第68話 詰所の灯
森を抜けた途端、砦へ続く硬い地面の感触が足裏に伝わる。
そのまま進むと、見張り台の兵がこちらに気づき、声を張り上げた。
「森よりレナード隊、帰還!」
すでにサンスイが報告してくれていたのだろう。
門兵たちは慌てることなく、すぐに門を開き始めた。
(……帰ってきたんだ)
胸の奥に、じんわりとした安堵が広がった。
「…とりあえず詰所に向かうぞ」
レナードがそう言い、俺たちは荷物を背負い直して砦の中へ歩き出した。
どこへ行けばいいか、はっきりと分かっている者はいない。
だが、まず詰所に戻るのが一番確実だと全員が思った。
砦の中心へ向かう途中、見慣れた訓練場の前を通りかかる。
いつも走らされていた石畳の匂い。汗を流して武器を振った、あの広さ。
その場には今も他の兵が数名、掛け声とともに訓練をしていた。
その奥で、訓練の指揮を執っている背中が目に入る。
ガレスだ。
彼は何か指示を飛ばしていたが、ふとこちらへ視線を向けた瞬間、ぴたりと動きを止めた。一拍置いて、声を張る。
「……おい。少し頼む!」
近くにいた別の上官へ訓練の指揮を任せると、ガレスは早足でこちらへ向かってくる。
近づいてきたガレスは、俺たちの全身をざっと確認してから短く言った。
「任務ご苦労。先遣隊から状況は聞いている」
声は淡々としているのに、その奥に安心が混ざっているのが分かった。
ガレスはレナードとオズワルに視線を向ける。
「レナード、オズワル。これから俺と一緒にルガン隊長のところへ行くぞ。任務完了の報告だ」
次に、俺たち残り五人へ。
「他の者は詰所で待機していろ。荷物を置いて体を休めておけ」
「了解!」
声がそろった瞬間、砦の空気が少しだけ懐かしく暖かく感じられた。
***
詰所の扉を開けると、むっとした埃っぽい空気が鼻をくすぐった。
木の机と椅子が並ぶだけの、狭い四角い部屋。
机の上には、任務に出る前と変わらず地図が広げられたままだ。
(……ここは何も変わっていないな)
任務前、この場所で地図を囲み、必死に作戦を考えた記憶が浮かぶ。
「ここに来ると、俺たちの居場所って感じがするな」
そう言ったのはダリルだった。
肩をほぐしながら、なんだか安心したように息をつく。
「ああ。狭い空間だが、ここだけは……あの時のままだ」
ロランが部屋を見渡しながら、小さく頷いた。
ミロも続く。
「そうだね。僕は斥候部隊と一緒に動いてた時間のほうが長かったから……本当に久しぶりな気がするよ」
「……そうだな」
俺は壁に立てかけられた槍を見ながら答えた。
「飾り気のない部屋だけど……やっと帰ってきた感じがする」
そこから、少しだけ緊張が抜け落ちたように、言葉が柔らかくなる。
「……ああ。でもさ」
トマが机の天板を指でなぞる。
「ほこりがたまってる。暇だし、少し掃除でもする?」
ダリルが即座に声を上げた。
「めんどくせぇよ。あとでやろうぜ。今は少しだべってもいいだろ?任務後なんだし」
「どうせそんなこと言いながら……やらないだろ?やるのは俺とレナードとロランになるって、分かってるからね」
トマは呆れたように笑い、続けた。
トマが苦笑すると、ロランが肩をすくめた。
「……否定はできないな」
そんな他愛もない会話が続き、疲れた顔にも笑みが浮かんでいく。
たわいもないやり取りが、じんわりと心を温かくする。
少し落ち着いたところで、俺はふと思った疑問を口にした。
「そういえば……どれぐらい休めるのかな?ちょっと長めに休みたいよ」
ロランが顎に手を当てる。
「そうだな。特にエドリックたち近接戦闘をした奴はケガもある。ある程度はしっかり休ませてくれるだろう」
「ロランも長く休めると思うよ。高台から『17人』って聞いたとき、僕も驚いたもん。最終的にはどれくらい命中させたの?」
ミロが興味深そうに尋ねる。
「……多分、25人くらいだと思う。仕留め切れなかったやつもいるとは思うがな」
淡々と言うが、その数字は重い。
「すげぇな!そしたら隊の半分はロランが仕留めたことになるのか!?」
ダリルが目を丸くする。
トマも続ける。
「ロランの援護射撃、すごかったよね。
俺が気づかなかった盗賊が、後ろで倒れててさ……あれはびっくりしたよ」
ロランは首を横に振った。
「そんなことはない。俺がここまで命中させられたのは……お前らが廃村で上手く立ち回ってくれたからだ」
その言葉に、ダリルが少し遠くを見るような目になった。
