第56話 露見の兆候
森の空気は湿り、風はない。
ただ、遠くで鳥が一声鳴き、それきり静寂が落ちた。
エドリックとトマは、小道がよく見え、それでいて小道側からは木陰に溶け込む位置へ腰を落とす。枯葉を踏まない姿勢の確保、呼吸の深さ、手元の武器の位置──全てが戦闘前の静かな準備だった。
少しして、トマが口を開く。声は地面に落ちるほど低い。
「……エドリック。この距離で問題ないかい?」
視線は小道から外さぬまま、エドリックが答える。
「問題ないよ。トマは?」
「俺も大丈夫」
その短いやり取りすら、余計な響きを立てぬよう調整されていた。
再び静寂が落ちた。しかしそれも長くは続かない。わずかな間を置いて、トマが小声で続けた。
「……何人までなら仕留められる?」
エドリックは少しだけ考え、答えを絞るように囁く。
「正直……二人だと四人以上は厳しい。ここからなら攻撃に気づかれずにいけるはずだけど、一撃目で最低二人は落とさなきゃいけない。もし失敗したらどうする?」
「……この位置から移動しながら中距離攻撃に切り替えよう。近接は……リスクが高すぎる」
言葉よりも頷きの方が速く交わされる。
それが同意であり、覚悟だった。
と、そのとき――
――ザッ、ザッ、ザッ。
急いだ足音が小道の奥から近づいてきた。
走っている。息が荒い。焦りが伝わる。
二人は同時に反応し、視線を交わすだけで意思を一致させた。
来る。そう確信した瞬間、木々の隙間から小柄な盗賊が現れた。周囲の状況すら見ていない。急いで報告する必要があるか──理由はどうでもいい。
今重要なのは、敵が背を向けてこちらを通るという一点だった。
エドリックは腰の投げナイフを抜き、動きやすい角度で握り直す。
隣ではトマも手斧へ触れ、後続の確認に集中していた。
盗賊がすぐ近くを通り過ぎる。
息遣いが聞こえるほど近い。肩が震え、焦りの気配が身体から漏れていた。
――今だ。
エドリックは静かに立ち上がり、わずかな体重移動で狙いを定め、ナイフを放つ。
ヒュッ。
狙いは足。逃走力を奪うため、殺す前の確保だ。
刃はぴったりふくらはぎに突き刺さり、盗賊が短い悲鳴をあげる。
「っぎ……!」
そのまま勢いのまま転倒し、土埃を巻き上げる。
間髪入れず、エドリックは次のナイフを抜き、狙いを頭部へ切り替える。もう盗賊は逃げられない。盗賊が振り返るその一瞬、それが隙だった。
ヒュッ。
刃は空気を裂き、まっすぐ盗賊の顔面へ突き刺さった。
「……っ」
声にもならない息が漏れ、身体から力が抜けた。
盗賊の目は大きく見開かれたまま動かず、土の上で静止する。
痛みを感じたまま死んだのか、それすら理解できず死んだのか──わからない。
だが――確かなのは、戦闘はこれで終わりではないということ。
トマが周囲を警戒しながら話しかける。
「……さすがだね。まだ気配はない。次が来る可能性もある。急いであいつを茂みに隠そう」
エドリックはナイフの柄から血が落ちるのを見ながら、静かに頷いた。
二人は倒した盗賊の遺体を森の茂みへ慎重に引きずり込み、ナイフを回収した後、枯葉と枝で隠した。
その間も耳は小道の気配から離れない。
隠し終えたあと、ようやく小声で言葉が交わされた。
「……なあ、トマ」
エドリックは視線を小道へ残したまま呟く。
「なんであいつ……あんなに急いでたんだろうな」
トマはしばらく答えず、地面に残る踏み跡を見ながら思考を組み立てるように口を開く。
「それを考えてたんだけど……もしかしたら──」
わずかな間。
「一昨日始末した盗賊の墓を見つけた、とか」
その言葉が落ちた瞬間、空気がひやりと冷えたように感じた。
胸の奥がひとつ跳ねる。
確かに、埋めた場所は洞窟から少し離していた。だが離していただけで、決して遠くはなかった。
足跡、掘り返した形跡、土の色──注意深い者なら気付ける。
そしてもし気づかれたのなら。
(……俺たちがここにいることも、バレてる可能性がある)
そう思った瞬間、喉の奥が乾いた。
――サッ。
微かな気配。オズワルが木々の間から姿を現した。
「……状況はどうだ?」
