第59話 迫る影、揺らぐ静寂
エドリックは森の影を抜け、視界がひらけた場所へ出た。
少し先には廃村が広がり、そのさらに上──崖沿いの高台では、ロランとダリルが身を低くして警戒を続けていた。
二人はエドリックの気配にすぐ反応し、振り返ると同時に手を武器へ添えたが、エドリックだとわかると、わずかに力を抜く。エドリックは森の斜面を駆け上がり、廃村を見下ろせる高台──斥候拠点へ戻ってきた。ロランとダリルもエドリックに合流する。
「戻ったか。……どうなった?」
ロランが低く問いかける。
「盗賊は殲滅した。ただ、一人だけ捕まえてる。レナードたちが今、そいつを連れて戻ってきてるところだ」
エドリックは落ち着いた声で報告した。
その言葉にダリルが大きく息を吐く。
ロランも表情を緩めたが、すぐに視線を鋭く戻した。
「そうか……だがまだ終わりではない」
ロランは洞窟側にある森から連合側へ意識を向ける。すぐに援軍がやってきても対応できる状態に見える。
「ああ…そうだな」
ダリルも緩んだ緊張を引き締め廃村の連合側入り口に視線を向ける。
エドリックもロランと並んで廃村全体を見下ろした。
ここに来てから、まだ数日しか経っていない。
それなのに――彼らはすでに多くの盗賊を始末してきた。
今日倒した人数も含めれば、合計四十八人。一人は捕虜として捕獲。
七人の小隊でありながら、この数字は大戦果と言って差し支えない。
だが、圧倒的な成果を見下ろしながらも、エドリックの胸には言葉にしがたいざわつきが生まれていた。
(……少し前まで、ただの農民だったのに)
訓練で叩き込まれ、必死に覚え、そして生きるために戦ってきた。
強くなった――それは確かだ。
けれど、ここまで冷酷に命を奪えるようになった自分に、どこか現実味のない感覚もあった。
ふいに——。
サッ。
森のほうから、わずかな音が響いた。
ロランとダリルが同時に顔を向ける。
エドリックも反射的に視線を向けた。
木々の影から姿を現したのは、レナード、オズワル、トマ。
そして、その後ろには両手を縄で縛られ、口を塞がれた盗賊が引きずられるようにして歩いていた。
「……来た」
エドリックは息を整え、ロランとダリルへ短く告げる。
「レナードたちに指示を確認してくる。二人は警戒を頼む」
ロランは頷き、ダリルも素早く周囲へ目を向け直した。
エドリックは高台の斜面を滑るように駆け下り、三人と囚われた盗賊の元へ向かっていった。
***
エドリックは斜面を駆け下り、レナードたち三人の前へたどり着いた。
縄で縛られた盗賊はうつむいたまま震え、オズワルとトマは周囲へ鋭い視線を巡らせている。
レナードはエドリックの顔をひと目見ると、息を整える間もなく声をかけた。
「情報伝達ご苦労。……こっちに何か変化はあったか?」
エドリックは首を横に振り、小さく息を吐いて答える。
「……ごめん。それは聞かなかった。でも、ロランとダリルの様子を見る限り、異常はなさそうだよ」
レナードは短く頷き、すぐに次の判断へ移った。
「……了解だ。これから、オズワルと俺でこいつからさらに情報を引き出す」
そう言って、レナードは囚われた盗賊をちらりと見下ろす。
盗賊は顔面を蒼白にし、レナードの視線を避けるように身を縮めていた。
レナードは続ける。
「エドリックとダリルは少し休め。休んだあとに二人には指示を出す」
その言葉に、エドリックは迷いなく頷いた。
「了解。……ダリルにも伝えるね。ロランには?」
「これからそっちに行く。そのときに俺から伝える。まずはダリルに伝えて休め」
「了解」
エドリックは深くうなずき、再び高台へ向けて駆け上がっていく。
斜面の上では、ロランとダリルがすでに廃村と森の境界線を警戒し続けていた。
エドリックは二人へ報告と指示を伝えるため、足を止めることなく駆け上がっていった。
レナードは縄で縛られた盗賊の肩を押さえつつ、すぐ横に立つトマへ視線を向けた。
「……トマ。すまないが、こいつを尋問している間、小道の見張りを頼む。
俺たちが来た方角だ。さっきこいつから引き出した情報じゃ――これから、こいつらとは別の盗賊団が来る可能性が高い」
トマは真剣な顔で頷く。
「了解」
そのまま高台には向かわず、小道へ続く森の奥へ入りかけたが――
「そっちじゃない」
レナードが静かに制止の声をかけた。
「高台からの監視でいい。お前も休みながらで構わない。何かあればすぐ動ければそれでいい」
トマは一瞬だけ驚いたように目を瞬き、すぐに笑うような息を漏らした。
「……了解。正直、助かるよ。じゃあ何かあれば即向かう」
そう言って、トマは肩の力を少し抜きながら坂道へと歩き出していった。
***
レナードも盗賊を引き連れたまま歩き出そうとしたが、ふと足を止め、オズワルへ横目を向けた。その表情には、先ほどまでとは違う硬さが宿っていた。
「……オズワル。場合によっては、ここから撤退する」
オズワルは眉をひそめ、レナードの言葉の意図を探るように盗賊へ視線を向ける。
