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兵の風と鐘の音にさらわれた少年  作者: 炭酸水
第一部 兵の風の中で
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第60話 黄昏の分岐点

エドリックの意識は、静かに水面へ浮かぶように覚醒していった。

まず聞こえたのは風が木々を揺らす音、その次に草が擦れるかすかな気配――ようやく、自分が地面に背を預けて眠っていたことに気づく。


「……ん、あれ……?」


重いまぶたをゆっくり開けると、頭上には橙に染まった森の天井が広がっていた。

ざわ、と木々が揺れ、夕焼けの光がこぼれ落ちる。昼はすでに終わりかけていた。


体を起こし、背筋を伸ばすと、すぐそばで甲冑の紐を締めているダリルが振り返った。


「おう、起きたか。ほんと……お前は起きるのが苦手だな」


エドリックはまだぼんやりした頭で瞬きを数回し、それから苦笑した。


「ああ……そっか。レナードに少し休めって言われて……寝てたんだ」


思い返すように額へ指を当てる。

捕虜の確保、尋問、そして日暮れ前に何か動きがあるかもしれない気配――その全部が脳裏にゆっくり戻ってきた。


森の奥は薄暗いが、上空だけが鮮やかに焼けていた。


エドリックは腰のベルトに手を伸ばし、装備をひとつずつ確認し始めた。

胸当ての紐、短槍の位置、ナイフの重さ――いつもの動作だが、自然と慎重になる。


そのとき、ダリルが軽い調子で声をかけてきた。


「しかしよ……誰も起こしに来ねぇなんて、なんかあったのか?今日、運が悪けりゃ――夜通しで見張りさせられるかもな」


おどけた言葉に、エドリックは思わず肩の力を抜いた。


「……仕方ないよ。今は眠くないし」


「だろうな」

ダリルは笑い、装備確認を終えると立ち上がる。


夕焼けの光が二人の影を長く伸ばしていた。日が沈みきれば、夜の静けさが戻る。

しかし、その静けさはただの日常の夜ではない――エドリックは言葉にできない違和感を胸に覚えていた。


捕虜の尋問がどうなったのか。

レナードとオズワルは何を掴んだのか。

ロランとトマは今どうしているのか。


状況がすこしずつ動いている気配だけはあった。

ただ、それが良い方向なのか悪い方向なのかは、まだ誰も知らない。


エドリックは背負い紐をきつく締め、深く息を吸った。


「……行こうか。レナードの指示を聞きに」


「おう。どうせ面倒事だろうけどな」

ダリルは肩をすくめ、ふっと笑った。


夕暮れの森は朝と違う静けさを帯びている。

遠くで鳥が一声鳴き、風が枝を押し上げた。

そのどれもが、これから起きる何かの前触れのように思えた。


***


エドリックとダリルが高台へ戻ると、そこにはすでにロランとトマ、そしてレナードが揃っていた。

近づくほどに、その場の空気は重く張りつめていく。言葉を交わす前から、ただならぬものが肌に刺さった。


(……オズワルは?)


エドリックは無意識に周囲へ視線を走らせる。

夕焼けに染まった斜面、崖沿いの岩陰、風で揺れる木々の間──。

緊張した気配を探すと、高台の縁のさらに少し先、木々の隙間にオズワルの背が見えた。


姿勢を低くし、廃村の連合側入り口をじっと見下ろしている。

あの無駄のない構え。いつでも飛び込めるように力を溜めた獣のような、静かな殺気があった。


(……あれは、何かあった時の構えだ)


胸の奥がひやりと冷える。


そのとき、高台にいる三人がこちらへ気づいた。

ロランとトマがわずかに身を起こし、レナードは一歩前へ出る。


「……お前たちの考えはわかった」


レナードはロランとトマへ静かに告げた。


「明日の朝に今後の指示を出す。それまではエドリックとダリルが休んでいたぐらいは寝ていろ。時間になったら呼びに行く」


ロランとトマは無言で頷き、「了解」と短く返事をする。

二人の表情はどこか張り詰めており、そのまま入れ違いに俺たちが休んでいた場所に向かっていった。


(……やっぱり、ただ事じゃない)


