たちはしばらく無言だった。冬の終わりの風が、わずかに白い息を散らしていく。


そんな空気の中、丸太に腰を下ろしていたオズワルが勢いよく立ち上がった。


「よし。俺もそろそろ仕事に戻るかな」


「いや、食べるの早くない?もっとゆっくり食べなよ」

トマが半ば呆れたように眉を上げる。


三人はまだ半分ほどしか食べ終わっていない。

確かに途中まで話していたけれど、それにしてもオズワルは話し終えた途端、ほとんど流し込むように食事を終えた。


オズワルはパンの欠片を指先で払うと、当然のように言った。


「いやいや、お前ら最近はゆっくり休んでるけどよ。任務についたらそんな余裕ねぇぞ? これまでもそうだったろ?」


「そりゃあ……そうだけどさ……」

トマがその言葉が正しいと感じ、言葉に詰まらせているとダリルが反論する。

「でもよ、あんまり早く食うと午後までもたねぇんだよ。腹は減るし腕は死ぬし……。それに今を楽しむってのも悪くねぇだろ?」


にやりと笑うダリルの言葉も、確かに正しい。


オズワルのようにいつ任務が来ても動ける体制でいるべきだという考え。

そしてダリルのようにつかの間の平和を楽しむという考え。


どちらも間違いではない。

むしろ、どちらもここで生きるための正解だ。


俺は空にして片付けながら、二人に声をかける。

「みんな落ち着けよ。……それにダリル。トマ。そろそろ時間だぞ。早く食えよ」


「あん? ……やべっ!!」「あれっ?もうそんな時間か」


ダリルとトマは辺りを見渡し、多くの人間がすでに食事を終えていることに気づくと、慌ててパンをかじり始めた。


そんなダリルを横目に、俺はオズワルへ声を向ける。


「そういえばオズワル。今日の成果はどうだったの?」


オズワルは満足げに鼻の頭をこすり、得意そうに口を開く。


「今日も大量だったぜ!やっぱり漁は楽しいな。夜の分はもう確保してあるし、凍らせておけばしばらくは持つ。当面、魚は心配ねぇだろ」


その声には、本当に楽しそうな色があった。

出会ったときの寡黙なオズワルからは想像できなかったほど、今の彼はよく喋る。


オズワルは少しだけ真面目な顔になり、器を片手でくるくる回しながら続けた。

「ただ……そろそろ同じ場所だとヤバいかもな。魚を獲りすぎちまう。あとで他の漁師の連中と話して、漁場を変えるかもしれねぇ」


拠点を支えるための日常の問題。それは戦場とは別の、もうひとつの戦いでもあった。

俺たちは食事を片付けながら、また午後の作業へ向かう準備を始める。


昼の陽だまりは揺れ、静かに空気が動いていた。


***


――トンッ、ガン!

――トンッ、ドン!……ガン!


