第58話 生かす理由、斬らぬ覚悟
レナードは盗賊の背後を押さえたまま、低く、しかし鋭い声を囁くように落とした。
「先に言う。大声を出すな。出した瞬間に殺す」
首に押し当てられた刃の冷たさに、盗賊の肩がびくりと跳ねる。男は涙で濡れた目を大きく見開いたまま、何度も必死に頷いた。
その様子を、周囲に散開した三人──オズワル、トマ、エドリック──は見逃さない。彼らは距離を取りながらも、レナードと盗賊のやり取りを聞ける位置を維持しつつ、洞窟側への警戒を一切緩めなかった。
レナードは盗賊の震える肩越しに視線を落とし、静かに質問を投げる。
「最初の質問だ。……お前たちは何人でこちらに来た?声は出すな。指で答えろ。こちらは人数を把握している。嘘をついた瞬間、そこで終わりだ」
盗賊は青ざめた顔で喉を鳴らし、震える指をゆっくりと持ち上げた。
一本、二本、三本──そして震える手は十五を示した。
オズワルとトマから得た情報と一致している。四人はほぼ同時に頷き、レナードは淡々と次の質問へ移ろうとした。
その時だった。
「くそ!誰も戻ってこねぇ! 一旦引くぞ!!」
「待てよ! 仲間はどうする!?」
森の静寂を裂くように、怒声が遠くから響いた。
エドリックが反射的に目線を向ける。木々の間、距離はまだあるが、二人の盗賊が焦りからか声を張り上げて口論していた。
(……あれは、残りの盗賊だな)
レナードは盗賊を押さえたまま視線を横に送り、オズワルに頷いて合図する。
オズワルもすぐに理解し、トマとエドリックへ手早くハンドサインを送った。
――あいつらを仕留める。援護しろ。
二人は一拍も置かず頷き、オズワルの横へ移動する。
オズワルは地面に沈んだ声で二人に短く指示を出した。
「……逃がすわけにはいかねぇ。俺が突っ込む。正面のデカい方は俺がやる。お前らは残りを先に落とせ。そのあとで援護に回れ」
言葉は静かだが、そこに迷いは一切なかった。二人は力強く頷く。
「……了解」
三人はほぼ同時に地面を蹴った。隠密など最初から捨てている。音も気配も構わず、ただ逃走を許さぬ速度で森を駆け抜ける。
湿った土が飛び散り、枝葉が押し分けられ、緊張の空気を裂きながら三人の影が走り出した。
――もう一歩踏み外せば、戦況が傾きかねない。
それを全員が理解していた。だからこそ止まらず、迷わず、ただひたすらに獲物へ向かっていく。
盗賊との距離は、もはや数十歩ほど。
森を駆ける三人の足音が、湿った地面を叩きながらガサガサと響き渡る。
その音に、前方の盗賊たちがようやく気づいた。
「……ん?」「あっ!?おい、来るぞ!敵だ!!」
焦った声が上がった瞬間には、すでにオズワルの短槍の穂先が盗賊へ向けられていた。
トマも左右の重心を微妙に揺らしながら、走りながら投げやすい角度で手斧を構えている。
エドリックも背中の短槍へ手を伸ばしたが、走りながらすぐ横でトマが短く声を投げた。
「エドリック、突っ込むのは俺だけ。投擲で援護を頼む!」
言葉は短い。しかし息切れすらない明瞭な声。
エドリックは反射的に頷き、腰のナイフを確かめながら走り続けた。
「了解」
そのやり取りからわずか一拍。
オズワルが吠えるように声を低く放つ。
「行くぞ!」
掛け声と同時に、オズワルが大柄な盗賊へ一直線に突撃した。
盗賊が慌てて身をひねる。
だが完全には避けきれず、槍先がわき腹をかすめ、濁った血が飛ぶ。
「くそがっ!てめぇ!!ぶっ殺す!!」
痛みに叫びながら、盗賊は腰からゴツい棍棒を引き抜き、オズワルに向かって振り上げた。
金属がぶつかるような音が森に響き、二人の戦闘が始まる。
もう一人の盗賊も加勢しようとオズワルの方へ向かった——その瞬間。
ヒュッ。
トマの手斧が鋭く飛んだ。
盗賊は反射で身をそらして避けたが、それこそがトマの狙いでもあった。
次の瞬間には、トマ自身が走り込んでいた。
残る片方の手斧を握りしめ、低い姿勢から一気に跳ね上がるように間合いへ入る。
「っ……!?」
盗賊が声を出す間もなく、振り下ろされた一撃は頭を外れたが、その勢いのまま鎖骨へ深く食い込んだ。
骨を砕く感触と共に、斧はそのまま胸元へと切り裂きながら進む。
「ぎゃあぁぁぁぁ!!」
叫びは断末魔の一声となり、盗賊の身体は仰向けに倒れ込んだ。
だが、戦闘はまだ終わらない。
エドリックはトマが無事に盗賊を倒したのを確認し、短く息を整えると、すぐに視線を戦闘の中心へと向けた。
オズワルが大柄な盗賊と渡り合っている。棍棒の軌道は重く速いが、オズワルは槍のリーチを活かし、間合いを巧みに保っている。
