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兵の風と鐘の音にさらわれた少年  作者: 炭酸水
第一部 兵の風の中で
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第57話 捕縛の森で

森の湿気は濃く、空気は静まり返っていた。風もなく、葉はひとつとして揺れない。


レナードとエドリックは、無駄な音を立てずに森の斜面を駆ける。急いでいるが焦りはない。歩幅と呼吸は一定で、訓練で染みついた動きだった。


やがて――先ほどまでオズワルとトマが潜んでいた監視地点へ到着する。


しかしそこに二人の姿は無かった。


エドリックが振り返り、指で短く合図を送る。


――こちらへ。先に進んでいる。


レナードが頷き返し、二人は再び森の奥へ向かう。


足元には、注意深く見なければ見逃すような、かすかな痕跡が残っていた。

苔の擦れ、草の折れ、浅い重心移動の跡。


訓練を受けた者でなければ決して追えない軌跡――だが二人にとって、それは十分すぎる道標だった。

しばらく進んだところで、エドリックが指を跳ねさせた。


――停止。


レナードも即座に体を低くし、視線だけで状況を探る。


エドリックが、わずかに顎を動かしながら指差す。


――前方。死体。


レナードは静かに視線を向ける。


倒れていたのは盗賊。首元には、深く抉り込むような短槍の傷跡。

血の飛び散り方から、遠距離からの奇襲ではなく至近距離での刺突だと分かる。


(……近接戦闘か)


森の中を移動していた盗賊に偶然遭遇したのか。あるいは、盗賊側もこちらを探して森に入ったのか。


どちらにしても――状況は静かに動き始めている。


レナードがエドリックと視線を交わし、短い合図を送る。


――前進。周囲を警戒。


二人は再び進む。湿った土が靴底を受け、葉が音を飲み込む。


――その時。


ドサッ。


重いものが倒れる鈍い音が、ほんの少し前方から響いた。


レナードとエドリックは瞬時に木陰へ移り、呼吸すら浅く整える。

視線だけで意思を確認し、ゆっくりと音の方向へ進む。


やがてそこに――


短槍を引き抜くオズワルの姿と、手斧を持ったトマの背中があった。


足元には、まだ温かい血を流す盗賊が転がっている。


二人はすでにこちらに気づいていた。

だが声も動きも出さず、ハンドサインだけが交わされた。


――無事だ。敵二。制圧済み。状況は変わった。


森の空気が張り詰める。この戦いは、もう潜伏だけでは済まなくなっていた。


四人は息を潜めながら距離を詰め、互いの位置を確認するように視線だけで意思を交わした。緊張が皮膚の内側でじわりと膨らむ中、最初にレナードが静かに口を開く。


「……無茶をしすぎだ」


叱責というより、安堵と焦りが混ざった低い声だった。


オズワルは短く息を吐き、わずかに肩をすくめる。


「情報収集のためだ。だが……心配をかけた。すまない」


負け惜しみも誤魔化しもない、実直な謝罪だった。


レナードは次にトマへ視線を向ける。


「トマ。お前は大丈夫か?」


トマは周囲を警戒しながら小さく頷いた。


「問題ないよ。オズワルがほとんどやってくれたおかげで、俺には傷一つない」


その返答にエドリックとレナードはほんのわずか安堵を覚え、呼吸を緩めた。しかし緊張が解けたのはほんの束の間で、すぐに戦況の厳しさが二人の表情を引き締め直す。


トマは表情を引き締め、声のトーンをさらに落とす。


「……それより、情報を手に入れた。やつら仲間がやられてるのに気づいてる。墓も……多分バレてる」


空気が冷えた。


「新しく来た人数は十五。仕留めた奴がそう言ってた。……ほぼ間違いない。これで、敵の総数がようやく見えてきた」


レナードとエドリックが同時にうなずき、レナードは頭の中で数を拾い上げるように呟いた。


「――ということは、残り四人か」


廃村で七。

小道で一。

オズワルとトマが三。


計十一。残る四。


オズワルが小声で補足する。


「……ああ。人数がわかった時点で、逃げられないよう洞窟周辺に回るつもりだった。幸いにも、あいつら完全に素人だ。足音も隠さねぇし、居場所は丸わかりだ。……声もよく出してるしな」


