第62話 戦場を読む目
少し前の話にこの話の伏線があります。
時間がある方は探してみてください。
朝の冷たい空気が、肺の奥に刺さる。
エドリックは目を開けた瞬間、自分が珍しくすぐに起き上がったことに気づいた。
身体はまだ重い。しかし胸の奥には、昨夜からずっと消えずに残っている、もやのような感情が渦巻いている。
(……まだ整理、ついてないな)
仲間の寝床を見渡すが、そこには誰もいなかった。
レナードも、ロランも、トマも。そして夜明け前から見張りに立っているオズワルとダリルも、当然いない。
静寂だけが、周囲の森を満たしていた。
エドリックは装備を整え、背負い紐を軽く引き締めて深く息を吸った。
その吐息に混ざるのは、眠気ではなく、昨夜の言葉の余韻だ。
「レナードの考えを無視して怒るのは違う」
頭ではわかる。わかるけれど、心はまだ整理しきれない。
(……俺は、何を優先したいんだ?)
その問いの答えを持たないまま、エドリックは見張り場所へ向かった。
***
高台に着くと、そこにはすでにダリル以外が揃っていた。
ロランは弓を膝に置き、携帯食を食べている。
トマは静かに荷の紐を締め直し、落ち着いた手つきで装備を整えていた。
レナードとオズワルは少し離れた場所で話している。
ダリルは少し離れた位置で、廃村の連合側入り口を見張っていた。
エドリックが近づくと、オズワルとレナードがほぼ同時に気づく。
レナードがわずかに顎を上げた。
「……起きたか。今後の予定を話す」
その声には、すでに何かを決めている者の色があった。
しかし話が始まるより早く――
森のほうから急ぎ足の音が近づく。
聞き慣れた足取りと息遣いに、全員が反射的に振り向く。
ダリルだった。
「レナード!!」
レナードの眉が強く動く。
「……盗賊か?」
ダリルは荒い呼吸のまま、大きく頷いた。しかし――その表情にはただの発見ではない深刻さがあった。
「ああ……でも、様子が……おかしい」
その一言で、場の空気が張り詰める。
崖下から、ざわざわと怒号に似た声が風に乗って届いた。
その瞬間、胸の中の嫌な予感が形を持ち始める。
レナードはためらわず指示を飛ばす。
「全員、崖際へ。伏せろ」
一同が素早く動き、崖の縁に身を低くして廃村を見下ろした。
――そこに見えたのは、いつもとはまったく違う盗賊たちの姿だった。
「先に来ているやつらをすぐに起こせ!全員叩き起こせ!!」「見張りはどこだ!?何してやがる!!」「くそっ……人数を確認しろッ、何人やられてる!?今すぐだ!!」
怒号が飛ぶ。
足を引きずりながら走る盗賊。腕を押さえて呻く盗賊。背中に深い傷を負って、よろめく影。
そのどれもが――いつものだらだらした、油断だらけの連中とは、まるで違う。
(……え?)
エドリックの思考が止まる。訳が分からない。何が起きた?誰が……?
ただひとつだけ分かるのは、彼らは何者かに襲撃されたという事実。
レナードはわずかに息を吸い、鋭い眼でその混乱を見つめる。
次の瞬間、迷いを一切見せずに口を開く。
「……予定を変更する。このまま奴らの殲滅に入る」
その言葉は、冷えた空気を切り裂く刃のように響いた。
「……ッ!?」
驚いたのはオズワルだけではなかった。ロランもトマもダリルも目を見開く。
ただ一人、エドリックだけは予定をまだ聞かされていなかったため、状況がつかめないまま息を飲む。
オズワルは眉をひそめ、低い声を押し殺すように返した。
「……なぜだ?予定では撤退だったはずだ。それに……あいつらが誰に襲われたのかもわかってねぇんだぞ?危険だ」
その言い分は正しい。
撤退を選んだのは、リスクが高すぎると判断したからだ。
それが今、急に殲滅へと舵を切るのは、あまりにも危険に思えた。
だがレナードの表情は落ち着いたままだ。
「……誰が攻撃を仕掛けているのかはわからん。しかし——高い確率で味方だ」
「理由を聞かせろ」
オズワルの問いに、レナードは一度だけ視線を廃村へ戻し、すぐに静かに口を動かす。
「奴らは連合から金を受け取っている盗賊だ。その連合が、わざわざ自分の駒を攻撃する理由はない」
その瞬間、全員の目がわずかに揺れた。
(……たしかに)
エドリックですら、すぐに理解できるほど単純で、しかし確かな理屈だった。
連合が盗賊を雇っている以上、盗賊団は味方だ。それを襲撃する理由など、一つもない。
レナードは続ける。
「そして……もし仮に、盗賊を襲っている連中が味方ではなく『第三の勢力』だとしても――状況は同じだ」
ロランが眉を動かし、トマがわずかに息を飲む。
レナードの声は、深く、冷静で、迷いがない。
「俺たちがここで盗賊に仕掛ければ、その『第三の勢力』と正面からぶつかる必要はなくなる。敵の敵は少なくとも今は俺たちの障害になる可能性が低い」
エドリックの胸の奥がじわりと熱くなった。
レナードは一拍置き、最後に言い切る。
「そして……この混乱の中で撤退するほうがよほどリスクが高い」
全員が、息を呑んだ。
その場に落ちた沈黙は、理解と驚愕が混ざった重いものだった。
(……この一瞬で、そこまで……?)
