第54話 葉が揺れる刻
曇り空の下、空気は重く湿り、森全体が息を潜めているようだった。
エドリックたちは身を低くし、視線だけで廃村の入口を捉える。
遠く――枯れた草を踏みつける乾いた足音。
それが、じわりじわりと近づいてくる。
やがて四つの影が、廃村の外壁の向こうに姿を見せた。
服装は粗雑、装備も統一されていない。
肩に無造作に担がれた斧、腰には曲がったナイフ。
油断と慢心が歩き方からでも分かるようだった。
彼らは廃村の入り口で立ち止まり、周囲を適当に見回しながら話し始める。
「よぉ……ほんとにここなんだよな?」
「そうだって言ってただろ。先に来てるやつらが残してた地図と印だ」
「で、そいつらはどこ行った?」
「知らねぇよ。あいつらのことだし、ボロ家の中で昼寝でもしてんだろ」
どっと笑い声が広がる。
緊張感など、微塵もない。
しかしその軽薄さは、逆に廃村の静けさの中で不気味に響いた。
エドリックは息を浅くし、視界の端で仲間たちの動きを確認する。
レナードの声が、低く鋭く落ちた。
「……ロラン。ダリル。ここから狙えるか?」
返答は短く、迷いがない。
ロランが矢をわずかに引き、視線を盗賊へ固定したまま答える。
「問題ない。射程も角度も取れている」
続いてダリルがスリングの石を指で転がし、口の端だけで笑う。
「いつでもいけるぜ。外す気はねぇよ」
レナードはその二人を順に確認し、静かに頷いた。
その動きひとつで、隊の空気がさらに引き締まる。
「――まだ撃つな」
低く、小さい言葉だったが、隊の全員に刺さるように届いた。
「少し様子を見る」
エドリックは喉の奥で息を殺しながら頷く。
他の仲間たちも、同じように静かに反応した。
廃村に四人の盗賊の声だけが響き、
それを覆い隠すように曇り空がさらに暗さを増していく。
その陰りは、これから訪れるものの前触れのように思えた。
盗賊の中の一人──体の大きい男が仲間へ向けて声をあげた。
「おい、とりあえず見張りにつくぞ」
その声には焦りも警戒もなく、ただ面倒ごとを押し付けるような雑さがあった。
「お前はあっちの入口だ」
顎で廃村の連合側入り口を示す。
「で、俺は……こっちを見る」
男の視線がゆっくりと、エドリックたちのいる高台の方向へ向く。
――その動きに、隊の空気が硬く締まる。
だが盗賊本人は周囲の気配も射線も理解していない。ただ退屈そうに肩を回すだけだった。
「残りの奴らは、家の中で寝てる連中を起こせ」
男はあくび交じりに続ける。
「これから仲間がまだ来る。準備しとけよ」
その言葉に、他の盗賊たちは「へいへい」気の抜けた返事を返して、行動を始めた。
軽い足取りで散っていき、廃村の中へそれぞれバラバラに動き出す。
――その瞬間、高台の空気がわずかに震えた。
ロランが弓の位置を微調整し、ダリルは足場を確かめつつ石を拾う。
エドリックの喉が乾き、呼吸が浅くなる。だが外見には出さない。
レナードは一瞬だけ沈黙し、視線を廃村と仲間たちへ往復させた。
「……よし。ロラン、ダリルはここで待機。残りは動くぞ」
声は低いが、命令ではなく戦の始まりそのものだった。
全員が迷いなく頷く。
レナードは廃村の中心へ向かう盗賊の動きをもう一度確認し、静かに続けた。
「遠距離攻撃で――まず、あの大柄な男を落とす」
視線の先には、高台側の入口付近に立ち、欠伸をしている大男がいた。
腰には太い棍棒。身長は他の盗賊より頭ひとつ分抜きん出ている。
油断と慢心が全身から滲み、警戒している様子は皆無だった。
「仕留め次第、残りは廃村に入り撃破する。ロランとダリルは狙撃後、廃村内部の敵を優先して排除。ただし、洞窟側からの追加は常に警戒しておけ」
その言葉に、二人はすぐ頷いた――が、その直後、ダリルが口を開いた。
「レナード」
短く名を呼ぶ声。普段の砕けた調子は抜け、戦士の声音になっていた。
レナードが顎で続きを促す。
ダリルは低く、だがはっきり言う。
「最初の一撃だが……俺じゃなくていい。俺のスリングでもあのでかいのは狙えるが、確実に倒しきれるとは限らねぇ。あいつ、骨太だ。多少急所狙っても耐える可能性がある」
その判断は無駄な謙遜でも弱気でもない。
戦況を冷静に読んだ上での合理的な提案だった。
「それなら――最初はロランがいい。弓なら頭を確実に抜ける」
レナードは短く頷く。
「……理にかなっているな。ロラン、いけるか?」
ロランはすでに矢をつがえ、低い姿勢のまま視線だけレナードへ向ける。
「ああ。問題ない。ここからなら――確実に頭を抜ける」
その声に揺らぎはひとつもなかった。
エドリックの胸がわずかに跳ねる。
戦闘になるとロランはまるで別人だ。無駄な感情も音も消え、ただ獲物を仕留める弓そのものになる。
視線の先では、大柄な盗賊が腕を組み、ゆるく立ったまま欠伸をしている。