午後の薪割りが再び始まる。


毎日こんなに薪を作っていたら余るのではないか――最初はそう思っていた。

だが現実は違った。


冬の寒さの中で百人を温め、作業場や鍛冶場を維持し、夜警の見張り小屋にも火を絶やさないようにするとなれば、薪は一瞬で消えていく。

森の開拓が「未来」の作業なら、薪割りは「今を生きるため」に必要不可欠な仕事だ。


腰を伸ばし、腕を回して体の動きを確かめる。

隣を見ると、ダリルも同じように準備をしていて、目が合うと互いに小さく頷いた。

そしてまた斧を振り下ろす。


――トンッ、カン。

――トンッ、カン。


規則的な音が、白い空気の中に絶え間なく響く。


しばらくすると、腕が限界に達したのだろう、誰かが薪割りの手を止め、積まれた薪を束ねて乾燥場へ運び始めた。

次いで、もう一人も同じように回収へまわる。


作業の流れに言葉はいらない。

ただ体と感覚だけで、自然と役割が切り替わっていく。


――トンッ、カン。


そんなふうに集中していると、不意に横から声が飛んできた。


「なあ、エドリック」

「ん?」


ダリルが少しだけ斧を休め、こちらに顔を向けてくる。

「久しぶりにさ……トマのスープが飲みたくねぇか?」


「……ああ、そういえば」


斧を軽く地面に立てかけながら答える。


「いつもの料理番のスープも十分うまいんだけど……任務先で飲んだトマのやつ、あれは特別だったな。ずっと飲んでない」


「だろ?だからよ、今度トマに聞いてみねぇ?一日だけでいいから、料理番の役目を代わってもらえねぇかって」


「それ、いいかもしれない。……ただ、みんなが許すかな?今の料理番の飯、相当うまいし」


「それは間違いねぇよ。でもよ、たまーに飲みたくなんだよ。あの、なんつーか……身体の芯に入ってくるあったかい味がよ」


「……わかる」


あの夜明け前に、震えながら飲んだトマのスープ。

戦いの前に、不安を飲み下すようにして口に流し込んだ温かさ。

あれは、ただの食事じゃなかった。俺たち七人にとって、あれは仲間の味だったんだ。


「今度聞いてみるか」

「おう、頼むぞエドリック」


そう言って、ダリルはまた斧を振り上げた。


――トンッ、カン。

――トンッ、カン。


午後の白い冬空に、薪割りの音がまた規則正しく響き続けた。


***


作業を続けているうちに、ついに腕と腰が限界を訴え始めた。


「……うー!いてぇ……」


思わず声が漏れ、エドリックは腰を反らせてぐっと伸ばし、肩を回して固まった筋肉をほぐした。

その間も周囲では――


――トンッ、カン。

――トンッ、カン。


変わらない冬のリズムが響いている。


(……今度は俺が運ぶか)


台座に斧を差し込み、エドリックは山になっている薪を抱え上げた。

先ほどまでトマが回収に入っていたため量はまだ少ないが、それでも薪というのは束にするとずっしりと重い。


腕に力を込めて束を抱え、乾燥場へ向かって歩き出す。


何度も往復するだけの作業だが、これがなければ火は消える。

薪割りと同じくらい、大事な仕事だ。


***


乾燥場は、拠点の端に作られた木造の大きな小屋だった。


壁は分厚い丸太で組まれ、上半分には細かい隙間が開いていて外気が流れ込むようになっている。屋根の中央には風抜きの穴があり、そこからゆっくりと白い蒸気が漏れ出していた。


中を見ると大量の薪があり、乾いた薪は壁際に積まれ、湿気の残る薪は火の近くに置かれている。


小屋の中央には、石を積んで作られた炉のような大窯があり、そこには常に小さな火が焚かれている。吊るされた鉄鍋のような道具が熱を広げ、薪の間を通る空気を乾かしていた。


暖かい空気と、外から入り込む冷たい風が混じり合う。

この空間は、冬だというのにどこか心地がよい。


ただ、その薪を使うのには細かい決まりがある。


(……あの時は大失敗だったな)