エドリックは二人の背を目で追いながら、胸の不安がさらに膨らむのを感じていた。

隣を見ると、ダリルも眉間に皺を寄せている。言葉にする必要もなく、二人は同じ疑問を抱いていた。


そんな二人の様子を受け取りながら、レナードは静かに口を開いた。


「……エドリック、ダリル。お前たちにも聞きたいことがある。今後のことだ」


その声音はいつもより低く、曇っている。

しかし揺らぎはなく、覚悟を固めた兵士の声だった。


エドリックとダリルは自然とレナードのそばへ歩み寄った。

高台に落ちる夕陽の色は濃く、森の風は冷たくなり始めていた。


レナードは二人を一度だけ森の縁へ目線で誘導し、指先で静かに示した。


「……盗賊は、あそこだ」


指し示された木陰には、縄で幹に括られた男がうなだれていた。

夕闇に沈む影の中で、その肩だけが小刻みに震えている。


エドリックもダリルも言葉を失う。その空気を確かめてから、レナードはゆっくりと口を開いた。


「……少し前に盗賊の尋問を終えた。最終的に、俺とオズワルはやつが嘘をついていないと判断した」


その一言に、エドリックとダリルの背筋がわずかに強張る。

レナードの声は淡々としているのに、言葉はやけに重く響いた。


レナードは間を作らず続ける。

「まずは、その盗賊の今後をどうするかを確認したい。始末するか……生かすかだ」


その声音には揺らぎがなかった。場に流れた空気が、一段階重くなる。


真剣な表情のレナードを前に、最初に声を上げたのはダリルだった。


「……待てよ、レナード。いったいどういうことだ?いきなりそんな話をされても……理解できねぇよ」


困惑というより、状況を掴めずに足元から崩されるような声音だった。

エドリックも言葉を出せず、胸の奥がざわざわと落ち着かない。


(……起きたばかりで、いきなり殺すか生かすか。そりゃ……わけがわからない)


レナードはそんな二人の反応を予測していたのか、静かに息を吐き、視線を柔らかくする。


「……すまなかったな。確かに状況を知らないお前たちからしたら、混乱して当然だ」


ほんの一瞬だけ、責任を感じるように目を細め、しかしすぐに表情を引き締めて説明を続ける。


「現状を説明する。この廃村……もしくは洞窟に、これまで以上の人数の盗賊団が来る可能性が非常に高い」


その瞬間、エドリックの思考が止まった。


「…………え?」

声にならない声が漏れ、視界がゆっくり揺れた気がした。


ダリルも目を見開き、息を呑む。


(……そういうこと……だったのか)


オズワルがあそこまで緊張して見張っていた理由。

ロランとトマが険しい顔をしていた理由。

そして、レナードの焦りを帯びた気配。


全てが一つに繋がった。

レナードは二人の動揺を視線で受け止め、なおも真剣に続ける。


「現在、隊の意見は割れている。ここから撤退するか……任務を続行するか、だ」


その言葉は刀の背で心を叩かれたかのように響いた。


レナードは淡々と状況を並べ始める。


「ロランとオズワルは任務続行を選んだ。ただし交戦はなしだ。ミロが砦に走って状況を報告している。――あいつを待つ、という判断だ」


二人の名前を出す声は静かだが、そこには確かな信頼も感じられた。


レナードはさらに続ける。


「一方で、俺とトマは……砦に引き返し状況と戦果を報告したほうがいいという判断をした。任務放棄とみなされる可能性はある。だがその責任は俺がとる。隊の安全を重視した」