声は低く、いつもより硬かった。
トマが簡潔に状況を報告する。
「一人仕留めた。そいつは廃村に急いで向かっていた。……たぶん、墓とか見つけたんだと思う」
オズワルはほんの数秒だけ考え、その表情が決断の色へ変わった。
「……エドリック」
名を呼ばれた瞬間、背筋が自然と伸びる。
「お前は廃村に戻ってレナードに伝えろ。もし相手が何かに気づいたなら、この小道を真っ直ぐ通ってくるとは限らねぇ」
判断は早く、声には迷いがなかった。
エドリックは強く頷く。
オズワルは次にトマへ視線を向ける。
「トマ。お前は俺と洞窟側へ移動して監視をする。途中で仕留められる奴がいたらやるが──人数次第では撤退に切り替える。」
トマは唇を結び、小さく答えた。
「……了解」
その声には緊張より、責任の重みが滲んでいた。
オズワルは最後に再びエドリックを見る。
「だからお前はすぐ行け。全員を廃村から下げて高台に戻すようレナードに伝えろ。盗賊の数次第じゃ、全滅の危険もある」
胸が強く締めつけられる言葉だった。
だが、それは弱さではなく現実を見据えた判断。迷いを持ち込んではいけない場面だ。
エドリックは短く息を吐き、緊張を押し込むように言った。
「……わかった。すぐ伝える。……二人も気をつけろよ」
オズワルは少しだけ口角を上げる。
「心配すんな。レナードから『誰も死なせるな』って釘刺されてる。無茶はしねぇよ」
その冗談めいた口調が、逆に状況の厳しさを際立たせた。
オズワルが顎を動かし、トマへ示す。
「行くぞ」
「了解」
二人は木陰を縫うように洞窟方向へ移動し始めた。
その足取りは軽く、だが一切の音を残さない。
エドリックは一度深呼吸し、握りしめていたナイフの柄から手を離す。
(……急がないと)
森は相変わらず静かだった。
だが、その静寂はもう先ほどまでのものではない。
敵が迫っているかもしれない。
どこかでこちらを探しているかもしれない。
気配を殺しながら──エドリックは廃村へと駆け出した。
***
廃村に戻ると、レナードとダリルが倒した盗賊の遺体を処理しているところだった。
二人の動きに無駄はなかったが、周囲への警戒を途切れさせることもない。
エドリックの足音に反応し、二人が同時に振り返る。
その視線は敵を想定した鋭さのまま、しかしエドリックだと確認した直後、さらに緊張が深まった。
レナードが低い声で問いかける。
「……どうした?何があった?オズワルはどこだ?」
息を整える暇も惜しく、エドリックは静かに要点だけを伝えた。
仕留めた盗賊が廃村へ急いでいたこと。
その理由として、一昨日埋めた盗賊の墓に気づかれた可能性があること。
そして現在、オズワルとトマが洞窟側へ進み、警戒と確認に向かっていること。
短い報告の余韻すらなく、レナードは思考を一瞬だけ巡らせ、すぐに答えを出した。
「……ダリル」
呼ばれたダリルが顔を上げる。
「お前は高台に戻れ。ロランに状況を共有し、警戒を続けろ。ただし——この小道だけじゃない。森全体を監視対象にしろ」
「了解」
短い返答だけ残し、ダリルはすぐ高台へと駆けていった。
レナードは次にエドリックへ視線を向ける。
「エドリック。お前は俺とオズワルとトマのところへ向かう。位置は把握できてるか?」
エドリックはうなずいた。
「大体なら。案内はできる」
「それで十分だ」
レナードは腰に下げていたバックラーを腕に通し、手斧の位置を確認する。
「場合によっては奇襲じゃなく戦闘になる可能性がある。だが基本は——戦わない。監視が優先だ」
その声は落ち着いていたが、内側にある緊迫が隠しきれていなかった。
レナードはさらに続ける。
「俺は近接に集中する。投擲はお前が担当だ。……指示は必ず俺の合図を待て」
「了解」
言葉は短いが、間に淀みはなかった。
レナードがわずかに息を整え、周囲を確認してから小さく言う。
「——行くぞ」
二人は廃墟の影を離れ、森の闇へと踏み込んだ。
湿った土がわずかに沈む。
枝葉が動く気配すらない静寂。
空気が、何かの始まりを押し殺すように重く張り詰めていた。