以前、乾ききっていない薪を誰かが持ち出したことがあった。

夜の食堂で焚かれた火は、正常に燃えず――ものすごい量の白煙が充満し、まともに目も開けられなかった。


そして当然、現場を見に来た町の職人にこっぴどく怒られた。エドリックは今でもその怒声の響き方を覚えている。


そこへ、作業をしていたフォルンが気づき声を上げる。

「エドリック。お疲れ。そっちの木はこっちに置いといてくれ」


「ああ、わかった」


フォルンは灰色の頭巾を被り、額に汗を光らせながら手を止めずに薪を積んでいる。


彼はもともと辺境の村で薪職人として働いていた男だ。

伐採から乾燥、束ねて売るまでを一手に引き受ける、村では欠かせない専門職。


王国と連合の長い戦のせいで景気も悪くなり、先が見えない不安から

『いっそ兵士になった方が安心できるかもしれない』と思って志願したらしい。


今は拠点づくりの職人として作業しており、そのまま兵として扱われている。


フォルンは薪を整えながら、ちらりとこちらを見た。

「お前らが伐ってくれた木のおかげで、ここは助かってるよ。薪がなきゃ、砦も拠点も凍えちまうからな」


エドリックは薪を置き終え、額の汗を袖でぬぐった。

「そう言ってもらえると助かるよ。……フォルンも、ずっとここにいると大変だろ?」


フォルンは薪の束を整えながら、首を横に振る。

「……そんなことはない。これが俺の仕事だしな」


乾燥場に差し込む日差しの中、その横顔は淡々としているようで、どこか迷いを含んだ影があった。


フォルンは続けながら、薪の向きを調整していく。

「……ただ、春になれば薪職人としての仕事も少しずつ減る。

そうなったら、俺も実際に戦場に出ることになるんだろうな」


手は止めず、だが声音は少しだけ低くなった。

「いくら訓練してるとはいえ……やっぱり不安だよ。木を扱うのとは、わけが違うからな」


その言葉の重さは、痛いほど分かった。

エドリックの胸に、あの日の光景がよぎる。


――初めての戦場。


相手は連合の本隊でもなく、村を襲った盗賊の群れ。

それでも、足が震え、視界が狭まり、何一つまともにできなかった。


ただ必死に槍を握り、ガレスの怒鳴り声に従って体を動かしていただけ。

あれが「戦う」ということなのだと、嫌でも叩き込まれた。

だからこそ、フォルンの不安は痛いほど理解できた。


「……まあ、そうだよな」


エドリックは小さく息を吐く。

「でも何とかなるよ。俺たちだって、最初は何もできなかったけど……それでも今こうして生きてる。そういうもんだよ」


フォルンはちらりとこちらを見て、わずかに目を細めた。

「……そうかもしれんな」


ほんの少しだけ、表情が和らいだように見えた。


エドリックは軽く手を振る。

「まだ木はたくさんあるから、持ってくるよ」


そう言い残し、乾燥場を出ていく。

外に出た瞬間、冷たい風が汗ばんだ頬に触れ、ひやりとした感覚が走った。


(……これからあと何往復すればいいんだろうな)

息を整えながら、再び薪の山へ向けて歩き始める。


冬の光が、細い影を長く伸ばしていた。


***


開拓班の作業が終わったらしく、遠くでガレスの声が響いた。

「――開拓班、作業終了!片づけをして広場に戻れ!」


次いで、防壁設置班のある方角でも声が上がる。

「防壁班もよし!道具を片付けて解散だ!」


開拓班と防壁班は元々人数も多く、作業場所も広い。

そのため薪割り班よりも早く終わるのが常だった。


斧を振り続ける俺たち十人の耳に、仲間たちがぞろぞろと広場に戻っていく足音が近くなっていく。


(……こっちは、まだか)


腕が震え始める頃、ようやくガレスの姿が見えた。息を白くしながら、こちらに歩いてくる。


「よーし!薪割り班、作業終了だ!木を回収してから広場に戻れ!」

力強い声が、薪の山の間に響いた。


その声を聞いた瞬間、十人全員の斧の音が一斉に止まる。

張り詰めていた空気が、ふっと緩んだ。


***


「……あー、疲れた。全身がいてぇ……」

ダリルが斧を地面に突き立て、腰を押さえながらうめき声を漏らす。


「まったくだよ……なんで薪割り班だけ、いつも一番遅く終わるんだよ……」

トマも肩で息をしながらガレスの背中を恨めしげに見ている。


二人の愚痴に、誰もが「それな……」と言いたげに黙って頷いていた。


薪割り班の十人は、この場からしばらく動けないまま立ち尽くしていた。

腕は張り、腰は重く、足の裏がじんじんする。


――そしてこの後には、面倒な薪の運搬が待っている。


開拓班や防壁班はとっくに広場へ向かって歩き始めていたが、薪割り班はそこからが本番だった。


そのせいで、毎回どうしても食事が遅くなる。

食堂を取り仕切る配膳係の親方からは、いつもぼやかれている。


(……そりゃ、みんな嫌がるよな、薪割り)


エドリックは伸びきった背中を叩き、声を上げた。

「みんな。そろそろ作業を進めよう。……飯が遅くなると、また親方に文句言われるぞ」


「う……それは勘弁だな……」

「……しゃーねぇ、やるかぁ……」


いやいやながらも、仲間たちは動き出す。


足を引きずる者。

腕を回して気合いを入れる者。

口の端で文句を言いながらも、自然と役割を思い出して動き始める者。


薪の山に手を伸ばし、束ね、担ぎ上げる。


重い。

でも、これがないと仕事が終わらない。


十人が一斉に動き出すと、乾燥場までの細い道に、薪を抱えた影が連なっていった。


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