縛られた盗賊はその視線に怯え、肩を大きく震わせた。
「……どうしてだ?こいつが何か吐いたのか?」
レナードは静かに頷いた。
「ああ。こいつらとは別の盗賊団が、この場所に向かっているらしい。人数は定かじゃないが……さっき殲滅した連中よりも多い、とのことだ」
オズワルの顔にわずかな苦みが浮かぶ。
「……なるほどな。どれぐらいの規模の盗賊団かわからねぇが大人数ならさすがに厄介だな。……他の連中には共有しないのか?」
レナードは険しい表情のまま盗賊を睨みつける。
その視線を受けた盗賊は、再びビクッと震えた。
「ロランにはこの後伝える。だが今はそれ以外に伝えるつもりはない。余計な不安を煽りたくないし……こいつが嘘を吐いている可能性もある」
オズワルは短く息を吐き、頷いた。
「……まあ、そうだな」
レナードは時間の重みを感じるように空を一度だけ見上げ、すぐに言葉を続けた。
「行くぞ。時間との勝負だ」
「了解だ。ロランには俺から伝えておく」
「頼んだ」
二人は互いに短く頷き合うと、縄を握られ震える盗賊を連れて、高台へ向かって歩き出した。森の静けさはそのままだが、空気だけは確実に戦の匂いを帯び始めていた。
レナードとオズワルは、盗賊の背を押しながら斜面を登る。日差しは傾き始め、森の影の形が少しずつ長くなっている。太陽が沈みかければ、視界は急速に悪化する。盗賊団が近づいているという情報が真実なら、時間は彼らの味方ではなかった。
盗賊は足元がおぼつかず、崖下の廃村を見ては震え、つまずきそうになりながら歩く。
レナードはその背を軽く押して促したが、その手には焦りと苛立ちが混じっていた。
(……急がなければならない。状況を整理し、判断を下し、全員を動かすために)
斜面を登りながら、レナードは頭の中で何度も状況を並べ直す。
今回の任務で仕留めた盗賊は四十八名。最後の一人であるこいつが吐いたもう一つの盗賊団。その規模は不明。
もし彼らがここへ向かっているなら――
(廃村の位置、洞窟の存在、斥候拠点……全部、もう長く保てると保証できない)
初日、盗賊に夜襲を仕掛けたときの光景が脳裏をよぎる。
あのときとは違い、今は地形も理解し、戦闘力も上がっている。
それでも、相手の規模次第で撤退は避けられない。こちらの現状の戦力が六人である以上、戦略なき戦闘は死を招く。
オズワルも歩きながら視線を森の奥へと走らせる。
その顔にはいつもの余裕はなく、兵士としての冷静な目が宿っていた。
「……レナード」
低い声で名前を呼び、横目で盗賊を見る。
「こいつ……まだ何か隠してるかもしれねぇな」
「俺もそう思う」
レナードは短く返しつつも、目は前を見据えていた。
「ただ、こいつの言葉を裏付ける証拠が何もない。嘘を吐く動機も、真実を言う動機も、今のこいつには両方ある」
「ああ」
オズワルはうなずき、さらに言葉を継ぐ。
「だからこそ、今は情報を一本ずつ拾っていくしかねぇ。……だが、もし本当に別の盗賊団が近くにいるなら、動くなら早いほうがいい」
「わかってる」
レナードの声は低いが、迷いはなく強さがあった。
高台に近づくにつれ、風が少し冷たくなる。視界は広く開け、廃村、森、すべてが見渡せる。その景色は、ここに来た数日前と何も変わっていないはずだったが――今はまるで違う場所のように思えた。
(……すぐにでもここが戦場になるかもしれない)
そう思うだけで、空気が重く感じられた。
やがて、高台の縁に立つロランの姿が見えてきた。
エドリックの報告を受け、ロランはすでに状況を察知した表情で周囲を鋭く見張っていた。
レナードたちが近づくのに気づくと、ロランはすぐにこちらに向かってきてくれた。
視線は縄で拘束された盗賊にも一瞬だけ向けられたが、すぐに仲間二人の顔へ戻る。
そして――二人のわずかな表情の変化を読み取ったのか、ロランの目つきが鋭くなる。
冗談や気安さは一切なく、戦場の兵としての顔に切り替わった。
「……状況が変わった、ということでいいのか?」
その声音には、すでに事態が悪い方向へ動いていることを悟った冷静さがあった。
レナードは短く息を吐き、ロランの問いに頷いた。
「……ああ。俺とオズワルでこいつを尋問する。現状はオズワルに伝えてある。詳しい話はオズワルから聞いてくれ。そのあと見張りに戻れ。尋問が終わり次第、改めて全員に指示を出す」
そう言うと、レナードは斥候拠点からやや外れた森の奥を指さした。
落ち葉が厚く積もり、風さえ通らない静かな一角だ。
「オズワル、俺はあそこでやる。ロランに状況を共有したら来い。……ここだと休んでるエドリックとダリルに気を遣わせるからな」
「…了解」
「わかった。すぐに行く」
二人は同時に頷き合い、ロランはすぐにオズワルへと近づいて情報を受け取り始めた。
レナードは縄で縛られた盗賊の腕を掴み、森の暗がりへと引きずっていく。
木々の影に飲まれる直前、盗賊は助けを求めるように一度だけ振り返ったが、誰も彼の目を見ることはなかった。
そして静寂の中、圧し殺した声が森へ吸い込まれる。




