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兵の風と鐘の音にさらわれた少年  作者: 炭酸水
第一部 兵の風の中で
62/69

第62話 戦場を読む目

少し前の話にこの話の伏線があります。

時間がある方は探してみてください。


朝の冷たい空気が、肺の奥に刺さる。


エドリックは目を開けた瞬間、自分が珍しくすぐに起き上がったことに気づいた。

身体はまだ重い。しかし胸の奥には、昨夜からずっと消えずに残っている、もやのような感情が渦巻いている。


(……まだ整理、ついてないな)


仲間の寝床を見渡すが、そこには誰もいなかった。

レナードも、ロランも、トマも。そして夜明け前から見張りに立っているオズワルとダリルも、当然いない。


静寂だけが、周囲の森を満たしていた。


エドリックは装備を整え、背負い紐を軽く引き締めて深く息を吸った。

その吐息に混ざるのは、眠気ではなく、昨夜の言葉の余韻だ。


「レナードの考えを無視して怒るのは違う」


頭ではわかる。わかるけれど、心はまだ整理しきれない。


(……俺は、何を優先したいんだ?)


その問いの答えを持たないまま、エドリックは見張り場所へ向かった。


***


高台に着くと、そこにはすでにダリル以外が揃っていた。

ロランは弓を膝に置き、携帯食を食べている。

トマは静かに荷の紐を締め直し、落ち着いた手つきで装備を整えていた。

レナードとオズワルは少し離れた場所で話している。

ダリルは少し離れた位置で、廃村の連合側入り口を見張っていた。


エドリックが近づくと、オズワルとレナードがほぼ同時に気づく。

レナードがわずかに顎を上げた。


「……起きたか。今後の予定を話す」


その声には、すでに何かを決めている者の色があった。

しかし話が始まるより早く――


森のほうから急ぎ足の音が近づく。

聞き慣れた足取りと息遣いに、全員が反射的に振り向く。


ダリルだった。


「レナード!!」


レナードの眉が強く動く。

「……盗賊か?」


ダリルは荒い呼吸のまま、大きく頷いた。しかし――その表情にはただの発見ではない深刻さがあった。


「ああ……でも、様子が……おかしい」

その一言で、場の空気が張り詰める。


崖下から、ざわざわと怒号に似た声が風に乗って届いた。

その瞬間、胸の中の嫌な予感が形を持ち始める。


レナードはためらわず指示を飛ばす。

「全員、崖際へ。伏せろ」


一同が素早く動き、崖の縁に身を低くして廃村を見下ろした。


――そこに見えたのは、いつもとはまったく違う盗賊たちの姿だった。


「先に来ているやつらをすぐに起こせ!全員叩き起こせ!!」「見張りはどこだ!?何してやがる!!」「くそっ……人数を確認しろッ、何人やられてる!?今すぐだ!!」


怒号が飛ぶ。

足を引きずりながら走る盗賊。腕を押さえて呻く盗賊。背中に深い傷を負って、よろめく影。


そのどれもが――いつものだらだらした、油断だらけの連中とは、まるで違う。


(……え?)


エドリックの思考が止まる。訳が分からない。何が起きた?誰が……?

ただひとつだけ分かるのは、彼らは何者かに襲撃されたという事実。


レナードはわずかに息を吸い、鋭い眼でその混乱を見つめる。

次の瞬間、迷いを一切見せずに口を開く。

「……予定を変更する。このまま奴らの殲滅に入る」


その言葉は、冷えた空気を切り裂く刃のように響いた。


「……ッ!?」


驚いたのはオズワルだけではなかった。ロランもトマもダリルも目を見開く。

ただ一人、エドリックだけは予定をまだ聞かされていなかったため、状況がつかめないまま息を飲む。


オズワルは眉をひそめ、低い声を押し殺すように返した。


「……なぜだ?予定では撤退だったはずだ。それに……あいつらが誰に襲われたのかもわかってねぇんだぞ?危険だ」


その言い分は正しい。

撤退を選んだのは、リスクが高すぎると判断したからだ。

それが今、急に殲滅へと舵を切るのは、あまりにも危険に思えた。


だがレナードの表情は落ち着いたままだ。

「……誰が攻撃を仕掛けているのかはわからん。しかし——高い確率で味方だ」


「理由を聞かせろ」


オズワルの問いに、レナードは一度だけ視線を廃村へ戻し、すぐに静かに口を動かす。


「奴らは連合から金を受け取っている盗賊だ。その連合が、わざわざ自分の駒を攻撃する理由はない」


その瞬間、全員の目がわずかに揺れた。


(……たしかに)


エドリックですら、すぐに理解できるほど単純で、しかし確かな理屈だった。

連合が盗賊を雇っている以上、盗賊団は味方だ。それを襲撃する理由など、一つもない。


レナードは続ける。

「そして……もし仮に、盗賊を襲っている連中が味方ではなく『第三の勢力』だとしても――状況は同じだ」


ロランが眉を動かし、トマがわずかに息を飲む。


レナードの声は、深く、冷静で、迷いがない。

「俺たちがここで盗賊に仕掛ければ、その『第三の勢力』と正面からぶつかる必要はなくなる。敵の敵は少なくとも今は俺たちの障害になる可能性が低い」


エドリックの胸の奥がじわりと熱くなった。


レナードは一拍置き、最後に言い切る。

「そして……この混乱の中で撤退するほうがよほどリスクが高い」


全員が、息を呑んだ。

その場に落ちた沈黙は、理解と驚愕が混ざった重いものだった。


(……この一瞬で、そこまで……?)