「そうだな。よくよく考えてみれば……あれ、すげぇよな。
あんな人数の中に突っ込んでいくなんてよ。後になって思い返すと、ありえねぇって」
確かに――あの時の俺たちは、ひどく無茶をしていた。
奇襲の訓練ばかりしていたはずが、最後は真正面からぶつかる形になった。
ガレスの訓練がなければ、絶対に成立しなかっただろう。
「もう絶対にやりたくないね……」
トマが手をひらひらさせて、ため息をつく。
「カイさんの部隊が先にダメージを与えててくれたから成功したけどさ。それでも無謀だったよ。運も相当よかった」
「本当だよ!」
ミロが思い出したように身を乗り出した。
「急いでカイ隊長たちと援軍に行ったら、もう戦ってたんだもん。あの時、本当に『なんで!?』って思ったよ!」
その言葉に、俺は自然と苦笑する。
「レナードの作戦指示が的確すぎたんだよ。多分、あの時は誰もがレナードに乗せられたんだ」
俺がそう言うと、ダリル、トマ、ロラン、――
みんなが一斉に頷く。
「そうそう」「たしかに」
そんな声が重なり、部屋の中に柔らかい笑いが広がった。
***
扉が軋む音がして、レナードとオズワルが戻ってきた。
二人とも少しだけ肩の力が抜けている。ガレスの姿はなかった。
「待たせたな」
レナードがそう言いながら入り、机の近くで足を止めた。
「今、報告が終わった。まずは……お疲れさまだ。ガレスは訓練に戻った」
続いてオズワルが、面倒くさそうに頭をかいた。
「……報告って、あれ面倒くせぇんだな。それに……言い方は悪ぃがよ、ルガン隊長の顔見ると、まだ徴募された時のこと思い出して、あんまり気分よくねぇな」
いきなりの爆弾発言に、部屋の空気がピリッとした。
「お、おいおいオズワル。それはさすがに言い過ぎだろ」
トマが慌てて目を丸くする。
だがオズワルは肩をすくめただけだった。
「……しょうがねぇだろ。ここに来て考え方は変わったけどよ。すぐ切り替えられるほど器用でもねぇし」
レナードが短く咳払いした。
「オズワル、その話はあとでな……」
低い声だが、どこか優しさもある。これで場が締まる。
「それより今後のことを話す」
レナードの一言で、空気が少し引き締まった。
「まず、全員救護室で体の状態を確認する。これから向かうぞ。そのあと、状態に応じて休暇が与えられる」
『休暇』の言葉に、全員の顔が一気に明るくなる。
続けてレナードが、少し声の調子を落とした。
「それと……今回大戦果を挙げたことにより、この隊には特別報酬が出る。食堂でうまいもんも食えるし、月に一度来る商人から買い物も余分にできるぐらいには金が入る!」
「おおっ!!」
ダリルを先頭に、部屋中がざわついた。
レナードも少しだけ表情を緩める。
「この隊が今後どうなるかは、上層部の判断次第だ。だが……それまでの間はしっかり休もう。疲れもあるし、俺自身、まず寝台で寝たい。土の上はもうごめんだ」
それには全員が深く頷いた。土の上での寝泊まりは、もうしばらく十分だ。
そのとき、オズワルが何か思い出したように言った。
「そうだ!上層部が使ってる暖かい湯に入るのも許可されたぞ。一度だけだが……冷たい水で行水しなくて済む!」
オズワルは「これに関しては最高のご褒美だぜ!」と喜んでいる。
「……!!」
ロランの目がまるで別人のように輝いた。
「それはありがたい……ずっと一度は、暖かい湯で体を流したかった」
その反応があまりに強く、思わず俺は首をかしげた。
「暖かいお湯で体を洗って……何か変わるのか?」
「わかんない」
ミロが真っ先に首を傾げる。
「どうなんだろうね?」とトマ。
「なんでロランはあんなに喜んでんだ?」とダリル。
ロラン以外の四人は、湯の価値にいまいち実感が持てていないらしい。
そのやり取りが少し可笑しくて、思わず肩が揺れた。
ロランの反応に首をかしげている俺たちを見て、レナードが軽く手を叩いた。
「――まずは救護室に行くぞ。浮かれるのはその後だ。どんな診断を下されるかわからないからな」
急に現実へ引き戻されたような気がしたが、もっともな話だ。
「了解!」
全員が頷き、椅子を押しのけながら立ち上がる。
それぞれ荷物を肩に担ぎ直し、小さな詰所の扉へと歩き出した。
休暇も、報酬も、湯も――
それらは、この先に待っている治療と診断を乗り越えてからだ。
俺たちは小さな期待と、少しの不安を胸に、救護室へ向かって歩き始めた。