レナードは小さく息を吐き、最後の確認を落とした。
「ダリル――お前は洞窟側から援軍が来ないかを確認し続けろ。状況が変わったらすぐ合図だ」
ダリルは唇の端を上げる。
「了解だ。任せろ」
「――ロラン。合図が出るまで狙いを外すな」
ロランは答えず、ただ視線だけで返した。
その静かな反応は、言葉以上の信頼と覚悟を感じさせた。
レナードはすぐに視線を仲間へ向け、次の指示を落とす。
「俺たちはこのまま接近する。俺とトマ、エドリックとオズワルで組んで動く」
三人が息も声も殺したまま、短く頷く。
「ロランの狙撃が失敗するとは思えないが万が一がある」
レナードは大柄な盗賊へ視線を向けながら続けた。
「狙撃直後、あの大柄の盗賊に確実な止めを刺す。エドリック、トマ。頭を確実に貫いたと判断できなければナイフと手斧を投擲しろ。判断は俺とオズワルがする」
エドリックとトマは迷いなく頷く。
「今回も奇襲で仕留める。ただし、今は朝で夜とは視界も敵の警戒も違う。――リスクが高い」
短い沈黙。それすら全員の集中をさらに研ぎ澄ませていく。
「投擲で落とせなかった場合、速やかに近接戦へ移れ。迷うな」
「了解」
低くそろった声が返る。
レナードは続けてオズワルへ視線を送った。
「……オズワル。お前に負担がかかるかもしれないが頼む。エドリックの投げナイフは威力が軽い。命中しても急所に届かなければ敵は怯まない可能性がある。その時は――お前が壁になれ」
オズワルは肩を回しながら、まるで当たり前のように答える。
「任せときな」
(……本当に頼りになる)
エドリックは胸の奥でそう呟いた。
レナードの視線が次にエドリックへ向く。
「エドリック。ナイフで仕留められないと判断したら短槍の投擲も考えろ。ただし短槍を失えば――お前は近接武器を失う。判断は急ぎすぎるな。オズワルとも確認しろ」
エドリックは短槍の柄を軽く握り込み、息を整えた。
「……わかった。それなら手斧を貸してくれ。距離は短いが、こっちなら確実に仕留められる」
その言葉にレナードが小さく目を細める。
「そういえば……お前は投擲ならなんでも扱えたな」
横でトマが苦笑とともに手斧を差し出す。
「ほらエドリック。これ使え」
エドリックはそれを受け取り、革手袋越しに重さを確かめる。
「……いいのか?」
「問題ないよ。まだ手斧は二本あるし、今回は近接を考えて短槍も持っていくからね」
その真っ直ぐな言い方に、エドリックは短く言葉を返す。
「ありがとう」
装備の重みが、空気をさらに張り詰めさせた。
レナードは最後に仲間たちの顔を順に見渡した。
弓を構えたロランの視線はすでに獲物に縫い付けられ、ダリルは石を握ったまま体勢を低くしている。
その姿はもはや「待っている」のではなく――「始まる瞬間に備えている」者のものだった。
「――ロラン。俺たちはこれからあそこに移動する」
レナードは指先で、廃村近くの茂みを示す。
背丈ほどの草が生い茂り、廃村側からは見えにくい位置。
そこなら、接近しつつ射程も維持できる。
「合図は──あの葉を三度揺らす。それ以降はお前の判断で撃て」
「了解した」
ロランの返答は短く鋭い。弓弦をわずかに指で転がし、その音すら戦の準備に聞こえた。
レナードは次にダリルへ視線を向ける。
「ダリル。お前は洞窟側の小道を監視。敵が来たら必ず合図で伝えろ。状況次第では迎撃しても構わない」
ダリルは石を握り直し、口角を上げる。
「任せろ。来たら潰す」
「その場合、ロラン。お前はダリルと連携しろ。援軍はそっちに任せる。廃村側は――俺たちで片をつける」
ロランは振り返らず、ただ矢先を盗賊へ向けたまま静かに頷いた。
レナードは最後に全員へ向け、低く言葉を落とす。
「作戦は以上だ。速やかに動く」
余計な声も返事もない。
だがその沈黙は不安ではなく――決意の音だった。
エドリックは短槍と手斧の重さを改めて確認する。
鼓動が速くなるのが分かる。だが、手は震えなかった。
(……怖さが消えたわけじゃない。でも――)
視線の先では、大柄な盗賊が空を見上げて欠伸をしている。
その油断、その緩み、その隙――それこそが奇襲部隊が生きる領域だ。
(仲間がいる。見ている。支えてくれる。だから――動ける)
レナードが短く手を振った。
全員が影のように動き出す。足音は一つもない。
落ち葉すら踏ませない歩幅で、廃村へとじわりと距離を詰めていく。
曇り空がさらに低く沈む。風が止み、森の音が薄れる。
――まるで戦そのものが息を潜め、始まりを待っているようだった。
そして。
狙撃地点に到達し、レナードがほんのわずか葉を揺らした。
一度。
二度。
三度。
世界が固まった。
次に動くのは――矢か、石か、刃か。
だが確かなのはひとつ。
その瞬間、この静寂は戦に変わる。




