第71話 冬の作業の中で
トマと並んで歩き、森沿いの作業現場へ向かう。
雪が踏みしめられた道は白く固まり、歩くたびに小気味よい音が鳴った。
現場に近づくにつれ、人の声が増えていく。
朝の寒さを忘れさせるようなざわつきが、すでにあたりに満ちていた。
そんな中、こちらに向かって手を振る小柄な影が見えた。
「おはようございます!エドリックさん、トマさん!」
声の主はナッシュだった。
トマが笑いながら手を上げる。
「ああ。おはよう、ナッシュ。朝から元気だね」
俺も軽く会釈する。
「おはよう」
ナッシュは今回の徴募で砦に連れてこられた十五歳の少年だ。
俺と同じ年で、到着したばかりの頃は俺たちと同じく顔色が悪く、怯えた目をしていた。
だから、放っておけなかった。
俺たち先に来た元徴募兵は、彼が軍に馴染めるよう何かと世話を焼いた。
そのおかげでナッシュは今では笑うようになり、こうして気軽に声をかけてくれるまでになった。
隊は違えど、もう立派な拠点の仲間だ。
「おー、いたいた! 歩くのはえぇよ、お前ら!」
後ろから大きな声が響く。ダリルが肩を回しながら近づいてきた。
「ダリルさん、おはようございます!」
ナッシュが嬉しそうに頭を下げる。
「おお、ナッシュ。おはよう!」
ダリルも自然な笑みを返した。
そんな賑やかなやり取りが続いていた時だった。
「諸君、おはよう!」
張りのある声が現場に響き、全員が振り向く。
「おはようございます!!」
揃った声が返る。
やってきたのはガレスだ。
ガレスは今、訓練兵の教官を務めながら、この前線拠点の工兵作業の現場監督も引き受けている。
立場上では、いまやレナードの方が上。
だがこの拠点の隊長にレナードを推薦したのは、ほかならぬガレス本人だった。
その理由を以前、恐る恐る聞いたことがある。
――俺はお前らの上官だが、お前らの功績を横取りするつもりはない。それにレナードは俺より『上に立つもの』に向いている。俺はレナードを支える側でいい。お前たちと一緒にな――
あの時の真っ直ぐな声を、俺は今でも覚えている。
俺たちと立場は同じになってしまっても、レナード隊の七人にとってガレスは、変わらず上官だった。
現場へ歩み出しながら、ガレスは声を張った。
「今日も作業を続けるぞ!ここからここまでが森の伐採。ここからここまでは防壁の設置。残りは薪割りだ!」
俺たちは思わず顔を見合わせる。
トマが肩を落としながら小声で言った。
「俺たち……今日も薪割りっぽいね……」
「まじかよ……」
俺も同じく天を仰ぐ。
ダリルが舌打ち混じりに笑う。
「おいおい……今日はこういう決め方かよ……」
日によって指示は違う。
仕事を話し合いで決める日もあれば、早いもの勝ちの日もある。
そして今日は、上官が勝手に割り振る日だった。
まあ、文句は言えない。
ガレスの視線がこちらに向く。
その瞬間、俺たちは自然と背筋を伸ばしていた。
***
――トンッ、カン。
――トンッ、カン。
薪割りの音が、凍てついた空気の中に乾いたリズムを刻み続けている。
あれから、ずっと薪を割っている。誰もしゃべらず、黙々と。
まるで音だけが仕事をしているような時間だった。
最初のうちは、誰かと冗談を言いながら斧を振っていた。
だが、すぐに口を動かす余裕などなくなった。
腕が張り、手のひらはひりつき、呼吸を整えるだけで精一杯だ。
――トンッ、カン。
――トンッ、バキッ。
薪割り組に任されたのは十人。皆が厚い外套を脱ぎかけ、汗が額を流れていた。
朝、外に出たときはあれほど寒かったのに、今は息が白くならないほど体が熱い。
――トンッ、カン。
割った薪がある程度の山になってくると、誰かが黙ってそれを集め、乾燥場へ運んでいく。決まり事などない。ただ、腕と腰に限界がきた者から、自然とそうなるだけだ。
息を吐くと胸が痛い。背中に流れる汗が冷えて、ぞくりとする。
それでも、斧を振り続けた。
そんな時だった。
――カン……カン……カン……。
昼頃の鐘が、澄んだ音を響かせた。
(……もう昼か)
あと少しで飯の時間だ。
それだけで、腕の重さがほんの少し軽くなる気がする。
だが作業は止まらない。
監督が来て作業終了を告げるまでは、作業が続くのがこの拠点の決まりだ。
十人全員が同じことを思っていた。
(……早く来てくれ)
祈るような気持ちで、それでも斧は振り続けられていた。