エドリックは思わずレナードを見る。
視線は鋭く、しかし揺るぎなく状況を読み切っている。
(……凄いな。これが隊長か……)
そんな言葉が、自然と胸の奥に浮かんだ。
レナードは状況を一瞥すると、迷いなく言葉を放った。
「ロラン、ダリル。お前たちはこの高台から遠距離攻撃を仕掛けろ。こちらに気づかれても構わない。どんどん撃て」
「……っ!」
その瞬間、全員が息を呑んだ。あまりにも大胆な指示。
普通ならこちらの位置が明確になるということは、致命的になりかねない。
ロランが眉をひそめ、低く問い返す。
「……構わないが……すぐに気づかれるぞ。いいのか?」
レナードは即答した。
「むしろ気づかれたほうがいい」
ロランが目を細める。
「なぜだ?危険が増すぞ」
レナードは視線を廃村へ向けたまま、淡々と説明を続ける。
「奴らが来たのは連合側だ。つまり、こちらから見る反対側。今は向こう――連合側の森林の中に、味方の別動隊がいる可能性が高い」
一同の呼吸が止まる。
レナードは続ける。
「こちらに奴らの注意を向ければ――味方は背後を取れる。盗賊をこの廃村の中で挟撃する形になるんだ」
その理屈は、あまりにも明確で、そして恐ろしく速い判断だった。
エドリックは心の中で呟く。
(……ここまで読めるものなのか……?)
レナードの言葉はさらに重く響く。
「盗賊の視線を、怒号を、意識を……全部こっちに向けろ。そうすれば背後にいる味方が追撃しやすくなる」
全員がただ驚愕の表情でレナードを見ていた。
レナードは一拍置き、全員を見渡して命令を下す。
「ロランとダリル以外は、近接で仕留める。ただし今回は集団で行動だ。単独行動は禁止。仲間の背後を必ず守り、連携して確実に落とす」
その声音は静かだが、戦場を切り開く者の確信があった。
緊張した空気の中で、誰もが同じ思いを抱いた。
レナードは廃村の混乱を一瞥したのち、すぐに俺たち近接組へ視線を戻した。
その目は、もう迷いなどひとかけらもない。
「エドリック」
名を呼ばれた瞬間、背筋が自然と伸びた。
「お前も近接組だが……まずは投擲だ。ナイフでも手斧でもいい。とにかく相手の行動に制限をかけろ。俺たちの手斧も使っていい。投げ武器が尽きたら――短槍に切り替えろ」
息が止まるほど的確な指示。
俺がこれまで訓練してきた動き、その全てを理解した上で出されている。
レナードは続けて指示を飛ばす。
「トマ。お前は手斧ではなく短槍だ。距離を取れる分、安全に戦える。少しでも怪我のリスクを下げろ」
トマは短く頷き、槍の柄を握り直す。
「オズワル」
レナードの声が僅かに鋭くなる。
「お前は短槍で攻撃しながら……エドリックの補助も頼む。投擲武器を多く持っていけるのはお前だ。エドリックの負担を減らす。俺とトマの手斧も頼む。投擲武器がなくなったら前に出ろ。そこからはお前が中心だ」
「了解だ」
オズワルの声は低く静かだが、その瞳には戦の光が宿っている。
「俺は正面で剣とバックラーでお前たちをできるだけ守る」
迷いのないその言葉に、胸の奥が熱くなる。ここにいる誰もが、完全に納得していた。
――レナードの指揮は正しい。
――いや、この状況で最適だ。
全員が頷き、即座に準備へ移った。
ナイフの刃が木の根元で光を弾く音。
槍の柄を握り直す乾いた呼吸。
ロープの締まるわずかな軋み。
どれもが、戦いの直前の静けさを鋭く際立たせていく。
レナードはすぐに遠距離組へ視線を上げた。
「ロラン、ダリル」
二人の体が、緊張とともにわずかに引き締まる。
「敵に遠距離武器を持っているやつがいたら――必ずそいつから落とせ。この高台に近づくやつがいれば、ダリル。お前が剣でロランを守れ」
「了解」
ロランが矢をつがえながら答え、
「ああ、任せろ」
ダリルが低く返す。
全員の動きが整った瞬間、レナードは最後のひと言を締めた。
「急げ。この機を逃すな。奴らは手負いだが――油断するなよ」
その言葉が落ちると同時に、空気が変わった。
崖下で荒れ狂う盗賊たちの怒号。
まだ朝の冷えが残る森の空気。
心臓の鼓動が戦のリズムに変わり始める。
俺たち独立奇襲小隊は、すでに動き出していた。正面戦闘の瞬間が――すぐそこまで迫っていた。