エドリックは思わずレナードを見る。

視線は鋭く、しかし揺るぎなく状況を読み切っている。


(……凄いな。これが隊長か……)

そんな言葉が、自然と胸の奥に浮かんだ。


レナードは状況を一瞥すると、迷いなく言葉を放った。

「ロラン、ダリル。お前たちはこの高台から遠距離攻撃を仕掛けろ。こちらに気づかれても構わない。どんどん撃て」


「……っ!」


その瞬間、全員が息を呑んだ。あまりにも大胆な指示。

普通ならこちらの位置が明確になるということは、致命的になりかねない。


ロランが眉をひそめ、低く問い返す。

「……構わないが……すぐに気づかれるぞ。いいのか?」


レナードは即答した。

「むしろ気づかれたほうがいい」


ロランが目を細める。

「なぜだ?危険が増すぞ」


レナードは視線を廃村へ向けたまま、淡々と説明を続ける。

「奴らが来たのは連合側だ。つまり、こちらから見る反対側。今は向こう――連合側の森林の中に、味方の別動隊がいる可能性が高い」


一同の呼吸が止まる。


レナードは続ける。

「こちらに奴らの注意を向ければ――味方は背後を取れる。盗賊をこの廃村の中で挟撃する形になるんだ」


その理屈は、あまりにも明確で、そして恐ろしく速い判断だった。


エドリックは心の中で呟く。

(……ここまで読めるものなのか……?)


レナードの言葉はさらに重く響く。


「盗賊の視線を、怒号を、意識を……全部こっちに向けろ。そうすれば背後にいる味方が追撃しやすくなる」


全員がただ驚愕の表情でレナードを見ていた。


レナードは一拍置き、全員を見渡して命令を下す。

「ロランとダリル以外は、近接で仕留める。ただし今回は集団で行動だ。単独行動は禁止。仲間の背後を必ず守り、連携して確実に落とす」


その声音は静かだが、戦場を切り開く者の確信があった。

緊張した空気の中で、誰もが同じ思いを抱いた。


レナードは廃村の混乱を一瞥したのち、すぐに俺たち近接組へ視線を戻した。

その目は、もう迷いなどひとかけらもない。


「エドリック」

名を呼ばれた瞬間、背筋が自然と伸びた。


「お前も近接組だが……まずは投擲だ。ナイフでも手斧でもいい。とにかく相手の行動に制限をかけろ。俺たちの手斧も使っていい。投げ武器が尽きたら――短槍に切り替えろ」


息が止まるほど的確な指示。

俺がこれまで訓練してきた動き、その全てを理解した上で出されている。


レナードは続けて指示を飛ばす。

「トマ。お前は手斧ではなく短槍だ。距離を取れる分、安全に戦える。少しでも怪我のリスクを下げろ」


トマは短く頷き、槍の柄を握り直す。


「オズワル」

レナードの声が僅かに鋭くなる。


「お前は短槍で攻撃しながら……エドリックの補助も頼む。投擲武器を多く持っていけるのはお前だ。エドリックの負担を減らす。俺とトマの手斧も頼む。投擲武器がなくなったら前に出ろ。そこからはお前が中心だ」


「了解だ」

オズワルの声は低く静かだが、その瞳には戦の光が宿っている。


「俺は正面で剣とバックラーでお前たちをできるだけ守る」

迷いのないその言葉に、胸の奥が熱くなる。ここにいる誰もが、完全に納得していた。


――レナードの指揮は正しい。

――いや、この状況で最適だ。


全員が頷き、即座に準備へ移った。


ナイフの刃が木の根元で光を弾く音。

槍の柄を握り直す乾いた呼吸。

ロープの締まるわずかな軋み。


どれもが、戦いの直前の静けさを鋭く際立たせていく。


レナードはすぐに遠距離組へ視線を上げた。


「ロラン、ダリル」

二人の体が、緊張とともにわずかに引き締まる。


「敵に遠距離武器を持っているやつがいたら――必ずそいつから落とせ。この高台に近づくやつがいれば、ダリル。お前が剣でロランを守れ」


「了解」

ロランが矢をつがえながら答え、


「ああ、任せろ」

ダリルが低く返す。


全員の動きが整った瞬間、レナードは最後のひと言を締めた。


「急げ。この機を逃すな。奴らは手負いだが――油断するなよ」


その言葉が落ちると同時に、空気が変わった。


崖下で荒れ狂う盗賊たちの怒号。

まだ朝の冷えが残る森の空気。

心臓の鼓動が戦のリズムに変わり始める。


俺たち独立奇襲小隊は、すでに動き出していた。正面戦闘の瞬間が――すぐそこまで迫っていた。


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