――トンッ、カン。
白い息が混ざる澄んだ音が、冬空に響き続けた。
***
「――薪割り班、作業終了だ!飯に入れ!飯を食ったのち、少し休んで作業を再開しろ!」
ガレスの声が響いたのは、鐘が鳴ってからしばらく経ってからだった。
その声が聞こえた瞬間、十人全員が同じように肩の力を抜いた。
固まった腰を伸ばし、張った腕を回しながら、ゆっくりと動き出す。
(……やっとだ)
作業がきついほど、飯のありがたさは増す。
拠点の広場には、すでに大勢が集まっていた。
煙の立つ鍋の前には列ができ、配られた食事を手にそれぞれが思い思いの場所へ散っていく。
ざわざわとした声。
笑い声。
木の器が触れ合う乾いた音。
この時間だけは、どこか戦場から離れた別の世界にいるようにも感じる。
一人でゆっくり食べるのが好きな俺だが、今日はトマとダリルと一緒だった。
三人で空いた丸太に腰を下ろし、器を手に取る。
今日の昼は、温かいスープと硬いパン。ただそれだけだ。
けれど、薪割りをした後の体には十分すぎるほど沁みる。
スープをすすった瞬間、胃が驚いたように熱を吸い込み、肩の力がふっと抜ける。
(……やっぱり、この瞬間が一番ありがたい)
新しく徴募された兵士の中には、「村にいた頃より食事が豪華だ」と目を丸くしている奴も多い。
実際、夜には必ず魚か肉が出る。
ここで働く全員の士気を保つために、食は最優先で整えられているのだ。
俺たちがスープをすすっていると、視界の端に見慣れた姿が入ってきた。
レナードだ。
その場にいた何人かの兵士は、慌てて立ち上がり敬礼した。
だが、レナードはそれを片手でやんわりと制した。
「今は飯の時間だ。気にすんな」
そんな態度が、逆に隊長らしい。
けれどずっと一緒にやってきた俺たちからすると、レナードが敬礼される姿自体が、どこかくすぐったいというか……
変な感じがしてしまう。
たぶん、その気配を読んだのだろう。
レナードはこちらへ歩いてきて、少しだけ眉を寄せながら言った。
「……お前ら、その顔はやめろ」
その言い方があまりに自然で、俺もトマもダリルも、吹き出しそうになってしまった。
レナードは俺たちの隣に腰を下ろし話しかけてきた。
「で、今日は何をやってんだ?」
トマがすぐに肩を落としながら答える。
「……今日も三人とも薪割りだよ。しかも、今日はガレスが勝手に決める日だった」
「なんとなくよ、今日の現場監督がガレスだって聞いた時、嫌な予感がしたんだよ……」
ダリルは深いため息をつく。
「まさか三日連続で薪割りになるとはな……」
二人のげんなりした顔を見て、レナードが小さく笑う。
俺はというと、内心は同じ気持ちだが、ここでの作業のおかげで、前より力がついてきている実感があるから、そこまで嫌ではない。
……いや、三日連続はちょっときついが。
器のスープをすすりながら、俺は話題を変えた。
「そういえばレナード、これから砦に行くの?」
「ああ。この拠点の状況を報告しなきゃならないからな。多分、報告を済ませれば夜には戻ってくるはずだ」
レナードは広場の向こう――砦へと続く道へ視線を向けた。
俺たちもつられてそちらを見る。
少し前までは、あそこは道とは呼べないものだった。
木と雑草が生い茂り、歩くだけで時間がかかる細い獣道のような場所。
それが今は切り開かれ、地面が均され、誰が見ても「道」だと分かる形になっている。
知らない人間が見ればただの道。けれど、俺たちは知っている。
そこにどれだけの汗と、寒さと、労力と、工夫が積み重なったか。
それは、確かな「成果」だった。
「お前らの努力は、砦にいるロランにも伝えておく。……ミロには、会えんだろうがな」
そう言ったレナードの声には、どこか誇らしさが滲んでいた。
ロランは最初、この拠点で一緒に作業をし、狩りにも出ていた。
だが弓兵隊に呼び戻され、今では砦の警護や周辺防衛任務に就いている。
廃村での戦いが評価され、弓兵隊でも三番手の射手として期待されているそうだ。
ロラン本人は
『ヴァーナル副隊長の絡みがちょっとしつこい』
と小さく愚痴をこぼしていたが。
一方でミロも、この拠点での作業をしていたが、斥候部隊に召集されて第三斥候部隊へ合流。以前俺たちが戦った廃村周辺の見張りや整備に当たっている。
七人揃って動くことは、もうほとんどなくなっていた。
(……バラバラになって、少し長くなったな)