その盗賊の背は無防備に近い。
エドリックは背中側に回り込み狙いを定める。
ヒュッ、と空気を裂く音。
刃は迷いなく盗賊の背中へ突き刺さった。
「ガッ……!」
盗賊が呻き、驚いた顔で後ろを向こうとした——
その一瞬の隙こそ、オズワルが待っていたものだった。
「……終わりだ」
オズワルの右腕がしなり、短槍が弧を描いて盗賊の横首へ突き刺さる。
刃は骨ごと頸を貫き、盗賊は声にならない息を漏らして崩れ落ちた。
血が湿った地面へ落ち、周囲の空気がさらに重さを増す。
短い戦闘だったが、判断も動きもすべてが一瞬の連続だった。
それでも三人の足取りには焦りも乱れもない。訓練と場数が、戦いの後でも冷静さを失わせないのだ。
オズワルは、倒れた盗賊の横で短槍を素早く引き抜くと、滴る血を振り払いつつ短く指示を出した。
「……これで全員だと思うが、いつ別の連中が来るかわからねぇ。こいつらを隠して――すぐレナードのところに戻るぞ」
エドリックとトマは黙って頷く。
三人はそれぞれ倒れた盗賊の腕や足を掴み、森の濃い茂みへと引きずり込んだ。
葉の擦れる音がかすかに鳴り、重い身体が土へ沈む。その後、エドリックとトマは手早く周囲の土を掬い、血の跡や地面の乱れを砂と枯葉で覆い隠した。
限られた時間でできる証拠隠滅はすべて終えた。
三人は互いに視線を合わせ、すぐさま来た道を戻り始める。撤退の動きも素早く、しかし決して焦ってはいない。
レナードがいるであろう場所に戻ると、気配を察したレナードが振り返った。
彼の足元には、捕らえた盗賊がひざまずかされている。すでに戦闘不能な状態にされており、両手首は後ろでしっかり縛られていた。さらに声を出せないよう、服の一部を裂いて口へ詰め込まれていた。
レナードは表情を崩さぬまま、三人を一瞥して状況を測るように目を細めた。そのわずかな間ののち、静かに問いかける。
「……状況は?」
「さっきの盗賊は二人とも始末した。証拠もできる限り隠した。……で、そいつはどうする気だ?」
オズワルは顎をしゃくり、レナードの足元にひざまずかされている盗賊へ目を向ける。
盗賊は肩を震わせ、涙で濡れた目を大きく開きながらオズワルを見つめていた。縛られた手首は逃げようという意思すら見せず、ただ恐怖がそのまま全身に貼りついている。
レナードはその様子に小さくため息を落とし、低く言った。
「……こいつは、ここでは始末しない。一度ロランとダリルと合流してから、改めて口を開かせる」
「尋問は得意ではないが……まあ何とかなるだろう……」
そこで言葉を区切り、盗賊の頭上を見下ろすように視線を落とす。
「尋問後の扱いはあとで決める。それでいいな?」
オズワルは迷いも戸惑いもなく頷いた。
「構わねぇよ。戦意のあるやつはともかく……怯えてるだけの奴をいたぶる趣味はねぇ。……二人はどうだ?」
目線がエドリックとトマへ向けられる。
トマはほんの短く息を吐き、微苦笑を浮かべた。
「……俺も同じだね。戦場だから斬るし殺すけど……好きでやってるわけじゃないよ」
エドリックもそれに続く。
「俺もだ。……甘いと思うけど、そいつを見てると、なんか……かわいそうにも思えてくる」
その言葉に、オズワルは鼻で短く笑い、ぼそりと呟く。
「……俺たち、あまちゃんだな」
その声が聞こえたのか、盗賊の肩の震えがわずかに弱まったようにも見えた。
レナードも苦笑し、すぐに表情を引き締め直す。
「よし……これからこいつも連れて廃村の見張り場所に戻る。エドリック、お前は先に行ってロランとダリルに状況を伝えてくれ。」
その場の空気を少し柔らかくするように、続けて軽く言い添える。
「二人はたぶん警戒中だ。……狙撃されないように気をつけろよ」
エドリックは思わず肩をすくめ、短く笑った。
「了解。……盗賊に見間違えられないようにするよ」
張り詰めていた空気が、ごくわずかにほぐれる。
だが次の瞬間、レナードは盗賊の正面に立ち、冷たい視線を落とした。
「……聞いていたな。お前は今のところ始末しない。だが嘘を吐いたり、俺たちの動きを妨げたりしたら……その場で敵意ありと見なして処分する。いいな?」
盗賊は力なく、しかし必死に縦に首を振った。
レナードは最後に短く頷き、仲間たちへ向き直る。
「……エドリック、頼む。俺たちは後から行く。――トマ、オズワル。こいつは俺が引き受ける。周囲の警戒を頼む」
三人はそれぞれ真剣な表情で頷き、即座に持ち場へ動き出した。
森の空気はまだ重く、戦いは終わりからほど遠かった。