エドリックは拳を握る。安全……それでも悔しさが胸に刺さる。


だがレナードは視線をそらさず、さらに続けた。


「撤退する場合、足手まといになる可能性の高い盗賊はここで始末する。任務を続行する場合は、そいつを生かして砦まで連れていき、専属部隊へ引き渡す」


短い沈黙の後、レナードは言葉を刻むように付け加えた。


「もちろん……任務を続行する場合でも、始末するという選択肢もある」


エドリックの胸がきゅっと締まった。選択がどれも重すぎる。

だが誤魔化しは一切ないというレナードの覚悟も痛いほど伝わる。


レナードは最後に二人をしっかりと見据えた。


「……長々と状況を説明したが、これ以外の行動もあるはずだ。何か意見があれば言ってくれ」


風がひゅうと高台を抜け、広がる廃村の影をさらに濃くしていった。

沈む太陽の赤が木々の輪郭を際立たせ、場の緊張に静かな色を足していく。


そんな中、先に口を開いたのはダリルだった。


「……少し考えさせちゃくれねぇか?」

声は低いが、迷いがはっきり滲んでいた。

「正直……まだすぐには決められねぇ」


ダリルは申し訳なさそうに眉を寄せた。

彼の中で恐怖と責任と仲間意識が入り混じり、整理が追いついていないことが伝わる。


レナードはその様子を否定することなく、落ち着いた声で返した。


「……大丈夫だ。最終的には、どんな結論になっても明日の朝に俺が指示をする。責任は俺がとる」


「……すまねぇ……」

ダリルは小さくうなだれるように呟き、拳を握りしめた。


レナードは次にエドリックへ視線を向ける。


「エドリックはどうする?」


問いかけに、胸の奥が静かに締めつけられる。

エドリックはゆっくりと息を吸い、小さな決意の火を灯すように口を開いた。


「……盗賊は……殺したくない。

自分でも驚くほど震えていなかった。

「敵だけれど……無抵抗のやつを殺すのは、嫌だ。それこそ……心を失うことになる」


昨夜、レナードに話した母との約束――

“心まで奪われてはならない”

その言葉が胸の奥で静かに響いていた。


レナードは、聞き終えるとゆっくり頷いた。


エドリックは続ける。

「任務だって……本当は逃げたい。怖いし、正直……帰りたいと思ってる。でも……」

小さく息を吸い、拳を握る。

「もし撤退を選んだら……ミロを見捨てる可能性が出てくる。だから……俺は任務続行を選ぶよ」


言葉を発した瞬間、胸の奥の迷いがひとつ溶けていく感覚があった。


レナードは再び深く頷いた。

その目は、エドリックの覚悟をしっかりと受け止めている。


横で聞いていたダリルは、わずかにハッと目を見開いた。

だが、それでも彼の中の答えはまだまとまらないようで、何も言えずに唇を閉じた。


レナードは最後に二人を見回し、静かに言葉を置く。


「……お前たちの意見はわかった。ダリル――今日の夜、もう一度答えを聞かせてくれ」


「……ああ」

ダリルは短く答え、視線をどこにも定められないまま俯いた。


レナードは続ける。


「ダリル、お前はオズワルと見張りを交代してくれ。ただし――何があっても攻撃は禁止だ。見つけてもこちらに伝えるだけでいい。オズワルには、拠点で休むように伝えてくれ」


「……わかった」

ダリルは気持ちを切り替えるように頷き、高台の端で見張っているオズワルの元へと歩いていった。


レナードはエドリックに向き直る。


「エドリック。お前は洞窟側の見張りを頼む。俺はここで、全員の装備の整備をしておく」


「……了解」


エドリックは返答し、夕闇が迫り始めた森の向こう――

洞窟側を見張れる位置へ静かに歩き出した。


影が長く伸び、森は夜を迎える準備を始めていた。


エドリックはその闇を見つめ、胸の奥でひとつだけ思った。


――明日すべてが動く。

その気配が、確かに近づいていた。


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