その言葉を証明するように――


森の奥から怒りに満ちた叫びが響いた。


「くそっ!どこにいやがる!!卑怯者が!!」


位置を隠すつもりすらない雑な声。

四人はわずかに体勢を変え、声の方向を確定させた。


オズワルは息を吐き、あきれたように低く言う。


「……バカが」


それでもすぐに次の動きに移る。


「トマ。投擲位置まで移動だ。もしあいつ以外にも盗賊がいるなら、その後は俺が受ける。レナード、エドリック、援護頼む」


レナードは短く息を吐きながら、それでも即座に行動へ切り替える。


「……今回だけだ。こんな行き当たりばったりの作戦は」


声は冷静だが、足はすでに戦闘位置へ向かっていた。


レナードは素早く作戦をまとめる。


「トマ。投擲の判断はお前に任せる。俺とオズワルは近接に備える。エドリックは周囲を警戒。必要と判断した時だけ投擲しろ」


全員が無言で頷いた。


次の瞬間には、四人はすでに配置についていた。


トマが深く息を吸い、手斧を握る指にわずかに力を込める。

腕が滑らかに振り抜かれ――


ヒュッ。


手斧は鋭く回転し、叫び続けていた盗賊の頭蓋を正確に撃ち抜いた。


「ふざけやがっ――ガッ!」


手斧を受けた盗賊は、そのまま崩れ落ちるように前のめりに倒れ、地面へとゆっくり沈んでいった。しかし、それで状況が終わったわけではなかった。


倒れた衝撃が森の空気を揺らした直後、近くの茂みがガサリと不穏に揺れ、そこからもう一人の盗賊が這い出すように姿を現したのである。男は腰を抜かしたまま必死に後ずさりし、目を見開いて震えていた。


エドリックは即座に反応し、身体が覚えているような滑らかさで投擲の体勢へ移る。狙いは正確で、一瞬でも振りかぶれば確実に仕留められる距離だった。しかし、ナイフを放つ直前、レナードの手が静かに横から伸び、エドリックの動きを制止した。


その合図は言葉こそ伴わなかったが、短く鋭い動きの中に確かな意思が込められていた。エドリックもすぐに理解する。レナードが止めた理由はただ一つ――この震える盗賊には「まだ使える価値」がある、という判断だ。


レナードは状況を一瞬で見極め、迷いなく指先で指示を送った。

その仕草は静かだが、緊迫した空気の中で確かな重みを持って伝わる。


――あいつを捕まえて情報を引き出す。お前たちは周囲を警戒しろ。


三人は即座に頷き、行動に移ろうとする。緊張の色は深いが、動きに乱れはなかった。


レナードはエドリックへ視線を向け、さらに短いサインを送る。

――ナイフを一本貸してくれ。それと、これを預かってほしい。


指示に従い、エドリックは無言で腰のナイフを一本抜いて差し出した。同時にレナードは自ら装備していた手斧とバックラーを外し、地面へ静かに置いた。軽装になることで動作を素早くし、捕獲に徹する意志が読み取れる。


レナードは左手に革手袋を装備し、右手に受け取ったナイフを握る。

その姿は戦士としてではなく、確実に捕らえる者としての姿だった。


――あいつに近づく。正面ではなく、背後から回り込む。援護を頼む。


この指示に三人は小さくうなずき、森の空気を乱さぬよう動き始めた。


目標の盗賊は、戦意どころか逃げる気力すら失っているようだった。

仲間が倒れた現場を目の当たりにしたのか、あるいは自分も同じ運命を辿ると悟ったのか、腰を抜かして地面に座ったまま、「ああ……ああ……」と情けなく掠れた声を漏らすばかりだった。


レナードは木々の影を縫い、慎重に距離を詰めていく。

右手のナイフは振り上げるわけでも、脅すように構えるわけでもない。

ただ、確実に相手の生殺与奪を握るために静かに保持されていた。


風はなく、森は深い静寂を保っていた。

その中で聞こえるのは、盗賊の荒い呼吸と、レナードの足が枯葉を避けて進む微かな気配だけ。


やがて、盗賊の背後へと回り込む位置まで辿り着いたレナードが、ふっと体重を移して一気に距離を詰める。地面を蹴った音すら残さず、まるで影が吸い込まれるように盗賊の背後へと滑り込んだ。


その瞬間、左手がすばやく伸び、盗賊の口元を革手袋ごと塞ぐ。

驚愕したように盗賊の目が見開かれるが、声は漏れない。


迷いなく右手のナイフが盗賊の首筋へ押し当てられる。冷たい鉄の感触に盗賊の体がびくりと震えた。


レナードは耳元で、吐息よりも小さな声で囁く。


「動くな」


その一言には怒りも焦りもなく、ただ反抗の余地を与えない絶対の意思だけがあった。


盗賊の肩は震えているが、身体は完全に硬直し、抵抗の兆しはない。

こうして、ひどく静かな森の中で――尋問の幕が、静かに上がろうとしていた。


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