言葉にはしなかったけれど、胸の奥に微かに沈む感情があった。
だが同時に、それが「俺たちが認められた結果」だということも分かっていた。
レナードが小さく伸びをし、立ち上がる。
「さて……そろそろ行くか」
レナードが立ち上がり、腰につけた装備を軽く確認して歩き出そうとした――その瞬間。
「おいおい、レナード。こっちに予定を伝えてから行けよ」
背後から、呆れ半分・文句半分の声が飛んできた。
オズワルだ。
オズワルも午前の仕事が終わったのだろうか、食事を持って近くに座る。
「……ああ、すまん。完全に忘れてた」
レナードが苦笑する。
「まったくよ。寝起きだからってボケんなよ」
「ボケてねぇよ」
軽口を叩き合いながら、二人は当然のように言葉を交わす。
その様子に、自然と俺たちも笑ってしまった。
そう。
オズワルも今では、この拠点の指揮者の一人になっている。
独立奇襲小隊での働きが評価され、正式に副隊長として、そのまま拠点の統括に加わった形だ。
立場的にはガレスと同じ。
ただ、本人は最初
『肩書きが増えるのはカンベンだ。どうせ俺にはまとめられねぇしな』
と、ぼやいていた。
だが、ガレスとレナードから作業指示や現場の采配を学ぶうちに、少しずつ自覚が芽生えてきたらしい。今では、役割としても、空気としても拠点を回す中心人物の一人になっていた。
広場を見渡せば
「オズワルさん、お疲れ様です!」
周囲の兵が、気さくに声をかけてくる。
だが、不思議と敬礼はされない。レナードに対しては敬礼する者も多いのに、オズワルにはしない。おそらく、接しやすい人だと皆が感じているのだろう。
それをオズワル自身も気にする様子はなく、
「おう、お疲れ」
と、いつもの調子で返していた。
オズワルとまだ付き合いが長くない兵や職人たちから見れば、彼は気さくで話しやすい兄貴分に見えるのだろう。
だが俺はふと胸の中でつぶやく。
(最初のころはあんなに喋らなくて、いつもぶすっとしてたのにな……。人って、変わるもんだなぁ)
レナードは軽く息を整え、改めてオズワルへ視線を向けた。
「基本的には、これまでと何も変わらない。もし敵が来た場合は……ガレスを中心に防衛線の指揮をしてくれ」
オズワルは短く頷く。
「了解」
その返事はいつもの雑さとは違い、隊長代行としての重みが乗っていた。
レナードは続ける。
「リオットの話だと、盗賊も……寒い季節はほとんど動かないらしい。今のところ、その情報は当たっている。砦へ戻ったら、奴からも続きを聞いてくるつもりだ」
リオット
あの廃村で俺たちが捕らえ、第三斥候部隊が砦へ連れて行った元盗賊だ。
盗賊としては珍しいほど正直に尋問へ応じ、嘘偽りなく話したと聞く。
そのため砦では始末するか生かすかで議論が割れたらしいが……
最終的には参謀カディンが、
――情報源として生かすべきだ――
と結論づけた。
今のリオットは、砦内での雑務や小間使いとして働かされている。
いわば監視付きの労役だが、それでも命を奪われるよりは遥かにましだ。
リオットが盗賊になった理由。
それは、砦の兵たちの間でも話題になっていた。
連合国内で彼の村が盗賊に襲われ、家も家族も失い、さまよっているところを別の盗賊団に捕らえられて……そのまま、盗賊として使われるようになったのだという。
最初にその話を聞いたとき、俺は耳を疑った。
だが、リオットの語った状況は、どうやら現実らしい。
長い戦のせいで税は重くなり、特に辺境の村や町は疲れ切っているという。
そこにつけ込むように、盗賊団が国内でも活動を広げており、もはや内戦のような状態になっているのだ、と。
連合の国内情勢など、俺たちのような末端の兵士にはわからない。リオット自身がどこまで正直に話しているかも不明だ。
それでも『生きるために盗賊になった』という部分は、嘘ではない気がした。
レナードが立ち上がる。
「……俺はそろそろ砦へ向かう。オズワル、悪いが他の奴らにも伝えておいてくれ」
「おう、わかった。気をつけて行けよ」
オズワルが肩を軽く叩くと、レナードは小さく頷いた。
そして俺たちの方へも視線を向ける。
「お前らも……頼んだぞ」
その一言を残し、レナードは砦へ向かう道を静かに歩き出した。
冬の終わりの冷たい風が、彼の外套を揺らす。その背中が見えなくなるまで、俺たちはしばらく無言で見送っていた。




